第285話
翌日。
フィリップは目覚めて雑事を終えたあと、すぐに何人かのエルフに連れられて、森で一番古いという木の前に立っていた。
直径10メートルにもなる超のつく巨大樹は、根元の方に見事な装飾の門があって、そこから魔術的な異空間に繋がっているのだという。中にはエルフの王様と王妃様が住んでいるらしい。
フィリップの後ろには衛士たちが控えていて、頭上の木の枝や近くの回廊上からは多くのエルフたちが興味深そうに見ている。だがここは言うなれば玉座の間にあたる場所だ。誰も一言も発さない。
のんびりと私語をしているのは、今一つ状況が呑み込めていないフィリップと、そもそも身分制度というものを理解していないシルヴァだけだった。
でっかい木だなぁ、と風情も何も無い感想を抱いていることが丸わかりの顔で大樹を見上げるフィリップ。シルヴァはその隣で暇そうにしている。
「さんぜんねんぐらいのそんざいかく。このもりにあったきじゃない」
「え? どういうこと?」
「くうかんてんいでもってきた。もとはえるふのしゅとにあったやつ」
事もなげに言うシルヴァに、フィリップは首を傾げる。
「空間転移? それって不可能魔術じゃないの?」
学院のテストでは不可能であることを大前提として、「どうして不可能なのか」が問われた。空間転移魔術が実現不可能だというのは、そのくらいの常識だ。神域級魔術をアレンジするほどの魔術師であるルキアもステラも、それは不可能だと口を揃える。
しかし、シルヴァは何の気負いもなく続けた。
「にんげんにはむり。でもしるばはできる。いまはむりだけど」
「へぇ……昔のシルヴァが持って来たってこと? すごいね」
と、そんな話をしていると、大樹の根元にある門がゆっくりと開き、輝かしい光が溢れ出た。
二つの人影が後光を背負いながらゆっくりと現れ、厳かな立ち姿を見せる。やがて門が閉じて光が収まると、エレナと、ニ十歳そこそこに見えるエルフが立っていた。
エレナはすっかり回復したようで、健康的な白い肌には血色が戻り、フィリップに向かってにこにこと手を振っている。フィリップも手を振り返すと、背後から咳払いが聞こえて来たので慌てて止めた。
『余はエルフの王、エイブラハム2世である。これより魔剣下賜の典儀を執り行う』
低く威厳のある声で紡がれた言葉を、シルヴァがフィリップに、リック翁が全体に訳してくれる。
普通に「はいどうぞ」では済まないのだろうか、なんて甘いことを考えているフィリップだが、
エルフの勇者──人類における“勇者”、聖痕者と同じく唯一神に選ばれた者とは別物だが──が使っていた魔剣ともなれば、付加価値も相当だろう。それをくれるというだけでも有難い話だ。
『勇者殿の遺言に従い、魔剣は抜き放った者に与えられる。しかし、その当人であるエレナの進言により、このような形となった』
王の言葉に、エルフの間に疑問が伝播していく。
魔剣を抜いたのがエレナであるのなら、その所有権は当然、エレナにあるべきだ。それを手放すべき理由なんてないはずだ、と。
衛士たちは、とにかく何があったのか後で詳しく聞かなくては、と全員が心を一つにしていた。
エルフ王は喧騒を片手で鎮めると、厳かに言葉を続ける。
『彼はエレナが魔剣を抜くための試練に挑む間、あの恐ろしい蜘蛛の巣を張った魔物と戦っていたそうだ。彼の活躍無くして魔剣の入手は叶わなかった、彼こそが立役者なのだと言う。我らの足元で蠢いていた恐ろしい魔物は、エレナと、彼の手によって打ち倒されたのだ! 故に余はその功績を讃え、褒美としてエルフの至宝である魔剣を下賜する!』
エルフたちの囁きから、理由についての疑問の気配は消える。
しかし未だに色濃く残るのは、「それは過剰ではないか」という疑問だ。とはいえ、それも大きなものではない。
エルフたちにとって地下の魔物は恐ろしくはあったものの、地上に出てこないから脅威度は低かった。それを倒したから国宝をあげる、と言われても、今一つピンと来ない。魔剣の価値すら判然としていないから、誰も彼も「お、おう、そうなんだ」くらいの反応だ。
魔剣を持ったエレナがフィリップの前に進み出ると、フィリップはちらりと後ろを確認して、慌てたように跪いた。衛士たちが頻りに手を下に向けて、「落ち着け」とか「伏せろ」と言いそうなジェスチャーをしていたからだ。
エレナはフィリップの前まで来ると、軽く身を屈めてひそひそと話す。
「昨日はごめんね。すごく頭が痛くて倒れちゃったんだ。あなたが外まで運んでくれたんでしょ? ありがとね」
「……いえ。昨日は言いそびれちゃいましたけど、僕の方こそありがとうございました。お陰で衛士団の皆さんに負担をかけることも無かったですし……エレナさんは大丈夫でしたか?」
