第242話
ニコラウスとヨハネス、そしてほんの十数秒で気絶から回復したイングリットは、きーん、と甲高い耳鳴りに混じって、何か大きな物が飛んでくるような重い風切り音を聞いた。
「ぐ、ぉ……ッ!」
「《ブラスト──げぼっ」
ヨハネスは呻きながら短剣を取り出し、血の大矢を二人の間で切断しようと試みる。
その間、ニコラウスは血反吐を吐きながら魔術行使を試みる。絶えず喉を逆流する血液が、思考を乱す激痛が、詠唱と演算を著しく妨害していた。
だが、やるしかない。余裕が無い。
さっきの点検射は、少なくとも四発はあった。つまり──射手は四人いると考えられる。
一人が四発撃ったのかもしれないが、この状況で楽観的な思考をすべきではない。追撃があると考えて動くべきだが、二人即死、二人瀕死、残る一人も戦闘困難な状態だ。脳震盪で、まっすぐ立つことも難しい。
「《ブラストウォール》!」
何度目かの試行で、漸く魔術が完成する。
吹き荒れる暴風の幕は軌道を捻じ曲げる防壁としての役割を果たし、続く二射目を完璧に防御するだろう。二発目があれば、だが。
「……撃ってこない、のか?」
「なら好都合だ。イングリット、治療を──、っ!」
とさ、と、軽い音を立てて、一行の近くに二つの人影が現れた。
たったいま空から舞い降りたとでもいうように、翻るスカートを押さえている、モノクロームなメイド服を纏った二人の女性。荒野のど真ん中で目にするには、流石に不似合いな恰好だ──血のように赤い瞳と口元から覗く牙に目を瞑れば、そう笑い飛ばすことも出来ただろう。
「きゅう、けつき……!」
未だ脳震盪の影響は残っているだろうに、憎悪の力だけで身体を起こしたイングリットが二人のメイドを睨み付ける。
だが、吸血鬼二人の目に、彼女は映っていなかった。
「……加減はしたと言っていましたが、剣士が死にかけでは疑わしいですね」
「あー、そうな。アイツにはペットちゃんに触んなって言っとかないと。頭撫でようとして首がポロンしたら、ご主人様の逆鱗ナデナデするみてぇなモンだし」
メイドたちは軽口を叩きながら、大矢に繋がれたニコラウスとヨハネスに歩み寄る。
その足取りは完全に無造作で無警戒で、ニコラウスが魔術を照準していることにも、ヨハネスが短剣を持っていることにも、全く注意を払っていない。
「てか、あれじゃね? むしろ一人ヤってから「あ、やべ、
「……そうですね。これだと、あの子の頭を捥いでから「あ、やべ」と慌てふためくことになりそうです」
安穏と、しかしペットの少年にしてみれば冗談では済まない不穏な会話に興じているメイド二人。
血と肉骨粉と金属片の撒き散らされた惨状を退屈そうに眺める個体と、ブーツの踵で血の大矢を踏み砕き、ヨハネスとニコラウスの繋がりを絶った個体。
ばきん、と鉱石が砕けるような音を立てて、砥上げられた短剣でさえ歯が立たない魔術の矢が砕け折れた。
──瞬間。
「魔杖メモライザー、起動!
イングリットの切り札である魔杖、ダンジョン産のオーパーツが起動した。
詠唱と魔力注入に反応して、杖の先端に飾られた宝石が煌々と輝く。
その効果はシンプルで、予め詠唱して封入した魔術を演算無しに発動できるというもの。本来は同時詠唱できないような高等魔術を並列して使ったり、或いは負傷や疲労で集中力を欠いた状態でも即座に発動できるのが強みだ。しかも消費魔力が通常詠唱と変わらないという優れもの。
封入した魔術は使い切りとか、封入した魔術師の魔力でないと発動できないとか、九つまでしか封入できないとか、色々と制約はあるが、中々のインチキツールである。
他にも利点はある。この便利グッズは、ミナの魔剣『美徳』と『悪徳』のような
何より素晴らしいのは、大っぴらに詠唱しても相手に情報が伝わらないことだ。
そもそも魔術戦における詠唱は「今からこういう攻撃をします!」という宣言になってしまう、特大のデメリットだ。だから高位の魔術師は中級程度までなら無詠唱を習得するし、それが難しい上級魔術でも、指を弾くとか爪先を鳴らすとか、単一動作による代理詠唱を身体に刷り込んでおく。
しかし、このオーパーツの起動詞から分かるのは「何個の魔術が起動するか」だけで「どういう魔術が起動するか」までは分からない。
隙の大きい自己強化系の魔術を使う場合でも、相手を睨み付けて杖の先を向けていれば「攻撃魔術か!?」と警戒させて防御姿勢を取らせ、隙を相殺できる。
