第292話

 四日後。

 衛士団本部で行われたデブリーフィング──という名の祝勝会兼魔術師たちの快気祝いに、フィリップも呼ばれて参加していた。


 二週間前には衛士たちが死地へ赴く覚悟を決めた大講堂は、今や料理や酒の満載されたテーブルが並ぶ宴会場になっていた。まだ昼過ぎだというのに、既に酒が入った衛士たちが大騒ぎしている。

 フィリップもちょっとだけ酒を舐めてみて、やっぱり美味しくなかったのでオレンジジュースを持っていた。赤ら顔で楽しそうな周りとは違い、その表情は暗い。


 先程から衛士たちが次々と、代わる代わるフィリップのところにやって来てはジュースを注いでいくので、お腹がちゃぷちゃぷ言っている。尤も、フィリップは今、衛士たちと一緒にいるだけで十分に苦痛なのだが。


 「お、フィリップ君! ここに居たのか! 我らが小さな英雄に乾杯!」

 「いやあの、もうお腹いっぱいで……あうあうあう」


 かなり苦労して四分の一くらいまで減らしたジュースが、またコップになみなみと復活してしまった。乾杯の衝撃でちょっと零れたが、誤差だ。


 「ん? どうした? 美味しくないか? 一等地で買ってきた高級品のはずなんだが……」

 「あ、いえ、美味しいです。えへへへ……」


 ぺちょぺちょと舐めるように100パーセントの果汁を啜る。

 確かに高級品らしく、初めの二杯くらいはあっという間に無くなって、次の三杯くらいはじっくりと味わって堪能して、次の二杯くらいまではすっきりさっぱりとした後味を楽しめた。でもそこまでだ。流石にもう入らない。ちゃぷちゃぷ言っているのが胃なのか膀胱なのかも定かではなかった。


 「ちょっとトイレ行ってきます……」

 「ん? ああ。出て右だよ」

 「ありがとうございます……」


 知っている。一番初めの乾杯から一時間半くらいだが、既に四回はトイレに行っているのだから。


 用を足して戻ると、宴会の喧騒は数段落ち着いていた。

 何かあったのだろうかときょろきょろ見回すと、衛士ではない、しかし見覚えのある女性が衛士団長と話していた。


 二人は同時にフィリップに気付き、衛士団長が手招きする。

 今は衛士団長と話したくなかったフィリップだが、来客とあっては無視するわけにもいかず、とぼとぼと近付いた。


 話す距離まで近付いて分かったが、女性は以前にフィリップが“使徒”に追われた時、ステラの命令でフィリップを迎えに来た親衛隊の人だった。


 「……お久しぶりです」

 「覚えていて下さったのですね。ありがとうございます。それなら話が早い……こちらをお届けに参りました」


 何を言われるのか大体の察しが付いたフィリップは、諦めたように挨拶する。


 ここ数日、ルキアとステラは毎日投石教会に来ていたが、フィリップは顔も合わせずにナイ神父に「都合が悪い」とだけ言わせて追い返していたのだ。その件でステラが遂にキレて、呼び出しに来たのだろう。


 そう思っていたフィリップだが、親衛隊の人は一通の封筒を取り出してフィリップに手渡した。

 「王宮に来いクソ馬鹿が」みたいな伝言でも驚かないつもりだったフィリップだが、まさか強制召喚令状ではないかとビクつく。多少の叱責は覚悟していたが、流石にそこまでの覚悟は無かった。最悪バックレようとか考えている。


 しかし、内容はむしろ友好的なものだった。茶会の誘いだ。


 「今日ですか? これから?」

 「はい。既に表で馬車を待たせてあります。ご同行を」


 フィリップは文面をもう一度読み、「二人で話がしたい」という部分を読み返す。

 正直言って、会いたくないのはルキアだけだ。教会にも二人で来るから会わなかった。そして、今はルキアだけでなく、できれば衛士団長とも話したくない。衛士たちに褒められたり、お礼を言われるのも嫌だった。


 「……分かりました。行きます」


 主役の中座に衛士たちは残念そうに声を上げたし、中には王族の横暴だと不満の声を上げる者もいたが、親衛隊の彼女は酔っ払いの言葉として水に流してくれた。或いは、完全に黙殺したとも言う。



