砦に蠢く影

第294話

 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 シナリオ12 『砦に蠢く影』 開始です


 推奨技能は【クトゥルフ神話】です。


 特記事項:特定期間中は戦闘外で戦闘系技能をロールでき、成長判定にボーナスがかかります。

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 “眠り病”の終息から二カ月が経った。

 魔術学院では授業が再開され、期末試験も恙なく終了した。


 フィリップたち二年生に修学旅行という一大イベントのあった年は、じき終わりを迎える。その最後のイベントとして、今年も軍学校との交流戦が企画されていた。


 去年と同じように尻の痛くなるキャラバン型馬車で移動しているフィリップたちだが、去年と違うところが幾つかあった。

 一つ目は、馬車の中にはルキアとステラだけでなく、ミナもいること。彼女は「薬の臭いがする血は二度と御免だわ」と、フィリップから離れるなら誰か別の人間の血を吸うことを表明し、学校行事への参加を勝ち取った。一応、部外者ではなく特別参加者という立場らしい。


 今回も一週間の予定で、6日目にペア戦がある。前回と違うのは、最終日のグループ戦にエキシビジョンマッチがあることだ。

 そのカードは、なんとフィリップとそのペア対、ステラとそのペアだそう。……端的に言って、無理だ。一応、触れ込みとしては「龍殺しの英雄対聖痕者!」らしいのだが、噂の一人歩きが凄い。


 貴族が列席した場での表彰もそうだが、衛士団の凱旋パレード。あれが一番駄目だった。

 ルキアとステラと一緒に見に行ったのだが──「フィリップくんも出るでしょ?」と当然のように言われたが、恥ずかしいやら目立ちたくないやらで断固拒否した──観客席にフィリップを見つけた衛士たちは、「フィリップ君! やっぱり君がいないと駄目だよ!」「みんな! 彼が俺たちを導いて、助けてくれた本物の英雄だ!」とか、大々的に宣言した挙句、その強靭な腕力でパレードに引きずり込んでしまったのだ。


 ……思えば、ルキアとステラが止めなかった時点で二人もグルだったのだろう。まぁ「二人の友人には相応しくない!」みたいないちゃもんが減ると思えば、多少は我慢するけれど。


 「……報酬、どうしようかな」


 馬車の後ろから車列を、そして澄み渡る冬の青空を眺め、フィリップはぽつりと呟いた。


 フィリップはまだ、王国に要求する龍殺しの報酬を決めていなかった。

 抱きかかえた黒い鞘の直剣は報酬の一部だが、まだまだ足りないらしい。というかフィリップが吹っ掛けるならまだしも、「もっと吹っ掛けろ」と迫られるのは、もう何かしらのハラスメントではないだろうか。


 「あの感じ、「国が欲しい」とか言っても通りそうで怖いんだよなぁ……」


 国を救ったのだからそれそのものを要求できる、というのは、フィリップの想像の上では整合性が取れていた。


 「……一応言っておくけれど、絶対に言っちゃ駄目よ? その吸血鬼が居れば国の簒奪なんて簡単なんだから、貴方、英雄から国賊に転落しかねないわ」

 「まぁ……うん、そうだな。止めた方がいい」


 ルキアは苦笑交じりに、ステラは何か物言いたげな顔で、フィリップを諫める。

 特にステラは、フィリップの懸念が杞憂でないことを知っていた。


 フィリップの対面に座ったミナが──本当はフィリップを膝上に乗せて後ろから抱こうとしていたのだが、ルキアとステラが威嚇するのでやめた──心底面倒くさそうな顔をする。


 「国の運営って死ぬほど面倒だから、頼まれても嫌よ?」

 「吸血鬼でも死ぬほど?」

 「えぇ、そうよ。吸血鬼でも死ぬほど」


 それは怖いな、と引くフィリップ。

 ミナは元々、魔王軍で吸血鬼を取り纏めていた一陣営の支配者だ。吸血鬼も自分たちの配下を持ち自分の領土を治めているが、ミナはその支配層の吸血鬼の統括者。人間に当てはめるなら、貴族たちを従える女王といったところだろう。


