第266話

 「殿下! 眠り病の原因と治療法が判明いたしました!」


 徹夜でもしていたのか、ステファンはいつになくハイテンションでステラのベッドへ近寄ると、身を乗り出して繰り返した。


 その無礼を咎めるべきか、或いは王女の命だけでなく、大陸に住まう多くの人々を救うであろう発見を褒め称えるべきかと悩む騎士やメイドたち。特にそういう立場にないフィリップは、純粋に「おぉ!」と目を輝かせていた。

 

 「それは聞きました。詳細を教えて頂ければ、必要な物品の確保と国内への周知普及は王宮で行います」


 教員と生徒という意識か、それとも医者と患者という意識なのかは不明だが、ステラはフィリップやルキアに対するのとは違う丁寧な物腰で問いかける。

 しかし、その内容は普段の彼女と同じく、冗長さを好まないものだ。


 「流石に話が早い……と、言いたいところですが、その必要はございません! というのも、この“眠り病”は、病気ではないのです!」

 「……というと?」


 そんなバカな、とは言わず、先を促すステラ。

 フィリップは「何言ってんだこいつ」と言いたげに怪訝そうな顔だったが、流石にステラの会話に口を挟むほど礼儀を知らないわけではないし、邪魔をしたいわけでもないので口にチャック。


 「はい。結論から申し上げますと、“呪詛”の一種です」

 「呪詛? だが、あれは……いや、続けてください」


 ステラは自分の所感や考察は後回しに、まずは専門家の意見を聞くことにする。 


 「えぇ、えぇ、分かります。殿下はこう仰りたいのでしょう。『呪詛なんて現代魔術と比べれば威力も耐性貫通力も発動速度も低次元な、秘匿性と陰気臭さだけが売りの前時代の産物だ』と」


 呪詛に親でも殺されたのかと言いたくなるボロクソ具合だが、ステファンの言葉に間違いはない。


 呪詛とは、魔眼のような一部例外を除いて、現代魔術の下位互換といえる。

 まず大前提として、汎用性に欠ける。フィリップが使える二種類の領域外魔術といい勝負の、他者を害することしか頭にないような系統の魔術だ。


 そしてステファンの言う通り、殆どのパラメーターで現代魔術に負ける。単純な破壊力だけでなく、耐性貫通力や発動速度でも初級攻撃魔術にも届かないようなものばかり。唯一の取り柄である秘匿性も、訓練した魔術師の魔力操作精度であれば十分に匹敵するだろう。


 文献などでそれを知っているステラも、ステファンの言葉に苦笑しつつ頷く。

 だが、だからこそ、ステラには大きな疑問があった。


 「……概ねその通りです。ついでに言うと、私の魔術耐性を貫通するような呪詛が存在するとは思えませんね」


 呪詛の貫通力はかなり弱い。

 最上級の呪詛である魔眼──それも最上級の魔力を持つミナの『拘束の魔眼』でさえ、ルキアやステラには通じないほどだ。


 そこいらの魔術師がどれだけ研鑽を重ねても、現代魔術で二人の耐性を突破することさえ困難な以上、魔術系統的に貫通能力の低い呪詛ではどうしようもないだろう。


 「そうですね……私もその部分は謎なのですけれど、恐らく、高位の悪魔などがその命と引き換えに行使したのではないでしょうか。殿下は次期女王として王国民からだけでなく、大陸中からの期待と信頼を集める御方。そして魔王陣営にとっては最大の脅威である聖痕者でもあられます。狙われる理由としては十分かと」

