第262話
木立の隙間から僅かに荒野の見える森の中を、ルキアたち一行は馬を限界まで酷使して駆け抜けていた。
人の手によるものではなく、さりとて獣が通るだけでは有り得ない拓かれ方をした道が、六頭の馬と一台の馬車が蹴立てる砂塵で煙る。林冠は然程深くないが、巻き上げた砂埃の所為で辺りは薄暗い。
どういうわけか中位悪魔が木立の中から襲ってくるという事件が散発的に起こっていて、ルキアとステラが馬車の前後を、その周囲を従者たちが守るという陣形を敷いて警戒態勢だった。
「……どう思う、ルキア。先刻からの悪魔の襲撃、私達への妨害という感じではないが、かといって自然のものでもないだろう」
「可能性は二つでしょう? フィリップが原因のトラブルか、フィリップが巻き込まれているトラブルか」
淡々と冗談みたいなことを言うルキアに、ステラはけらけらと笑う。
だが確かに、中位悪魔は何者かに召喚されなければ存在しない魔物だ。フィリップに近付いたタイミングで出てきた以上、無関係ということは考えにくい。かといって聖痕者の邪魔には絶対的に不向きな相手だし、頻度も、一回に出てくる量も足りない。質も量も、ルキアとステラ相手には戦力にカウントできるようなレベルでは無かった。
「そうだな。吸血鬼を取り合って、悪魔とカーターが争っていたりしたら面白いんだが」
「笑えないわ、全く。……シルヴァ、フィリップの位置は具体的に分かる?」
ステラの前に座っていたシルヴァに問うと、彼女はこくこくと頷いて前方を指差す。
「わかる! あと……このもり、よっつぶんぐらい!」
「……あぁ、うん。確かに具体的だが、実数値で欲しかったな」
ステラは森に入ってからの体感時間から、まぁ概ね8キロぐらいだろうか、なんて概算する。これが概ね正解な辺り、彼女の空間把握能力はやはり非凡だ。
「アンナ、地図を。城までの距離は?」
「はっ。……概ね6キロほどかと」
馬車を操っていた親衛騎士に尋ねると、少しの計算時間を経て答えが返ってくる。
彼女が見ていたのは古い地図ではなく、それと今回の旅路で新たに書いた測距地図を合わせた、古い地図の正確さを増したものだ。こんなものが出来ただけで、既に攫われた子供を助けるという任務が失敗しても褒められるレベルの代物である。
「流石に体感がズレたか? いや、カーターが逃げ出しているという可能性もあるな……。ルキア、念のため、魔力視は無しで行こう」
「えぇ、そうね」
と、そんな話をした時だった。
遥か遠くの上空に、強烈な魔力を放つ魔法陣が描かれる。遠目には殆ど見えない、ともすれば昼間に輝く明星か何かと見逃してしまうような、小さな小さな光点だ。
しかし、それが人類領域外の文字と記号で描かれた召喚と使役の魔法陣であると、ステラは経験として知っていた。そしてその身の毛がよだつような気配も、書き込まれた情報も、出てくるものの情報も、以前に一度読み解いている。
魔力を視ていれば、一瞬のうちに情報を読み取って発狂していただろう。
一度目は奇跡的に帰ってこられたが、二度目があると無邪気に信じる気にはなれない。
「──っ! ちょっと、ステラ!?」
ステラが唐突にばら撒いた魔力に、魔力感知能力のずば抜けたルキアがたまらず手綱を操って馬を止める。魔力は無色無臭で音も出ないが、それを感覚的に把握できる魔術師にとって、今のステラは
「全員伏せろ! 正面の空を見るな!」
ステラの指示に最速で従ったのは、親衛騎士ではなくアリアだった。
彼女はルキアの馬に飛びつくようにしてルキアを降ろし、地面に伏せさせた主人の上に覆い被さりながら周囲に視線を走らせる。次に親衛騎士たちが、最後にメグが動くが、メグに関しては伏せるというより超前傾姿勢といった感じで伏せてはいなかった。
ルキアもステラに対抗するかのように魔力を発散し、周囲の状況を探る。
周辺に悪魔の気配はないが──森を出たところに強大な反応が二つある。魔力視無しには詳細は分からないが、どちらも邪悪属性に寄っていることは分かった。
「カーターが召喚魔術を使っている! 吸血鬼の城から脱出したのかもしれない!」
「私たちが来たことに気付いて……? いえ、でも、それならシルヴァのいる位置に向かって来る筈じゃない?」
確立した自我や精神を持たないが故に発狂もしないシルヴァだけが、地面に伏せる一行を面倒そうに見ていた。
「ふぃりっぷはまだあっち。こっちにはきてない。……はやくいこ?」
「……念のために聞いておきたいんだが、あの“星”はどうなってる?」
「ん? あそんでる。……ふぃりっぷ、たぶんかるとであそんでる……」
