第260話

 ディアボリカに抱えられて城壁を飛び越したフィリップとは違い、ミナは城主らしく堂々と、正門から出撃する。フィリップとはちょうど、城を挟んで反対側だ。


 太陽はもうじき頂点に至る、吸血鬼の力が最も弱まる時間帯。

 昼型に生活習慣を補正しているとはいえ、種族特性としての弱体化は免れないミナが、最も戦うべきではない時間。


 千夜城はもはや、築城以来の不可侵領域ではなくなった。

 そこかしこにメイドの血痕と悪魔の残骸が散らばり、今この瞬間にも知性劣悪な中位悪魔によって蹂躙されている。


 潔癖なところのあるミナは、それで城に対する執着心を完全に失った。


 「──石まで斬ると、埃が舞うわね」


 面倒くさそうに呟いて、左手に魔剣『悪徳』を握る。

 彼女の利き手は右だが、厚さ80センチそこそこの木材なんて、鉄板で補強されていても紙みたいなものだ。


 結局、最後の最後まで打ち破られることなく城を守り続けた巨大な門は、内側から、城主によって斬り捨てられた。今や残ったメイドは数名程度、掃除と整備が終わるまでは住めそうもなく、守り続ける価値もないと。


 「──ギャハハハ!!」


 当然のように雪崩れ込んでくる、無数の中位悪魔。


 諦めたか、最後の足掻きか。

 ミナの行いを不可解に感じながらも、悪魔たちは哄笑と共に襲い掛かり──第一陣、十数体の悪魔が灰の塊になって崩れ去った。


 ミナの右手には、振り切られた魔剣『美徳』。

 数瞬遅れて、第二陣の悪魔が衝撃波によって上半身と下半身を千切り分けられた。

 

 「グギ──!?」

 「──はぁ」 


 赤い双眸は眠そうに伏せられ、気だるげな溜息が艶やかな唇を割る。


 つい、ペットのいる東側に飛びそうになって、邪念を払うように首を振った。

 フィリップの“お願い”は二つ。フィリップの方に行かないことと、そちらを見ないこと。理由は多分、フィリップがトイレや風呂に一人で入りたがる理由と同じだろう。


 人間ペットにとって「カルト狩り」が羞恥心を伴う、しかし生理的に必要な行為だというのなら、ミナ飼い主はそれを尊重すべきだ。


 「面倒だわ……本当に」


 開け放たれた門から雪崩れ込む悪魔を切り捨てながら、ミナは淡々と歩を進める。


 靴は血溜まりを歩くためのハイヒール。

 グリップに優れているとはとても言えない不安定な足元で、最低でも一刀十殺の大立ち回りを演じながら。


 十の悪魔が灰に還り、倍以上の悪魔が吹き飛んで、再生する。

 

 「ギャ──」

 「ギギ──!?」

 「ガアッ──!?」


 品の無い断末魔は途切れることなく、灰に還る同胞への手向けに。


 「あぁ──面倒くさい」


 首を断つことに特化したエクスキューショナーソードは、処刑道具であって戦闘用の武器ではない。切っ先が無い形状、頸椎を割るためだけの厚い刃、上から下に振り下ろすためだけのフロントヘビーな重心。何もかもが、戦うことを想定していない。


