第274話

 衛士団との旅程は実にスムーズで、その代償のように過酷だった。

 休憩時間と睡眠時間を極限まで削り、王都北方約600キロ地点に広がるティーファバルト森林までを5日以内に駆け抜ける。


 フィリップは人生二度目の乗馬──初回がレイアール卿の愛馬、いや馬に見えるだけの神話生物、ティンダロスの交雑種であったことを加味すると、これが初の乗馬となる。到着する頃には当然、極度に疲弊していた。


 王都出発から五日。正確には四日と半日ほどかけて到着した時には、ようやく朝日が昇り始めるという時間帯だった。


 「ここを前線基地とする! 斥候兵、古龍の詳細位置と周辺地理を探れ! 他はベースキャンプの設営と水源確保、食料調達! 終わったら速やかに体力を回復しろ!」


 団長の指示に従い、衛士たちが作業に取り掛かる。

 その動きは強行軍の直後とは思えないほどきびきびとしていて、フィリップのテント設営まで手伝って貰ったくらいだ。野外訓練やら何やらで慣れているから迷惑はかけないぞ、なんて思っていたのだが、流石に本職の動きは素早く正確だった。


 フィリップも何か手伝おうとうろうろしていると、シャツの裾をちょいちょいと引かれる。

 もはや慣れ親しんだ感触に振り返ると、やはりシルヴァが、翠玉色の瞳を輝かせて森の方を指していた。


 「ふぃりっぷ、もりみにいこ!」

 「え? いいけど……行って何するの?」

 「ん? みるだけ」

 「あ、そう……」

 

 こんなにのんびりしていていいのだろうかという思い半分、せめて神話生物がいないかどうかの確認くらいはしようという使命感半分に、楽しそうに駆け出したシルヴァに続く。

 森に入る前に祈りを捧げているところを、何人かの衛士たちが感心したように見ていた。シルヴァは「何やってんだよ早くしろよ」と言いたげなジト目だったが。


 ティーファバルト森林は典型的な極相林で、背の高い木々が深い影を作り出し、その傘の下に少し小さめの木が並んでいる。

 フィリップの背丈を完全に覆い隠すほどの藪なんかもあり、所々に獣道も見て取れる。近場に集落は無いはずだが、木の幾つかに迷子防止用のような傷跡があった。


 傷跡は妙に複雑な模様だったが、かなり古いもののように見て取れる。邪悪言語に類するものではなさそうだし、昔にこの辺りで野営した旅人の手慰みか何かだろう。


 「まあまあふるいもり。ななひゃくねんぐらい」 

 「ピンと来ない規模だなぁ……」


 きょろきょろと周りを見回してみるも、特に長い年月を経た証のようなものは見受けられない。地元の森よりちょっと深いかな? くらいのものだ。

 ……いやしかし、言われてみれば木々の樹皮に皺が多く、なんとなくお年寄りっぽい、威厳のようなものも感じ取れる気がする。


 「ふむ、これが700年の存在格。古龍と同じくらいか……」

 「そのきはよんじゅっさいぐらい。ぜんぜんわかぞう」

 「……あ、そう。じゃあ何も分かんないや」


 フィリップは照れ笑いなど溢しつつ、何か役に立つものや情報は無いかと、注意深く辺りを探ってみる。

 やはり、ぱっと目に付くのは自然に折れた枝や、獣の通過やマーキングで剥がれた樹皮といった薪類だろうか。それとも、キイチゴっぽい果実とか、よく分からないヤシっぽい木の実などの食料の方がいいのか。キノコは駄目だろう、フィリップにはこの森に生えているキノコの知識がない。


 ここは無難に薪でも拾っておこうと、良さげな枝や樹皮をポケットに詰め込んでいくフィリップ。シルヴァは高めの木にするすると登って、枝から枝へと跳んで遊んでいた。


 「……いいかんじのもり。よけいなものがすんでない。こっちらへんにはりゅうがいるから」

 「黒山羊とか、ショゴスとかはいない?」

 「いない。ちょっとむこ──う?」

 「落っ──!?」


 集めた落ち葉くらいの体重しかないシルヴァは細い枝の上でも折ることなく駆け回れたが、足を滑らせてしまえばどうしようもない。

 かなりの高さから落ちてきたシルヴァに、フィリップは血相を変えて落下地点へ駆け寄る。拾い集めた薪を無造作に投げ捨てて構えた直後、落ちて来たシルヴァの矮躯が、ぽすりと異常に軽い手応えと共に腕の中に納まった。


