第241話

 時間は少し巻き戻り、フィリップがミナと剣を交わして戯れていた頃。

 Aクラス冒険者パーティー『閃天の星』は、全員が揃いの面を付けたように、悲壮感に満ちた顔を並べて歩いていた。


 辺りは一帯、見渡す限りの荒野。時折砂塵が吹き上がり、服にざらざらとした痕跡を残していく。


 暗黒領への侵入は、どの国に於いても決して推奨されない。

 殊更禁止などしなくとも、地図作成や動植物の観察、そして魔王の軍勢や魔物の動向調査を担う開拓者たちを除いて、自ら「行きたい」という者はいない。


 曰く、暗黒領の土壌は穢れ、人類領域の作物は決して育たない。

 曰く、空気が毒になっていて、人間が急に倒れて死ぬ。

 曰く、野営前には6人だったパーティーが、朝になると3人になっている。

 曰く、曰く、曰く──単なる空想から脚色された事実まで、様々な“曰く”が付いている土地だ。


 人類圏では有り得ないことが、暗黒領では当たり前に起こる。

 人類にとっては最上級魔術による御業も、魔王軍にとっては雑兵の手慰み。


 暗黒領に踏み入ったが最後、一歩進むごとに生存率が1パーセントずつ減っていく。


 人類にとってはどれだけ言葉を重ねても足りない忌地。

 そこに神の加護は無く、魔王の加護が溢れている。人は弱り、魔物は力を増す。エトセトラ。


 どこまでが本当で、どこからが嘘なのか。それは定かでは無いが──彼ら『閃天の星』にとって、暗黒領への侵入は、世で言われるほどの難事では無かった。


 王国南部では名の知れた精鋭であり、そう遠くないうちに王都衛士団からスカウトされるだろうと目されている彼らは、既に暗黒領に侵入した実績を持っている。


 それも一度や二度ではない。

 境界近辺2キロ圏の地図製作5回。植物採集3回。動物観察3回。魔物調査および討伐2回。──都合13回もの侵入・生還実績を誇る冒険者パーティーは、大陸全土を見てもかなり上位に食い込むだろう。


 その根底には仲間との連携もそうだが、何よりパーティーメンバー個々人の洗練された技術がある。


 戦士ミンタカ。全身鎧で2メートルもの巨躯を覆い、大盾とメイスで武装した彼は、まさしく鉄壁。

 剣士ヨハネス。ミンタカには劣るが190センチ越えの長身を器用に使い、ツーハンドソードという大味な武器を繊細に使いこなす。

 弓兵ハダル。女性の身で弓力30キロ近い強弓を携え、腰に佩いた長剣による白兵戦もこなすオールラウンダー。

 魔術師イングリット。杖の補助を要するものの、最上級魔術数種を切り札に持つ才媛。

 魔術師ニコラウス。上級魔術二種を同時展開できる稀有な才を持ち、魔術学院在籍時はBクラスに所属。


 才能を集め、研鑽を積み、連携を重ねた精鋭チームだ。


 当然、彼らは愚かではない。

 自分たちに何が出来て、何が出来ないのか。何をしたら死んで、何をしたら生き残れるのか。その手の死線を潜り抜ける技術と知恵は、十年近い冒険者生活でしっかりと身に付いている。


 ……では何故、彼らは今にも死にそうな顔で──既に誰かが死んだように悲壮な顔つきで、吸血鬼の居城を目指して歩いているのか。


 それは、


 「……妹が無事だといいな、イングリット」


 沈黙を嫌うくせに空気の読めない剣士ヨハネスの言葉が、端的に表していた。


 「無事よ。……無事に決まってる。くそったれの“牧場主”の言うことなんて、信じちゃ駄目だから──ねッ!」

 「いってぇ!? なんで蹴ったハダル!?」

 「なんで蹴られたか分からんからだ……」


 ヨハネスの尻を蹴り上げたハダルと、ブーツの爪先がめり込んだ尻をさするヨハネスが、互いに額を突き合わせて睨み合う。ハダルに肩を抱かれたイングリットはそんな二人を見て、蒼褪めた顔を僅かに綻ばせた。


 やれやれと肩を竦めるニコラウスだが、その口元は同じく笑みの形だ。ヨハネスはただの善意で、それも本気でああ言ったのだろうが、お陰で先ほどまでの鬱屈とした空気は吹き飛んでしまった。

 

