第251話

 「とにかく! いや、ともかく!」


 ディアボリカは少し大きな声を出して、話題を強引に引き戻す。


 「この戦争でいいトコ見せて、ミナの心をぐっと掴むのよ!」

 「……。……?」


 まさかこいつ、自分で付けた首輪のことも忘れるくらい頭がおかしくなったのか? 

 そんな内心の透ける、胡乱で不愉快そうなフィリップの一瞥に、ディアボリカは口元をしょんぼりと歪めた。


 「あ、あのね? 女の子はこういう一大事に、一緒に居て、一緒に悩んでくれる男が好きなのよ?」

 「……前から訊こうと思ってたんですけど、どうして僕をミナの花婿にしようなんて思ったんですか?」


 聞いても居ないことを語り出したディアボリカに「“女の子”を主語にして物を語るな」と何度目かになる突っ込みを入れるのも億劫になり、フィリップは自分の疑問を一方的に投げる。

 過去の大失敗から話題が逸らせるなら何でもよかったのか、ディアボリカは気を悪くした様子も無く、少し考え込む様子を見せた。


 どんな素っ頓狂な理由が飛んでくるのか、少し怖い。これで論理性がぐちゃぐちゃだったり、因果の壊れた理由を述べたら、その時は本格的に彼を狂人と認める必要がある。いや、今でもかなり疑ってはいるが、認知がより決定的なものになると言うべきか。


 「お前は頭がおかしいのか?」という疑問が、「お前は頭がおかしいな」という断定に変わる、といえば的確だろう。


 果たして、ディアボリカは。


 「うーん……色々あるけど、一番はやっぱり“匂い”ね。月の匂い、星の匂い、アタシたち夜の住人よりも濃密な夜闇の香り。アタシたちの心を擽り、血を滾らせ、骨を焼くような冷たくて甘い香り。それに惹かれない吸血鬼は居ないと思うわ」

 「え、なんか変態くさ……」


 すすす、と距離を取るフィリップに、ディアボリカは慌てて「待って、今のが一番って言うのはナシ!」と両手を振った。

 一番だろうが二番だろうが、匂い──外神の気配を理由にしている時点で、フィリップとしてはなるべくお近づきになりたくないのだが。


 「ほ、ホントの一番は、アナタが“人間”ってところよ!」


 苦し紛れなのか、本心なのか。心を読む術も、表情からの推察もできないフィリップには判らない。

 ──けれど、それが本心だったら、少し嬉しい理由だった。


 無言で先を促すフィリップに、ディアボリカは「ホントは何の話をしに来たんだったかしら……」と首を捻りながらも、素直に語る。


 「アタシも、元は人間なのよ。だから、ミナの結婚相手も人間がいいとは前々から思ってたの。でも流石に、人間にとっては恐怖の対象でしかない吸血鬼を、何の偏見も無く愛せる人間なんていないし……と、思ってたところで、アナタを見つけたのよ! このアタシを相手に平然と言葉を交わすだけじゃない、躊躇なく命を奪える精神性も、ヴィカリウス・システムに慈愛を向ける優しさも、アタシにとっては百点満点だったのよ」

 

 人間性──或いは、非人間性、と言うべきか。

 人食いの化け物を相手にしても怯えないどころか、その居城に拉致されてもなお取り乱さない精神性。


 魔術を封じられ、武器を奪われ、麻痺の魔眼と拘束の魔眼に囲まれている。人間にとっては猛獣の檻の中か、俎板の上にも等しい。戦うとか諦めるとか、そんな思考の挟まる余地もない、絶対の死地だ。


 その只中にあって、退屈さすら覚える認識の齟齬。価値観の歪み。

 それはディアボリカにとっては素晴らしく、そして同じものは二つと有り得ないであろう、輝かしいまでの美点に映った。


 だが、フィリップにとっては違う。


 確かにこれはフィリップ特有の個性かもしれないが、自分が望んでこうなったわけではないし、美点だとも思わない。

 顔がコンプレックスの人間に「君はブスだが、そこがいい」と言って、素直に褒められたと受け取る人間は半数以下だろう。フィリップも大多数に漏れず、欠点を褒められても褒められた気がしないタイプだった。


 「……そうですか。じゃあ、僕はミナのところに行くので」


 不愉快そうに片眉を上げたフィリップは、話は終わりだと片手を振って部屋を出る。

 少し期待していたぶん落胆も大きかったフィリップの顔には、「怒っています」と眉根の皺で明記されていた。


 ルーシェは何も言わずに少し後を追い、ディアボリカはその後にあわあわと続く。 


 「ま、待って待って。何しに行くの? 一応言っておくけど、「暇だから遊んでー」なんてのはナシよ?」

 「そこまで子供に見えますか。……まぁ、暇潰し目的なのは否定しませんけど」

 「暇潰し? ……あぁ、そういうコト。それなら止めないけど、馬鹿正直に言っちゃ駄目よ? こういう時はさっきも言った通り、「一緒にいたいから」とか、「二人で戦おう」とか、そういう言葉を女の子は求めて──あ、ちょっとぉ!?」


