第291話

 フィリップと衛士たちは、往路よりのんびりと帰路に就くつもりだった。そうできる可能性があったのも、現実にそうならなかったのも、フィリップがミナを連れて来たからだ。

 特殊な器に隔離保存された古龍の血と心臓、そしてフレデリカを、ミナが一足先に持ち帰った。彼女の飛行速度は時速120キロを超え、馬を限界まで酷使しても8日かかる道程を半日程度で飛び越せる。


 じゃあのんびり帰ろうか、と思ったのも束の間、今度はミナの食糧問題が浮上した。

 彼女に渡したお弁当は二週間分。馬に負担をかけないようのんびり帰っていると備蓄が尽きて、もしかしたら手近な人間を喰い始めるかもしれない。


 結局は行きと同様にかなりの強行軍で王都に戻ったフィリップたちは、王都の住民から万雷の喝采と共に迎えられた。

 既にフレデリカと宮廷錬金術師たちの手で魔力浄化装置が完成されており、王族、貴族、そして平民階級にも治療の手が広がっているらしい。


 もう夕暮れ、じき日没だというのに、人出は昼間よりずっと多いように思える。

 赤い夕焼けに照らされた王都は、荘厳でありながらも人々の生活感を取り戻し、温かな活気で輝いているようだった。


 王都門前から三等地を通り、二等地の中ほどを過ぎるまで、住民たちが作る花道が出来ていた。さながら凱旋パレードのようだが、それは別日に国を挙げた催しとして企画されている。それでも、自分や家族を救ってくれた恩人を、或いは龍を殺した英雄譚の主人公のような者たちを出迎えようという者は多かった。感謝、祝福、憧憬、称賛、飛んでくる言葉にネガティブなものは何一つなかった。


 二等地の住民もそうだが、被害が最も大きかった一等地の住民だって、花道に加わりたいのは山々だ。

 それでも二等地の中ほどで人だかりが途切れているのは、そこに人混みを近付けてはならない人物が居るからだった。

 

 「全員下馬! 最敬礼!」


 衛士団長の号令に従い、衛士たちは素早く馬から降りて跪き、首を垂れる。

 衛士たちの背中で前が見えなかったフィリップも、隣にいたジェイコブが慌てて馬から降ろす。最後の二日を共にした馬は、フィリップが降りたことにも気付かないほどぐったりと疲弊していた。


 「……面を上げよ、我が王国の、最も勇敢にして最も精強なる戦士たち」


 すぐに顔を上げた者は、フィリップを含めて誰もいなかった。

 もう一度、低く威厳のある声に促され、ようやくちらほらと顔を上げ始める。何人かの衛士は互いに顔を見合わせて、信じられないといった表情を浮かべていた。


 フィリップも顔を上げ、衛士たちの背中で前が見えず、ちょっとだけ伸びあがる。

 先頭で跪いた衛士団長の前には、錚々たる面々が立っていた。


 まず、国王。その隣にいる女性は知らないが、おそらく王妃様だろうと察しが付いた。国王と同じく戴冠しているし、王の横に並んでいる。それに何より、ステラとよく似ていた。彼女が成長して化粧をしたら、きっと鏡写しだろう。国王の少し後ろには宰相もいる。その隣にはヘレナが立っているが、宰相はどこか彼女に対して畏縮しているように見えた。


 そしてステラと、男女が一人ずつ。きっとステラの弟と妹、第一王子と第二王女だろう。遠目でもはっきりと顔立ちが分かるほどの美形は、姉弟の中ではステラ一人だけらしい。

 ステラの隣にはルキアもいた。こちらは顔立ちより先に髪色で分かる。


 聖痕者が三人と、王族。まさに国の中枢だ。

 相応に警備も厳重だったが、龍を殺した一行の前で襲い掛かろうなんて馬鹿はいないだろう。


 「フィリップ君、駄目だよ!」


 小声で叫ぶという器用さを見せたジェイコブが、伸びあがっていたフィリップの頭をぐいっと押さえつける。その甲斐あって、フィリップの姿勢が「跪く」の域を出ることは無かった。


