第240話
中庭でミナと合流してから一時間。
二人は「今からそこ掃除するんだけどなぁ」と言いたげなメイドに配慮して、模擬戦のフィールドをエントランスホールに移していた。自分の配下であっても無関心なミナではなく、フィリップが率先して動いた形だ。
しばらく模擬戦を続けていた二人だが、フィリップの疲労度合いを見て、小休止となった。
「──ルーシェ、水を」
「はい! こちらに!」
ぱたぱたと軽快に、しかし捧げ持った盆上のピッチャーに入った水の揺れは最小限に抑えた妙技で、吸血鬼の侍従長が駆け寄ってくる。
コップに注いで差し出してくれた水を有難く飲み干して、フィリップは大きく息を吐く。汗でぺたっとした髪を、ミナの手が柔らかに梳いた。
「楽しかった?」
「はい! ……ミナは僕みたいな雑魚相手で退屈でしょうけど、付き合ってくれてありがとうございます!」
「確かに血の沸くような興奮は無いけれど、可愛いペットと遊ぶのは楽しいわ。だから気にしないで」
チャンバラごっこでもしていたような口ぶりだが、二人の得物は片や真剣のロングソード、片や二振りの魔剣だ。確実に死なないミナと恐らく死なないフィリップのペアでも、中々にスリリングな光景だったのだが、やはり当人たちには遊び感覚らしい。
二人がしばらく雑談に興じていると、何処からともなく鈴の音が聞こえてきた。
ちりちりん、と軽く涼やかな、目覚ましにもならないような音だ。
ややあって慌ただしくエントランスに降りてきたメイドが、ミナの耳元で何事か囁く。フィリップの髪を手櫛で弄びながらそれを聞いたミナは、退屈そうな溜息を溢した。
「5人? そう。剣士が居たら残して、連れて来て。居なかったらいつも通りに」
どこか不愉快そうにも見えるミナの表情とその言葉で、フィリップにも大体の状況は掴めた。
おそらく、城の監視塔からこちらに向かってくる人影を見つけたのだろう。昨日空から見た限りだが、この周囲はまっさらで平坦な荒野だ。多少の起伏はあるものの、姿を隠しながら近づいてこられるような遮蔽物は無かった。
一瞬だけ「僕を助けに来た誰かかもしれない」と思ったフィリップだが、流石に早すぎると否定した。想定では二週間、理論上の最速でも一週間はかかる距離だし、他人だろう。
「聖痕者じゃないですよね?」
「は? いえ、違います。見た限り、王国の冒険者パーティーですね。聖痕者のような特級の魔力反応は感じません」
一応聞いてみたものの、やはりメイドは「何言ってんだこいつ」と言いたげに片眉を上げてから答えてくれた。
「通行人ですか? それとも襲撃?」
「後者です。旦那様も、あの鈴の音には留意されるようお願いします。あれが遠方に敵発見の合図ですので」
なるほど、と適当に相槌を打つフィリップ。
あんな、目覚ましどころか昼寝の睡眠導入に使えそうな心地のいい音が? とでも突っ込むところなのだろうが、フィリップはそのくらいが最適だと分かっていた。
この城に仕えるメイドは、ミナ曰く100人。誰でもいつでも好きに使っていいわよ、とは言われたものの、メイドたちの反応は大別して三種。「旦那様派」「ペットちゃん派」「謎の人間派」。概ね3:6:1くらいの比率で、一応は“先代様”らしいディアボリカの影響力が垣間見える。
つまりこの城には、102人の吸血鬼──人間とは隔絶した上位種、人間を餌として喰らうバケモノが詰まっている。
近くを通るだけでも戦々恐々、旅の無事を神様に祈りながら、息と足音を殺して走り抜けなくてはならない類の、反人類領域だ。
「攻めて来た、ってことですか? その──たった5人で?」
フィリップは怪訝そうにを通り越して、小馬鹿にしたような半笑いで尋ねる。そんな分かり切ったことを訊くフィリップこそ小馬鹿にされそうなものだが、当然のことを再確認してしまうほどの異常事態だ。
大前提として、ここは城なのだ。
高く聳える頑丈な胸壁、取り付くものを許さないタレット、城の壁から全周を睨む目のような狭間。木と鉄のシンプルな城門は、その簡単な造り故に頑丈だ。組み合わされた木と鉄、フィリップの胴より太い閂は、丸太を持って突撃を繰り返しでもしなければまず開かない。外敵を退け主を守る機構を備えているから、城なのだ。
その防御拠点を正面から攻め落とすのは、基本的には不可能だ。
過去の戦争において、城攻めが成功した例は五十以下とされている。そのうちの半分以上が聖痕者の手によるものなので、戦術的に見るべきは残りのごく少数。
それらは往々にして、大多数による包囲耐久戦だった。城から出る者、城に向かう者の全てを捕縛して補給を遮断する。同時に、長期に亘って攻撃を繰り返すことで、備蓄されている医療物資や食料などを破壊または消費させる。最終的には飢餓状態に陥った城側が降伏するか、衰弱したところを叩き潰す。
圧倒的物量と、包囲側だけが物資を補給できるという状態を利用した長期耐久戦。それが城攻めにおけるセオリーであり、基本的には「極めて攻めにくい」造りになっている城を、それでも落とすための苦肉の策だ。
──で。
この城には吸血鬼が102人いる。
