第295話

 中庭に集合した学生たちは、去年同様に開会の式辞と多少の注意喚起を受けてから、また砦の内外に分かれた。今年の軍学校首席は、ぱっとしない男子生徒だった。中庭が近接戦闘の訓練、外周二キロ圏は魔術戦の訓練に宛がわれる。

 フィリップとウォードは解散した後、すぐに正門を潜って砦の外に出る。そこでルキアたちが待っていた。


 今年はステラのペアがマリーで、ルキアはミナと組んでいた。なんでも、生半な相手だと邪魔だから要らないと言ったら通ったらしい。


 「や、フィリップくん。来たね!」

 「エーザー様。今日からまたよろしくお願いします」

 「あれ? 去年マリーで良いよって言わなかった? まあ好きに呼んでいいけど。一週間でばっちり教えてあげるね! 早速だけど、君の武器を見せて貰ってもいい?」


 フィリップはマリーに黒い鞘の直剣を渡し、ちらりとウォードの様子を窺う。彼は跪いてルキアとステラに挨拶しながら、横目でちらちらとミナの様子を窺っていた。


 「あのひと、吸血鬼だね。しかもとんでもなく強い」

 「はい。ミナ──ウィルヘルミナさんです。ハーフエルフ・ハーフヴァンプの魔剣使いなんですよ」

 「なにそれ滅茶苦茶カッコイイね!? あとで模擬戦お願いしよっと!」


 マリーは熱っぽい視線を向けるが、ミナは退屈そうにフィリップを眺めていた。

 フィリップは彼女にいつでも模擬戦を頼めて、彼女は笑って応じてくれる──気分次第だが──ことに、少しだけ優越感を抱いた。


 少しして気を取り直したマリーは、しゃらん、と心地よい音を立てて直剣を抜き放つ。露わになった刀身は白銀色だが、サファイアブルーの燐光を纏っていた。


 「わーお! これ、錬金金属じゃないよね? もしかして魔剣?」

 「いえ、付与魔術です。例のあれの報酬で貰いました」

 「龍狩りだ。聞いたよ、大活躍だったって」

 「マリーに色々教わったお陰です」

 

 フィリップがお世辞抜きに言ったことは分かったのか、マリーは照れて赤くなった。


 「やだ、ちょっと、恥ずかしいって。それで、これは……刃渡り100センチ、重さは1.5キロってところかな」


 慎重な手つきと目で剣を検分するマリー。フィリップは彼女の正確な観察に目を瞠りつつ、頷いて肯定した。


 「フィリップ、先に話を通してあったの?」

 「あ、はい。ナイ教授が交流戦の話をしたその日に手紙を書いて、また教えて下さいってお願いしたんです」

 「私もミナもノウハウの無い武器だったからな。専門家に頼むのが一番良い」


 緊張したウォードの堅苦しい挨拶を適当に流し、ルキアとステラもこっちに寄ってきた。


 「使い手の少ない武器だからねー。ユーザー同士、助け合って広めていかないと。伸ばしていい?」

 「勿論」


 フィリップは頷いて、ルキア達に離れるよう身振りで示しながら自分もマリーから離れた。

 マリーが手にした剣からかちりと控えめな金属音が鳴り──剣が支えを失ったように、だらりと垂れ下がった。地面に擦れてかちゃりと鳴る。


 マリーが腕を大きく振るのに合わせて、剣はその長さを変えながら彼女の周りを蛇のように囲う。一回、二回と腕を回し、止めた時には剣は元の直剣の形に戻っていた。


 「おぉ……!」


 マリーは何気なく、素振りのような調子でやってみせたが、それはフィリップには真似できない技術だった。剣自体に長さを戻すような機構が備わっていないから、普通は腕を止めても伸長した状態のまま、だらりと垂れ下がる。


 「都合14節に分離する蛇腹剣。伸長時の全長は4メートルぐらいだね。……これ、材質は何で出来てるの? 軽量化の付与魔術は分かるんだけど、それにしても、振った感じの密度と重さが釣り合ってない」

 「ふふふ……何だと思いますか?」


 意味ありげに笑うフィリップは、マリーなら或いは正解するのではないかという期待と、それでも材料全部を言い当てるのは不可能だという確信を同時に持っていた。


 「銘は『龍貶しドラゴルード』? ……まさか、龍の骨?」

 「んー、惜しい!」

 「じゃあ牙だ!」

 