 フィリップはこれ以上ディアボリカの言葉に耳を貸すことなく、足早にミナのところへと向かう。

 全く本当に、ステラの言う通りだと内心で笑いながら。


 ──ああいう否定し辛い事実を突きつける行為は、何かしらの罪に問われるべきだ。



 監視塔の長い螺旋階段を昇り終えると、ミナは何人かのメイドと共に、退屈そうに荒野を眺めていた。

 声を掛けたフィリップをいつものように抱擁するが、撫でる手つきが心ここにあらずと言った様子で、まさか戦局が思わしくないのかと不安に駆られる。


 だが見る限り、前線の進み具合は想定の範囲内だ。

 城壁の出っ張りやタレットの屋根を指標代わりにした、大雑把な見方だが。


 「ミナ、不味い状況ですか?」

 「……えぇ」


 声に覇気がないのはいつものことだが、心なしか普段より更に落ち込んだように聞こえる。

 フィリップは思わず、肩に回された手を握るが──


 「──退屈過ぎるわ。あんなの、私が出れば1時間もかからずに掃討できるのに」

 

 ──色々なものが落っこちた。主に透かされた肩とか。


 いや、まぁ、言わんとしていることは分かる。

 ミナの魔剣『美徳』が持つ邪悪特攻能力がルキアの『粛清の光』と同質の即死なら、ミナ自身の戦闘能力も併せて、あんな軍勢は何の障害にもならない。


 ただ、ミナが出撃するのはメイドの矜持にも、戦争の作法にも抵触するらしい。総大将が城を出るのは逃げる時と処刑される時だけなのだとか。

 だからこうして、高い塔で面白味の欠片も無い殺戮の景色を眺めているのだが──そりゃあ暇だろう。フィリップにも分かる。


 ディアボリカは彼女のどこを見て「一緒に戦います」という言葉を求めていると思ったのだろうか。というかそもそも、彼女はペットが戦うことを許容しない、フィリップと同じ部類の飼い主だ。フィリップにミナと同等の戦闘能力があったとしても、ペットという立ち位置でいる限り、「ミナの為に戦う」という主張を呑むことはないだろう。


 「実は同じことを言いに来たんです。僕も部屋でただ待ってるのは暇で……なんか、玩具おもちゃとかありませんか? 弓矢とか……バリスタとか」

 「剣だけじゃなくて弓にも興味があるの? 好奇心が旺盛なのは良い事だけれど、人間の寿命や才能で多くに手を出すと大成しないわよ?」

 「前から触ってみたかったことは否定しませんけど、ホントにただの暇潰しですよ。的もたくさんあるし、ちょうどいいかなって」

 

 的とは言うまでもなく、十数万の悪魔だ。

 だが戦意はないし、ミナや城を守ろうという気概もない。


 「ホントはミナと遊びたいんですけど、邪魔はしたくないので。一人で遊べる遊び道具が欲しいなって思うんですけど……駄目ですか?」


 殊勝なのか舐めているのか判別しかねるフィリップの言葉を、ミナは適当に考えて、適当に肯定した。


 「バリスタならタレットにあったはずよ。……怪我をしないように気を付けて」

 「やった! ありがとうございます、ミナ!」


 ぱたぱたと駆け出したフィリップ。その後を、「畏まりました」とミナに向かって一礼したルーシェが続く。ミナの「怪我しないように」という言葉は、フィリップではなくルーシェに対する監督命令だった。


 流石に城壁のタレットは危ないということで、ミナのいる監視塔からほど近い、城の本棟に据えられたタレットに入る。

 中は居住区とは違って簡素な石造りのままで、窓は無く、代わりに魔術砲撃用の縦長の狭間と、バリスタを撃つための横長のスリットが空いている。壁際には横倒しにした大弓のような防衛兵器、バリスタが設置されており、近くには弾丸である専用の大矢が詰まった箱が幾つも詰まれていた。


 大矢はフィリップの腕よりなお太く、貫き手のように厚ぼったい鏃が付いていた。腕が一本、丸ごと飛んでいくようなものだ。当たればとんでもない威力なのだろうが、当たるかどうかがまず怪しい。ぼてっとしたフォルムは怖さよりひょうきんさを感じて、剣や槍や矢のような、一見して分かる「殺す機能」が見て取れない。