 ◇



 王城のバルコニー。

 ステラ専用のティーテラスとなっているそこに、一人の来客があった。


 そこや彼女の居室は経路秘匿区域ゆえに麻袋を被せられて通されるのが常だが、今や特例の仲間入りをして、素顔のままで来られるようになったフィリップだ。


 その死人のような顔を一瞥したステラは苦笑を溢し、自分の向かいの席を片手で勧める。夕焼けに照らされたそこは明るく、暖かかった。


 「来たか、カーター。まずは招待に応じてくれたことに礼を言おう」

 「……いえ。殿下こそお忙しいのに、いいんですか?」


 フィリップは素直に着席すると、紅茶を注いでくれたメイドに礼を言ってから、カップを持ってふーふーと冷まし始めた。


 「構わない。私のやることは、帝国と聖国にあの装置をいくらで貸し出すか、その最適解を探ることだ。吹っ掛ければいいというものでもなし、かといって生じ得る利益を捨てる戦略など有り得ん。難しいケースだが……だからこそ、息抜きが必要でな。氷を入れるか?」

 「いえ、それは流石に。ふー……ふー……」


 しばらくふーふーやってから、ずぞぞ、と一口啜る。

 ステラは新しく部屋にやって来たメイドと何事かひそひそと話していたので、フィリップは敢えて大きめに音を鳴らしておいた。


 メイドが去った後、フィリップは半分ほど減ったカップをテーブルに戻す。

 そしてステラに向き直ると、すっと頭を下げた。


 「……ごめんなさい。ここ何日か、会いに来てくれたのに」

 「あぁ。その件で話がしたくてな。……単刀直入に聞くが、お前が避けているのは私ではなく、ルキア一人だな?」


 フィリップは気まずそうに何度か言い淀んでから、決心したように青い瞳を見据えた。


 「……はい。でも、その──」


 フィリップは言葉を切る。

 それは続く言葉を探っての沈黙だったが、ステラは何度か頷いて口を開いた。


 「先に言っておくが、私はお前たちが望もうと望むまいと、関係を修復しろと言うし、そのように動く。お前がたとえルキアを嫌っているのだとしても──」

 「まさか! 僕はルキアのこと、嫌ってなんかいません!」


 食い気味の──公爵でさえ叱責される、ステラの言葉を遮っての否定。

 しかしステラは穏やかに頷き、そうだろうな、と肯定した。


 「お前が嫌っているのはルキアや私や……衛士たちじゃない。だ。そうだろう?」


 さも当然のように言い当てられて、フィリップは驚きつつ、諦めたように笑う。流石、なんて言いながら。


 「……龍と戦っていた時のことなんですけど──」


 一見して脈絡なく始まった回想語りに、ステラは静かに耳を傾けた。

 その表情があまりにも優しく穏やかで、フィリップも落ち着いて話すことが出来た。少なくとも、自己嫌悪に呑まれて泣き出さずに。


 「僕は途中で、一つの選択をしたんです。一つ目の選択肢は、ルキアと殿下と衛士さんたち、皆を助けられる代わりに、僕の人間性を捨てる。もう一つの選択肢は、僕の人間性を守る代わりに、何もかもを失う。そんな二択でした」


 言うまでも無く、シュブ=ニグラスの血を求めた時のことだ。


 あの時、フィリップにはその二つの選択肢があった。

 血を受けて変性し、人間を辞める。そして邪神の血を受けた化け物となって龍を殺し、衛士たちを守り、ルキアとステラを救う。


 或いは、血を捨てて死ぬ。あれだけの深手だ、王都で治療を受ける前に死んだだろう。ミナが居たから助かったものの、フィリップはあの時、吸血鬼の血があれほどの究極回復薬だとは知らなかった。フィリップは確かに、ヨグ=ソトースによってなんやかんや死なないだろうという推測の下ではあるが、自分の命さえ捨てるような愚行を犯したのだ。


 人間性のため。

 自分が人間の心を捨てないために、フィリップは自分だけでなく、大切な人たちの命まで捨てるようなことをした。それでも自分は死なないと心の片隅で思っていただけに、より一層タチが悪い。