 ウォードも答えた。

 答えを知っているルキア達三人は、子供っぽく目を輝かせて武器を自慢するフィリップに生温かい目を向けていた。


 「惜しい!」

 「鱗!」

 「それも惜しい! 正解は……“その全部”でした!」


 えぇーっ! と大仰に驚くウォードとマリー。

 二人とも薄々察してはいたが、ノリが良かったし、何より超希少素材であるドラゴンマテリアルを複数種類使うなんて信じられないという気持ちも大きかった。


 「古龍の骨、牙、爪、鱗、筋肉、血を錬金術で加工した剣です。あ、柄に巻いてある黒い革はドラゴンハイドですよ」

 「うそ!? え、贅沢過ぎない!?」

 「ちなみにレオンハルト先輩の作品で、付与魔術はルキアのお姉さんたち宮廷魔術師さんがやってくれました。『鋭利強化』と『耐久強化』と『軽量化』です」


 すごいでしょ、と衒いも無く自慢するフィリップ。

 実際、凄い。ミナの魔剣『悪徳』は鉄の剣を切り飛ばすが、アレと打ち合える強靭さだ。ちなみに材料費抜きで懐中時計並みの値が付く逸品となっている。


 「すーっごいね! 軸もチェーンタイプだし、ちゃんと荒く削られてる。節目に段差が全く無いし、刃もきちんと砥上げられて鏡みたい。それに、中心のズレも全く……うわーっ! すごいすごい! フィリップくんがこんなの使ったら、蛇腹剣の使用人口も爆増だよ! 一緒に伝道師になろうねっ!」


 マリーが丁寧に返してくれた蛇腹剣を受け取り、フィリップはニヤリと笑う。

 衛士たちに聞いた話によると、既に王都の武器屋ではウルミの発注が爆増しているらしい。何なら適当に振り回して自傷してしまい、医者にかかる馬鹿も爆増したとかなんとか。


 フィリップも半年前までは「伝道師になんてなるわけないじゃん」とか思っていたが、今や布教の成功度合いで言えばマリーを優に上回る伝道師ぶりだ。


 「よし、じゃあ早速──模擬戦から始めよっか! アタシも蛇腹剣を持ってきたから、フィリップくんはまず直剣形態だけで戦って、アタシの動きを見て覚えてね」

 「オッケーです! 殿下もよろしくお願いします!」


 任せろ、と頷くステラは頼り甲斐が物凄い。

 フィリップは今回も今回とて、身体操作の部分はステラの支配魔術で身体に覚え込ませるつもりだったし、その有用性は誰もが認めていた。


 身体操作を身に付けるには、大まかに二つのプロセスが必要だ。

 まずは体の動かし方を運動神経に刻み込み、腕の動きと蛇腹剣の動き、そしてそれらが齎す攻撃を理解する。その後、「こう攻撃したい」と思うだけで腕が勝手に動くようになるまで反復練習する。


 支配魔術による動きの強制再現は、第一段階である動きの理解と定着に大きく寄与してくれる。特に、変な癖が付かないところが最高だ。


 斯くして、今回の交流戦もフィリップ強化合宿と相成った。



 しばらく練習した後、今日はもう夕食の時間になってしまった。

 フィリップは以前と同様、ルキアとステラと一緒に別室だ。ミナは暖炉の傍のソファでワイングラスを傾けているが、中身にはフィリップの血が数滴混ざっている。


 とりとめのない話をしながら王都のものより数段格の落ちる食事をモサモサと口に詰め込んでいると、ふとルキアが思い出したように顔を上げた。


 「そういえばフィリップ、貴方、怪談話って平気だったかしら?」

 「あ、お化けの話ですか? やめてくださいよ、ホントに無理なので……」


 妙に粘度のあるクリームシチューに硬いパンを浸しながら、フィリップは少ししょんぼりして言った。

 ルキアは笑いつつもごめんなさいと肩を竦めるが、ステラは意外そうに眉を上げる。

 