 だというのに、ミナの歩みに淀みは無く、傷の一つも、汗の一滴も無いまま、孤軍侵攻が続く。


 城門を潜ると、悪魔は前だけでなく横からも、押し潰す量と勢いで殺到する。

 そのまま門外に押し寄せる、渦中に在っては無限にも思われる軍勢を切り伏せて進むかに思われたミナは、しかし、はたと足を止めて天を仰いだ。


 「──飽きたわね」


 かったるそうに呟くミナに、四方八方から悪魔の槍と爪と魔術とが繰り出され──消える。


 「ギャ──!?」


 苦悶に満ちた悲鳴こえが、遥か上から降り注ぐ。

 一つや二つ、十や百ではまだ足りない数の不協和音大合唱


 ミナの行く道を飾り立てる、赤い彼岸花畑。


 乱立する穂先には赤い花。

 血で編まれた棘の花弁。臓腑たねみつをこぼす醜い果実。高さ五メートルにまで突き揚げられた犠牲者たちは、甘い悲鳴かおりで仲間を呼ぶ。


 地中から生え出でた数万本の槍衾、或いは血杭柱の森を、悠々と歩く細身の長身。

 夜闇より濃い黒の髪は、血に濡れてなお重い黒。白い肌にあかが映える。同じ色の瞳は愉悦に輝き、よりあかい舌が艶めかしく唇を這う。


 「不味い血。あとで口直ししなくちゃ」


 蘇生しても蘇生しても、腹の底から爆発するように生える血の棘が、杭に捧げられた悪魔を殺し続ける。

 血は雨となって降り注ぎ、杭を伝って地面を染める。荒野の硬い岩盤は見かけ以上に水を吸わず、地表に薄く血溜まりが張った。


 赤い鏡の大地に、数万の赤い花畑。

 新鮮な血と臓物の匂いが立ち込める死と病に満ちた空間を、両手に魔剣を携えた吸血鬼が闊歩する。血の大華と杭の森が織りなす複雑な影を浴びながら。悠々と、淡々と。


 ややあって杭の森を踏破したミナの前には、もはや中位悪魔などという雑兵は残っていなかった。


 ミナに対峙する影は一つ。

 身の丈三メートル、筋骨隆々の体躯を金属鎧で覆った、獅子頭の異形。ゴエティアの72柱の悪魔に列席する、正真正銘の怪物。悪魔マルバス。


 既に両手に鉈か包丁のような大刀が握られており、臨戦態勢であることが窺えた。


 「……これほどの力があって、何故戦わなかった? 何故、配下を徒に死なせた?」


 マルバスは口を開かない高位悪魔に特有の話し方で問いかける。

 その声に責める色は無く、単純に疑問を解消するための質問だった。


 ほんの一挙動──たった一度の魔術行使で、数万の悪魔を戦闘不能状態に追い込むことが出来るのなら、メイドの犠牲は、或いはゼロにまで抑え込めたかもしれないのに。


 勿論、マルバスとしては、そんな戦意こそ興醒めだ。

 誰かを守るための戦いなど、ミナには相応しくない。だから戦わなかった選択は正解だと思うし、有難くもある。だがそれはそれとして、気にはなった。


 ミナは退屈な質問だと言いたげに嘆息して。


 「──そんなの、面倒だからに決まっているでしょう?」


 ──端的に、吐き捨てた。


 ミナにとって、見渡す限り赤い景色を作り出した大殺戮は、程度で言えば地団太程度の労力のはずだ。

 魔力総量の数パーセント、二回か三回の呼吸で完全回復するような消費でしかないのに、それすら厭わしい。


 暴虐だ。

 自ら作り出した配下をそんな理由で切り捨てるのは、あまりにも横柄で傲慢な行いではないか。何より、そんな相手に尽くしたメイドたちが可哀想だ──そんな批判は、ミナ相手には意味がない。


 「それでこそだ。最も正統な吸血鬼──吸血鬼の始祖たる“龍呪公ドラクル”の因子を継ぐ者よ! その傲慢、その怠惰、その感情こそが、貴様に最も相応しい!」


 数百年の昔、ある男が龍を殺した。

 しかし龍は今際の際に、男に呪いをかけた。


 “同族の血を喰らわねば生きられぬ、この世で最も醜い生き物と成れ果てろ”


 呪いを受けた男は、生きながらえるため、身を焦がすような飢餓から逃れるため、同族を喰らい続ける。

 その果てに魔王の軍門に下り、“龍呪公ドラクル”の名を受けて、魔王軍内部に自らの勢力を確立した。


 そして200余年の昔、今はディアボリカと名乗る男が、不死を得て愛する女と永劫結ばれるためだけに、彼を殺した。血を啜り、心臓を喰らい、龍の呪いごと、吸血鬼の始祖の力を取り込んだ。