「ビフォアキャストですか。面倒な……」
ミナの侍従だけあって、その手の器物に対する警戒心を刷り込まれていたメイドたちは、眉根を寄せてイングリットに向き直る。
だが、そのオーパーツの特性は既知のものだ。
本人が詠唱できる魔術だけしか飛んでこないことと、イングリットの魔力総量から言って、この圧倒的劣勢をひっくり返すような魔術──神域級魔術が飛んでくることは無いと断言できる。
おそらく、二人を牽制する魔術が一発。あとは逃走用か、倒れている二人への支援魔術。治療魔術を使えるかどうかは不明だが、使えるならそれも確定だろう。
そう踏んだメイドたちは、一先ず身を守るための魔力障壁を全力展開する。
吸血鬼は強みも多いが、同じくらい弱みも多い。特に光属性魔術の効きっぷりは、ナメクジに塩をかけたようなものだ。
杖に飾られた宝石の輝きが最高潮に達し、四つの魔術が全くの同時に発動する。
一つは、メイドたちの予想通り、攻撃だった。
万が一にも剣士の男を巻き込まないようにと広く展開した魔力障壁を容易く貫通し、脇腹をごっそりと炭化させて吹き飛ばした雷の槍──上級攻撃魔術『ライトニング・ピアース』。
「ふむ。悪くない戦術ですね」
残る三つは、予想通り仲間への支援魔術。
魔術師の男へ飛ぶ魔術威力上昇バフ『ハイ・マジック』。魔力が低い剣士の男を補助するための、異常耐性を底上げする『ハイ・レジスト』。大怪我を負った二人をそれでも戦わせる、生き残らせるための痛覚軽減・戦意高揚バフ『ウォークライ』。
恐らくは不意の遭遇戦に備えてのものだろう。互いにちまちま支援魔術を積んでいる暇がない緊迫した状況、どちらが先に必殺の一撃を当てられるかという状況で、ほんの一手で満遍なく仲間を強化できるように支援魔術を装填してあった。その想定、用意周到さには素直に称賛の念が浮かぶ。
だが、吸血鬼相手では分が悪い。
「ですがこの威力では、心臓に当たっても、削れるストックは半分か五分の三といったところでしょう。戦闘魔術師より支援系の方が向いていますよ」
特に深い意味のない、死に逝くものに対する挨拶程度の戯言。その一言を告げる間に、抉り飛ばされた脇腹は傷一つない真っ白な肌へと戻っていた。
すぐ殺そうが、一言述べてから殺そうが大差ないと判断しての、ほんの戯れ。
──それは、
「お目が高い。イングリットは俺たちの、最高のバッファーだよ!」
「慧眼は褒めてやる。ここで死ね!」
パーティーメンバーの二人にとっては、至極当たり前のことで。
これまでにも何度も助けられた、イングリットのすごいところで。
彼らにとっての、反撃の鏑矢だった。
「……困ります」
腹のど真ん中に血の大矢を半分ずつ刺したままの男二人が、弾かれたように立ち上がって攻撃する。
ヨハネスはツーハンドソードを振りかぶり、ニコラウスは槍のような横渦の竜巻を三つ並べる。
剣は首を、槍は心臓を狙って走る。どちらも人体どころか、普通サイズの樹木なら簡単に斬り飛ばし、穿ち抜く威力だ。当然、嫋やかなメイドの柔肌など、硝子細工のように破壊するだろう。
「剣士の貴方は、殺さずに連れてくるよう申し付かっておりますので」
メイドの赤い瞳が、より一層紅く輝く。
直後。
「──ぐ、うッ……!?」
傍目にも分かる隆起した筋肉を備え、立ち姿だけで大木のような力強さを感じさせるヨハネスが、死に掛けの蝶のように頼りなく揺れた。ふらふらと後退して、剣を支えにして立つのがやっとのような無様を晒す。
「まひの……まがん、か……」
ニコラウスが忌々しそうに呟く。
吸血鬼の魔眼に対する対抗策を、彼らは誰一人として持ち合わせていなかった。見ればイングリットも、よろよろと足元が覚束なくなっている。
ゴルゴーン、ゲイザー、吸血鬼、他にも魔眼を持つ魔物は数多く、人類の側もある程度の情報は把握している。
一般的に魔眼は、視覚を媒介とした魔術投射能力であると言われているが、これは部分的に不正解だ。
まず、媒介としているのは“視覚”ではなく“視線”。より正確には“見る”という行為そのもの。そして、その本質は秘蹟や領域外魔術のような「現代魔術に属さない魔術」である、「呪詛」と呼ばれる魔術体系のものであること。
呪詛とは、現代魔術のような具体的な攻撃や防御、支援に使うことはできない、用途や使用条件がかなり限定された魔術だ。一説によると、死霊術はこの魔術体系を祖に持つとされる。
