第236話

 そろそろ戻りなさい、と会話を切り上げたディアボリカは、フィリップを半ば強引に玉座の間に戻した。

 文句はまだまだあったが必要な質問は一通りしたかと大人しく従ったフィリップを、眠たそうにメイドと話しながら待っていたミナは、話し終わるのを手持無沙汰に待っていたフィリップに気付くと、手招きして呼び寄せ、膝上に乗せる。


 「夕食の話をしていたのだけれど、何か好みは? ……確か、共食いはしないのよね?」


 フィリップの脇下から手を回して鎖骨の辺りを撫でながら、ミナは気怠そうに問いかける。

 もしやミナの人間に対する理解は、フィリップの牛や豚に対する知識と同程度かと苦笑しつつ、首を振って否定した。


 「しません。なんか病気になるって聞いたことありますし、そもそも人肉って美味しいんですか?」

 「血も肉も個体差が大きいわ。私は血と、たまに心臓を食べるくらいだけど……」


 と、そんな話をしていると、近くにいたメイドが話に混ざってくる。

 もはや二人の関係性は主人と客人ではなく、主人がペットと話している──いわば、半ば独り語りのようなものだったからだろう。


 「美味しいですよ。筋肉質な男は噛み応えがありますし、逆に年若い少女は蕩けるような口触りで」

 「そうそう。老いてくると筋っぽくなって、血も苦くなるのよねー。もう毒なんじゃないのってくらい」

 「わかります! あ、ちなみに処女や童貞の血が好まれるのは、血液の混交が無くて味が純粋だからなんですよ。たまーに、奇跡のブレンドみたいな、混ざった結果滅茶苦茶美味しくなる組み合わせがあったりするんですけど」

 「あー、あれな? あればっかりは“牧場”で実験しようにも、個体の消費が激しいからな。折角ウメー血のバージンばっか攫ってきたのに、失敗すりゃ一気に二体も血が濁って味が落ちるだけ。無駄なことに浪費するぐれーなら、そのまま売りに出すわな?」


 おいおいマジかこいつらその人間の前でなんて話をしやがる──と、怒るか怖がるところなのだろうが、フィリップは「フーン」と興味無さげだ。と言うか、本当に興味がない。


 フィリップは今のところ吸血鬼になる予定は無いし、人肉や血を口にするつもりもない。その食感や生産情勢について聞かされても、どうでもいいというのが本音だ。隣家のランチの献立ぐらいどうでもいい。


 ただ、人間を食料として売り買いする市場があるような発言は気に留まった。


 「売る? 吸血鬼って人身売買とかするんですか?」

 「あ、はい。あー……お気に障りましたか? だったらごめんなさい」

 「いえ、ちょっと意外で。手頃な村を襲って調達してくるのかと」


 手をわきわきさせて「がおー」とでも言いそうな身振りをするフィリップに、メイドたちはくすくすと笑った。


 「そんな、蛮族じゃないんですから」

 「そういうのは狩人の役目、もっと下位の吸血鬼がやるべき仕事です。ミナさまのような高貴な御方に相応しいことではありません」

 「吸血鬼にも身分階級があるんですか。ウィルヘルミナさんはどのくらい偉いんですか? 公爵ぐらい?」


 背後から首筋に顔を埋めてすーはーやっているダウナーな美人は、果たしてどのくらいのモノなのか。

 この城といいメイドの言葉といい、貴族階級であることは間違いないだろう。貴族と言われて真っ先に思い浮かぶのが最上位の公爵なのは自然なことなのか、或いは身近な誰かの影響だろうか。


 というかいい加減に恥ずかしさも限界なので、そろそろ止めて欲しいのだが。


 「ぶぶー、ハズレでーす。正解は──」

 「ねえホントにくすぐったいんですけど! そろそろ止めてくれませんか!?」


 背後から抱き締めていたミナの手を振り解いて立ち上がったフィリップは、ミナが顔を埋めていた辺りを頻りに撫でる。

 自分から立ち上がっておいて、彼女の低いながら確かに存在する体温や、仄かに感じられる夜の香りを名残惜しく感じてしまった自分を戒めるように、乱暴に。


 「あ……。……仕方ない、今は諦めるわ。無理矢理従わせるのも可哀想だし」

 「……思ったより素直ですね。手荒にしてすみませんでした」


 羞恥心が鎮まったあと、代わりのように沸き上がった罪悪感に駆られたフィリップは、気付けばそんな謝罪を口にしていた。


 まさか謝られるとは思わなかったのだろう、ミナは目を丸くして、やがて柔和に微笑した。


 「今のが“手荒”なの? ……くす、可愛いわね」 

 「あー……えへへ」

 