吸血鬼と人間のキルレシオを全く考慮しなくても、数量比で1:20だ。戦争は兵士の質が同じなら数量比が3:1で優勢、6:1で勝利がほぼ確定すると言われているが、包囲戦には10倍の戦力が必要とされる。
質の戦力を無視しても、絶対的に数の戦力が足りていない。
「然して珍しくもないわ。監視塔からの狙撃が必中射程3キロくらいだから、それ以上近付かれることは稀だけれど」
まだ少し汗ばんでいるフィリップの首筋に顔を埋め、薄く深く匂いを吸っているミナが答えをくれる。
残念でも無ければ当然というか、「まぁそうなるな」以外の感想が浮かばないくらい当たり前の結果だ。ディアボリカを一度は撃墜するほどの魔術師がいるのなら、聖痕者でもない人間が遮蔽も無い荒野を進んでくるのは不可能だろう。
「剣士を残すというのは? 確か、食料は専門の牧場から買ってるんですよね?」
「えぇ。味に拘るなら、牧場産の血が一番よ。……勘違いしているみたいだけれど、取って食うつもりは無いわ。きみに──私が戦うところを見せてあげようと思って」
悪戯っぽく微笑した──抱き締められているフィリップには見えないが──ミナの言葉に、フィリップは思わず腕の中で振り返り、彼女の細い腰を抱き返すほどの歓喜を味わった。
「ホントですか!?」
「えぇ。普段ならそんな面倒事、メイドに任せてしまうのだけれど。今日は特別よ?」
「やった! あ、ちゃんと見えるように動いてくださいね! あ、あと、できれば魔剣の力も見せて欲しいです! モヤモヤと光が出るだけの剣じゃないですよね、アレ? 僕相手で使ったら確実に殺しちゃうとか、そういう類の──あ、でも、ミナに代償がある呪いの剣とかだったら、無理しなくて大丈夫ですよ」
「特に代償は無いから大丈夫よ。……仕方ないわね」
仕方ないと言いながら満更でもなさそう──なんて可愛らしいことはなく、本当にかったるそうに言うミナだが、一応はフィリップの要望を叶えてくれるらしい。
フィリップはウキウキしながら両階段を半分だけ上り、二階に続く踊り場に腰を下ろす。
少し後をルーシェが続き、いつでもフィリップを庇えるよう数個下の段で立ち止まった。
待つこと数分。
重いだけでなく堅固な城門が軋みを上げながら開く音に続いて、硬質な靴音が二つ。そして、ガチャガチャと耳障りな金属同士の擦れ合う音がする。
来客──吸血鬼の城を堕とすべく武装し、進撃してきた冒険者! 戦略家でもない学生が歴史の授業で半分寝ながら聞く「城攻めは難しい」という常識も知らない愚者か、はたまた、その難事を乗り越えるに能う強者か。
フィリップの期待が最高潮に達し──すとーん、と、そんな音を聞いた。幻聴だ。落ちたのは何だろう。期待かもしれないし、テンションかもしれないし、落胆というぐらいだから内臓かもしれない。或いは、肩透かしを食らった両肩かもしれない。
ガチャガチャと鎧の擦れ合う音を立てながら城に入ってきたのは、二人のメイドだ。彼女たちはファイヤーマンズキャリーの状態で、鎧を着た男と、魔術師らしきローブ姿の女を運んで帰ってきた。担がれた二人はぐったりしていて、抵抗の意思が全く見えない。
どさりと乱雑に地面に落とされても無反応なのは、完全に心が死んでいるか、魔術で昏睡か麻痺状態にされているのだろう。
──どうやら、愚者の方だったらしい。
「ご主人様。ご命令通り、剣士を連れて参りました。魔術師の女は処女で、匂いからすると銀の血かと思い、現場の判断で捕獲いたしました」
「拾いものね──と、言いたいところだけれど、拘束もしていないのはわざと?」
わざとも何も、彼らは完全に行動不能、死に体だ。魔術か物理かは知らないが、もう一歩も動けそうにない。ミナは本当に人間を知らないのだな、と思った直後──フィリップは自分の見立てこそ甘かったことを知る。
跳ねるように起き上がった二人の冒険者は、取り上げられてもいなかった武装に手を伸ばし、勢いのままミナに襲い掛かる。
見開かれ血走った目に憎悪を宿し、剣士の男は自らの身長ほどもあるツーハンドソードを振り上げ、魔術師の女は補助具である杖を構えた。
「……」
もうあとほんの一瞬で、ミナの首が斬り飛ばされ、攻撃魔術が火を噴く。
そう予期させる光景を、フィリップはただ無感動に見ていた。一応は飼い主であるミナが、一応は自分に対して友好的でありフィリップ自身も好意によく似た感情を持っているミナが攻撃されていても、何ら感情が動かない。
メイドたちも全く無反応だ。
彼女たちは一応、種族特性として持ち合わせている“麻痺の魔眼”で拘束したとき、魔術師の女が上級耐性付与魔術『ハイ・レジスト』によって魔眼に抵抗していたことには気付いていた。
剣士の方は気絶していたし、魔術師の女一人がどうこうできるほど、吸血鬼メイドはヤワではない。だから殊更に拘束はしなかったし、何より、人間風情が主人に敵う訳がない──そんな絶対的信頼の生んだ、甘い判断だった。
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