 その系譜、たった一人の後継者こそミナだ。


 「吸血鬼ウィルヘルミナ。我が好敵手よ。我を殺し平穏を手に入れるため──我を殺すために剣を取れ! 戦うために戦おう! 殺すために殺し合おうぞ!」


 マルバスが咆哮し、殆ど無挙動で突撃する。


 ヒトガタとはいえ異形の存在。

 一歩目からほぼ最高速度に達する踏み込みは、三メートルを超す巨躯を視界から消すほどの速度だ。


 フィリップの胴ほどもある剛腕が振るう対の大剣、或いは歪曲した包丁は、ミナの全身より大きい特大の業物。鉄塊なら700キロを超えるサイズのそれは、悪魔の鍛造った特殊鋼でも500キロ以上の重さがある。

 二本同時、地面と平行に振り抜かれたそれらは暴風を巻き上げ、重さだけで一トン以上の威力を発揮する。


 ──それを、


 「──っ!」


 ミナの、利き腕でもない左手のロングソードが防ぎ止めた。


 動きだけは軽々と。

 しかし銅鑼のような轟音と無数の火花を散らし、荒野の、砂のすぐ下にある岩盤をヒールで削りながら。弾くでもなく、受け流すでもなく、正面から受け止めたミナに、マルバスは獅子の顔を獰猛に歪めた。


 「重かろう! いつぞやは貴様が一撃で首を刎ね、味わえなかった技と力だ! 存分に楽しめ!」

 「面倒な……」


 弾かれた反動を利用して引き戻された双剣は、両斜めから挟み込む挙動で振り下ろされる。

 以前に見た、両袈裟と両逆袈裟の連撃か。


 四度弾いた音が一つに重なるほどの超高速・超精度の技は、ミナにとっては既知のもの。模倣であるマルバスのものだけでなく、その原典オリジナルも。


 「これぞ彼の王龍、剣師龍ヘラクレスより盗み見取った妙技、墜衝天ついしょうてんよ!」

 「伝承目的でもないのに技に名前を付けるのも、声高に叫ぶのも良くないわよ。彼に教わらなかったの?」


 薄ら寒いほど耳を劈く轟音と共に、都合一トンの金属塊が弾かれる。

 以前には二振りの魔剣を使っていたミナは、今は利き手でさえない左手の『悪徳』一本で完全に防御していた。


 空いた右手は、体勢を崩したマルバスの首元に向かう。その右腕は漆黒のガントレットに包まれており、掌中では魔剣『美徳』が夏の日差しのように苛烈な光を放っていた。


 30年前には防ごうとして、それ故に次の瞬間には絶命してしまったマルバスは、大きくバックステップを踏んで後退する。

 剣を弾かれて揺らいでいた姿勢だったが、人外の脚力は5メートルもの距離を一歩で離した。


 「盗み見取ったと言ったであろう。あのような暴龍に師事など、命が幾つあっても足りぬわ!」

 「……それは、その通りね」


 ミナは肩を竦め、苦笑と共に肯定する。

 王龍は1000年以上を生きた龍種。中でも剣師龍ヘラクレスは戦闘行為全般に強い興味を持ち、投擲術、弓術、そして剣術と、闘争に技術や術理の概念を持ち込んだヒトを真似て、剣術に傾倒した稀有な個体だ。


 たとえミナでも、戦えばほぼ確実に負ける。

 10000戦して、1、2回勝ち、3、4回引き分けるのが精々だ。


 「ところで、彼の戦いを一度でも見たのなら、そんな甘い距離の取り方は出来ないと思うのだけれど」

 「何? ──ッ、馬鹿な!?」

 

