第280話

 洞窟を抜けて例の地下空洞に入ると、フィリップは後ろにいたエレナに合図をして歩を止める。

 ……想像より簡単に入れた。衛士が見張りに立っていたりとか、エレナを陰から守っている護衛に止められるとか、色々と邪魔が入ることも覚悟していたのだが。


 「エレナさん、ホントにお姫様なんですか?」

 「え? そうだけど……。もしかして、あなたまで「似つかわしくない~」とか言うつもり? やめてよねー、真実は最も鋭い剣となるんだから」


 エレナはぷりぷりと怒りながら、手近にあった鍾乳石を革の靴で蹴り砕いた。

 エルフの慣用句なのか、或いはただの比喩なのかは分からないが、言わんとしていることは分かる。分かるが、それが事実だと認めてもいいのだろうか。


 「ま、お父様たちもあと800年くらいは現役だろうし、いいんだよー、『放蕩王女』でさー」

 「な、なるほど……?」


 800年と言われても、全然ピンと来ない。というか、800年前なんて王国が建つより前だ。前身の国は……なんだったか。歴史の授業は半分以上寝ているので全く記憶にない。


 それはともかくとして。


 「でも、民の為に戦うのは素晴らしいことだと思います。特に、相手があんなのだっていうのに、それでも戦おうなんて普通は思えません。僕の知り合いのお姫様は──」


 いやどうだろう、とフィリップは口籠る。

 ステラなら案外「それが戦略的最適解だ」とか言って先陣を切りそうではある。それに確か、彼女は先の内戦で陣頭指揮を執って、自身も一万の敵兵を屠った戦争経験者だ。自分が前線に立つことを厭わないという点では、エレナと同じと言える。


 ステラは徹底した計算と合理に基づいた最適解であるのなら、血と臓物の散らばる泥の道にも踏み入る天性の為政者だ。国家の利益になるのなら何億でも虐殺するし、その咎を罪とも思わないような。

 エレナは逆に、「死なせたくない」という思いだけで自身の死のリスクを許容できる、感情型。フィリップたちを古龍から助けた時のように、誰に反対されようと、助けるべきだと信じたのなら助ける。


 どちらが正しい、どちらが良いという話ではない。

 いや──どちらもまた、為政者としては正しい姿だ。


 「いえ、彼女とはちょっと違うかもしれませんけど、でも、その在り方も国を担うに相応しいものだと思います。いい女王様になれますよ、きっと」


 無知な一般平民の意見で恐縮ですけど、なんて笑うフィリップ。

 心根が超越者であるフィリップの意見はそこそこ支配者寄りの視点だし、何よりとんでもなく上から目線で語っているのだが──それだけに、妙な説得力があった。


 フィリップの立ち居振る舞いは、それこそ無知な一般平民のものだ。気品も無ければ優雅さも無い、ただの子供の意見。なのに、どうしてか無視できない。普段のエレナなら、ちょっと嬉しくなってお礼を言って、それで終わりなのに──今は、その言葉が重く感じる。


 それは過回転状態の脳が普段を数倍する観察や推理を齎しているからなのだが、この場の誰も知らないことだった。


 「……ありがとう、フィリップ……さん?」

 「はい? あぁ、敬称は一種類しか無いって……いいですよ、呼び捨てで。年上ですよね?」

 「たぶん? ボクはまだ95歳なんだけど──」

 「……僕は12歳です」


 赤ちゃんみたいなものじゃん!? と驚かれたが、それを言うならエレナはおばあちゃんみたいなものである。まあ長命種だけあって、見てくれはルキアやステラと殆ど変わらない、人間で言えば15,6歳の少女なのだが……いや、よそう。そもそも女性に対して年齢の話をした時点で、ディアボリカに言われた禁を破っている。エレナの機嫌を損ねないうちに、さっさと本題に移ってしまおう。


 こほんと咳払いを一つ挟み、弛緩した空気を切り替える。


 「エレナさん、作戦は覚えてますよね。まず第一段階の関門をクリアできているか確認しましょう」

 「そうだね。じゃあ……えいっ」


 エレナは徐に手を伸ばし、壁面にべったりと付いた太い白い帯──アトラク=ナクアの娘が展開した巣の端、次元超越糸に触れる。ポニーテールを解いた長い髪を持って、その先端で擽るように。


 「……うん、くっつかない。第一段階はクリアだね」

 「良かった。洞窟を潜って髪を切りに来ただけなんて、笑い話にもなりませんからね」


 髪を束ね直すエレナと笑い合う。


 第一段階は、蜘蛛糸の粘性が無いことでクリア。

 では第二段階だが、これはほぼクリアされている。ここで要求されるものは、蜘蛛糸の強度。人間一人が乗ってもびくともしないような、その上を走って行けるような剛性。


 「ふんっ……! うん、ボクの体重ぐらいなら大丈夫そうだね。びくともしないや」


 膝を折って蜘蛛糸からぶら下がったエレナは懸垂までしているが、壁からドームへ伸びる帯は撓みすらしない。


 これなら大丈夫そうだ。

 まあ衛士団長の一撃を受けて無傷だったので、これはただの確認だが。なんならフィリップが乗ってシルヴァが乗って、ついでジェイコブとヨハンが乗っても大丈夫だろう。


 「……うわっ!?」


 と思いきや、フィリップがエレナの真似をしてぶら下がった瞬間、ぶちぶち、と悲惨な音を立てて極太の帯が千切れた。


 慌てて折っていた膝を伸ばして着地するフィリップとエレナは、お互いに顔を見合わせる。


 「……ホントに大丈夫だと思う?」

 「……一人分の体重なら大丈夫でしたよね?」


 そうだけど、と不安そうなエレナ。

 だが不安なのはフィリップも同じだ。


 次元超越糸は、単一次元の存在では壊せない。なんせ、ここではない別の世界にまで跨る物体だ。……そのはずなのだが、レース生地のような手応えと共に裂けてしまった。


 外神の知識に間違いがあるのか、或いは──フィリップが知らない間に人間を辞めていたのか。どちらにしても困るので、取り敢えずここを出たらシルヴァに「僕って人間?」と馬鹿げた質問をして、帰ったら投石教会に寄らなければ。


