第248話

 盛大に啖呵を切ったマルバスは、本気だった。

 本気で、本気のミナと戦うことを優先して──本気で、フィリップを殺すことを優先した。待ち望んだミナとの立ち合いを先送りにして、城から撤退したのがその証拠だ。


 ミナはフィリップに私室から出ないよう言い含めて、状況把握のために城で一番高い監視塔へ行った。


 「……暇ですね」

 「……左様ですか。では、二度寝などされては如何でしょう。もう日も昇りましたが」


 ミナの寝室には、部屋付きのようなメイドが一人と、あとはフィリップだけだった。

 ような、というのは、当然、ただの部屋番、留守番が目的とは思えないからだ。


 「あんなのを見た後ですからね。流石に目が冴えて……というか、普通に起きる時間なので、目が覚めてるんですよね」


 へらりと笑うフィリップだが、その笑顔は固い。

 このメイドは十中八九、フィリップに対する監視役か、或いは処理役だ。


 ミナが最終的にどういう判断を下すかはともかく、彼女には二つの選択肢がある。


 一つはメイドを捨てること。

 フィリップ一人を守るために、百人のメイドで十数万──後衛も含めると四十万の軍勢と戦うことだ。だが相手は不死身で、こちらの魔力は有限。吸血鬼は血液を媒介に魔術を使えるが、それでも継戦能力は有限だ。しかも悪魔とは違い、吸血鬼には飢餓、或いは吸血衝動が存在する。飢餓状態では理性も含めた様々な能力が低下するため、戦闘にも支障を来す。


 つまり、何時間か、何日か、何週間かは不明だが、どこかで負けることが確定しているのがこちらのルート。


 もう一つは、フィリップを捨てることだ。

 マルバスの目的がミナとの戦闘からフィリップの排除に切り替わった──少なくとも外見上は──以上、「誰が」殺すかは然したる問題ではない。


 マルバスは「病と治癒」を司る悪魔だ。フィリップを殺すために撒いた「不死」と「狂乱」、そして「食人」の病も、目的を達成すれば癒すだろう。


 そうなれば、あとは作業だ。

 監視塔からの槍の掃射を以てすれば、四十万の軍勢でも一時間以下で片が付く。


 ──100の犠牲か、1の犠牲か。

 そんな単純な話なら、1の犠牲を許容する人間は少なからず居るだろう。


 問題はここからだ。


 一年以内に死ぬ老人100人と、生まれたばかりの赤子1人なら、優先すべきはどちらか。この手の条件が付いてくると、意見が割れ始める。

 100人の見知らぬ他人と、1人の友人なら? 100人の友人と、1人の恋人なら? この手の「命の価値」が数ではなく質で決まる質問の答えは、回答者の価値基準次第で大きく変わる。


 では──100人の配下と、1匹の愛玩動物ペットなら?


 戦力合理的に考えるなら、優先すべきは100人の配下だ。

 年月心情から言っても、100人の配下が優先されるはずだ。


 部屋に帰ってきたミナにいきなり殺される可能性もあるし、最悪、顔も見ずに、このメイドに命令を下してハイおしまいなんて可能性もある。


 「……やだなぁ、それは」


 ミナのことは、それなりに好きだ。できるなら守りたい。

 ルキアや衛士たちのように、フィリップ自身の人間性のために守りたいのではなく、ただ単純に、特別な理由もない感情的な理由で。、死んでほしくない。


 ごく自然に「自分を殺す=相手が死ぬ」という狂った因果を想定している異常性にも気付かず、フィリップは独り言ちる。


 「この辺全部吹っ飛んだら、僕は助けが来るまでどうやって過ごせばいいんだ……? いやそもそも、誰か助けに来てくれるのか……?」


 ミナ相手に戦って勝てる気はしない。それも全く。

 ルキアやステラを仮想敵としても「一発撃たれたら負け」くらいの話なのに、ミナは「見られたら負け」だ。しかも同等のスペックを持つ吸血鬼がもう一人いるし、何ならそいつはフィリップの脅威度をある程度理解している。