 まぁ面倒でなくても、自分の国が欲しいとは微塵も思わないが。

 良い暮らしが出来るならそれに越したことは無いが、フィリップは既に、二等地に家を買って一生働かずに暮らしていけるだけの金を手にしている。レイアール卿からのお小遣い、もとい、聖国からの謝礼金の分配分がちょうどそのくらいだった。


 「ミナも龍狩りには大貢献したわけだし、ミナの希望も叶えたかったんだけどね」

 「どうして駄目なのかしらね……牧場の設立」

 「犯罪者を隔離して、良質なご飯を食べさせて、最後には殺す。ちょっと待遇のマシな刑務所みたいなものなのにね?」


 良質な血を作らせるため、家畜の健康管理には細心の注意が払われ、運動制限どころか運動義務まである。そういう施設の設置を提案してみたのだが、「いくら君でもそのお願いは聞けない」と断られてしまったのだ。

 

 まぁ確かに、殺すために生かすというのはちょっと非人道的かもしれない。

 そうしなければミナが死ぬ、というのであれば、フィリップもどうにか強行したかもしれないが……フィリップの血を二日に一回飲ませればいいだけの現状では、そう無理をする必要もないだろう。


 しばらくカタカタと馬車に揺られていると、妙に懐かしさを催す建物──いや、『壁』が見えてきた。

 王都では滅多に見ない、錬金術製でない純粋な石を建材にして作られた、灰色の城壁だ。上部にはツィンネが据えられ、回廊があることが分かる。

 

 以前にも滞在したその砦は四隅に円形の塔があり、それらを結ぶ四辺が回廊付きの城壁という造りだ。正門の対角線上にもひときわ大きな塔があり、そこが砦の中枢部なのだと分かる。


 中からは既に到着している魔術学院生を迎える軍学校生の、叫ぶような挨拶の声が聞こえていた。


 「妙に懐かしい気がするな……。前回はかなり得たものの多いイベントだったが」

 「主にフィリップがね。……貴方、今回は夜歩きしちゃ駄目よ?」

 「前回のだって僕が自分の意思で……まぁ、はい、気を付けます」

 

 前回の交流戦で、フィリップは深夜徘徊してルキアとステラを滅茶苦茶心配させた前科がある。脳震盪とか懐中時計の紛失とか、色々と悪条件が重なった結果だし、フィリップはその時の記憶をまるっと失くしているのだが。


 「前回か……あれから一年だが、未だに騎士団の再編は終わらない。進捗も……はあ……」

 「重い溜息ね。患部の切除は終わったんじゃなかった?」

 「そこからが面倒でな。無能の数が想定より多かったのもあるが……根も深かった。お陰で腐った果実を纏めて捨てるための箱まで作らされた。こんなのは私の仕事じゃないんだが……」


 ステラはまた重苦しい溜息を吐く。

 フィリップは彼女と繋いでいた右手を外し、「お疲れ様です」とステラの肩を揉んだ。一応言っておくと、フィリップとステラは別にイチャついて手を握っていたわけではない。平原に吹く氷のような風から守ってくれていただけだ。深部体温の調節によって、フィリップは快適な──尻と腰のコリを除いて──旅路を過ごせた。


 「交流戦と言えば、カーター。今年お前に絡んできた奴は、顔と名前をしっかり覚えておくんだぞ。貴族だけでいいからな」

 「……なんでですか?」


 思い出したように難題を吹っ掛けるステラに、フィリップはしょんぼりと眉根を下げる。


 フィリップの対人認知機能は決して高くない。

 相手がルキアやステラのようなとびきりの美人とかなら覚えていられるだろうが、平凡な顔だったら、相当なインパクトが無いと一週間もすれば忘れてしまう。


 「頭がおかしいからよ。貴方、まだ幼くて統治能力が無いからって理由だけで、爵位と領地を国に預けたような状態なのよ? それもきっと、侯爵位か……もしかしたら公爵位だってあり得るわ」

 「それも実はよく分かってないんですよね。なんで僕だけ? レオンハルト先輩とか衛士団長には何も無かったのに」


 フレデリカは一応、自分専用の研究施設や人員を貰っていた。

 しかし「一般討伐参加者」でしかないフィリップが、ここまで大層な報酬を貰えるのだ。ルキアやステラの命を直接的に救ったフレデリカや、そのための素材を手に入れた衛士たちには、もっと沢山の報酬があるべきだろう。