 「僕は……自分の人間性のために、皆を見殺しにしたんです。いや、それよりもっと悪い。僕は自分で判断するより先に、反射的にあれを避けた。……僕は、皆に憧れる資格なんて無かったんです」


 ステラは何か言いたそうだったが、フィリップがまだ話し終えていなかったから頷いて先を促した。


 「ルキアと一緒に居て、衛士団と一緒に居て、僕も皆のようにマトモな──善人になれた気がしたんですけど、全然そんなことは無かった。クソみたいな自己保身に塗れた、屑でしか無かったんです」


 しかし、心の奥底には、まだ彼らへの称賛や憧れがある。

 顔を合わせただけで、自分にその資格はないと分かっているのに、憧れが燻ぶって、また燃える。だから、ルキアや衛士の皆を見ると辛かった。


 フィリップは彼らが好きだ。彼らのようになりたいと、今でも思っている。

 だが──フィリップは彼らとは決定的に違うのだと、痛々しいほどに理解してしまった。フィリップは彼らのようにはなれないし、根底から違うのだと見せつけられてしまった。


 語り終えたフィリップに、ステラは静かに頷いた。


 「あぁ──分かるよ」


 フィリップは頼りなくも、確かに笑顔を浮かべる。

 その言葉を使ったのがルキアやマザーやミナ、他の誰であっても、フィリップは嘲笑と共に「上辺だけだ」と切り捨てただろう。だがステラに限っては、本心からの言葉だと分かる。


 彼女はフィリップの理解者だ。

 同じく世界の儚さを知り、強大なものたちを知り、それでも美しく在るものに魅せられて正気を繋いだ同類だ。


 フィリップが衛士たちとルキアに魅せられて、「人間はこうも素晴らしい」と思ったように。ステラもまた、自分の為に死の苦痛を背負おうとしたフィリップを見て同じことを思った。


 特に、ステラの感動は大きい。

 フィリップは自分以上に深いところまで知っていて、自分より深い絶望を抱いているはずなのに、それでも他人の為に自己犠牲を許容できる。その善性と人間性は、世界に対して絶望したステラを絶望の淵に堕とさない、命綱になってくれた。

 

 あの試験空間だけではない。フィリップはいつだって、ルキアやステラや、他の誰かを守るために行動してきた。

 仮令善人の真似事であったとしても、その行いは紛れもなく、善行だ。


 「けれどね、カーター。善人とは善であるものではなく、善であろうとする者のことを言うんだよ」


 静かに、しかしはっきりと告げられた言葉に、フィリップは僅かに瞠目する。

 フィリップはそれが聖典からの引用だとは分からなかったが、もし知っていても、受けた感動には何の瑕疵も与えなかっただろう。


 ステラの心が込められた本気の言葉は、言霊のような不可思議な力でフィリップの胸に食い込み、見開いた目が僅かに潤んだ。


 「お前は自分が善人ではないと思っているようだが、私に言わせれば、お前は疑う余地なく善良だ」

 「……ありがとうございます」

 

 照れ笑いを浮かべたフィリップは、赤くなった顔を隠すようにティーカップに手を伸ばした。紅茶はすっかり冷めていたが、フィリップにとっては適温だった。

 

 「お前はルキアや衛士たちを見ていると苦しいのだろうが、それは自傷だ。それも勘違いから来る、極めて不毛な自傷行為だ。止めろ。お前は彼らに負けず劣らず善良だし、輝かしい人間性を持っている。それがたとえ模倣でも、お前の行いは輝きに満ちている」


 狂人の真似とて大路を走らば即ち狂人なり、という言葉に従えば──ナイアーラトテップくらいしか知らないだろうが──善人の真似とて善行を為さば即ち善人だ。


 フィリップは「偽善です」と言うが、ステラは鼻で笑った。言葉の意味を間違えていると。

 偽善とは口先で善良さを謳いながら、行動が伴わないことを言う。心の底で何を考えていようと、善であろうとして善行を為すものは、それは善良と呼ばれるものだ。

 