 「こいつ……鉄板ブーツでケツを蹴るなと何度言えば……」 


 心なしか涙声のヨハネスがぼやくと、イングリットがくくっと喉を鳴らして笑った。


 弛緩した空気が流れ、そのままじわじわと緊張が解けていく。

 だが、ここは暗黒領、人類未踏破領域だ。彼らとて気を抜けば、どんな代償を支払う羽目になるか分からない。それも境界から百キロ以上離れた、彼らでさえ初めて足を踏み入れる深部だ。──尤も、暗黒領全域で見れば浅瀬なのだが。


 緊張と弛緩のバランスが崩れ始め、戦闘に適さないレベルまで集中が削げ落ちる、その直前だった。


 「……お前たち、そろそろ城が見える頃だ。気を引き締めろ」


 先頭を歩いていた戦士ミンタカの言葉に、彼らは口々に応じる。そしてスイッチを入れたように集中し、コートでも着込むように濃密な殺気を纏った。


 人間の精神は、100パーセントの緊張状態では最高のパフォーマンスを発揮できない。しかし同時に、100パーセントの弛緩状態でも駄目だ。重要なのはバランス。ほどよくリラックスした集中状態が最高だとされる。


 ミンタカが声を掛けたのは、ちょうどその閾値のタイミング。最高のメンタルコントロールだった。

 立っているだけで威圧感のある巨漢で、武器も鎧ごと相手を撲殺するメイスという豪快なものだが、彼は人一倍繊細で、パーティーメンバーのことをよく見ていた。


 このタイミングも、偶然ではなく意図してのものだ。

 

 パーティーメンバーを上手く纏める力と、誰よりも前線に立って仲間を守る戦闘スタイルから、彼はパーティーメンバーからの信頼を集め、リーダーに据えられていた。


 「イングリット、最終確認だ。お前の妹を助けたら、何よりも逃げることを優先する。彼女がどれだけ残酷な目に遭わされていても、報復より撤退が優先だ。ここまではいいな?」

 「……えぇ」

 

 ミンタカの言葉に、イングリットは覚悟を決めた目で頷く。


 ──吸血鬼に攫われた彼女の妹を追って、人間牧場に潜入したのが四日前のこと。“牧場主”と呼ばれていた個体を尋問して吐かせたところ、彼女は既に“千夜城”と呼ばれる吸血鬼の居城へされた後だった。

 

 “千夜城”がどこにあるのかは、すぐに調べが付いた。と言っても、大まかな方向と距離だけだが、それだけ分かれば十分だ。問題だったのは、道中ではなく現地。


 そこには、吸血鬼の中で最も“正しい”吸血鬼が居るという。

 正しい──正当な、ではない。正統な、だ。


 そして100人以上のレッサーヴァンプを配下として従え、城の警備に当たらせているという。

 下級のレッサーヴァンプとは言うものの、その戦闘力は人間を遥かに上回る。目を合わせたものを麻痺させる魔眼、摂取した血液量で総量の増える命、飛翔能力、エトセトラ。人間には無い、様々な異能を持っている。


 勿論、彼らとて人類最強を目指せるだけの才能を有するAクラス冒険者だ。一対一なら負けないし、五人で連携できれば八体くらいまで相手取れる。


 ……だが、相手は100体だ。殲滅など望むべくもない。


 可能なら誰にも気付かれず、こっそりと忍び込んで、こっそりと出て行くべきだ。

 たとえそれが、まだたった13歳の可愛い妹を攫った憎むべき相手でも。たとえ──


 「たとえ妹が殺されていても、報復戦には移行しない。骸の回収も諦めて、即座に離脱する。約束だぞ」

 「……分かってる」


 何度も言われ、何度も自分に言い聞かせた“条件”を、イングリットはもう一度自分の心に刷り込んでいく。


 「……よし。そろそろ城が見える。少し早いかもしれないが、陣形を縦列に──」

 「──っ、盾ッ!」

 

 一番最初に気付いたのは、弓兵であるハダルだった。

 