 ……と、衛士たちを動かした自覚もなければ、囮になって衛士たちを守ったという自覚もなく、変異したウルミが龍殺しを成し遂げた最大の要因であることを今一つ理解していないフィリップは考える。


 「レオンハルトは侯爵家の長女、跡取りだからな。家を継ぐか独立のタイミングで公爵に格上げ、所領の拡充があるだろう。衛士団長と衛士たちは……兵士としての責務を果たしただけだ、爵位はいらない、報酬は負傷手当だけでいいと言って聞かない」

 「……僕も要らないんですけどね、爵位も領地も。絶対勉強とかしませんからね、ホントに」


 あれからずっと、ステラは「悪いことは言わないから、統治や政治について学んでおけ。私が教えるから」と言い続けている。ルキアはフィリップが嫌がっているから「いざとなったら私が補佐するわ」と庇ってくれるが、彼女もフィリップがそれらを学ぶことの必要性は認めているようだった。


 だが、フィリップは決めている。貴族にはならないと。

 何故なら──図書館でちらっと読んでみた貴族法や行政法、領地経営に関する書籍が、どれも頭の4ページくらいで挫折する難易度だったからだ。ステラは「私が12歳の時には出来たんだが」と口で言いつつも苦笑していたし、ルキアは「天才だものね」と呆れ笑いだった。


 「勉強は強制しないが……ふふっ、予言してやろう。お前は将来、必ず貴族になる」


 ステラ自身笑いながらの言葉に、ミナ以外みんな笑った。

 どんな魔術を使っても、未来を予言することはできないというのが今の常識であり、同時に一神教では“予言”は俗物が作り出した妄言の類であるとされている。いくらステラが聖人で世界最強の魔術師とはいえ、未来を言い当てることは不可能なはずだ。


 「……どうにかなりませんか?」

 「ならんだろうな。望まぬ報酬かもしれないが、王国にも面子というものがある。聖痕者三人を救った英雄に爵位の一つもやらんとなれば、今は秘匿出来ていても、後から他国に何を言われることやら」


 フィリップは面倒くさそうに嘆息した。

 勉強しなくていいなら、と妥協しつつあるのは、まさにそれが原因だ。フィリップの我儘のせいでステラに迷惑をかけたくない。


 まあ聖国のトップはアレだし、フィリップの意向に異を唱えはしないだろう。だが、帝国はそうではない。


 その時になってどうしても嫌だったら、最悪、帝国を滅ぼすしかないな。なんて考えるフィリップだった。


 それから少し馬車に揺られていると、フィリップたちの乗る馬車も砦の正門を潜り、大音量による挨拶の洗礼を受けた。


 馬車が停まると、こんなクソ狭いところに居られるかと言わんばかりの早さでミナが降りる。彼女がエスコートするように、或いは介助するように手を伸ばしたので、続いてフィリップが降りた。後は去年と同じように、フィリップのエスコートでルキアとステラが馬車を降りる。


 去年と違ってルキアとステラのところに誰も駆け寄ってこないし、「ここで待て」とも言われないのは、やはりミナが──吸血鬼が居るからだろう。

 魔術学院生は彼女の魔力を視るだけで怯え切ってしまうが、軍学校生は彼女の身に付けた剣技を悟り、迂闊に近付けば首が無くなることを理解していた。


 遠巻きにする軍学校生たちの中から、軽快に飛び出してくる影と、それより素早く突進してくる影があった。


 「お久しぶりです、両聖下! フィリップくんも!」


 ひらひらと手を振りながら、旧知の友人を見つけたように駆け寄ってくるのは、フィリップにとってはウルミの師匠であるマリー・フォン・エーザーだ。茶色の短髪に同色の目をした快活な美人で、今年は軍学校の三年生だ。明朗で人懐っこい笑みを浮かべていて、去年と全く変わらない。