 「私個人を狙った呪詛なのですか? ですが……」


 それにしては、被害範囲が広すぎる。

 帝国や聖国でも同様の被害が広がっているという噂が、然して情報通というわけでもないフィリップの耳にも届くくらいだ。


 大陸全土、何千万人という被害を出すなんて、現代魔術でも不可能な破壊範囲だろう。というか、広いし多いしでピンと来ない。


 「不明です。ですが、王国南部での蔓延、その発生源は間違いなく殿下か、或いはサークリス聖下のどちらかであると思われます」

 「……ほう? それはまた、随分と不穏当な仮説だな?」


 ステラの目がすっと不快げに細められる。

 パジャマ姿で、ベッドから出てもいないというのに、たったそれだけの仕草で、ステファンとフレデリカは背筋が凍り付くような威圧感に襲われた。


 ステファンは慌てて手を振り、足りなかった言葉を補足する。


 「誤解なきよう、殿下。私は殿下が呪詛を放ったとは申しておりません。この呪詛は感染性なのです、殿下。その経路は“魔力”。感染者の魔力が汚染され、魔力感受性の高い人間に感染うつるのです」

 「あぁ……なるほど」

 「なに納得してるんですか。……いや、まぁ、確かに魔力感知能力には自信ありませんけど」


 ステラはフィリップの方を見て、安堵したような、そして揶揄うような微妙な笑みを浮かべた。


 とはいえ、流石にルキアが本気で魔力を撒けば気付くし、高位の魔術を使う時の余波も察知できる。魔力感知能力が全く無いわけではないのだが……その程度では足りないということだろう。いや、足りなくて良かったのだが、どうにも釈然としないものがある。


 「では、治療法とは解呪ですか?」

 「いいえ、殿下。呪詛について書かれた書物はそう多くありませんが、そのどれもが、解呪には「どのようにして掛けられた呪いか」を知る必要があると語っております。魔眼のような“見る”呪詛であれば、隠れる、見返す、鏡写しにするなどがありますが……この呪詛はそれが不明です。解呪は難しいかと」

 「確かに。先生の考察通り、死と引き換えの呪詛であれば解きようもない。……では、どのように?」


 ステラの問いに、ステファンは自慢げにフレデリカを示す。

 フレデリカは人間の頭より少し大きい箱のようなものを持っていて、ゴテゴテと露出したパイプや歯車の類から、明らかに何かの器具だとは分かる。だが、ステファンが両手できらきらと誇らしげに示しているのは、装置ではなくフレデリカ本人のようだった。


