第244話

 死体を片付けるようメイドに言いつけたミナは、階段に座ったままだったフィリップの横に座ると、フィリップをひょいと膝に乗せた。

 汗一つかいていないのは、吸血鬼の特性なのか、或いは汗をかくほどの運動ではなかったのか。いつも通りの、落ち着くようでもあり、動悸が激しくなるようでもあるミナの匂いと柔らかさに包まれる。


 「楽しめたかしら?」

 「……勿論です。さっきの魔剣の力は防御貫通……いえ、防御無視ですか?」


 フィリップの問いに、ミナは薄く笑みを浮かべると、フィリップの髪を梳くように頭を撫でた。


 「そう、正解よ。魔剣『美徳』──邪悪なるものの首を狙った攻撃は、如何なる防御も許さず、その頭を落とす。他にも色々と機能はあるし、便利な武器でしょう?」

 「便利……まぁ、そうですね」


 ぼんやりと同調するフィリップだが、「便利」の一言で片づけて良い性能ではない。


 相手の攻撃に対して取れる手段は、防ぐ、避ける、カウンターの三種類。フィリップの『拍奪』はこれらのタイミングを狂わせるから強いのだが、それでも盾や鎧や魔力障壁といった、タイミングも何もなくガチガチに固めただけの防御には意味がない。


 対して、魔剣『美徳』は“防ぐ”という選択肢を取った時点で詰む。

 そしてミナの速さなら、回避もカウンターも間に合わないだろう。亀のように防御を固めて硬くなるしかないのに、盾も鎧もすり抜けて攻撃されるのだ。


 強いと言うか、悪辣だ。これでは対処のしようがない。


 少し考えてそこに思い至ったフィリップは、続けて彼女の発言にある矛盾点にも気付く。

 “邪悪なるものを攻撃した場合のみ”防御無効。……ということは、あの冒険者は、実は邪悪なナニカだったのか? 人間に化けた魔物とか、或いはいつぞや遭遇したような人型の悪魔とか。

 

 メイドたちが掃除している血痕を一瞥して首を傾げたフィリップ。その内心を、ミナは完璧に見抜いていた。


 「それは魔剣『悪徳』の性能ね。攻撃対象の聖性を奪う、ただそれだけの剣だけど……それ以上に、頑丈で鋭いところが気に入ってるわ」

 「へぇ……。あー……だから執拗に斬り付けてたんですか。生かさず殺さず……いや、十分に邪悪寄りになるまで生かすために」


 戦術以上に悪辣な所業だが、フィリップを楽しませるための行為だし、何よりフィリップ自身がそれを楽しんでいたのでノーコメントとする。


 「魔剣って言うから、もっと派手なものだと思ってました。斬撃が飛んだりとか、ビームが出たりとか」

 「ふふっ。ビームはともかく、斬撃を飛ばすのに魔剣なんて要らないでしょう?」


 ミナは可笑しそうにくすくすと笑う。

 フィリップもつられて笑いかけて、すっと真顔になった。


 「え? できるんですか? 斬撃、飛ばせるんですか? どうやって?」


 驚愕と、懐疑と、僅かに期待も滲ませて問う。

 斬撃──剣による攻撃とは、要は鋭利に成形された金属によって圧力を集中して破壊しているわけだ。その圧力は当然ながら刃部に生じ、そこから離れることはない。


 斬撃が飛ぶなんて、物理的に有り得ないのだ。

 剣を振った勢いで圧縮空気の刃を作るとか、音速を大幅に超える速度を出して衝撃波を飛ばすとか、手からすっぽ抜けた剣が相手に直撃するとか、そういう理屈なら理解できるが。


 或いは──


 「あ、もしかして、そういう魔術があるんですか?」


 それなら納得がいく、と推理するフィリップだが、ミナは不愉快そうに眉根を寄せた。


 「きみは……はぁ」


 ミナは大きく嘆息すると、不機嫌そうに立ち上がって、階段を上って行ってしまった。

 残されたフィリップは暫し呆然として、困り顔のルーシェと顔を見合わせる。


 「……え? なんかおかしなこと言いましたか、僕? な、なにか失礼なことをしちゃったんでしょうか」 

 「うーん……メイドの立場からはお答えし辛いのですが……今のはご主人様の早合点ですね。あ、で、でも大丈夫です! 私がご主人様にご説明しますから!」

 

