第267話

 フレデリカたちがステラの部屋にやって来てから、ほんの十数分後。

 フレデリカとステファンだけでなく、病人であるステラまでもが、城内でも特に秘匿性が高いと言われる特別な会議場に集まっていた。


 特筆して豪華というわけではない部屋だが、それでも王城の一室。フィリップが「壁紙やカーペットコレをちょっと汚すだけでとんでもなく怒られそうだな」なんて怖くなってしまう内装だ。陽光の差し込む窓には、これまた高そうな生地のカーテンがかかっている。


 学院の教室より一回り小さいくらいの部屋には、錚々たる顔ぶれが揃っていた。


 「では、始めようか。もう一度確認するが、ボード卿、古龍の心臓と血があれば、王女殿下と私の娘の病は確実に癒えるのだね?」


 口火を切ったのは、赤いベルベットのスーツに身を包み、金髪をオールバックに撫でつけた紳士。フィリップとも面識のある、アレクサンドル・フォン・サークリス。王国の宰相にして、最高位貴族の一人だ。彼が控えるように立つのは、部屋の最も上座に据えられた玉座の斜め後ろ。


 そして玉座というからには、そこに掛けるのは一人しかいない。

 金色の髪を快活そうに短く切り揃えた中年の紳士、アヴェロワーニュ王国第67代国王、アウグストス二世だ。


 国王の隣には、少しだけ見映えの劣る玉座に、次期女王として既に指名されたステラが座っている。


 国王から見て右側に居並ぶのは、近衛騎士団長にして国王の親衛隊隊長でもある英傑レオナルド・フォン・マクスウェルを筆頭に、二人の親衛騎士と、二人の宮廷魔術師。

 ステラから見て左側に居並ぶのは、衛士団長と、彼が選んだ最精鋭の衛士が二人。そして王国最高の治療術師と名高いステファンと、その弟子であり、魔力隔離装置という理論上のものでしかなかった器具を開発した若き天才フレデリカ。


 本当に、錚々たる面子だ。

 ただ一人──帰っていいかなぁ、なんて、どう考えても駄目なことを考えているフィリップを除いては。しかもフィリップはステラの斜め後ろに立っており、国王と宰相の位置関係とほぼ同じだ。


 「はい、宰相閣下。理屈の上では間違いありません」


 理屈の上では、という微妙に確実性の無い言葉に、武官の六人が眉根を寄せる。

 反対に国王と宰相、そして高位魔術師たちは、迂闊に断言しない真摯さに小さく頷いていた。


 フィリップはというと、ちょっと小腹が空いたなぁ、とお腹を擦っていて、完全に我関せずといった風情だ。ここに居ろと言われたから居るけど、話に参加するつもりは無いし、参加できるだけの教養も品格もないので、置物に徹します。でも帰れるなら帰りたいです。顔にそう書いてあった。


 「……では、その入手方法について議論しよう。諸君らの知恵と経験は、きっと陛下と私の助けになってくれると信じているよ」


 宰相はあくまでもにこやかに、決定を下すのは自分と国王であり、ここにいる全員はアドバイザーに過ぎないと言外に告げる。

 その苛烈にも思える自信と、相反するような穏やかな笑みには、フィリップでさえ手を貸そうと思ってしまう強烈な求心力があった。


 ……とはいえ、流石に。


 「……古龍の心臓。確か宝物庫にあったものは、龍同士の争いで死んだ個体の死骸を運よく腐敗前に発見したのでしたか」

 「うーむ……急を要することですからなぁ。まさか、また幸運を願って座して待つわけにもいきますまいが」


 龍は、この星で最も完成された、最強の生物だ。

 いや、身体は魔力で構成されているから、学術定義的には「魔物」と呼ぶべきなのかもしれない。しかし、死んだあとに消滅するかどうかはまちまちで、死体から剥離した部位は確実に消えないという特異な性質がある。


 逆に、老化はしないが成長はする、つまり絶対に良性の変化しかしないのは、生物では有り得ない性質だ。


 生物なのか、魔物なのか。それすら判然としない、ただひたすらに強大な生き物。

 十数メートルにもなる体高、数十メートルもの体長、数十トンの体重。それらを支える強靭な四肢と、それを浮かせるほどの羽ばたきを可能とする大翼。そして良質で膨大な魔力と、人間以上の魔術能力。


 全身を覆う鱗はこの世の全ての金属に勝る硬さを持ち、剣も槍も通さないばかりか、熱や雷撃への耐性まであるという。


 あと、ついでにブレス攻撃を持つ。……英雄譚などでは、『口から炎を吐く。これが龍の最大の武器だ!』なんて描かれ方をするが、こんなのはオマケだ。


 デカくて、重くて、硬い。

 生物が個として持つ防御要因は多々あれど、この三つが揃っていればほぼ無敵だ。あとは『速い』と『見えない』と『毒を持つ』辺りが、生物界ではポピュラーな自己防衛手段だが……龍は『見えない』以外の全てを兼ね備えている。