 「意外だな。お前はそういうの得意……というか、専門分野じゃないのか?」

 「殿下……この世で一番恐ろしいものは、“正体不明”と“攻略法不明”ですよ」

 「……フィリップが言うと重いわね」


 一番が二個あるのか、というツッコミが飛んでこなかったのは、フィリップの声色が余りにも真剣だったからだ。


 フィリップはこの世界に跋扈する、人間の精神に毒となるような悍ましい手合いを知っている。だが全知ではない。

 たとえばこの宇宙の何処かに、フィリップと同じくらいの知能と強さを持つ、タコ型宇宙人がいたとして。シュブ=ニグラスはそれを知らない。知ろうと思えばいつでも知ることが出来るという点が、ただの無知とは違うところだが、外から見るとどちらも同じだ。


 「エーザーから聞いたが、幽霊が出るのは女子用A棟……私たちの泊まる塔らしい。だからそう怯える必要は無いぞ?」

 「男子用の宿舎まで来るかもしれないじゃないですか!」

 

 フィリップが怖いのは、それだ。「かもしれない」。

 お化けが出るかもしれない。お化けは男子用の宿舎に来て、フィリップの枕元に立つかもしれない。そのお化けは、もしかしたらフィリップの大切なものを奪っていくかもしれない。たとえば蛇腹剣や、懐中時計のような。


 何をされるか分からない。未知。それこそフィリップが最も恐れるものだった。


 しかしステラはそれを分かった上で、呆れたように口元を緩めた。


 「考えてみろ、カーター。私たちは聖痕者、対邪悪・対魔性のスペシャリストと言っても過言じゃない」

 「それに、吸血鬼は並大抵のアンデッドより余程上位の種族よ。私たちはみんな幽霊が出たらすぐに気付くし、貴方のところに行く前に滅ぼせるわ」


 ステラとルキアが慰めるが、フィリップの表情は険しいままだった。

 そりゃあ“幽霊”がゴースト系の魔物なら三人の敵ではないだろうが、そうではない可能性がある以上、二人の言葉で得られる安心感はゼロだ。武器も通らなければ魔術も通らない、本物の化け物かもしれない。


 長い髪の隙間から覗く目を見たら、心臓が止まって死んでしまうとか──まぁフィリップが死ぬことは無いだろうが。

 どこまでも追いかけてくる細く皺の無い手指に掴まれると、どこかへ連れ去られてしまうとか──まぁあの宮殿よりはマシなところだろうが。

 身の毛がよだつような恐ろしい姿で、見たら気が狂ってしまうとか──発狂できるなら是非ともお目にかかりたいものだが。


 ……深く考えると、微妙に怖さが薄れてきた。

 未知に対する恐怖は依然として残っているものの、もっと物理的に怖いものを知っている身としては、そこまで怯える必要が無い気もする。


 「……フィル、幽霊が怖いなら一緒に寝ましょうか」

 「ミナの部屋が女子用宿舎塔じゃないか、僕の部屋が二人部屋じゃなければ名案だね」

 「なら、きみの部屋を一人部屋にすれば?」

 「ウォードのこと殺そうとしてない? 駄目だよ? 部屋を移るにしても……「お化けが怖いから」なんて、ナイ教授の耳に入ったら死ぬほど煽られるだろうしなぁ……」


 フィリップはシチューの残りを流し込みながら、一週間我慢するしかないのだろうか、と唸った。


 フィリップとミナは寮の同じ部屋だし、偶に同じベッドで寝ているが、ルキアとステラは何も言ってこない。


 それは間にシルヴァが挟まっていたりするからではなく、フィリップとミナの関係性が理由だ。フィリップはミナのことを伝奇小説の登場人物のようにカッコいいと思っているし、価値観の似た相手として、剣の師匠として、何よりマザーを彷彿とさせるところが好きだ。──尤も、最後の部分に関しては無自覚だが。

 そしてミナも、フィリップのことはいい匂いのするペットとして認識している。


 二人の関係性がそれ以上に発展することはないだろうし、ましてや恋愛感情が生まれる余地などありはしない。フィリップが吸血鬼に憧れることも、ミナがフィリップを吸血鬼にしたがることもない。それを理解しているから、二人とも何も言わなかった。


 「なら、シルヴァでも抱いて寝ることね。明日からはいつも通り、私もきみの教導に加わるから」

 「うん、よろしくね、ミナ。今回のベッドは結構柔らかいし、ちゃんと寝れそうで良かった」


 幸いにして、その日の夜はトイレに起きることも無く、ぐっすりと熟睡できた。

 本当にシルヴァを抱いてベッドに入ったフィリップを、ウォードは眠りに落ちるその瞬間まで揶揄うかどうか迷っていた。






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