なにやってんだあいつ、とでも言いたげに嘆息するシルヴァ。そんな暇があるなら自分を戻せとでも思っているのだろうが、フィリップにとっての優先度はカルト狩りの方が上だったし、今の彼はシルヴァや、居るであろうと予想していたルキアかステラのことを完全に忘却している。
そういえばあの時も一度は私を捨て置いたな、と、ステラは回顧して苦笑した。
カルトが出たなら、まぁ、しょうがない。
カルト狩りの邪魔をしようとした──フィリップを牢か何かに繋いでおこうとした吸血鬼が狂死させられていたとしても、ステラは驚かない自信があった。
「……ん、みえなくなった。もうおきていいから、はやくいこ」
じれったそうに足踏みしながら言うシルヴァに手を引かれ、ステラも立ち上がって服に付いた砂を払う。
「……多少、不味いな」
「そうね。あの吸血鬼の魔力……魔力視無しでは油断できない相手だわ」
魔力視など無くとも肌で分かる、強大で、良質で、膨大な魔力。
質も量もルキアやステラに引けを取らない、或いは優越するほどの化け物だ。あの森にいた個体とは別物のようだが、それが何より恐ろしい。
距離次第だが、一対一なら先手を取った方が勝つ。
二対一の今なら、ルキアが守り、ステラが殺す。或いはその逆で連携すれば、動体視力を振り切る速度で動く怪物でも下せよう。
そして二対二になれば、戦局の予想は誰にもできない。
流石に神罰請願・代理執行権の行使である最強の邪悪特攻攻撃『粛清の光』や『撃滅の槌』を撃てたのなら勝ちが確定するが、そこまで甘い相手ではないだろう。出の早い上級魔術レベルで応戦し続けるしかない状況に追いやられてしまえば、一発、二発当たったところで、無数の命で踏み越えられてチェックメイトだ。
「カーターの居場所や状況を聞き出そうなんて色気を出すのは、相手がいきなり襲い掛かってくるような馬鹿じゃないと判明してからだぞ。いいな?」
「分かっているわ──、っ!?」
突如として明るく照らされる森の中。
先頃から煙っていた砂埃が晴れたとか、太陽を遮っていた林冠部が風で揺らいだとか、そんなちゃちな変わり方ではない。今が昼なら、これまでは夜。それほどまでの光量増加に、全員が思わず目元を庇う。
「何事だ!? いや、とにかく殿下をお守りしろ!」
「この光……天使でも降臨されたのでしょうか?」
未だ明順応すらままならないはずだが、ルキアとステラを庇うように動く従者たち。
明らかに自然のものでは有り得ない光の柱を森の外に見て、メグが安穏と呟いた。
天使降臨は最奥や秘儀に分類される魔術だが、人類に不可能なことではない。それに召喚魔術に分類される以上、術者を殺せば天使も還る。──人間を殺せばいいのなら、メグにとっては何ら恐れることではない。
だが、違う。
これはそんな生易しいものではないと、ルキアとステラは直感的に感じ取っていた。
何故なら、天を穿つ光の柱からは、二人が使う魔術とよく似た気配がある。
断罪権の行使。対邪悪の極致にして、神聖の顕現。二人が吸血鬼に対して、無数の命を持ち人間を食らうバケモノに対して、警戒はしても恐れはしない理由の最たるもの。
「驚いたな……あれは、神罰に類するものだ。あの吸血鬼、それを何かから奪い取ったな……!」
ステラは視線を鋭く眇め、見通せもしない森の外を睨み付ける。対するルキアは、「もうここから『明けの明星』を撃っては駄目かしら」とか物騒なことを考えていた。
殺すだけなら最適解かもしれないが、二人の目的はあくまでフィリップの奪還だ。
フィリップがいまどういう状況に置かれているのか、そのくらいは聞き出す必要がある。主に、ルキアとステラの安全のために。
吸血鬼を殺して助けに行って、フィリップが吸血鬼に対して隷属状態などにあった場合、カルト相手に暴れ散らかしている邪神の矛先がこちらに向くことになるだろう。その前に、吸血鬼を脅すなり拷問するなり痛めつけるなりして、隷属を解かせる必要があった。
「……本当に、話の通じる相手だといいんだが」
とはいえ相手は人食いの化け物。餌である人間と会話するような奇特な性格であることを祈るのは、ステラとしては甚だ不本意なことだった。
◇
森を出ると地獄だった。
穢れを払う神聖な光輝は嘘のように、赤の鏡面と彼岸花畑が広がる。磔られた悪魔の数は一万や二万では利かないだろう。
その大殺戮の下手人であろう女吸血鬼は、武器も持たず、かといって魔術照準もせず、顎に手を遣って値踏みと警戒の綯い交ぜになった目で一行を──いや、ルキアとステラの二人だけを観察していた。
「……貴様らが、あの子の言う『助けに来た聖痕者』ということで間違いないのよね?」