 フィリップを安心させるように明るく笑いかけたルーシェは、ミナの後を追ってぱたぱたと──そんな擬音が似合う走り方なのに、足音が殆どしないのは流石の一言に尽きる──走り去ってしまった。

 むしろ僕の方に説明をくれ、と伸ばした手は虚しく空を切り、がっくりと肩を落とす。


 その肩を、メイドの一人が慰めるようにポンポンと叩いた。


 「話は聞かせて貰ったぜ、ペットちゃん。さっきのはオメーが悪いんだが……ま、人間の基準じゃ無理もない話だから、メイド長のゴセツメーとやらを待ってりゃいいんだよ」

 「……僕の何処が悪かったんでしょうか」

 「ん? そりゃオメー、「斬撃を飛ばせるか」なんて、ご主人様にしてみりゃ「オイ、ちょっとジャンプしてみろよ」みたいな質問だかんな」


 ……そんなカツアゲみたいな質問だったのか、と愕然とするフィリップだが、メイド自身も「ちょっとニュアンス違ったな?」と首を傾げていた。


 「……や、文字通りの意味な? ご主人様にとって斬撃を飛ばすことなんて、そのぐらいのコトなんだよ。「ジャンプ出来るか」とか「走れるか」とか、そういう当たり前の、質問の意図が読めねー類の、馬鹿にされてると感じるような質問なんだよ」

 「…………」

 「……いや、疑いすぎじゃね? 目だけで疑いの強さが分かるって相当よ?」


 じっとりと深い疑いの透ける目を向けるフィリップの顔をもちもちと弄ぶメイド。その手をぺちりと払い除けたのは、フィリップではなく片割れのメイドだった。今の今まで一人で死体を処理していた彼女は、心なしか蟀谷に青筋を立てている。


 フィリップの怒られセンサーに大きな反応がある。

 これは自分ではなく他人が怒られる時のやつ……具体的には、モニカのサボりが女将にバレた時と同等の反応だ。早めに退散しないと、とばっちりを喰らう可能性が高い。


 「掃除を手伝わずにペットと遊んでいるとはいい御身分ですね? 御手隙でしたら、あれを食糧庫まで運んでいただけますか? あぁ、ついでに食糧庫内の清掃もお願いします」

 「……ウス」

 「それから君も──、おや、逃げ足の速いことで」

 



 ◇




 イングリットにかけられた拘束の魔眼の効果は、城の地下にある食糧庫──或いは地下牢──の一室に放り込まれた数分後に解けた。

 ぺたぺたと自分の身体をまさぐり、隠し武器や脱出用のワイヤーソウの類が取り上げられていることと、魔力制限の首環が付けられていることを確認する。それから漸く、現状の把握を開始した。

 

 イングリットが収容されたのは、一般的な石造りの独房だ。

 鉄格子の嵌った前面以外の全てが石のタイルで舗装されており、中にはトイレ用の穴と、地下水が出てくる水道とシャワー、毛布が二枚だけ。灯りは独房の外、廊下の天井に吊られたランタンだけだ。


 目のピントを合わせる毛様体筋まで固定され視覚も十全では無かったものの、大まかにルートは把握している。三半規管が動かなかったせいで前後感覚も曖昧だったが、城の玄関までは戻れるはず。


 「──悪くない状況よ。落ち着け、私」


 防具代わりのローブを奪われ、肌着姿で狭い独房の中を歩き回って考える。


 状況は、そう悲観するほど最悪ではない。

 どの道、この食糧庫までは来なくてはならなかったのだ。妹が居るとしたら、必ずここだ。


 目に見える範囲だと、向かいの独房と、その両隣。全てにイングリットより若い少年少女が収容されているが、皆知らない顔だ。

 本来は頼りがいのある年上の姿を認めた彼らは、それぞれ色味の違う双眸に一瞬だけ期待感を滲ませる。しかし、すぐに諦めに濁った。


 「……貴女、ここに来てどのくらい?」


 手始めに正面にいた少女に話しかけるが、返事は無い。

 妹を探さなくてはならない、そして一刻も早く脱出しなくてはならないという焦りから声を荒げようとしたイングリットは、直前で怒声を呑み込む。


 しかし王国人にありふれた青い瞳には、依然として大きな怒りの揺らぎがあった。

 その宛先は同じ境遇の子供ではなく、その首に付けられた金属製の首環──緘口の首環だ。魔力制限の首環が一定値以上の魔力発散を禁じるように、これは一定音量以上の発声を禁じるものだ。