 遥か地平線、陽炎に揺らぐ黄土色のぼんやりした線上に、昇る月のようにゆっくりと城が見えてきた。

 まずは上部から、黒い屋根の尖塔が見えて、鋸壁を備えたタレットが見えて──微かに、何かが光った。ハダルが叫んだのは、その光を視認した直後だ。


 ミンタカは自分の胴より大きい鋼の板──錬金素材と鋼板を合わせた大盾を構える。ハダルの警告の意味を理解するより先に、身体に刷り込まれた動作が反射として実行された。


 弓兵として鍛えられたハダルの目と直感。そしてミンタカが何十何百何千と繰り返した訓練が齎した、彼らに可能な最高速度の防御。

 それにほんの一瞬だけ遅れて、


 「ぐぅッ──!?」


 大盾がぶち破られ、腕が千切れ飛ぶような衝撃と、意識が遠退くほどの反響音に襲われた。


 「狙撃よ! 城から! ミンタカ!?」

 「無事だ!」


 ミンタカは警告、情報、心配と極めて合理的な順番で声を上げたハダルに、盾を据えた左腕を擦りながら答える。

 飛翔体は盾に僅かな傷を付けて、湾曲した表面の形状に沿うように何処かへ飛んでいった。


 筋肉は少し怪しいが、盾本体も、腕の骨も、内臓にも大きなダメージはない。

 それだけ確認して、目と腹を据えて、陽炎に揺れる城を睨み付けた。丹田に力を入れて、地面をしっかりと踏み締める。


 続く二発目は、ミンタカにも見えた。


 「おォ──ッ!」

 

 雄叫びと共に大盾を振るい、飛来した大矢を弾き飛ばす。

 槍ほどもある大きさの血で編まれた矢は、とんでもない威力だ。まともに受け続ければ、あと10発かそこらで腕の筋肉が致命的なダメージを負う。腕で受けきれなくなれば肩を使う必要があるが、そうなると今度は内臓が危ない。内臓にまでダメージが及べば、そこまでだ。


 だが、それだけの威力があるということは、逆に易いということでもある。


 「ニコラウス!」

 「《ブラストウォール》!」


 ニコラウスの魔術が、一行の前に横殴りの突風を吹き荒れさせる。

 巻き上げられる砂塵が礫のような威力になる横殴りの風に煽られて、三射目と四射目はあらぬ方向へと吹き飛ばされた。


 「タイミングはいつも通り、弾いたパリング直後! 馬鹿げた弾速だが、却って色々考えずに済む!」


 何度となく遠距離攻撃をしてくる魔物や人間と戦い、更には仲間内で模擬戦の訓練をしてきた彼らにとって、対遠距離戦は目新しいものではないし、対策も確立している。四キロ向こうからの狙撃に対して、精々が50メートル間隔の相手に対する戦術を取らされている時点で、かなり劣勢であることは間違いないのだが。


 ミンタカを先頭に、巨漢の陰に隠れるような縦列陣形を形成した彼らは、一歩ずつ着実に退する。ここは一旦退却して、相手が「撤退した」と思い込んで緊張が緩むタイミングを狙って再度進撃すべきだ。


 その判断は正しい。

 だが、悲しいかな。先程から数発、散発的に飛来する砲撃は、ただの点検射──いわゆる弾着確認だった。弾速だけを重視して、矢の重量は極限まで軽くしてある。相手がどんな防御をして、次にどんな行動をして、どう撃てば効果的なのか。情報を集めるための、ただの確認作業。そこにはまだ、ほんの一滴の殺意も込められていない。


 そして、ここからは違う。


 次弾・効力射。

 弾丸である血の大矢は、ロングソードに近い約1.5キロの重量を持つ。そして監視塔から放たれた矢は、約四キロ先の地平からほんの十数秒で着弾する超高速。


 質量に速度の二乗を掛け合わせて二で割った威力は、勿論、距離によって刻々と減衰していく。だが──城壁にすら深々と突き刺さり、ともすれば貫通さえしかねない馬鹿げた威力だ。人間が携行可能な程度の盾で、鎧で、決して防ぎ切れるものではない。


 「──、ぁ」


 気付けたのは、弓兵であるハダル一人。

 その彼女も「ただ気付いた」だけで、警告も、回避も、防御も出来ず、ただ自らの死を悟って小さく声を漏らすことしか出来なかった。


 着弾した音は、誰にも聞こえなかった。


 直撃したミンタカは盾の上半分と上半身を吹き飛ばされ、すぐ後ろにいたハダルも下半身しか残っていない。三番目にいたニコラウスと四番目にいたヨハネスは串焼き肉のように腹の真ん中を貫通した大矢に繋がれ、地面に転がって呻いている。最後尾にいたイングリットは、着弾の衝撃で吹っ飛ぶように転倒して意識を失っていた。


 錬金金属と鋼板の盾。フルプレートメイルとチェーンメイルで武装した筋骨隆々の大男。革鎧で武装した女。魔力を帯びて金属板程度の防御力を付与されたローブと大の男。そして軽鎧で武装した筋肉質な男。

 これだけのモノをブチ抜いて、一部は吹き飛ばしさえしたのは、たった一発の魔術だ。


 がらん、と空虚な音を立てて、立ったままだったミンタカの下半身が崩れ落ちる。その音で、ハダルの下半身が頽れる音は掻き消された。



 













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