 「び、びっくりした……」

 「しるばも。こんなたかさからおちたくらいのしょうげきで、もりはきずつかない」

 「あ、そっか。つい咄嗟に……」


 照れ笑いを溢すフィリップに気を遣ってか、シルヴァは「でもありがと」と笑った。


 散らばってしまった薪を二人で拾い集めていると、遠くからフィリップを呼ぶ声がする。

 ベースキャンプへ戻ると、斥候に出ていた衛士が帰ってきて、情報共有や作戦立案をしているところだった。


 誰が自分を呼んだのだろうときょろきょろしていると、衛士たちが集まっているのとは別のところからジェイコブがやって来た。


 「あぁ、フィリップ君、ここに居たんだ! それは……薪か、ありがとう、助かるよ!」


 フィリップがポケットと両手いっぱいに持ってきた薪を、ジェイコブは片脇にひょいと抱えて受け取ってくれた。流石に体格が違うなぁなんて憧れの視線には気付かず、余った手で集まっている衛士たちの方を示す。


 「あれはもう見たかい? 偵察に行った奴らが、龍の鱗を拾って来たんだ」

 「ドラゴンスケイル!? まだです、見てきます! 行こうシルヴァ!」


 物語などでは英雄の鎧を織る材料の一つとして有名な希少素材に、フィリップのテンションが跳ね上がる。

 シルヴァも妙に見覚えのある興奮した様子のフィリップにつられたか、笑いながらその後に続いた。


 フィリップが来たことに気付いた衛士たちは、ぞろぞろと道を開けて、件の龍の鱗を見せてくれる。


 それは一見すると茶色っぽくて、掌より少し大きいくらいの落ち葉に見えた。

 大きさは三十センチ弱といったところか。鱗を持った衛士がもう片方の手に持っているナイフと同じくらいで、光が反射しないよう加工された金属と似た質感がある。外傷は無いし、生え変わりか何かで自然に抜け落ちたものだろう。


 「お、フィリップ君。持ってみるかい?」

 「いいんですか? じゃあ是非……おぉ、軽い!」


 サバイバルナイフどころか、食器のナイフよりもなお軽い。厚さは一センチくらいだが──物凄く硬い。端を持ってみても撓んだりしないし、真ん中に力を込めてみても曲がる気配はない。


 冒険譚で描かれる想像通りの質感に、歓喜と共に不安も湧いた。

 物語などに於いても、前情報でも、龍の鱗はどんな剣よりも硬く強靭だと言われている。こんなもので全身を覆っているのなら、フィリップやシルヴァとは別種の、物理的な無敵状態だろう。


 「これ、剣で傷付けられるんですか?」

 「そう。その実験を、これからやるところだったんだ。……よし、行くぞ」

 

 衛士は鱗を地面に置き、剣を抜く。

 付与魔術や最高級の錬金金属を使った武具は淡い燐光を放つものだが、斥候である彼の剣は、その輝きを消すような魔術も施されていた。濃紺の刃は夜闇の中で浮かないようにという配慮だろうが、更に上から緑や茶色のペンキが塗られている。森林用の迷彩だろう。


 「……これで通らなかったら、団長の剣で試すか」

 「縁起でもないこと言うなよ。その時は俺たち全員、木の棒持って突撃するのと変わらないってことだぜ?」


 衛士たちが固唾を呑んで見守る中、剣の切っ先が突き立てられ──ざく、と地面に突き立つ音がした。


 「……おっ?」

 「なんか、意外と……」

 「けたな……」


 持ち上げられた剣には、串焼き肉のように鱗が刺さっていた。そーっと引っ張ると、刃部に沿って鱗がすっと切れていく。


 「……これ、行けるんじゃないか?」

 「あぁ、行ける、行けるぞ!」


 にわかに高まった成功の可能性──生還ではなく、本当に衛士団の力で龍を殺せるかもしれないという現実に、衛士たちが色めき立つ。


 両手を天に突き揚げて吼えている衛士もいて、なんだなんだと他の衛士たちも寄ってくる。そして当然のように、彼らも歓喜の咆哮を上げる一団に加わった。


 「……すごいや、流石だ」 


 剣が通る。

 いま判明している良い要素は、たったそれだけだ。


 相手は十数メートルの体躯と数十トンの重さを持つ、動く家だ。飛んで攻撃してくることも考えると、飛ぶ攻城塔とも言える。


 そんな相手に斬撃が通用するといっても、だから何、という話だろう。こちらにいる魔術師は治療術師が大半で、攻撃魔術による火力支援は見込めない。それなのに──刃が通るなら勝てると言い切る、その練度と自信には称賛の念を禁じ得ない。