 だが、声が出せないだけなら、まだ意思疎通はできる。


 「イエスなら頷いて、ノーなら首を振って。分からない時は首を傾げて。いい?」


 そう言われた少女は、諦めに濁った目のままこくりと頷いた。

 従っても従わなくても、あらゆる全てがどうでもいいから、気紛れに従うことにしたのだろう。


 「ここにコルネリアって女の子はいる? 私と同じ色の金髪で、目も同じ青色。歳は、貴女と同じくらい」


 少女は首を傾げる。

 分かっていたことだ。この地下牢は造りからして、向いとはす向かいの三つの部屋しか見えないようになっている。声を出して会話することもできないのなら、囚人間での情報の遣り取りは、簡単な名前の交換でさえ為されない。


 「……4日くらい前に、ここに連れて来られた子がいなかった?」


 今度は頷きが返される。

 だが──それが妹だと決めつけるのは早計だと、イングリットは正確に理解していた。


 高い知性を持つ高位の吸血鬼は、人間を一度で吸い殺すことはない。

 グラス一杯分、多くてもボトル一本に満たない量を吸い上げて飢えを満たしたあと、血液が回復するまで放置する。要は人間そのものを餌にするのではなく、人間を餌の生産場にしているということだ。


 この手の吸血鬼は、良質な血の人間をペットとして飼育して、気が向いた時に吸血する携帯食料のような扱いをすることもあるという。


 だが“牧場主”曰く、この城の人間の消費速度は異常だ。

 この100年で10万人以上の人間を消費している。平均して一日に三人──一般的な吸血鬼が一月に一人くらいの消費間隔であることを考えると、その異常性が際立つ。


 何より恐ろしいのは、吸血鬼は喰らった人間の数だけその命を増すことだ。この城の吸血鬼が持つ命の総数は、10万を超えていることになる。


 ──いや、戦って勝てないことは端から織り込み済みだ。今更怯えることは無い。敗北して捕虜になることも、頼りになるリーダーが想定していてくれた。


 「……大丈夫。そのうち私の仲間が助けに来てくれるわ。その時は貴女たちも一緒に脱出しましょう」

 「……」


 イングリットの言葉は、本来なら彼らに歓喜を齎す内容のはずだ。

 しかし、少女は慌てたように首を横に振り、強い否定の意を示す。どうしてと考えて、イングリットは遅ればせながら自分の失策を悟った。


 少女がちらりと視線を投げた方から、小さな靴音が聞こえたからだ。石の床でも最小の音しか立てない足運びで近付いて来たのは、さっき戦ったのとは別のメイドだった。この食糧庫の番人──或いは看守のような役目を持っているのだろう。


 彼女は無言でイングリットの独房を覗き込むと、口の前で人差し指を立てた。

 万国共通、そしておそらく人間と吸血鬼の間でも共通している「静かに」というジェスチャーに、イングリットは従うことしか出来ない。


 「……分かったわよ」


 と言いつつ、瞬き信号や空気文字や口パクで意思の疎通を試みるイングリットだったが、少女の側に受け取る意思がなく、無意味に終わった。


 殺されるか、尋問でもされるかと覚悟したイングリットだが、吸血鬼は明確に脱走を企てているイングリットに何もしなかった。──まぁ、そうだろう。それだけの存在格差があるし、人間を格下と侮る手合いだからこそ、人間の側に反撃のチャンスがあるのだから。


