第296話
交流戦二日目、昼。
フィリップたちは昼食を終え、午前と同じくフィリップ強化に勤しんでいた。
目下の目標は、蛇腹剣の習熟──ではなく、長剣の扱いに慣れることだ。
100センチの刃渡りを持つ
四本複合の鉄鞭という超変則的な武器を使いこなしていたフィリップだが、蛇腹剣は微細なチェーンで編まれた中心軸に分割された剣節が付いている。ウルミとは柔らかさも重心も挙動も何もかも違うし、そもそも攻撃方法が違う。ウルミは叩き付けるか削ぎ落とすように振らなければならなかったが、蛇腹剣は切り裂くように振る。身体操作の根幹は同じだが、枝葉は全くの別物だった。
特に、以前にマリーが見せた曲芸、チェーンを噛み合わせて軸を固定し、長い剣のように扱う技術は至難を極めた。ステラが再現できないので、最強の指導法である支配魔術が使えないのが痛い。
まぁ、あれは本当に限られた状況でしか使えないので、長剣形態への習熟が最優先だ。
今はウォードとマリーを相手にロングソードの扱いを学ぶための模擬戦をしつつ、ルキアとステラを相手に対魔術師戦を、ミナを相手に拍奪の通じない剣士──宮廷魔術師並みの魔力を要する魔力照準法が使える剣士なんて、それこそ彼女くらいだろうが──を想定して訓練している。
ウルミよりも余程体力を要求されるロングソードでの連続模擬戦は中々にキツく、フィリップは一度「剣形態って必要ですか?」なんて弱音を吐いたが、マリーに説得されてモチベーションを上げていた。
「ロングソードが使えないからソードウィップで戦うのと、ロングソードで戦ってて、ここぞってタイミングでソードウィップに変形させて戦うの、どっちの方がカッコいいと思う?」と聞かれたら、男の子は自分の感性を偽れない。あと単純に、どちらも使えた方が強いに決まっている。
型や素振りのような単純作業ではないが、頭も使わなくてはいけないだけに負担が大きい。
フィリップは十何回目かになるウォードとの模擬戦を終え、ゴロゴロと地面を転がって呻いている。今回の敗因はロングソードの一閃に身体が持って行かれて“拍奪”が緩み、攻撃を透かせなくなったことだ。ウォードはその隙を見逃さなかったし、相対位置認識欺瞞が解けたことに一瞬で気付いた。
「くっそ……強すぎる……!」
「いやいや、フィリップくんも去年と比べて格段に強くなってるよ! 衛士団を数分もの間、龍から守った技量。流石だよ」
顎に流れた汗を拭い、爽やかに笑うウォード。だがフィリップは悔しそうに地面を叩いて立ち上がった。
今のパフォーマンスはウルミを使った時の半分以下だ。蛇腹剣をソードウィップ・フォルムにすれば7割くらいになるだろうが、まだまだこんなものではない。こんな程度で「流石だ」なんて言われたくなかった。
フィリップはずっと、ルキアやステラ、最近はミナにも教えて貰ってきたが、それ以上にウォードから学んだことを基礎にして頑張ってきた。シャドーするときもイメージトレーニングの時も、仮想敵のラインナップにはいつだってウォードがいた。
まだこんなものじゃない。
それを、誰よりもウォードに見せつけたかった。
「もっかい! もう一回やりましょう!」
ウォードの一撃で落とされた得物を拾い、正眼に構えるフィリップ。ウォードは「そうこなくっちゃ!」と嬉しそうに、マリーは「いいね、流石!」と獰猛に笑うが、それには待ったがかかる。
「駄目だ、カーター。一度休憩を挟め。……ルキフェリア! お前もだ! 熱くなりすぎるな!」
ステラの声で、ミナと模擬戦をしていたルキアが帰ってきた。
二人の対戦はミナが言い出したことで、暇潰し兼、
水を飲んだり汗を拭いたり、それぞれ身体を休めていると、誰も近寄りたがらない一行のところに歩いてくる人影があった。
いち早く気付いたのはルキアで、すぐ後に相手を判別したステラと一緒に怪訝そうな顔をしている。皆が近寄りたがらない最たる原因であるミナは、肩で息をして滝のような汗を流しているフィリップの首筋に、病的な冷たさを纏う手を当てて涼ませていた。
「……失礼します、カーターさん。少しだけお時間を頂いてもよろしいでしょうか」
話しかけてきたのは長身の男子生徒で、容姿は特筆すべき点の無い金髪碧眼だ。フィリップはしばらく彼の顔をまじまじと見つめて、やっと名前を思い出した。ジェームズ・フォン・ルメール、フィリップが一年生の時野外試験で同じ班だったリチャードの弟で、以前にフィリップを殴り飛ばした魔術学院の一年生だ。
あの問題のあと、闘技場のように巨大な体育館や、だだっ広い中庭の掃除をさせられているところを何度か見かけたが、特に話しかけてきたりはしなかったし、接点は無かった。
「はい、なんですか?」
ミナはフィリップの会話の邪魔にならないよう、後ろに回り込んだ。
ジェームズは嫌悪感を滲ませた目を向けるルキアより、自分に一瞥も呉れない吸血鬼に慄いたようだが、後退りすることなくフィリップに向けて頭を下げた。