 そのどちらでもない特別な理由があることを祈りつつ、三つ目の確認事項に移る。


 「……どうですか?」

 

 向こう側まで200か300メートルはありそうな大きなドーム、その中を埋め尽くすような多重多層の蜘蛛の巣を、隙間から見通そうと目を凝らしているエレナ。

 フィリップの問いかけにも気付かないほど集中して観察すること、およそ5分。


 「うん。ルートはある。ただ……坂道みたいな感じだね。行きは楽だけど帰りはキツい。往復で……10分」

 「10分……」


 率直に言って、重い。

 フィリップの継戦能力は、中級の戦闘魔術師を相手に二分の耐久が限界──いや、ギリギリ二分に満たない。ロングソードなんか触り出したから身体操作に狂いでも出たか、半年前からずっと足踏みしているというのに。


 いや、そもそも人間は10分間も全力の戦闘機動を維持できる身体設計をしていない。

 短距離走レベルの運動負荷なら、継続限界は3分といったところだ。


 運動能力が格上のアトラク=ナクアの娘を相手に十分の耐久戦闘など、自殺行為に他ならない。


 「限界まで走って10分だよ。あれと似たようなのが他にもいたら、撒けるかもしれないけど、もっとかかる」

 「そう、ですね……。でもやるしかない。代替案が無い以上、これが最適解ってことになります」


 ──とはいえ。自殺行為というのは、死の危険性があってこそ成立する言葉だ。

 自分で自分の首を絞めるならともかく、それに似た無意味かつ勝ち目のない戦闘行為では、フィリップが死に至ることはない。……たぶん。


 「やるしかない……。うん、そうだね。あなたのミスでも、ボクのミスでも、二人ともが死ぬ。お互いに命を懸けて、預けて、命よりも大切なものを勝ち取ろう」


 フィリップは僅かに目を瞠り、表情を引き締めて頷いた。

 フィリップの命の軽さはともかく、対比のように大切にしている衛士たちやルキアたちのことを、全く語っていないのに推察された。脳の過剰回転に気付いていないフィリップは、流石はお姫様だなぁなんて感心する。その感動も、湧き上がる戦意の前にすぐに鎮火した。


 「はい。……じゃあ、まずは──、っ!」


 フィリップは頷きを返し、ドームへせり出した開口部の縁ギリギリまで進み、両足を開いてしっかりと地面を踏み締める。

 そして徐にウルミを抜くと、数回空振って整形フォーメーションしてから、蜘蛛の巣に向かって叩き付けた。


 独特の風切り音と破裂音に続き、剛性のある表面を金属鞭が火花を散らして滑っていく。


 「うわ、った……。それ、自然の金属じゃないでしょ? なのに擦ると削れるなんて、ただの蜘蛛の魔物じゃないね、やっぱり」

 「ですね。……よし、釣れた」


 フィリップが糸を一本引き千切ったからか、様子見に徹していたらしいアトラク=ナクアの娘が動く。

 未だ姿は見えないが、例の布団を叩くようにくぐもった、不規則に連続する足音が聞こえていた。


 「エレナさん。もし万が一、僕が大掛かりな魔術を使おうとしていると感じたら、すぐにその場に伏せて、目と耳を庇ってくださいね」

 「切り札ってことだね、分かった。……来たね。じゃあ、陽動は任せたよ」

 「任されても困るんですけど、了解です。10分は死ぬ気で耐えて見せますよ」


 とん、とフィストバンプを交わす。

 そしてエレナは、飛び出してきた巨大な異形の蜘蛛とすれ違うように巨大な巣の中へと身を躍らせた。


 ききき、と不思議そうに牙を軋ませる蜘蛛だが、彼女の後を追う様子はない。不規則に並んだ八つの単眼は無機質な光を湛えているが、明らかにフィリップを観察していた。


 フィリップはその目を見つめ返すと、意地悪そうに口元を歪める。

 そして、喉の奥から絞り出すように、咳き込むように発音した。

 

 「──■■■、Atlach-Nacha」


 かつてマザーが口走った、およそ人間の口から出ることは無い冒涜的な罵倒。

 アトラク=ナクアを最大限に誹謗し中傷し嘲笑する言葉は、アトラク=ナクアの娘にとっては自らの神を嘲るに等しい。それこそまさに、冒涜だ。


 ぎちぎちぎち、と牙が鳴る。

 今度のそれは、明確な威嚇であり、怒りの発露だった。


 「……お前も大概劣等だね。僕相手に威嚇なんて、随分と無駄なことをする」


 腰と肩甲骨と肩関節、ウルミを振るうのに必要な個所を柔らかく解しながら、のんびりと話しかける。拍奪なんて走り続けなければ機能しない技術に防御を依存するフィリップは、戦闘機動の持続時間が特に少ない。それこそ3分とか4分とかだろう。


 だから、なるべく時間を稼ぎたかったのだが──神を愚弄された信徒がどういう反応をするのか。フィリップはそこを甘く見過ぎていた。

 挑発になればラッキー? エレナの方に行かなければそれでいい?


 とんでもない。

 アトラク=ナクアの娘は、ぎちぎちぎち、と牙を鳴らし、かつかつと足を踏み鳴らして宣言する。


 、と。








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