 「王国領内には現在、5体以上の古龍が生息しているが……縄張りを離れた個体や、他の龍と戦闘状態にある個体の報告は上がっていない。前回のような幸運に期待するのは無理があるだろう。……他国に働きかけてみるのはどうだ? 完成した機材の貸与で、見返りとしては十分だと思うが」

 「交渉は宰相閣下にお任せできるでしょうな。で、どこの国が古龍の心臓を持っているので? そんな代物を持っているという話は聞いたことはありませんが」


 騎士の一人が挙げた案は、フィリップからするとそんなに悪くなさそうなものだった。

 古龍の心臓を持っているのなら、王国がそれを加工して“眠り病”の治療器具を作る。あとはそれを貸与か贈与かすれば、その技術解析も含めて見返りは十分だろう。


 だが、誰もそれを持っていないのであれば、交渉以前の問題だ。

 

 「うーむ……」

 「何かで代用できないのですか、レオンハルト女史?」


 多分無理なのだろうが、ダメ元で聞いてみよう。そんな空気さえ滲ませて尋ねた衛士に、フレデリカはやはり頭を振る。


 「……逆にお聞きしますが、龍の心臓に匹敵する無極性魔力生成機能を持ったもの、そして龍血に並ぶ浄化作用──いえ、他の一切の毒を駆逐するほどの毒性を持ったものをご存知ですか?」

 「なるほど、それは確かに……」


 装置のパーツとして求められる必須条件があまりにも限定的すぎて、替えが効かない。

 それはきっと設計のミスなどではなく、装置の目的上、どうしようもないことなのだろう。フィリップのそんな予想は、


 「設計段階から考え直し、或いは別の方法を考えるというのは……」

 「どれだけの猶予があるか分からないが、そうするしかないのでは?」


 と囁き合う騎士たちに、フレデリカが「無理に決まってるだろ……」と言いたげに重々しい溜息を吐いたから思い至ったことだ。


 フィリップも真面目な空気に流されるように、大真面目に思考を回す。

 そして、ふと、最も簡単な解決策が出ていないことに思い至った。


 「いや……殺して奪えばいいのでは?」


 ステラに宛てたフィリップの呟きは、皆が黙考して静まり返った会議室に、いやに大きく響いた。

 国王とステラを除くほぼ全員に正気を疑うような目で見られ居心地の悪さを感じるが、それはフィリップを黙らせるだけの圧力を伴ってはいない。


 「龍が何処に居るかは分かってるんですよね?」

 「まぁ、火山みたいなものだからな。どの国も、自国内に棲む龍の動向は調査している」


 参加者の何人かが「所詮は子供か」と言いたげに頭を振る中、ステラは端的に答えてくれる。

 

 フィリップにとって重要なのは、自分が他人からどう思われているかではなく、情報だ。

 そして、フィリップが求めていた答えが提示された以上、この会議に意味は無くなった。


 殺せばいいのだ。


 人間は食うために家畜を殺し、時に遊戯、快楽の為に殺す。それと同じだ。

 相手がドラゴンだからと言って、その利己心を捨てる必要はないだろう。病に伏せる幾千の人々のため──フィリップ自身の人間性を補強してくれる、ルキアとステラのために、龍を殺そう。その死体を辱めよう。


 「なら、殺して奪えばいいでしょう。首を刎ねて血を奪い、死体を腑分けて心臓を奪う。これが戦略的合理性に基づく最適解ってやつですよね、殿下?」


 自信たっぷりを通り越して、間違いなど有り得ないと言わんばかりに淡々と語るフィリップ。

 しかし、周囲から向けられるのは、呆れたような溜息と、物を知らぬ馬鹿に対する嘲笑と、身の程を弁えない愚者に対する嘆きだ。


 ステラはフィリップの召喚物を思い出して苦笑しつつ、一先ず一般論で答える。


 「それは取り得ない選択肢、存在しない解なんだよ、カーター。たとえ私とルキアが健在でも、古龍相手では勝ち目が薄い。五分といったところだ。そんな私達は、ヘレナを除くこの国の全ての戦力を同時に相手取って殲滅できる。分かるか?」

 「勝てないってことですか? ……でも、衛士団なら」


 難しい……だろうか。

 龍と悪魔のどっちが強いのかは知らないが、衛士団は技量と連携を以てゴエティア72柱の悪魔が一、エリゴスと拮抗していた。


 龍が相手でも、武装と人数次第では善戦できるのではなかろうか。

 まぁ龍の強さどころか、悪魔の強さだって正確には知らないフィリップの、適当な目算なのだが。


 どうなんですか? と、面識のある衛士団長に目を向けると、彼と、その向かいに座っていた近衛騎士団長が答えてくれる。

 