 その前を土埃を立てるほどの速度で突撃してくるのは、去年フィリップに剣術や白兵戦の基礎を教えてくれたウォード・ウィレットだ。その顔は興奮で輝き、赤く火照っている。


 「フィリップ君! 見たよ聞いたよ凄いじゃないか! また衛士団と一緒に戦って、しかも龍殺し! 僕、パレードを見たんだ! 衛士団長が持ってたのって魔剣でしょ!? 君が手に入れたって聞いたけどホントなの!? あ、あと──」

 「あー、はいはい、そういうの部屋でやってくれる? ごめんね。どうも」


 早口に言いながらフィリップに詰め寄るウォードを、マリーが後ろから首根っこを掴んで引き剥がす。


 「今年も君とウィレットくんが同室ペアだよ。荷物を置いて、中庭に集合してね。両聖下は私がご案内致しますので、どうぞこちらへ」


 フィリップは軽く手を振って女性陣と別れ、ウォードと一緒に男子用宿舎に向かった。

 今年度から軍学校は体制が大きく変わり、血統序列から実力序列が大きくなったらしい。三年生と二年生の上位クラスが去年の貴族用宿舎、二年生下位クラスと一年生が去年の平民用宿舎を使うことになっている。


 フィリップとウォードはあの埃っぽくて狭い部屋から抜け出し、暖炉もあればソファもある、床にはカーペットの敷かれた部屋に泊まれるということだ。部屋数の関係で、去年とは男女の棟が逆転しているから間違えないように、という警告も受けた。つまりフィリップたちは去年の女子貴族用宿舎に、ルキア達は去年の男子貴族用宿舎に泊まる。


 ちなみにミナはフィリップと同じ部屋に泊まると主張したが、最終的にはルキアの部屋とステラの部屋に挟まれた部屋に落ち着いた。なんでも、そこが一番月光の当たりがいいらしい。


 士官用の個室は二等地のさびれた高級宿くらいの内装で、豪華すぎず、かといって決してみすぼらしくはない塩梅だった。

 フィリップとウォードの二人が入っても手狭な感じは全くしないし、埃が積もっていたり、虫が出たりもしない。


 「……いい部屋ですね」

 「そうだね。前回とは大違いだ」


 二人は顔を見合わせ、前回は顔合わせ直後に二人で掃除したことを思い出してニヤッと笑った。


 しばらく思い出話に花を咲かせていた二人だが、ふとウォードの笑みに揶揄の色が混ざる。


 「そういえばフィリップ君。これは事前準備を担当してた友達から聞いた話なんだけど……」


 妙な間を置いたウォードに、動きやすい服に着替えていたフィリップはシャツの襟口を見失って藻掻くのを中断した。袖口から覗くと、ウォードは笑いを堪えながらしかつめらしく語る。


 「この砦にはね……お化けが出るらしいんだ……」


 ウォードはおどろどろしい声を作り、両手をわきわきさせる。

 年下の男の子をちょっと揶揄って、肝試しにでも誘おうという魂胆だったのだが、フィリップはちょっと肩を竦めてシャツを着て、トランクを閉じる。まるで何も聞こえなかったように。


 流石に年相応以上に大人びているし、ウォード自身が笑い飛ばした怪談話では怖がらないか、と肩を落とす。


 「お化けって……いわゆるゴースト系の魔物じゃなくて、本物の?」

 「え、あ、うん、そうだね。一神教で言うところの、彷徨える魂ってやつ。天国にも地獄にも煉獄にも行きそこなった霊魂、死霊術的に言うなら残留思念?」


 淡々と尋ねるフィリップは楽しそうではなく、ウォードは気を使わせてしまったかと顔色を窺う。

 フィリップは「ふむ」と難しそうに唸った。


 「ふむ……なるほど。ところで幽霊とゴーストって」

 「別物だね。ゴーストは魔物だから、魔力を込めればパンチでも倒せる。でも幽霊は違う。存在するかどうかも不明な都市伝説だし、魔力攻撃も効かないとか、呪い殺されるとか、色々と噂があるね」


 フィリップはまた「ふむ」と頷く。知識に間違いはないと。


 そして──


 「や、やっぱりミナと一緒の部屋にすべきだったかも……」


 黒い鞘の長剣を抱き締めて震え出した。


 フィリップはその手の怪談話──特に、正体不明の怪異には滅法弱かった。






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