第245話

 「……で、話を戻すわよ、フィリップ君」

 「クソ、有耶無耶に出来なかったか……」


 地下牢を出るや否や、牽制打を放ったディアボリカ。フィリップはうんざりしたように天井を仰いだ。

 

 フィリップがミナに謝りに行こうとしたら、ふらりと現れたディアボリカにお説教を喰らったのだ。その途中で例の冒険者に襲撃され、色々あって今に至る。


 「さっきも言ったけど、アナタ、ミナに戦わせて自分は後ろで見てたんですって? それがまず減点よ。オトコノコなんだから、ちゃんと女性を守らなくちゃ駄目!」

 「さっきも聞きました」


 戦わせたというか、戦っているところを見せて貰うのが主目的だったのだが、たぶん論点はそこではないのだろう。

 

 フィリップは辟易とした表情を苦労して制御して頷く。

 さっきは「僕よりミナの方が何倍も強いのにですか?」と返したのだが、


 「女の子に向かって“強い”とか“カッコいい”は禁止! 女はいつだって、“綺麗”と“可愛い”を求めてるんだから! ……あ、でも、軽率で安っぽいのは駄目よ? ちゃんと心の底からの言葉じゃないと、すぐ分かるんだから。分かった?」


 と、追加で怒られたので、もう何も言わない。


 「……で、さっきも言いましたけど、ミナを怒らせちゃったので、相談に乗ってくれませんか?」

 

 さっきは火に油を注ぐことになった台詞を繰り返されて、むしろ気が削がれたディアボリカは、溜息と共に「で、何をしたの?」とアドバイスする姿勢を見せてくれた。

 ちょうどこれを言った辺りで、何処からともなく現れた斥候職らしき冒険者に襲われたのだったか。いくら奇襲とはいえ、ディアボリカの視界に入った時点で負けが確定していた。


 フィリップが事情を説明すると、ディアボリカは顎に手を遣って首を傾げる。

 状況が分からない──というわけではない。ただ、ディアボリカから見たミナは、そんな些細なことで怒るほど狭量でもなければ、血気盛んな性格でもなかった。

 

 「それは怒ってるんじゃないと思うけど……あ、でも、すぐに後を追わなかったのは減点! そういうときは「これは時間を置いた方が落ち着いて話せるな」っていう冷静さが、女の子には冷たく見えるのよ?」

 「その女性代表みたいな物言いはホントに止めて欲しいんですけど。シンプルに鬱陶しいです」

 「それも駄目に決まってるでしょ!? 女性を女性扱いしないなんて論外よ!!」

 「うる──あぁぁぁっ!」


 うるせぇ殺すぞ! とでも怒鳴れたらストレスの発散になったのだろうが、残念。年上相手に本気で中指を突き立てられるほど、フィリップの育ちは悪くなかった。直前で「下品だし良くないよね」なんて思ってしまう辺り、幼少期からのしつけというモノは、中々に強く根付いている。


 そしてそれを「知ったことか」と無視するには、フィリップは賢し過ぎた。


 くどくどうだうだと、十分ほどの有難いお説教を終えたディアボリカは、フィリップをくるりと180度回転させて、背中を押す。


 「──とにかく、まずはミナに謝りに行きなさい。……いえ、多分怒ってはいないと思うから、ちゃんと話をするの。いいわね?」

 「……はい」


 元々そのつもりだったのにお前が引き留めたんだよクソったれ、とは言わず、フィリップは素直に頷いた。


 ミナの部屋に行くと、扉の前に一人のメイドが立っていた。

 一応の礼儀として入っていいかと訊ねると、ミナは書庫に居ると言われてそちらに向かう。


 案内された書庫は、その名に相応しい出で立ちだった。


 木製の大きな本棚が整然と並び、その一つ一つに分厚い本が所狭しと詰め込まれている。

 部屋自体はそう広くないが、学院の図書館に並んでいるような基礎の魔導書や参考書、娯楽書の類が全く無い分、『純度』はこちらの方が上だろう。勿論、学院の禁書庫を含めると、その評価も覆るが。


 本棚の合間を縫って歩くと、すぐにミナを見つけた。

 並ぶ本の背表紙に艶めかしい指を這わせ、愁いを帯びた表情で本棚の間を進む彼女は、傍目にも怒りを湛えている様子は無い。おっかなびっくり近付いていくフィリップに気付くと、不思議そうにしながらもにこりと柔らかに微笑むほどだ。