 「斯様な難事を衛士団の魔術師が軒並み戦線離脱という状況で達成し、更には一人も欠けることなく帰還した。貴殿らこそ、王国が誇るべき勇士である」


 国王は一言、二言の称賛と労いの言葉をつらつらと述べると、他の面々と護衛と共に馬車に乗って帰って行った。

 長々と語るのは後日にしよう、なんて言っていたし、言いたいことは山ほどある。しかし長旅で疲れた勇士たちに、休息より優先すべきことなどないという判断だろう。


 だが、そんな配慮は必要ない。

 何しに来たんだろう、なんて思っているのはフィリップだけだ。衛士たちはこの上ない栄誉に打ち震えていたし、沿道からの喝采は一段と大きなものになっていた。国王が直接言葉を授けるだけでも、平民にとっては一生に一度ある方が珍しい特上の名誉だ。王族と最高位貴族が出迎えに来たなんて、一生自慢できるし、誰も「そんなの」と馬鹿にできないことだった。


 フィリップの関心は、沿道の一部と同じくルキアとステラにあった。

 国王が去った後も衛士たちが立ち上がらないのは、二人がまだ残っていたからだ。


 ステラが何事か言うと、衛士団長が一礼して立ち上がる。


 「よし、今日はここで解散だ! ダメージレポート、デブリーフィングは予定通り、四日後に本部で行う! 以上、解散!」

 

 立ち上がって敬礼した衛士たちは、仲のいい同士で集まったり、迎えに来ていた家族と合流したりしてばらばらと散っていく。衛士たちの大半は二等地住まいで、提携している宿か実家に帰っていくのだろう。

 流石に龍殺しは初めてだが、遠征は定期的に行われているから慣れたものだった。


 帰って飯にするべ、とか、風呂入りてぇ、とか、和気藹々と去って行く衛士たち。

 みんな自分の馬に乗ったり、手綱を引いて連れて帰るようだが──さて、ではフィリップはどうすればいいのか。そもそもこの馬は衛士団のものではなく、王国が街道沿いに敷設した中継駅の馬だ。つまり王国の持ち馬ということなのだが、何処に返せばいいのだろうか。


 手綱を持って右往左往していると、ジェイコブが思い出したように踵を返して戻ってきた。


 「あぁ、フィリップ君! 馬、使う? 使わないなら俺が連れてくけど?」

 「え、あ、じゃあお願いします……」

 

 こっち来い、と手招きしているステラの背後には、王宮の紋章があしらわれた豪奢な馬車が停まっている。最悪アレに便乗すればいいし、それ以前に、今日は投石教会かタベールナで寝ようと思っていたところだ。どうせ馬は使わない。

 これ幸いとジェイコブに馬を預けると、馬の方も「もう解放されるのか、本当に……!?」と半信半疑の希望を抱いて目を輝かせていた。


 「今回はありがとう、フィリップ君!」

 「また借りが出来ちまったな! いつか絶対に返すぜ!」

 「お疲れ様、カーター君! ゆっくり休めよ! あ、ダメージレポートは出さなくていいけど、デブリーフィングには来てくれよ! それじゃ!」


 すれ違い、追い越す衛士たちみんなに頭を撫でられたり、肩を組まれたり、背中を叩かれたりする。たまに衛士の家族だという人に握手を求められたりして、フィリップは困惑に満ちた顔で応じた。

 

 人だかりの隙間から垣間見えたステラは、悪戯っぽい揶揄うような笑みを浮かべていた。ルキアは今にも駆け出して人混みを、フィリップを抱き締めたいと思っていたが、持ち前の美意識で自制している。フィリップはルキアが何か我慢しているようだとは気付いていた。

 

 フィリップは二人を──アトラク=ナクアの娘を倒し、魔剣を手に入れ、龍を殺すに至る大冒険の目的であった二人の無事を確認して、心の底から安堵した。

 

 かなり苦労して人混みを抜けると、ルキアはこの瞬間を待っていたとばかり手を伸ばしてフィリップを抱き寄せた。


 「……お帰りなさい、フィリップ。本当にありがとう。私達のために……」

 「……よくやってくれた、カーター。一度ならず二度までも、命を救われたな」

 

 フィリップを抱き締めてすすり泣き始めたルキアの言葉を引き継ぐように言って、ステラもフィリップを抱き締める。ルキアとステラに包まれる形になったフィリップは、世の男子垂涎の状況にも拘らず、小さく照れ笑いを浮かべて──などいなかった。普段なら照れ笑いか、或いは優しげな笑顔を浮かべて抱き締め返しているところだが、フィリップはほんの僅かにさえ笑顔を浮かべていなかった。


 代わりにあるのは、絶望にも似た罪悪感。

 固く口を引き結び、目を伏せて髪を掻き毟る。


 「……いえ、二人が無事で良かったです。レオンハルト先輩の機械は、ちゃんと機能したんですね」

 「えぇ。貴方が取って来てくれた、龍の素材のお陰よ」

 「……あぁ、お前のお陰だ」


 未だフィリップを抱き締めて泣き顔を隠しているルキアは気付かなかったが、ステラは僅かに涙ぐみながらも涙腺を決壊させずにいたから、フィリップの表情に気が付いた。不思議そうに首を傾げたものの、「疲れているのか?」と決して不正解ではない推察をする。