 奴らはきっと、城の中に侵入者が居るなんてこれっぽちも考えていない。


 Aクラス冒険者パーティー『閃天の星』、六人目の仲間──潜入と破壊工作に長けた盗賊、アトリア。

 魔力視を誤魔化す魔術『スケープゴート』や気配を遮断する『デッドサイレンス』を駆使する彼女の隠密スキルは、相手次第では目の前を素通りしてもバレないほど。


 他の五人とは別ルートで城に侵入した彼女が居る限り、イングリットは──『閃天の星』は、まだ負けていない。


 決意の炎を瞳の内に宿した直後、金属扉が軋む音と、複数の靴音が聞こえた。

 新しく地下に降りて来た何者かは、看守役のメイドと何事か話すと、そのままこちらに歩いてくる。 


 死を告げる天使の足音にしては軽い。

 そういう技術を持たないイングリットに体重の推測は出来ないし、そういう意味ではなく。纏う雰囲気と言うか、むしろ殺気を纏っていないというべきか。“殺気”のようなものが感じられないのだ。


 戦場に向かう兵士とも、ギロチンに向かう処刑人とも違う──のような空気。


 果たして、独房をぴょこりと覗き込んだのは、青い瞳の──吸血鬼ではない──少年だった。


 「……あ、いた」

 「……君は、玄関ホールにいた……、っ!」


 妹と年頃の近い少年が独房を覗き込み、小さく声を漏らす。

 その安穏とした表情につられて気が緩みそうになるが、その隣からひょっこりと、麻袋のような物を担いだ濃い顔の紳士が覗き込めば、弛緩した空気も一瞬で吹き飛んだ。


 「あ、う、うそ、嘘……!」

 

 イングリットは目を見開き、震えながら後退る。

 恐怖と絶望でうまく機能しない足がもつれて、石の床に尻もちを搗く。その痛みさえ麻痺するほどの感情の波が嘔気になって湧き上がって、口元を押さえた。


 「アトリア……!」


 大柄な男吸血鬼──ディアボリカが肩に抱えていたのは、麻袋ではなく、ぐったりと脱力した人間だった。それも知らない顔ではない。イングリットたち『閃天の星』最後の一人、盗賊の少女アトリアだ。


 「やっぱりお知り合いでしたか。よかった。ミナの部屋に行こうとしたら、ばったり会ったんです」

 「殺されかけてたけどね……? ま、そんな無頓着なところが気に入ったんだけど」


 イングリットには分からない話をする二人。

 言葉は通じる。意味も通じる。だが──違う。何か、重要で、決定的なものが違っている。その差異故に、イングリットと独房の外の二人では、会話が噛み合うはずがなかった。

 

 フィリップとディアボリカは和気藹々と、ボケとツッコミのような会話の応酬をして、やがてふと思い出したようにイングリットに向き直る。


 「折角なので、隣の独房へやに入れておきますね!」


 善意がましく言ってにっこりと笑ったフィリップ。その顔に悪意や嘲弄と言った負の気配は微塵もなく、友達同士仲良くできるように、という的外れな気遣いが透けて見えた。


 「助けてくれ」と言う気にもならない、言うだけ無駄だと心底から知らしめる、透徹した異常性がある。

 彼にとってこの場に於ける最大の善行はであり、その他の選択肢は──たとえば、吸血鬼ではなく人間の味方をするという、人間にとって当然の選択肢が欠落している。


 人間だから。或いは、吸血鬼に囚われているから。そんな理由づけさえ必要とせず、「なんとなく善さそうなこと」をしているだけの、偽善的利己主義者。


 善悪の二元で語るなら、間違いなく悪に属するもの。

 自らの行いの善悪を省みず感情のままに動く、無邪気で無頓着なる醜悪。


 「あ、隣より向かいの方が話しやすいですか? ……まぁ、私語自由ってワケでもなさそうですし、どっちでも大差ないですかね」


 彼はそう言って、にこやかに立ち去る。

 吸血鬼の男はその背中に意味深な視線を向けると、アトリアをイングリットの隣の独房に入れて後に続いた。


 後には気を失った女と、希望を失った女が一人。


 それぞれ今日の昼食と、夕食になる。

 それは良い、善いことだ。絶望に浸る時間が少なく済むのだから。死を覚悟して死ねることも、死を望んだ日の内に死ねることも、すべて善いことだ。













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