 「それに、だ。夢を壊すようで悪いが、この世界に完璧な善人など居ない。ルキアはお前にはとことん甘いが、他人に対しては炎より苛烈だ。気に障る相手は躊躇なく殺すし、自分の美意識に適わないのならどんな社会通念でも無視する」

 「……」


 フィリップは、そんなところも好きですけど、とは思ったものの口には出さない。

 非人間的な部分が無いとフィリップの価値観には僅かなりとも寄り添えないだろうし、無理に合わせると最悪発狂するから、そちらの方が都合がいい。……なんて理由は、「何故だ?」と問われた時に答えづらい。

 それに何より、女性の前で他の女性を好きだというのは絶対NGである。……と、ディアボリカに言われたことを思い出したからだ。


 「衛士たちもそうだ。普段は王都の警備が主任務だから忘れているのかもしれないが、衛士団は王国最後の盾にして、最強の矛でもある。戦争に際しては任務だからという理由で人を殺すし、重大な犯罪者相手なら拷問もする。兵士の本質とは殺人者、国家に使役される殺人装置でしかない」

 「……殿下、殺人が悪だって認識はあったんですね」

 「……勿論だ」

 

 ステラにしては分かり易い嘘だった。

 いや、ステラとて社会通念上殺人が悪であるということは知っているし、殺人を悪として裁く法の必要性も十分に理解している。しかし自分が人を殺しても罪悪感を抱かないということを鑑みると、やっぱり「殺人は悪だと思う」という言葉は嘘だった。


 ステラはひらひらと手を振り、「茶化すな」と苦笑交じりに叱った。


 「人間は完璧な善性など持ち得ない。価値基準の上位にある物のために、下位のものを容易く捨てる。……それでいいんだ、カーター。私にとって、お前は希望だ。お前が生きて帰ったことが、お前が人間を辞めていないことが、私にとっては何よりも喜ばしい。お前は自分の命と人間性を一番大切にしろ」

 「でも、殿下。僕は……僕は、貴女のことも見殺しにするところでした」 

 「お前が人外になって帰って来ても、私はきっと自害していた」


 言い辛そうだったフィリップとは違い、ステラは即答した。しかし嘘の気配は全く感じられず、フィリップは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。


 ステラが一瞬だけ纏ったのは、戦意や殺気と似ていながら、その正反対にあるもの。“死気”とでも言うべき、強烈な負のエネルギーを内包した意識だった。心の底からの死の直感と覚悟が醸し出す、今のフィリップでは何をどうやっても真似できないものだ。


 「カーター。お前が私たちのことを、一瞬でも自分の命と同じ秤に乗せてくれたことは、心の底から嬉しく思う。そしてお前が自分の人間性に重きを置いたことを、それと同じくらいに喜ばしく思うよ。それが最適解だ。……よくやった」


 ステラが何か言おうとしたタイミングで、バルコニーに繋がる部屋の中からカタリと何かが動く音がした。

 フィリップとステラは何となく部屋の中を見るが、扉の側に控えるメイドは微動だにしていないし、何か物が動いた様子もない。


 気のせいか、とフィリップが視線を戻した直後、バルコニーに繋がるガラス戸が勢いよく開いた。


 「うわっ!?」

 

 フィリップは肩をびくりと跳ね上げる。そして思い出したように立ち上がり、ステラとバルコニーの入り口を結ぶ直線を自分の身体で遮った。王女を狙った暗殺者が、魔術で透明化して入って来たのだと思ったからだ。

 

 ステラはテーブルに肘をついて指を組み、その手に額を当てて顔を伏せる。吐き出された溜息に含まれていたのは、呆ればかりではなかった。


 「……そういうところだよ、カーター。……いいんだ、警戒するな」

 「え? 何──、っ!?」


 フィリップは目に見えない何かが自分の首に巻き付き、前に引き寄せるのを感じた。

 驚きはしたが、怯えは無かった。それは外神の智慧や自分の命に対する無関心ばかりが理由ではなく、身体の前面に触れる暖かさと柔らかさ、そして鼻腔を擽る匂いに覚えがあったからだ。石鹸と紅茶と、その奥にある形容しがたく甘く蕩けるような香り。