 確かにフィリップは乗馬と長旅の疲れで、出来る事なら今すぐ眠ってしまいたいくらいだったし、ルキアとステラの柔らかさと体温は睡魔を酷く呼び寄せた。しかし、それは表情が曇る一番の理由ではない。


 「……あ、僕、投石教会に行かないと。ナイ神父に言われてるので」

 「一緒に行くわ」

 「いえ、今日はちょっとアレがアレなので。……それじゃ。顔が見られて良かったです、ルキアも、殿下も」


 二人の抱擁を逃れたフィリップは、そう言いながら二人と視線を合わせることなく、そそくさと人混みに紛れてしまった。


 普段と様子の違うフィリップに、まだ涙目のルキアとステラは顔を見合わせる。


 「……泣き顔も綺麗なのはズルくないか?」

 「揶揄ってる場合? あの子、明らかに普通じゃなかったわ」

 「まぁ、それはいつものこと──悪かった、冗談だ。明日にでも投石教会に行ってみよう」

 

 内包した魔力で淡く輝く剣呑な目を向けられて、ステラは苦笑と共に親友の背を叩いた。


 

 フィリップが投石教会に入ると、いつも通りの顔ぶれが出迎えた。

 黒髪黒目、長身痩躯のナイ神父。月光色の髪と目をした、妖しい色香を放つマザー。人外の美貌を持つ二人は、フィリップがここに来ることを知っていたように玄関のところで待っていた。


 「お帰りなさい、フィリップ君。荷物と外套をお預かりします」

 「お疲れさま、フィリップくん。着替えと食事と、お風呂も用意してあるわ」

 「……ここはいつから宿屋になったんですか。しかも客一人に付き添いが二人、相当な高級宿じゃないですか」

  

 苦笑しつつ、フィリップは素直に荷物を預ける。

 旅装も脱いで渡すと、すっと肩が軽くなる。ベルトも外してウルミも渡そうとして、既に無いことを思い出した。


 これまでウルミを吊っていた右腰をポンポンと叩き、喪失感に浸る。帰路でも何度かあったことだが、まだ慣れない。

 今度軍学校のマリー宛てに手紙を書いて謝ろう、と考えて、もう一人謝るべき相手が目の前にいることに気が付いた。 


 「マザー、その……ごめんなさい。折角血を貰ったのに」 

 「いいのよ、気にしなくて。それより、私の方こそごめんなさい。ずっと私を探してくれていたのに、会えなくて。この■■■が、ね」


 マザーは顔を隠すヴェールの向こうで柔らかに微笑しながら、右手でノックするように虚空を叩く。直後、その何も無いところが陽炎のように揺らぎ、極彩色の何かが一瞬だけ見えた。


 フィリップの予想通り、マザーは自分の血を無駄にされたことを全く怒っていなかった。

 まぁ神の血は他者に甚大な影響を及ぼすが、当人にとっては所詮一滴の血に過ぎない。傷の治る早さも血の総量も人間とは比較にならない彼らにしてみれば、同じ一滴でもフィリップの血の方が何百倍も希少だろう。


 フィリップはちょっと剥がれかけた世界の表層テクスチャに引き攣った笑いを溢すが、それもすぐに引っ込んだ。


 「……もし貴方が望むなら、二週間前まで時間を戻して、私が呪いを解除したことにしてもいいわよ?」


 マザーはフィリップが落ち込んでいることに気付くと、慮るように言った。


 フィリップの苦悩、その原因については知っているようだ。

 だが情報として知っているだけで、感情をまるで理解していない。その解決策には、何の意味も無い。


 「いえ、結構です。……それより、ちょっと胸を貸してくれませんか」

 「えぇ、勿論。おいで?」


 軽く腕を広げて誘うマザー。

 フィリップは蜜に惹かれた蝶のようにふらふらと吸い込まれ、柔らかに抱擁された途端、気絶するように眠りに落ちた。


 「……そのまま風呂に入れてあげては?」

 「そうするわ」


 マザーは一片の躊躇も無く言って、フィリップを横抱きにして聖堂の奥の居住スペースへ引っ込む。

 ナイ神父は赤子のように介抱されるフィリップと、甲斐甲斐しく世話を焼く邪神に嘲笑を向け、フィリップの外套と荷物を丁寧に片付けた。






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