 「よし……! 団長に報告して、詳しい作戦を練ろう! これなら、フィリップ君を危険に晒さずに済むかもしれない!」

 

 そこから先は早かった。

 フィリップも衛士たちと一緒になって、自分が最大限戦局を把握できる位置に配置されるよう出来る限りの弁舌を振るい、なんとか陣形中段の辺りを勝ち取った。フィリップの直掩──万一の場合にはフィリップを担いで逃げる役──には、馴染みの深いジェイコブとヨハンが指名された。


 そして日没を待ち、夜襲を決行する。

 月と星の明かりはあるものの、森の中は木立さえ見えないほどに暗くなる。夜目を鍛えていないフィリップには、錬金術製の特殊な目薬が支給された。


 薄緑色の視界の中、隆起した木の根や深い藪を物ともせずに進む衛士たちの背中を懸命に追いかける。

 夜行性の獣、特に蛇や狼なんかに警戒するよう言われたが、歩く獣避けことフィリップが居るので問題なかった。伊達にこの四日で馬を三度も乗り換えていない。


 そして──森の奥深く、巨大な生物が寝床にして拓けた場所、ギャップへと辿り着く。そこには巨大な龍が眠っていた。

 

 全身を錆色の鱗で覆った、四足歩行の巨大獣。

 身体を丸めて眠る様子は遠目には可愛らしいが、距離が近付くにつれて、二等地の一般家屋二棟と同じかそれ以上の大きさを実感する。その威容に、周囲に並ぶ木々の幹より数倍は太い四肢に──自分の何十倍も大きく強い生き物に、全身が不随意に硬直する。


 背中の翼は畳まれていてもなお存在感があり、広げれば龍自身の全長にも匹敵する大きさだろう。四肢を飾る爪や長い尾に生え並ぶ鋭い棘は、フィリップの背丈にも並ぶ巨大な剣だ。


 腕の一閃、尾の一振りで人間は死ぬ。

 両断、串刺し、圧壊。そんな殺意に満ちた死に方をするだろうに、龍にとっては歩くだけとか、或いはなんとなく尻尾を振っただけかもしれない。


 「……フィリップ君、大丈夫か?」

 「怖いならもう少し下がっても良いぞ?」

 「っ、あ……はい、大丈夫です」

 

 フィリップの後ろを歩いていたヨハンが先に、その声で前を歩いていたジェイコブがその声で、フィリップの怯えに気付く。尤も、怯えているのは身体だけで、精神の方はむしろ英雄譚の登場キャラクターに会えたと興奮しているのだが。


 もう少し進むと、ジェイコブのさらに前を進んでいた衛士が握り拳を頭の横に掲げた。「止まれ」の合図だ。

 衛士たちは即座に木の幹や藪の陰に身を隠し、そっと龍の様子を窺う。


 「──、?」


 眠っていた龍が唸り声を上げ、閉ざされていた目蓋と瞬膜が開き、縦長の瞳孔が周囲を睥睨する。ゆっくりと鎌首をもたげると、頭蓋の両側面に付いた双眸は真後ろ以外のほぼ全周を観察できる。さながら監視塔だ。


 木々の陰に身を潜める衛士たちは、息を殺してピクリとも動かない。

 龍は、この星の頂点捕食者だ。防衛本能はあるだろうが、外敵から身を守るという習慣は無いはず。物音や気配で目を覚ましたからといって、警戒のために飛び立つようなことは無いはずだ。というより、そう願うほかに無い。


 作戦はこうだ。

 まず衛士の中で一撃の威力に長けた衛士団長ともう一人が、龍の翼を落とす。次にタンクが展開して龍の気を引きつつ、弓兵が目を狙う。翼を捥いで目を潰せば、あとは囲んで殴るだけ。


 シンプルイズベスト。結局は囲んで殴り殺すのが手っ取り早い。筋肉は全てを解決する。

 そんな感じの作戦には苦笑も多かったが、飛ばれたら終わりで、敵と認識され排除行動を取られても終わりなのだ。拙速こそが唯一の活路だった。


 「っ、団長が動いた! 作戦開始だ!」


 ジェイコブの言葉に、フィリップは懸命に夜闇を見通そうと目を凝らす。薬の影響で薄緑色の視界の中、龍の爪ほどの人影が二つ、駆け出していくのが見えた。





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