 「確かに衛士団であれば実現可能でしょう」

 「少年の期待を裏切るのは心苦しいが、無理だ」


 全く同時で、しかも声量も同じくらいだった。

 そのせいで何を言っているのか殆ど判別不能なレベルだ。


 「……すみません、もう一回、一人ずつ喋ってくれませんか?」


 フィリップの苦笑交じりの言葉に、衛士団長が肩を竦めて先を譲った。

 騎士団長は会釈程度に一礼を返し、きちんとフィリップに向き直ってから先を続ける。より正確には、ステラに対して正対したのだが。


 「可能だろうと言いました。彼らはこの国の最高戦力、いえ、人類最高の戦士たちです。所属する魔術師たちも、半ば研究職である宮廷魔術師たちとは違い、実戦能力に特化した戦闘魔術師ばかり。たとえ古龍相手でも、最高装備であれば、必ずや目的を果たせるでしょう」

 「……無理だと言ったんだ。親衛隊長殿は、以前に王都に迷い込んできた龍を先代が撃退したから「できる」なんて言ってるんだろうが……前のあれは100歳そこらの成龍で、しかも先代だぞ? 俺たちと比較されても困る」


 ちょっと揶揄ってやろうとか、この機会に謀殺してやろうとか、そんな邪念の一切籠らない澄んだ瞳を──冒険譚の英雄に憧れる少年のような目をしている騎士団長。

 その信頼と憧憬の籠った声と言葉に、衛士団長はうんざりしたように嘆息した。


 「……はっきり言おうか。衛士団が向かったところで、徒死するのが関の山だ。国の為であれば部下に死ねと命じるのが俺の役目だが、それでも、犬死に、無駄死にを命じることだけは絶対に無い」


 たとえ貴女の命令でも。

 そんな内心を窺わせる、強い意志を持った目がステラに向けられる。


 対して、ステラは挑戦的に口角を吊り上げた。

 この私が、そんな非合理的な命令を下すわけがない。──衛士団長の決意にも劣らない、そんな強固な自負が窺える。


 フィリップはそんな二人を交互に見て、何を思ったのかうんうんと頷くと。


 「じゃ、僕が行きますね」

 

 ──と、軽率に、楽天的に、能天気にも聞こえるような声で、端的に言った。


 「殿下とルキアを死なせたくないっていうのは勿論ですけど……僕にとっては衛士団の皆さんも、同じくらい尊敬している人たちなので。皆さんに死んでほしくありません」


 沈黙の帳が降りる。

 

 フィリップの言は提案ではなく意思表示であり、忠告はともかく、否定を受け容れるつもりは無かった。つまり、「○○だから無理だよ」と言われたら、理由の部分が持つ情報は有難く頂いて、「無理だよ」という部分は丸ごと無視するつもりだった。


 しかし、誰も、何も言わない。

 「できるわけねぇだろ」という嘲笑も、「物を知らないガキが」という呆れも、「なんでこいつ部屋に入れたの?」という嘆きも、何も飛んでこない。


 瞠目する騎士団長の、ほう、という溜息。

 拳を握り締めた衛士たちが奥歯や唇を噛み締める、ぎち、という軋み。


 その二つは、連続する乾いた快音──国王の拍手の音に掻き消されて、フィリップが認識することは無かった。


 国王はいつかのように「やさしいおじさん」の仮面を被り、振り返って肩越しにフィリップを見遣る。


 「……その覚悟は素晴らしい。だが、君の召喚物は確か、王都の一角を焼き払うようなものだったね? それが龍に通用したとして、血や心臓を損なわずに持ち帰ることはできるのかい?」

 「いいえ……陛下」


 険しく眉根を寄せたステラのアイコンタクトを受けるも、口の制御が間に合わずに言葉が滑り出てしまう。

 しかしステラの視線の意味は「別の召喚物があります、なんて余計なことを言うな」だったので、クトゥグアには無理だろうなぁ、なんて直感的な思考をしているフィリップ相手には無用な心配だった。


 結果として、フィリップは少し動揺したものの、国王相手に嘘を吐くことは免れた。


 クトゥグアには、熱塊や火球といった化身を持ち、権能が熱と炎に特化した邪神には、繊細さを求めてはいけない。

 だがクトゥグアには無理でも、ハスターなら話は別だ。あれだけ人間のことを理解していて、の器用なハスターなら、龍の血を奪い心臓を抉るような外科手術だって可能だろう。


 使い走りにさせようとか考えたら流石にバレて怒られるかなぁ、なんて、フィリップは遠くを見る目で考える。


 表面上──議事録があれば、文面上ではフィリップの愚かな提案が国王によって却下されたという形で、今日のところはお開きの流れになった。


 「ふむ……よい。此度は一度、解散とする。この部屋にいる者は、妙案があれば深夜であろうと余の部屋を訪ねることを許す」


 国王が率先して部屋を出て、宰相がその後に、他の参加者がさらに後にぞろぞろと続く。


 去り際に衛士団長がフィリップに意味深な一瞥を呉れたが、フィリップは照れたようにはにかんで笑い、ぺこりと一礼を返した。








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