第252話

 千夜城滞在六日目。悪魔襲撃から二日。

 フィリップは昨日に引き続き、タレットに籠って飽きもせずバリスタをぶっ放していた。ミナには「それ、楽しいの?」と怪訝そうな目で見られたが。


 ところでバリスタ、バリスタと言っていたが、どうやらこれはフィリップの知る、王都の防壁上に並んでいる一般的なバリスタとは違うものらしい。


 相違点は、概ね二つ。

 砲弾に魔力を込めると着弾時に爆発すること。直線ではなく曲射弾道を前提としており、直撃を狙う武器ではないこと。


 ナイアーラトテップがいれば「迫撃砲みたいなものですね」とフィリップには分らない注釈をくれるだろう性能だ。防衛兵器としても、攻城兵器としても、十分以上の破壊力がある。


 だが、フィリップが首輪を破ってなけなしの魔力を封入する必要はないだろう。

 城のそこかしこから乱れ飛ぶ、横殴りの赤い雨──血で編まれた大矢の弾幕を見れば、誰だってそう判断する。

 

 そんな風に思っていたのは、軍勢襲来から三日目の正午辺りまでだった。


 「──流石に、進んできましたね」


 弾幕──点攻撃の羅列による面制圧攻撃には、一点を攻撃してから別な一点を攻撃するまでに、多少のラグがある。

 普段なら「だからどうした」程度の時間差。同胞の死を横目に一歩を踏み出せば、その瞬間に絶命の一撃が飛来する弾速と密度。だが──死ぬまでに一歩を踏み出せるのなら、不死身の軍隊は、その一歩を何度でも積み重ねられる。


 一歩進んで、下半身が千切れ飛ぶ。一歩進んで、上半身が千切れ飛ぶ。一歩進んで、死んで、一歩進んで、死んで、一歩進んで、死んで。

 地獄の悪鬼は理性を失い、痛みを感じず、脊髄を焼く飢えに苦しみながら哄笑する。そして遂に、二千メートルもの距離を踏破した。


 城壁まで、あと千メートル。

 いや、城からの砲撃が城壁の影に遮られてしまうことを考えると、正確にはそれより数十メートルほど少ないか。


 城壁に取り付かれたら、こちらも城からの砲撃ではなく城壁上からの防衛戦に移らなければならない。

 だが白兵戦は一方的な掃射とは違い、致死のリスクが大きくなる。命のストックが補充出来ない現状では、そこから先は本当の消耗戦だ。本物の不死身と疑似的な不死身による、一方的なリソースの破壊。


 「……ルーシェ、砲弾に魔力を入れてくれませんか。僕にはコレがあるので」


 フィリップはバリスタの傾きを調整し、遂に有効射程圏に入った悪魔に照準を合わせる。

 顎を上げて首輪を示したフィリップに、ルーシェは「畏まりました」と呆れ笑いで従う。フィリップの口元は、遂にバリスタの本気が見られることを喜んで、愉悦の形に歪んでいた。


 「どうぞ、旦那様。充填完了です! あ、絶対に落とさないでくださいね!」

 「えっ、手元から落としただけで爆発するんですか? き、気を付けます……」


 フィリップは僅かに声を震わせて、慎重な手つきで矢弾をセットする。

 手が滑って死んじゃいました、なんて死に様は流石に嫌だ。主にナイアーラトテップが大爆笑しそうだから。

 

 なんて怯えているが、バリスタで撃ち出すのだから耐衝撃性は相当なものだし、それなりの勢いで先端部分から落下しないと爆発はしない。ルーシェはちょっと揶揄ってみただけだった。


 「よいしょっと」


 タイミングを見計らってペダルを踏むと、ばん、とこれまで通りの作動音と共に砲弾が飛び出す。

 昨日持ってきてくれた望遠鏡を覗き、陽光を浴びてきらきらと輝く矢弾を追いかける。緩やかな放物線を描いて、10秒弱の滞空時間の後に悪魔の群れの中に消え──直後、赤黒い血飛沫が炸裂した。


 砲弾は熱を伴って爆発するのではなく、籠められた魔力をほぼ全て衝撃に変換していた。

 炎や閃光といった派手さは全くない、ただ周囲の物体を殴打する空気の振動。もう少し威力が弱ければ音響榴弾とでも表現できただろうが、内臓をぐちゃぐちゃに攪拌し、肉を千切り飛ばす威力は非殺傷目的では有り得ない。


 「うわ、思ったよりグロテスクだなぁ……」


 爆炎や煙といったカーテンがない分、悪魔の内容物が弾け出るところを望遠鏡の丸く拡大された視界の中で鮮明に見てしまう。

 グロテスクとは言ってもどす黒い赤とピンクと、たまに白が混ざる程度だ。色と光の原色からは作られない色が混ざっていたり、黒い光を放っていたりはしないが、それでも見ていて気持ちのいいものではなかった。