 一瞬の後に、フィリップは自分を抱き締めるルキアを見つけた。

 考えてみれば、魔術による透明化はステラが一瞬で見破れる。見破っていながら魔術攻撃しなかった時点で、その相手は一人しかいない。


 フィリップはいつもの癖で抱擁を返しながら、過剰反応を思い返して恥ずかしくなった。


 ルキアは目元を赤く腫らしていたが、もう泣いてはいなかった。抱擁を解いてフィリップの暗く淀んだ青い双眸を見つめると、柔らかな微笑を浮かべる。


 「……ごめんなさい、盗み聞きしてしまって」

 「私の作戦通りに、な。説得するのは骨が折れたぞ? 「私、フィリップに嫌われてしまったのかしら」なんて言うから、端的に違うと証明してやろうと言ったのに……まぁ、私の苦労話は今度にしよう。二人とも、座れ」


 促されるままに三人でテーブルを囲みつつ、フィリップはステラに尊敬の眼差しを向けていた。

 ルキアの美意識に対する拘りの強さは、フィリップもよく知っている。なんせステラとの魔術戦に際してさえ、泥臭い勝利より美しい戦い方で負けることを選ぶほどだ。その彼女に盗み聞きさせるなんて、どんな説得をしたのだろうか。


 「最初に言った通り、私はお前たちの関係性が破綻することを望まない。だが、そもそもお前たちの関係は、何も傷付いてなどいないんだ。分かるな?」


 フィリップとルキアは顔を見合わせ、二人とも意図を測りかねたようにステラを見つめた。

 二人分の視線を受けたステラは、微かに苦笑して続ける。


 「カーター。お前は自分が私たちの為に死ねなかったことを悔いている。その判断が出来なかった自分は善良ではないと思っている。そうだな?」

 「……はい」

 「フィリップ、私は、私のために貴方が死ぬことを望まないわ」


 ルキアが耐えかねたように言う。

 彼女にとって自分がフィリップのために死ぬのは当然だが、その逆もまた然りではなかった。むしろ、それだけは絶対に避けたいと思っている。


 つい鋭く眇められた赤い双眸に怒りの気配を感じ、フィリップは少しだけ萎縮した。


 「私たちは、と言ってくれ。それで……お前はその一点のみで善悪を判断しているが、それも間違いだ。お前は自分の人間性を最優先にしていい。それは正常なことだ。そして今、お前は自分の身を盾にして私を庇っただろう?」

 「それは……何も考えてませんでした。つい咄嗟に」


 自嘲するように言うフィリップ。まるでそれが馬鹿げた、愚考だとでも言いたげに笑っているが、ステラは顔を伏せて頭を振り、ルキアは感極まったように湿っぽい声で言う。


 「フィリップ……何も考えず、咄嗟に誰かを庇えるような人を、貴方ならどう表現する?」

 「……考え無し、とか──」

 「──言ったはずだ、カーター。自傷行為は止めろ」


 ぴしゃりと言ったステラの語気に圧されて、フィリップは口を引き結んだ。


 「何度でも言うわ、フィリップ」

 「何度も言わせるな、カーター」


 ルキアとステラが二人同時に言って、三人で顔を見合わせた。ややあって、フィリップが噴き出す。その失笑につられたルキアとステラも笑いだして、夕焼けに照らされたバルコニーは暖かな空気で満たされた。


 しばらく肩を揺らし震わせて笑っていた三人は、笑いの発作が落ち着いても口元に柔らかな笑みを浮かべていた。


 「オーケー、分かった。じゃあ何度でも言おう。……カーター、お前は善良だ。ルキアを前にしても、衛士団と一緒にいても、何も恥じ入ることは無い。お前は彼らと同様に、美しく、輝かしい人間性を持っている」

 「だからそれを大切にして、フィリップ。私たちの為にそれを損なおうなんて、もう二度と考えないで」


 フィリップは言いたいことが沢山あったが、口を開けば涙で湿った嗚咽ばかりが出てしまう。それでも泣き笑いの顔でしっかりと頷くと、二人は席を立って、王都に帰って来た日のように抱き締めてくれた。


 「改めて、ありがとう、フィリップ。おかえりなさい」









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