先に口を開いたのは、眠たそうなミナだった。
ルキアとステラは一瞬だけ目配せをして、ステラが「そうだろうな」と軽く応じる。
「そう。フィルから言伝てがあるわ。『合流するまで魔力視禁止です』だそうよ」
「……フィル?」
不愉快げに眉根を寄せたルキアに、ミナも怪訝そうに似通った表情を作る。
「なに? 人違いだというのなら、早く立ち去ってほしいのだけれど」
「……私たちが助けに来たのはフィリップ・カーターという子供だ。身長はこのくらいで、金髪に青い目。ディアボリカという吸血鬼が拉致した。心当たりは?」
放っておけば魔術照準さえしかねないルキアを片手で抑えながら、ステラはあくまで淡々と問いを投げる。
フィル、という愛称が家族間で使われるものだと知っているのは、以前にフィリップの実家の宿に泊まったことのあるルキアだけだった。勿論、フィリップという名前は一般的なものだし、愛称も奇抜なものではない。ステラが訊いたのは念のためだ。
ミナは億劫そうに肩を竦め、軽く応じる。
「私のペットに間違いなさそうね。それで……どうするの? 私を殺して、あの子を奪う?」
「ペット……? 婿だと聞いていたが?」
「……それ、人間の間では流行りのジョークなの? それとも、貴様がアレと同じで狂っているだけなのかしら」
ステラとミナはお互いに、どうにも話が噛み合わないぞと首を傾げる。ミナの方は、やや疑念が濃いが。
ともかく、ステラはフィリップの伝言とその内容から、彼がミナに対して一定の信を置いているらしいと察した。フィリップの狙い通りに。
ルキアはずっと不快そうに眉根を寄せているが、口を挟むことも、魔術照準もせずにじっと耐えている。しかし付き合いの長いステラには分かるが、ルキアも大概直情的というか、地雷を踏んだ時の手が出る速度はかなり早い。聖痕者の中でも一二を争うとまで言われているくらいだ。
今もフィリップをペット呼ばわりしたミナを塩の柱に変えたくてうずうずしているだろう。
不快そうなのはミナも同じだ。
と言っても彼女はステラの言葉に不快感を覚えたわけでは無く、度し難いまでの無理解と、気色の悪い発想に対して気分を害しているだけだが。
「人間は豚や鶏を食うのでしょう? 貴様は、その家畜と結婚するの?」
「……なるほど、そういう価値観か」
ステラは悠然と立ったまま、軽く理解を示す。
ミナとの距離が100メートルくらいあれば「良かったな」なんて言ってルキアを揶揄うところだが、流石にそこまで緊張を緩めることはできない。
「私たちはあいつを連れて帰るためにここに来た。より直接的な言い方をするのなら、あいつを奪い返しに来た」
「……ペットは家族よ。奪い返すと言われて、はいどうぞと返すわけがないでしょう?」
ステラの青と、ミナの赤。二人の視線が正面からぶつかり合い、従者たちが火花すら幻視する気迫が迸る。
魔術照準は無い。剣も抜いていない。
だが、一触即発の気配だけは肌を刺すほどに纏わりついて、空間に満ちていく。
「カーターは今、何処にいる?」
「城の東側、向こう側よ。今はカルト狩りの最中でしょうね」
まさか覗きに行こうとはするまいな、と、ミナは度し難い変態を見るような目で二人を牽制する。
「この悪魔の群れは? そのカルトが召喚した……という数ではないな。それに、お前とも敵対しているのか?」
「逆ね。悪魔が湧けば崇拝者も湧く、それだけのこと。私に敵対していたゴエティアの悪魔が喚び出したものよ」
どうでも良さそうに言うミナ。数十万という数を前に無頓着なのは、むしろステラとしては共感できるポイントだった。ただ、それを放置しているのはいただけない。この群れの中をフィリップが突っ切ってくるには、それこそ邪神の力を借りるしかないだろうから。
「……ルキフェリア、カーターの帰り道を作ってやれ。シルヴァ、位置は?」
「かわってない……」
なんで変わってないんだよと言いたげに不機嫌そうな声だが、今はその方がありがたい。
「ここから城までだけでいい。掃討しろ」
「了解よ。──《粛清の光》」
城までの空間を埋める赤い彼岸花畑も、城に集る黒い群れも、その全てを天から降り注ぐ極光が撫でていく。
荒野の悪魔たちも、城に入った悪魔も──まだ生き残っていたかもしれないメイド吸血鬼たちも、区別することなく裁く、神罰の光。後に残るのは、無数にも思える塩の柱だけだ。
配下と居城をも呑み込む神罰の具現を、ミナは感心したように見るだけだった。
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