 

 「本を探しているの? そんなの、メイドにやらせればいいのよ?」

 「……ミナだってそうでしょう? 何をお探しで?」


 冗談めかして使用人風に言うと、ミナはくすりと笑ってフィリップを手招き、背中側から抱きすくめた。背中に大きな反発力を感じるが、そのクッションは柔らかに潰れて受け容れてくれて、正面から埋もれた時とは別種の心地好さがある。はらりと揺れて頬を擽る黒髪が、ミナの酔いそうになる匂いを鼻先に届けた。

 ミナはそれから何をするわけでもなく、ただフィリップの首筋に顔を寄せて、そのまま会話を続ける。


 「まずはペットについて。それから、私たち吸血鬼について書かれた本を探していたのだけれど──見当たらないわ。きみに、私達のことを手っ取り早く説明できればと思ったのだけれど」

 「……怒ってないですか?」

 「怒る? どうして? 何か悪いことをしたの?」


 フィリップの頭や胸を撫でる手つきにも、穏やかを通り越してダウナーな声にも、冗談や怒りの気配は感じられない。本当にディアボリカの言う通り、怒っていないらしい。


 「いえ、さっき失礼なことを言っちゃったみたいで……。斬撃を飛ばせるかっていうの、ミナにとっては不愉快な質問だったんですよね? ごめんなさい」

 「あぁ、それのこと。不快……というのは少し違うわ。きみの無知に呆れはしたけれど、元より人間とは無知なものだもの。呆れはしたけれど、怒りも、失望もしないわ。教える手間を疎む気持ちはあるけれど……」


 ミナはフィリップの首筋に顔を埋め、深々と呼吸を繰り返す。

 フィリップを抱き締める片腕に籠る力が増して、背中に当たる柔らかな膨らみの存在感が大きくなった。

 

 「可愛いペットのためだもの。メイド任せというのも、愛が足りないものね」


 その後フィリップとミナは吸血鬼に関する基礎的な書物を探したが、結局見つからず、ミナが直々に教えてくれることになった。


 


 ◇




 “千城城”滞在二日目夕刻。

 フィリップ・カーター誘拐から約36時間──王都から約240キロ地点。


 フィリップ・カーター救助隊の六名は、出発以来二度目の大休止を取っていた。

 人数の内訳は、救助隊がルキアとその従者二人、ステラとその親衛騎士二人の六名。プラス、案内役の謎の使い魔シルヴァ


 鎧騎士が二人いるとはいえ、傍目には少女二人とメイドが二人、あとは子供だ。しかも全員が顔・身体共に極上ときていれば、不埒な輩が近寄ってくるのも無理はない。やや大ぶりな幌付きのキャラバン型馬車に荷物──殆ど医療物資と食料なのだが──を満載しているとなれば、尚更だ。


 だが相手が悪かった。

 ここに居たのがルキアだけなら適当に魔術をぶっ放して先を急いでいたかもしれないが、馬・人間共に限界が近いことを正確に理解できる人材がいて、しかも指揮官は合理性の塊だ。


 ベースキャンプ付き補給物資とうぞくが自分からフラフラ近寄ってきたのだから、見逃すはずがない。


 二名焼死、三名斬撃による失血死、二名断頭死、不定数粛清死塩の柱


 中には「銀髪赤眼の女魔術師」に正しく怯える者もいたが、視覚頼りで脅威判定を下している時点で遅い。ルキアの射程は視界。必中を念頭に置かないのなら、『明けの明星』は重力を振り切って宇宙空間にまで届くのだ。その姿を視認した時点で、死神は隣に立っている。


 ほんの数秒で野党団を全滅させた一行は、その拠点らしき森の一角に腰を落ち着けていた。

 

 「それなりの規模で助かったな。水、食料、設営済みの焚火とベースキャンプまで譲って貰えた」


 正確には案内してもらっただけだが。

 斥候役を半殺しにして案内させて、拠点に居た全員を殺して奪ったわけなので、旅人や商人から金品を巻き上げて、場合によっては殺すこともある程度の野盗よりよほど残虐だった。