 そういえばフレデリカはステファンの弟子として医学を学んでいるのだったか、なんて、フィリップは遅ればせながら思い出す。


 少しだけ照れ笑いを浮かべたフレデリカは、コホンと小さく咳払いをして、両手で重そうに抱えた箱をベッドサイドのテーブルに置いた。


 「殿下、こちらを」

 「これは……例の魔力中和装置か。……気の長い話になりそうだな」


 フィリップにはよくわからない装置に見覚えがあったステラは、その用途から、ステファンの言う『治療』に一瞬で思い至ったようだった。

 病気や医学については詳しくないステラだが、魔術への知識は流石に目を瞠るものがある。


 「どういうことですか?」とは聞けずにいたフィリップだが、ステラは居心地の悪そうな成績不良児に気付き、微笑と共に補足をくれた。


 「無極性の魔力を身体に取り込み、汚染された魔力を洗い流すのだろう? 悪いものを食べた時に大量の水を飲んで吐き戻すような感じだ」

 「ふーん……薬とか瀉血でぱぱっと治らないんですね」


 フィリップが何の気に無しの相槌のつもりで呟いた言葉で、ぴしりと空気が凍り付いた。

 絶対零度の空気を放っているのはステラではなく、にっこり笑顔のステファンだ。


 「カーターくーん? 私の前でを出さないでくれるかしらー?」

 「え? ど、どれですか?」

 「血を出させる例のアレだよ。ソレの無意味さを周知したりとか、無秩序な流行──横行を止めたのは先生なんだ」

 「そ、そうなんですね。で、えーっと……じゃあ、殿下はもう治るってことですか?」


 空気を変えようという意図もあって楽観的な質問をしてみるが、フレデリカは重々しく頭を振って否定した。


 「いや、殿下は流石に一呼吸で生成される魔力量が桁違いだからね。スイッチオンしてはい完治、とは行かないよ。でも、間違いなく快方に向かうはずだ」


 アイコンタクトが交わされる。

 その中にはフィリップも含まれていたが、フィリップは「なんだか真面目な雰囲気だぞ?」ときょろきょろしているだけだった。


 だが真面目な空気にもなる。

 これから行われるのはただの実験ではなく、王族の治療なのだ。実験室ではいつものようにポチポチしていた装置の起動スイッチも、人命が懸かっているとなれば異様に重い。


 「よし、やってくれ」 

 「はい。では、スイッチオン、と。……どうです──ッ!?」


 ぶーん、と重い駆動音が鳴ったかというその直後、ステラが弾かれたように手を伸ばし、スイッチを叩いた。

 彼女だけに分かる何かが間に合ったのだろう、ゆっくりと安堵の息を漏らす。


 反対に慌てたのはフレデリカとステファンだ。

 何があったのか、まさか症状が悪化したりはしていないかと、口々にステラの身を案じる。


 わちゃわちゃと魔術的な検査をしようとする二人に苦笑しつつ、ステラは「大丈夫だ」と慌てる二人と、固唾を呑んで見ていたフィリップを落ち着かせるように手を振った。 

 

 「無極性の魔力を浴びて分かったが、確かに私の魔力は汚染されている。だが……無極性ではダメだ。私の魔力と呪詛で、逆に装置まで汚染しかかった」

 「魔力が強すぎるんだ……! いえ、ですが殿下、それでは無極性ではなく、強力な浄化の魔力であれば」


 フレデリカは驚愕と感嘆が綯い交ぜになった、尊敬すら滲む目でステラを見る。


 問題点から即座に代案が浮かぶのは、それだけその装置に対する理解が深い証だろう。流石は開発者といったところだ。

 

 「それなら、恐らくは……9割以上の確率で、上手く行くと思う。今の感覚では、だが」

 「でしたら問題ありません! 実は、以前に魔力浄化装置の設計図を描き起こしたことがあります! 必要な素材さえあれば即座に錬金・組み立て可能です! あっ、殿下はもう御存知でしたね! そうです、この魔力中和装置をグレードアップさせ、古龍の心臓を直列使用するエンハンスドトランジションシステムを基幹に、龍血による魔力の完全浄化と、龍血が持つ凄まじい毒性を逆用するアンチディドナイザーを並列稼働させた完全無毒化機構を組み込んだ──」


 怒涛の専門用語謎ワードの殺到に物理的な圧力すら感じて踏鞴を踏むフィリップ。


 フレデリカの語り口調は立て板に水というべき滑らかさだったが、水というよりはむしろ薬品──意味が分からないという点では、不透明な泥水と言ってもいいかもしれない。尤も、たぶん意味が分かっていないのはフィリップだけなのだが。


 「──待て」


 苦笑と共に制止するステラ。

 しかしそれは、無理解の笑顔を浮かべて放心している友人に気遣ってというわけではなかった。


 普段のステラなら、困ったように笑いながらでも「説明は後でいいから、早くその装置を作ってくれ」と、きちんとした優先順位に基づいて指示を出していただろう。


 だが──ステラは、その実行を阻む重大な問題を知っていた。


 「古龍の心臓は、お前がこの魔力中和装置に使ったものが最後の、そして唯一のサンプルだ」


 ……えっ? なんて、間抜けな声を上げたのは誰だったのだろうか。

 フィリップかもしれないし、フレデリカかもしれない。もしかしたらステファンかもしれない。


 だがフィリップも含めた全員が、“希望”という温かさが急激に失われる、すぐ側にあった焚火が消えてしまったような錯覚を味わった。


 「……ついでに言うと、龍血なんて希少で危険な代物も無い」


 根幹部分の不足、超重要な素材の欠落。

 それも──古龍の心臓と血液という、超の付く希少素材。どう考えても一朝一夕では手に入らないという予感しかない物品の羅列に、フィリップとステラは顔を見合わせて、二人揃って草臥れたような溜息を吐いた。









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