「まずは、前回の件をお詫びさせてください。私の軽率な行動で、大変なご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
「あぁ、いえ、それは別に。……それを言いに来たわけじゃないですよね?」
「はい。実は、軍学校の友人からペア戦の対戦相手を聞いたので、そのご報告をと思いまして」
フィリップはウォードと顔を見合わせる。ウォードは「規則違反だ」と頭を振ったが、フィリップが情報を得ることを止めはしなかった。
「……言いに来たってことは、つまり」
「はい。僕です。それで、その……」
ジェームズが何か言い辛そうにしていて、フィリップは声を上げて笑った。ジェームズが報復を危惧して「勘弁してください」と言いに来たのだと思ったからだ。
思えば「一発は一発」と口走ったような記憶が薄ぼんやりとあるが、あの一件の後に左手が吹っ飛びかけた恨みさえ一週間もすれば忘れたフィリップだ。今更そんな昔のことで、模擬戦相手をボコボコにしようだなんて思わない。
「報復なんかしませんって。自分で言っても説得力のないことですけど、根に持たない方ですよ、僕」
ルキアは平然としていたが、ステラは少し失笑していた。フィリップのカルトに対する執着ぶりは、根に持つとか生易しい次元ではない。フィリップが根に持たない方だとしたら、この世から「執念深い」という言葉は無くなるだろう。
ジェームズは慌てて両手を振り、「あ、い、いえ、そうではなくて……」とフィリップの言葉を否定するが、ルキアとステラは彼の表情が安堵に緩んだのを見逃さなかった。
「そうではなくて。あの、僕も剣術を使って戦おうと思っているので、事前にその旨をお伝えしておこうと思いまして」
模擬戦開始直前に剣を持ち出したら、流石に馬鹿にしていると思われるだろう。だからジェームズは事前に言っておこうと思って行動したし、それは相手がフィリップでなくてもそうするつもりだった。というか、相手がフィリップだったから止めようとまで思ったくらいだが、個人的な感情で成長の機会を棒に振るには、この交流戦という期間は貴重すぎる。
「ご不快であれば、勿論──」
「いやいや、とんでもない! いいじゃないですか! ね、ウォード」
水を向けられたウォードはジェームズに怪訝そうな目を向けながらも、「いいんじゃないかな」と頷いた。二人にとってペア戦の鬼門は、相手の魔術攻撃だ。フィリップもウォードも大抵の軍学校生には負けない技量を身に付けているが──特にフィリップは回避に専念すれば、マリーが相手でも逃げ切れる──面攻撃には滅法弱い。
勝ち負けに大した意味の無いイベント戦ではあるが、どうせなら勝ちたいと思うのは自然なことだ。
マリーはジェームズのことをじーっと見つめて、ややあって「ロングソードが適正かな。つまんないのー」と興味を失った。
「やっぱり、魔術剣を──あ、やっぱりいいです。本番を楽しみにしたいので!」
答えかけたジェームズを慌てて制し、フィリップは楽しそうに笑う。
ジェームズが彼の兄と同じように魔術剣を使うなら、模擬戦はとても楽しいものになるだろう。そうではないとしても、この交流戦はとてもいい訓練が出来る重要な期間だ。フィリップと同じく、剣術を学ぼうとする魔術学院生がいることは、何故かとても嬉しかった。自分が異端ではなくなったような気がするからだろうか。
話は終わりかな、とフィリップは水筒を傾ける。然して面白くも無い会話だったが、気晴らしにはなった。
「そういえばカーターさん、怪談話ってお好きですか?」
フィリップは水を盛大に噴き出した。
初対面の他学校生や久々に会った友人と打ち解ける話題作りに、この砦特有の噂はもってこいだ。今やそこかしこでお化けの話が出ているし、尾ひれもたくさんついている。
「女子用宿舎に出るってお化けの話ですか? ……ここまで来たら、むしろ気になりますね。新しい情報でもあるんですか?」
ぞんざいに言ったフィリップに、ジェームズはばつが悪そうに苦笑して頭を振った。正体不明を明るみに引き摺り出すような新情報はないらしい。
「そうですか。……じゃ、僕は訓練を再開するので。またペア戦で」
「はい。龍殺しの英雄であるカーターさんにどこまで通じるかは分かりませんが、精一杯挑ませて頂きます!」
ジェームズはやる気に満ちた顔で一礼して去って行った。
「さて、じゃあ、今度はアタシとやろっか、フィリップ君!」
「はい、お願いします!」
元気のいい返事に、マリーはにっこりと笑う。白兵戦に於いて、心の持ちようや気迫はとても重要だ。しかし、流石に気合だけでどうにかなるほど白兵戦は甘くない。
結局その日、フィリップは散々地面を転がった挙句、一本も取れずに終わった。
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