 マルバスの纏う見事な鎧、どす黒い赤色の甲冑が、その胸元をぱっくりと開けていた。

 鎧が最も分厚い部分、急所を守るための傾斜がついた部分が、横一文字に綺麗な断面を晒している。


 だが、マルバスは先の一撃を確かに回避したはずだ。

 彼我の距離は五メートル以上あり、剣が届く間合いではない。ミナが魔術を使った気配も無かった。斬られていないのに切れている──これでは、まるで理屈が通らない。


 「馬鹿は貴様よ。いえ、無知と言った方が正確かしら」


 ミナは踏み込むことなく左手のロングソードを振るう。

 ただの素振りにしては些か以上に鋭い一閃だが、距離を詰めていない状況では何の意味もない行為だ。


 そのはずなのに、ぱっと赤い雫が舞う。

 切り裂かれた鎧の下、全く同じ場所に深々とした傷が現れる。マルバスは思わぬ痛みに呻きつつ、両の双剣を防御するように交差して構えた。


 「ぐぅッ……!? 魔術ではないな!?」

 「えぇ、そうね。というより、私は今、魔術が使えない状態だもの。、ね」


 ミナの言葉に、マルバスは目を細める。

 それは自分の状態を見透かされて驚嘆したのではなく、言葉の意味が分からずに訝しむような反応だ。


 「何を……? っ、これは!?」


 マルバスは剣の片方を地面に突き立て、片手をミナに向かって突き出す。

 何かの攻撃魔術でも使おうとしたのだろうが、何も起こらないので「待て」というジェスチャーにも見える。


 「魔力制限、いや……魔眼か! 制限系呪詛の相互制約による強化──契約の魔眼だな!」

 「あら、無知と言ったのは撤回しなくてはいけないかしら?」


 嘲笑を浮かべるミナに、マルバスは牙を剥き出しにして歯噛みする。


 契約の魔眼は、吸血鬼が種族的に持つ『麻痺の魔眼』や、その完全上位互換である『拘束の魔眼』とは決定的に違う特別製だ。


 通常、魔術契約には特殊インクによる魔法陣の敷設や、血液を媒介とした契約経路の開通などが必要となる。代表的な例としては、召喚使役の契約がそうだ。他にも、国家間での条約締結、商人同士の大規模な連合などでは魔術契約が使われる。

 

 魔術契約がただの契約と違うところは、その破りにくさにある。

 条件を違えることに強力な忌避感を催させたり、条件が破られた場合に重大なペナルティを課したりと方法は様々だが、最上級のものは支配魔術のように行動を物理的に制限できる。


 ミナの魔眼は、その最上位契約の一方的な押し付けだ。

 ただし、支配魔術のようになんでも出来るわけではない。


 まず条件として、相手に付加する条件と概ね等価になる代償が必要だ。

 たとえば先刻の、フィリップの行動を制限した時には、『自分がフィリップに近付かない』ことを条件に、『フィリップは自分に近付けない』ようにした。


 今もそうだ。

 マルバスの逃走を防ぐため、ミナは自身の魔術行使を代償に、マルバスの魔術行使を封じている。


 ただの一瞥のみを予兆とした、ほぼ回避不能、抵抗不能の行動制限。

 自分の何が封じられて、相手の何が封じられているのか。それさえ簡単には分からない、凶悪な能力だ。マルバスのような魔力の強大な相手には難しいが、対象の抵抗力次第では、ミナの十万以上の命のうち一つを代償に、相手の命を奪うことだって出来る。


 何より強力なのは、魔術契約を一方的に押し付けられて、そして一方的に破棄できるということだ。


 言葉で相手を支配する悪魔が、思わず驚嘆するほどの異能。だが──


 「だが、無駄だ! 魔術が封じられたとて、我にはこの剣が、牙が、爪がある!」


 元より逃走と言う選択肢を持ち合わせないマルバスは、突き立てていた剣を抜き突撃する。

 その気になれば物理攻撃を封じることも出来るミナだが、そんなことはせず、むしろ口元を薄く歪めた。


 「けれど技が足りないわね。だから……そうね、ハンデをあげる。私は今──。そういう契約を、自分自身に課しているわ」


 血より紅い唇から、凄絶な嗜虐心が滲む。

 戦闘に──特に剣対剣の至近戦で、ある一方に背を向け続けなければいけないというのは、ハンデと言うにも過剰な不利条件だ。回り込まれるだけでほぼ死に体になる。


 相手がそれを知らないならまだしも、ミナは自分から明かしてしまった。

 マルバスの紳士さには期待できないだろう。「では私は西を向かぬようにしましょう」だなんて、そんな対等性を保とうとする性格ではない。むしろ──


 「傲慢だな。その余裕、引き剥がしてくれるわ!」


 そんな隙があっては自分を倒すことなど出来はしないと、そう証明しようとするだろう。


 ナイフのような牙を剥き出し、勇壮な鬣を靡かせたマルバスが吼えた。








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