たとえば、指を差すことで相手を攻撃する。たとえば、目を合わせることで相手を支配する。たとえば、名前を呼ぶことで相手を不幸にする。
大陸の一部地域や暗黒領では未だに現役であるそれらの中には、“見る”だけで相手に影響を及ぼす呪詛も存在する。数百年前の聖痕者が解析した結果、一致率は95パーセントを超えた。
それが魔眼のルーツなのか、或いは模倣品なのかは未だに不明だが、とにかく魔眼は呪詛の一種であると判明したわけだ。
呪詛は魔術と違い、汎用的な防御方法が存在しない。
先の血の大矢を放つ魔術であれば、盾による防御もできるし、突風の壁を作る《ブラストウォール》で逸らすこともできた。
だが呪詛は、攻撃自体が術者の行動によって完結する。
“見る”呪詛であれば見た時点で、“呼ぶ”呪詛であれば呼んだ時点で、被術者と目が合おうが合うまいが、呼ばれたことに気付こうが気付くまいが、呪詛は完成し効果は発揮される。
対抗策は、“見る”呪詛であればより強力な呪詛を込めて“見返す”。或いは見られる前に鏡などに身を隠すくらいしか防ぎようが無い。
だが。
対抗──反撃は無理でも、抵抗くらいなら、呪詛使いでなくても、呪詛のことを知らなくてもできる。
簡単な話。
呪詛とて魔術の一体系に過ぎない。地球圏外産の領域外魔術でさえ、術者が貧弱なら被術者の魔力抵抗で弾かれるのだ。地球産の呪詛が、そのルールを逸脱することは無い。
彼ら三人には、Aクラス冒険者であるイングリットの状態異常耐性強化上級魔術『ハイ・レジスト』が掛かっている。
いくら吸血鬼の魔眼とはいえ、それに特化した魔術による抵抗を貫通することはできない。
彼らの衰弱は、少なくとも麻痺に関しては演技だった。
だが──支援魔術『ウォークライ』は、あくまで鎮痛と高揚の効果しか持たない。傷の治療も、失血の緩和も、臓器の修復も出来ないのでは、腹に大穴の空いたヨハネスとニコラウスはすぐに限界を迎える。
先の一撃。
麻痺の魔眼が『ハイ・レジスト』に弾かれるまでの一瞬の効果時間で邪魔された、あの一撃が、彼らに出来る最後の抵抗だった。
「……」
「ちょっとタンマ。こいつアレじゃね? 銀の血じゃね?」
「すん……ふむ、確かに。ご主人様に献上しましょうか」
蓮っ葉な言葉遣いのメイドは「よっこいせ」などと言いながらイングリットを軽々と抱き上げると、ヨハネスを担ぎ上げようとした片割れのメイドを「ちょいちょい」と焦ったように止めた。
「そいつ、治療しないと死ぬぞ? そっちのやつみたいに」
「あぁ、そうでしたね」
気絶したヨハネスの傷口に手を突っ込んで大矢の破片を抉り出したメイドは、自分の手首を爪で深々と切り裂くと、溢れ出した血を傷口に掛ける。
吸血鬼の生き血が持つ治癒効果は絶大だ。本人にとっては命のストックにすらなるそれは、他人に対しても万能薬じみた効能がある。たとえ死の間際でも、死んでいないのなら辺獄行きをキャンセルできる優れもの。
「では帰還しましょう。ご主人様がお待ちかねです」
二人のメイドはそれぞれ一人ずつ人間を抱え、城に向かって飛翔する。
気を失ったヨハネスとは違い、イングリットは一部始終を見て、聞いていた。
生命力と被弾位置の差で、ヨハネスよりニコラウスが先に死ぬことも分かっていた。数分か、十分か、数十分かは分からないが、二人とも死ぬことは確定していた。
もしかしたらニコラウスはまだ生きていて、この二人の吸血鬼のどちらかを倒し、どちらかを瀕死にしてその血を注げば、ニコラウスもけろりと治って起き上がるかもしれない。
そんな理想的な案も浮かぶが──無理だ。
ここにいるのは、吸血鬼二人ではない。未だあの城から、恐るべき威力の射手がこちらを見ている。
あの狙撃と吸血鬼二人を同時に相手取って、ヨハネスとイングリットの二人ではどう考えても勝ち切れない。それに──元々、吸血鬼を殺すことは主目的ではないのだ。
最優先目標は、イングリットの妹を奪還すること。そのためには城に侵入しなくてはならない。
だから彼女らが城まで連れて行ってくれるというのであれば、大人しく従おう。
仲間三人の復讐を遂げる、その機会までは。
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