 そんな規格サイズの弾丸をハジくのは、フィリップの身長と同じくらい大きな弓だ。


 「こちらはハンドル式ですので、この取っ手を掴んで回すと引き絞れます。弓を引き絞ったら、ここに矢をセットしてください」 

 「……う、ぃ、お、重い……!」


 片手では回せない重さのハンドルをキリキリと回し、見るからに固そうな錬金金属の棒を、同じく錬金金属の弦でしならせる。

 ルーシェの説明に従って大矢をセット。すると意外にも、このずんぐりむっくりした砲弾は鋭利な殺意を纏って見えた。


 「ここが照星、ここが照門です。ここに立って、こことここを合わせるように見てください」

 「ふむふむ……」

 「概ね800メートルから1キロ程度が正照準ですので……今はまだ、狙った相手を撃てるような状況ではありませんね」

 

 可笑しそうに顔を綻ばせるルーシェに、フィリップはそうなのかと遠くに見える悪魔の群れを眺める。


 「一応、三十度くらい仰角を付けるとあの位置でも届くかもしれませんけど……狙えませんし、当たっても効くかどうか……」

 「あ、それは大丈夫です。あいつらを倒そうなんて思ってないので」


 フィリップは何の気負いもなく、言われた通りにバリスタを上向きに修正してから、足元にあったペダルを踏んだ。直感的に理解したとおり、それはクロスボウで言う引き金トリガー、ハンドルの力で引き絞られた弦を解放するリリースペダルだった。


 ばん! と爆発音にも思える音を立てて、金属の弦と弓が、溜めに溜めた力の全てを解き放つ。盛大に鳴ったのは弓の部分ではなく、その運動と威力を受け止めた土台部分。バリスタ全体が均等に負荷を受けて分散している。

 

 撃ち放たれた砲弾は、その形状からは想像もできないほど真っ直ぐに、空へ向かって落ちるように飛んでいく。

 手元では見えない速度だったが、あっという間に数百メートルを駆け抜けた後では、陽光を反射してよく見えた。


 大袈裟に仰角を付けただけあって、砲弾は緩やかな放物線を描いて、悪魔の軍勢のやや手前くらいで見えなくなる。多分、もうあと数度の仰角で届くだろう。

 砲弾は片手ではずっしり来る程度には重く、放物線状に落下しているとはいえ、最高到達高度は100メートルではまだまだ足りない。当たれば頭蓋骨くらい、簡単に粉砕する威力のはずだ。


 ……まぁ、そんなことはどうでもよくて。


 「おぉぉぉ! すっごいですね! 発射の反動でバリスタ本体まで震えてる! ははは、かっこいい!」


 フィリップはきこきことハンドルを回し、また弦を引き絞る。そしてまた、ちょっと強めに踏まないと動かないトリガーを踏みつけた。

 

 ばん。きこきこ。ばん。きこきこ。ばん。きこきこ。

 何度か繰り返しているうちに正しい角度を見つけ出して、砲弾は遂に悪魔の軍勢の中に消えていく。


 「お、届い……た! 多分!」

 「おめでとうございます! 届いていましたよ!」


 遮るものの無い荒野とはいえ、流石に遠すぎて当たったかどうかは分からない。腕ほどもある砲弾ですら、光の反射が無ければ見失ってしまう距離だ。


 しかし、それはあくまで人間の肉眼なら、という話。

 人間以上の肉体性能を持つ吸血鬼の目は、3キロ先で悪魔の頭部が弾け飛ぶさまを視認していた。


 どうやら観測手スポッターはいるらしいが、フィリップは敵軍を威圧する射手シューターとしてここにいるわけではない。スナイパーなら弾着確認も弾道計算もスポッターに任せてしまえばいいのだが、これはあくまで暇潰し。最優先目標は敵軍打破ではなく、享楽だ。


 これでは、あまり面白くない。

 だが流石に狙って撃てる距離に近付けろとは言えないし、と考えたフィリップは、ある道具の存在を思い出した。


 「望遠鏡とか無いですか?」


 望遠鏡。錬金術製の極めて薄いガラスを組み合わせて作るそれは、懐中時計ほどではないものの、珍しく高価な品として知られている。フィリップは未だに実物を見たことがないくらいだ。


 いくらミナの居城が豪勢なものとはいえ、肉体そのものが十分な基礎スペックを持つ吸血鬼がそんな余分なものを持っているのだろうか。

 自分で言っておいて「まぁ、無いか」くらいのつもりでいたフィリップだが、意外にもルーシェはぱちりと手を叩いてにっこりと笑った。


 「うーん……あっ、倉庫で見た覚えがあります! いまお持ちしますね!」


 ぱたぱたと慌ただしくも軽快にタレットを出て行く侍女長。元気溌剌といった振る舞いだが、所作の一つ一つは極めて洗練されていて、一等地の宿や貴族の邸宅でも重用されることは間違いない。流石はミナが一番最初に作ったという配下だ。


 「……ちゃんとした作法を教わるチャンス? いや、流石に戦争の邪魔はしちゃ駄目か……」


 そもそも所作の類は一朝一夕でどうにかなるものではないし、と誰にともなく言い訳して、フィリップはまたバリスタをぶっ放し始めた。




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