 ──とはいえ、見ていられないほどではないし、「あんな酷いことをしてしまった」と嘆き悲しむ精神性でもないので、ルーシェに次弾を要求するのだが。


 きこきこばんばんと、バリスタで遊ぶフィリップ。

 一発ごとに数十の悪魔が千切れ飛んでいるものの、全体で見れば小指の爪みたいな損傷率だ。それもすぐに復元され、馬鹿笑いしながら進軍を再開する。


 横殴りの赤い雨。

 断続的に飛ぶ錫色の衝撃殺傷インパルス榴弾HE


 血の大矢に貫かれ、その余波で吹き飛び、蘇る。

 不可視の衝撃に殴られ、内容物を弾けさせ、蘇る。


 痛みは病に蝕まれ、死は病に貪られ、ただ飢えによってのみ生の実感を得た悪魔の群れが、無意味な反抗を嗤いながら歩を進める。


 その不愉快な笑い声が、飽和していた聴覚に新たな刺激として鮮明に届いた。


 血の大矢が打ち出される衝撃音と、バリスタの反動音にはもう慣れた。


 超音速の魔術が空気を裂く音は、弾幕が濃密すぎてもはや分からない。


 断続的な雨音は、そういえば敵軍後衛の投石が砕かれ、降り注いでいる音なのだったか。


 「ギャハハハハ──!」

 「──うるさいな」


 彼我の距離は、未だ800メートル以上はあるはずだ。

 それなのに、笑い声が耳に障る。これはフィリップの心が抱いた不快感ではなく、身体が抱いた拒絶感だ。


 あれらは全て、フィリップを喰らうことを目的にしているもの。飢えた肉食獣とほぼ同義だ。食欲に満ちた視線がタレットの隙間を縫って、フィリップの骨肉を舐めるように思われた。


 ぷらぷらと手を振り、手を握ったり開いたりして反応を確認する。怖くないのに恐怖する身体、不随意な本能的反射が、どうにも鬱陶しい。

 自分の身体に不愉快そうな目を向けていたフィリップは、ややあって「ま、これも人間の証拠だよね」と和解した。自分の身体といがみ合ったって何も良いことは無いし、たまに硬くなる下半身のアレとか、たまに甲高く裏返る声なんかと同じ、仕方のないことだと受け容れよう。


 ──でないと、勢い余って人間の身体を捨ててしまう。


 「僕の何処が美味しそうに見えるのやら。ねぇルーシェ?」

 「え? あー……あははは」

 

 妙に歯切れの悪いルーシェに、フィリップは「そういえば吸血鬼も人間を食うんだった」と思い出した。

 

 「……そういえば、処女や童貞が好まれるのは、血液の純度が高いからなんですよね? じゃあ瀉血で血を綺麗にすればいいんじゃないですか?」

 「旦那様……もしかして結構な田舎のご出身ですか? 瀉血治療に病気を治したり、血を綺麗にしたりする効果は無いって、何年か前に結論付けられていましたよ?」

 「え、そうなんですか? ……あ、だからかぁ」


 瀉血とは、簡単に言うと血を抜く医療行為だ。一般的には万能とされ、発熱、腹痛、嘔吐、下痢、関節痛から目のかゆみにまで、腕を切って血を抜けば治るとされていた。

 フィリップも興味はあったのだが、田舎の医者が「最先端治療で知見が足りないから」という理由で導入しなかった瀉血は、王都でも見られなかったのだ。てっきり錬金術による製剤技術がより優れていて、血を抜くより効果的だからという理由だと思っていたのだが。


 「ルーシェ、意外と人間社会のことに詳しいですね?」

 「はい! 定期的に王都や帝都、教皇領などを視察していますので!」


 すごいでしょ、とばかり胸を張る吸血鬼メイド。王都衛士団や帝国の騎竜魔導士に吸血鬼だと露見せず情報収集できたのは、確かに凄い。

 とはいえ一応は人間サイドであるフィリップは、自分の生活圏に知らず知らずのうちに化け物が入り込んでいたと聞かされて頬をひくつかせているが。


 そんな取り留めのない雑談に興じながら、バリスタを撃ち続けること数時間。

 タレットの狭間から差し込む陽光がオレンジ色に染まり始め、西日で少し暑いと感じた頃だった。


 「──旦那様、至急、ご主人様の下へお戻りください」


 ルーシェの深刻そうな声色に、着弾確認に覗いていた望遠鏡から目を離す。

 最後に見た悪魔の軍勢は、城壁から200メートルほどにまで接近していた。


 「東側の弾幕が突破されました。敵先陣、城壁に対して雲梯と攻城塔を掛けようとしています」


 雲梯とは城壁を登るための、台車に乗った可動式はしごだ。攻城塔はそれを防御するためのやぐらで、頂上付近にはバリスタや弓兵を配置して、城壁からの攻撃を妨害する役割がある。


 どちらも、あの軍勢の全員が百回以上は確実に死ぬような弾幕の中、ここまで持って来られたとは思えない、かなり大がかりな代物だ。

 おそらく魔術による生成品だろう。つまり何度壊しても、魔力がある限り再生産されるということ。


 不死身の軍隊に、ほぼ無尽蔵の攻城兵器。断続的に飛来する敵軍後衛からの投石も、城壁上に展開するのならかなり邪魔だ。


 「……流石に厳しいですね」


 シルヴァが到着するまで、おそらくあと二日か三日といったところ。ルキアかステラのどちらかが居る前提で当てにしているが、このままではそもそも間に合わない。


 「事前の作戦に従い、我々は城壁上での攻防戦に入ります。これ以降、ご主人様は玉座の間でお待ちになられますので、旦那様はそちらへ」

 「待つ?」


 聞き返したフィリップに、ルーシェは重々しく頷いた。


 「はい。ことここに至らば、城主は玉座で、自らの首を刎ねる者を待ち続けるのが戦の作法ですから」





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