 「……おっ?」

 「──どうかされましたか?」

 「あっ、いえ……なんでもないです」

 

 思わず口を突いてしまった意外そうな声に、メイドは当然のように反応する。

 ヘタクソな誤魔化し笑いを浮かべたフィリップは、これまた不自然な動きで窓際に寄った。


 ──シルヴァの位置が、かなり移動している。


 具体的に何キロとまでは分からないが、確実に王都よりこちら側に近付いている。まだまだ遠いが、遠すぎて分からなかった初日とはかなり違う。こちらに来ている──フィリップの方に、確かに近付いている。

 

 「……はは」


 フィリップの体感という頼りない推測だが、道程はもうそろそろ半分といったところ。フィリップが拉致されてから四日。初日に王都を出てこの位置なら、とんでもない速度だ。馬に乗っているのだろうが、普通の馬車の比ではない。

 シルヴァは死なないし、森の中を自由自在に走り回れるほど健脚だ。だから「一人で走って来ている」という可能性を排除できないのが少し怖いが──それも極小の可能性だ。


 ルキアがいるはずだ。ステラがいるはずだ。もしかしたら衛士団にまで話が通っているかもしれない。


 「……うん。初めから諦めてちゃ、流石にカッコ悪いよね」


 彼らが着いたときに、抗いもせずに諦めて、全てを投げ出していたら──僕はきっと、恥ずかしくて顔も見られない。そんなのは嫌だ。


 フィリップはそう思い直して、自分の頬をぺちぺちと叩く。

 もしもミナが敵対したとしても、諦めず、最後まで抗って見せよう。その結果、負けることが確定していたとしても──なに、相手は吸血鬼だ。フィリップが負けたからと言って、星が吹き飛んだり、宇宙が崩壊したりはしない。


 ゆったり、のんびり、やれるだけのことをやればいい。最悪、あと四日か五日逃げ回ればいいのだから、気楽に行こう。


 最優先事項は勿論、対抗手段の確保。つまり、魔力制限の首環を外すことだ。


 「うーん……」


 相変わらず爪も立たない高級品っぷりだが、きちんとした刃物であれば通りそうな気がする。

 或いは、細いワイヤーのようなもので削り切るか。ウルミでもできなくは無いだろうが、高確率で首が削げるので最終手段だ。そもそもウルミは初日に没収されて、今は武器庫に保管されているらしい。


 フィリップはちらりとドアの側に控える吸血鬼メイドを見遣る。


 彼女の身体能力なら首輪を引き千切ることも可能だろうが、「これを千切ってくれませんか?」なんて馬鹿正直に言って従うはずもない。

 攻撃を誘発して、どうにか首輪に当てる──これなら断られることはないだろう。そんな技量を持っていないという点が、実行に係る大きな障害だが。


 「…………」


 インテリアとして飾られている装飾の見事な長剣は……駄目だ。持ち上げた瞬間にメイドが止めに来るだろうし、最悪その場で殺される。

 寝室には書き物机の一つもないし、小刀どころかペーパーナイフもない。魔力強化も無しに、自前の筋力と爪の鋭さだけで骨を断つような種族だけあって、道具への依存度が低いらしい。