 しかも水も食料も、自分たちで持ってきたものを使っている。実質的には焚火しか利用していない。

 

 「……野盗の寝床を使うの? 私だけ馬車で寝ていいかしら?」

 「寝袋だけ出せばいいだろう? 焚火の近くの方が温かいし、虫除けにもなるぞ?」

 

 木蔭に隠すように置かれていた宝箱を検めながら適当に言うステラだが、言葉の内容は相変わらず正しい。確かに馬車の中で寝るよりは、寝具を出して焚火の側で寝た方がいいだろう。


 メイドに命じて用意させるルキアの隣で、ステラはずっと宝箱の中身をゴソゴソやっていた。

 盗賊を皆殺しにして盗品を漁るのは王女どころか、そこらの冒険者よりアウトローだし、王宮暮らしと最高の教育で培われた審美眼は盗品の目利きなんぞに使われるべきではない。


 「ふむ、碌なものがないな。見ろルキフェリア、この「僕は宝石です」と言いたげな顔をしたガラス玉を。「私は黄金です」と言いたげな顔の黄鉄を」


 大ぶりな宝石のあしらわれた金のネックレス──という体で作られた粗悪品を指に引っ掛けて弄びながら、可笑しそうに口元を吊り上げるステラ。


 愉し気な彼女とは裏腹に、ルキアは真剣な、悲壮感すら漂う顔で焚火を見つめていた。冗談にも無言が返され、ステラはつまらなそうにネックレスを宝箱に投げ入れた。


 ルキアは炎と月の明かりで地図を睨みながら、王都から今まで走ってきた道筋を指で辿り、深々と嘆息する。


 大まかに記された吸血鬼の居城まで、進捗はおよそ五分の一。休息時間を極限まで削って、まだ、たったそれだけ。


 フィリップの状況は全く不明だが、吸血鬼の花婿になっている程度なら、まだいい。

 吸血鬼は邪悪に属するもの、神罰請願・代理執行権の対象だ。魔術一発で殺せる相手からフィリップを奪還するくらい、造作もない。

 

 だが吸血され、吸血鬼になっていたら最悪だ。

 ルキアもステラもフィリップが人外になったくらいで接し方を変えたりしないと自負しているが、フィリップの側はそうではない。彼の人間性は、人間の身体あってのもの。自分が人間であるという自認あってのものだ。それが失われてしまえば、フィリップの在り方は大きく損なわれる。


 それは嫌だ、とルキアは身震いする。

 もしもフィリップが人類の敵になっていたら──ルキアはどうするだろうか。


 フィリップの側に付く? いや、ルキアはそれでいいかもしれないが、吸血鬼にとって人間は食料だ。協力者や仲間どころか、その日のおやつになるのが精々だろう。

 なら、フィリップと敵対する? ありえない。フィリップ単体ならともかく、彼を守護する邪神と戦っても勝ち目はないし、シュブ=ニグラス神に弓を引くような行為は信仰上の理由からも許容できない。何より、単純に嫌だ。


 一秒休憩するごとに、フィリップの救助が一秒遅れる。

 もし人外化していたら、価値観の変異が一秒進む。


 そう考えるだけで、居ても立っても居られないのに──今日はこれ以上進めない。そのもどかしさが、苛立ちを募らせる。


 「……不機嫌だな。とはいえ寝不足は私もだし、今日はそろそろ──」

 「今日は──いえ、なんでもないわ。おやすみなさい、ステラ」

 「……あぁ。明日は日の出の後に出発だ。眠れないようなら魔術を使ってでも寝るんだぞ」

 

 今日はもっと進めたはず。

 そう言い募ろうとしたルキアだが、やめた。寝具の用意を終えたメイドを一言労って、モゾモゾと寝袋に潜り込む。


 本職の軍人が「無理」だと言って、この救助隊の指揮官であるステラが「休む」と命じた以上、指揮権も無ければ知見も持たないルキアが言い募るのは不細工だ。


 睡眠が不足すれば悲観的な考えばかり浮かぶようになるし、集中力や並列思考力──魔術師の戦闘力に直結する能力も低下する。あの森に居た吸血鬼相手だとしたら、万全の状態で対峙したい。


 そんな理由を並べて、心中の恐怖から目を背ける自分を直視しないように、目を閉じた。





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