「うん。頭痛はもう治ったよ。昨日みたいな頭の冴えも無くなっちゃったけど……人間の言葉は覚えてるし、昨日何があったのかも、全部」
思い出したように心配を向けたフィリップに、エレナは苦笑することもなくにこやかに頷く。
フィリップは安心して頷きを返し、顔を伏せて両手を上げる拝領の姿勢を取った。
エレナも応じるように厳かな立ち姿を見せ、真剣な表情で言葉を紡ぐ。
『私はエルフの王女として、民草を守るために戦うと言った。彼はその私の在り方を正しいと言い、命を懸けて助力してくれた。……そして彼はいま、友人を助けるためにこの剣を必要としている。であれば、我らがこの剣を差し出すことに、何の不合理があろうか!』
朝の森を満たす空気のような清涼で心地の良い声が、木々の間を吹き抜ける。
その説明を受けて漸く状況を理解し始めたエルフたちは、誰からともなく拍手を始めた。そこに衛士たちも加わり、やがて万雷の喝采に変わった。
衛士たちは感心していたり、呆れていたり、苦笑したりしていたが、負の感情を抱いている者は誰もいなかった。それでこそ、という称賛を込めた心の底からの拍手はフィリップにも伝わり、照れて赤くなっていた。
「どうぞ、フィリップ。この魔剣はあなたのものだよ」
「お、おぉ……! ありがとうございます!」
フィリップはずっしりと重い魔剣を恭しく受け取ると、興奮も露わに立ち上がった。
すごいすごいとはしゃぎながら素振りしたり、シャドーしたり、完全に新しい玩具を手に入れた子供のような熱狂ぶりだ。しかし、フィリップは「ふむ」と一息つくと、とことこと衛士団長の目まで歩き、魔剣の柄を差し向けた。
「じゃ、はい」
「ん? 貸してくれるのか?」
「はい? 団長が使うんじゃないんですか?」
何言ってんだこいつ、と言いたげに目を細めるフィリップだが、周囲からの同質の視線は全てフィリップに向けられていた。
「いいのか? 魔剣を手に入れたのは君なのに」
「え……? 僕が持つんですか? 有り得ないでしょ」
フィリップは内心で小馬鹿にしたのがバレないよう、細心の注意を払って言う。
一応、ステラやミナから長剣の使い方や戦い方を教わってはいる。とはいえ本職の戦士には遠く及ばないし、装甲に劣るフィリップを守る盾である『拍奪』の精度も落ちる。
そりゃあ、魔剣使いという称号に憧れはあるが、ここには魔剣を手に入れるためだけに来たわけではない。
大目標は龍殺し。魔剣入手は手段に過ぎない。
そして魔剣を持つべきは誰かと言えば、初撃を担当する衛士団長以外には有り得ない。彼が翼を落とさなければ、何も始まらないのだから。
こんなのは最適解とも呼べない、ただの一択だ。ステラが居たら衛士団長が怒られているだろう。
「最優先は龍を殺すこと──心臓を抉り、血を奪い、ルキアと殿下を助けることです。その為には龍が逃げないよう、翼を捥がなくちゃいけない。魔剣が最も必要なのはそこだ」
欲を言うなら、衛士全員に魔剣を持たせたい。だが唯一のそれを何処に配備するかといえば、彼しか有り得ない。
フィリップが差し出した魔剣の柄を、衛士団長は少しの逡巡の後、しっかりと握り締めて受け取った。
「任せてくれ。他の何に換えても、君と、君の友人を助けよう」
「衛士団の皆さんもね。全員で帰って、全員助けて、
団長はフィリップの肩を掴み、しっかりと頷く。
「あぁ、約束だ。君の決意には応える、応えさせてくれ」
「……行きましょう。今日中に龍を殺さないと」
少しの照れ隠しも交えて促すと、団長は背後の衛士たちを振り返った。
「あぁ。行くぞ、お前たち! 今度こそ、奴を打ち倒す!」
応! と威勢の良い答えが返され、フィリップも一段と気合を入れる。
今度こそ龍を殺す。誰も欠けることなく、誰も見捨てることなく、と。
フィリップが決意の炎を瞳の内に燃やしていると、ぽんと肩に手が乗せられる。どこか有無を言わせぬ威圧感のあるそれに振り返ると、にっこりと笑ったヨハンと目が合った。
「それはそれとしてフィリップ君、昨日の件について詳しい話を聞かせて貰おうか? なに、移動時間があるから、余裕を持って話してくれていいんだぞ?」
「……はい」
道中、下手したらエルフと人間の種族間戦争にまで発展していたかもしれないとか、最悪二人とも死んでいたかもしれないと叱られたが、フィリップの「以後気を付けます」という言葉は口先だけだった。
だって、そんなのはどうでもいい。
エルフと人間が戦争をして何万、何億と死のうが、フィリップの知ったことじゃない。フィリップにとっての最優先はルキアとステラ、そして衛士たちだ。同じ状況になれば、何度でも同じことをする。
誰に咎めれられようと、フィリップの最上位判断基準は、いつだって自分の感情だった。
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