 フィリップがションボリしていると、寝室のドアが徐に開いた。

 この部屋の扉をノック無しで開けるのは、この城の中でも一人しかいない。部屋の主であり、この城の主であるミナだ。


 ──時間切れか。


 僅かな諦め交じりに見ると、ルーシェを伴って帰ってきたミナと目が合った。


 「……」

 「……どうしたの?」


 相変わらずの愛玩に満ちた視線が向けられるが、フィリップは彼女の一挙手一投足を見逃さないように警戒していた。


 ミナは抜剣していないし、そもそも戦意を持っていないように見える。

 だが、吸血鬼にとって人間は餌だ。ミナにとって、フィリップは戦意を持って対峙すべき敵ではない。このまま何の感情も無く、腕の一振りで殺しに来ても不思議はない。


 「……方針は決まりましたか、ミナ?」


 壁に飾られたロングソードの方へ、なるべく不自然に見えないよう、散歩するような歩調で向かう。


 「方針?」

 「えぇ。方針です」


 全く無警戒のミナは、フィリップの不審な動きをただ見ていた。

 フィリップはこれ幸いと剣を取り上げると、ゴテゴテと装飾の付いた鞘から、美しく磨き上げられた白銀の刀身を抜き放つ。


 しゃりん、と澄んだ鞘走りの音にも、フィリップが武器を手にしたことにも、部屋の中にいる三人の吸血鬼は誰一人として反応しなかった。


 舐められているわけではない。それが正常なのだ。

 フィリップ人間が剣を手にしたところで、小型犬が棒切れを咥えたくらいのもの。警戒させるどころか、愛玩の念を少し強める始末だ。


 フィリップはまだ構えない。

 ミナ相手に、吸血鬼相手に、剣を構えた程度で威圧にはならないし、何より──ミナに剣を向けるのは、少し気が咎める。


 「僕を殺して配下を守るか、僕を殺さずに配下を死地に立たせるか。決まりましたか?」


 だが、その逡巡も断ち切らなくてはならない。

 ミナがフィリップを殺すと言ったら、その時には。


 フィリップは知らず、口の中に湧いた粘度の高い唾液を苦労して呑み込む。それで漸く、柄にもなく緊張していると自覚した。


 「キミを殺す? ……あぁ、そういうこと」


 フィリップの質問の意味を理解したミナは、口元を隠してくすくすと笑う。

 上品な仕草なのに、柔らかに細められた目元からは下等種への冷笑と愛玩が透けている。それを見て、フィリップの剣を握る右手に力が籠った。


 ──心地よい、なんて、思っている場合ではない。


 「剣を置いてください、旦那様」


 普段の溌剌とした様子の失せた困り顔で、ルーシェが乞う。

 彼女とて吸血鬼のはずだが、そこに下等種への軽視や上位種としての命令の気配はなく、むしろフィリップへの一定の尊重が見て取れた。


 「ご主人様に敵対なさるおつもりですか?」

 「ははは、まさか。なんて、有り得ませんよ」


 明朗に笑ったフィリップの言葉に嘘はない。


 人間は吸血鬼の敵足り得ない──フィリップは、ミナの敵には成り得ない。

 

 ミナがフィリップを殺そうとするのなら、フィリップも抵抗する。何秒保つかは分からないが、出来る限りの抵抗をする。これはただ、それだけの話だ。


 「……こうして話している間にも、メイドたちの魔力は刻々と減っている。なのに相手は不死身で、マルバスは僕が死ぬまで進軍を続ける。……ミナ、僕を殺しますか?」


 フィリップはゆっくりと剣を上げ、その刃を自分の首筋に添える。

 傍目には、吸血鬼と人間の戦力差を知っていて、戦っても無駄だと知っているから、諦めて自決しようとしているようにも見える。

 

 だが、違う。

 フィリップは最後の最後まで抵抗すると決めたのだ。


 狙いは頸動脈ではなく、魔力制限の首環。

 多少の怪我は覚悟してでも、反撃の刃を手に入れる。でなければ、全力で抵抗したと胸を張ることもできない。


 首輪に添えた刃に力を籠め──直後、心臓が止まった。


 ──身体が動かない。

 心臓も、横隔膜も、血流も、細胞の呼吸さえ完全に停止している。血の色に輝くミナの左目、拘束の魔眼の効果だ。


 「……、……。……」


 ミナが何事か言って、こちらに歩いてくる。

 焦点の固定された視界の中、ミナの姿がぼやける。無造作なのに優雅な歩き姿は、輪郭がはっきりしていなくても美しかった。


 鼓膜の振動が停止した無音の世界の中、ミナは悠然と部屋を横切り、フィリップの前に立つ。


 フィリップの切り札を警戒していたディアボリカなら、まだ何とかなるかもしれない。

 だがミナは──人間を、フィリップを、正しく軽視しているミナは、何の躊躇も無く心臓を抉り首を刎ねるだろう。


 ミナの手がゆっくりと、フィリップの頸に伸びた。






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