 揶揄い半分、愛玩半分の視線が、ミナだけでなく周囲のメイドからも寄せられる。


 それが不快ではなく、むしろ心地よいと感じている自分自身を自覚することなく、フィリップは照れ笑いを溢した。


 どうやらフィリップは、この扱いに弱いらしい。人間より上位の存在からのと、愛玩に。

 確実にマザーのせいだろう。彼女の存在に対して抱く懐かしさや安心感、人間では有り得ない美貌への憧れなどの感情は、いつだってマザーから向けられる冷笑や愛玩と共に在った。刷り込みとか条件付けとか吊り橋効果とか色々と論理的な理由は付けられるが、端的に言うのなら、性癖が捻じ曲げられていた。


 フィリップが今抱いている心地良さがマザーを思い出してのものなのか、ミナに対して抱いているものなのかも判然としない。尤も、フィリップはそんな疑問を抱いてさえいないのだが。


 「夕食まで時間もあるし、少し遊びましょうか。元気も有り余ってるみたいだし」

 「……まぁ、肉体的には何もしてない一日でしたからね」


 今日は退屈な授業で舟を漕いで、あとは疲労物質の分泌さえ停止する最強の魔眼で拘束されて運ばれただけだ。もう夕刻、いつもはルキアとステラとの戦闘訓練が終わろうかという頃合いだが、殆ど運動していない。突然の拉致による動揺やら心労やらは大きかったが。特に8時間の身動きできない飛行時間とか。


 「何して遊ぶんですか? 運の絡むカードゲームなら自信ありますよ、僕」

 

 こう見えてカジノ一個出禁になってるんで、と自慢げに言うフィリップ。そんなことを勝負の前に言ってしまう辺り、本当かなぁ、と疑わしげな──というには生温かい視線がメイドたちから向けられた。


 しかし問題ない。

 フィリップのカードゲームの強さは八割が運だ。残りの二割は、中途半端に身に付けたヘッタクソなポーカーフェイスを、相手が深読みしてドツボに嵌って自滅するというトラップ性能。相手が警戒していようとノーガードだろうと、全てはデッキトップが解決する。正確にはバーンカードを抜いた上から二枚目だが。 


 「そう? なら、夕食後に見せて貰うわ。今は身体を動かしましょう」

 「いいですよ。あ、折角ですし──っ!?」


 奇跡だった。

 

 お城全域でかくれんぼしませんか、と、少年心に溢れた平和な提案をしようとしていたフィリップが、ちょうど目線の位置を薙ぐロングソードの一閃を回避できたのは、奇跡と呼んで差し支えないことだった。


 幸運の為せる業ではない。

 攻撃の予備動作に反応できたのは積み重ねた訓練と刷り込みのおかげで、ミナの魔剣が当たらなかったのは咄嗟に『拍奪』を使いながら後ろに下がって回避したからだ。


 これまでに積み重ねてきた訓練や戦闘経験による、実力での回避。

 だから正確には、フィリップが実力を発揮できたのは奇跡だ、というべきかもしれない。あれだけ油断して気が緩み切っていたら、攻撃を無感動に見つめるだけという反応でもおかしくなかった。


 「え、ちょっ──!?」


 追撃は無い。

 ミナは両手に魔剣を持ったまま、フィリップが慌てて階段を降りるのをただ待っていた。眼下、フィリップがウルミを抜き放つのを、愉快そうに見つめながら。


 「人間はこうやって遊ぶのよね? 原始的で野蛮だけれど、それだけに分かり易くていいわ」

 「……遊びで真剣を使うことはないですね。戦闘訓練ならまだしもですけど」

 「そうなの? 何年か前に来た冒険者は、「遊ぼう」って言って斬りかかってきたけれど……個体差なのかしら」


 それはどうだろうと、フィリップは苦笑しつつ首を傾げた。

 実力に差がある相手との戦闘は、それこそ子供と遊ぶような様相を呈することがある。ルキアやステラとフィリップが相対すると、概ねそんな感じになるだろう。マリーやソフィー、ウォードも、フィリップとの模擬戦闘は遊び感覚で対処できたはずだ。事実、マリーには何度か「遊んであげるよ」と煽られた。


 冒険譚でも、強敵を前に「さぁ、遊ぼうか!」と獰猛に啖呵を切る主人公は何人かいる。その真似や系譜かもしれない。


 ミナがどのくらい強いのかは不明だが、ディアボリカと同じくらいだとしたら、そんな相手に煽りでも啖呵でも「遊ぼう」なんて言えるのは素直に凄いと思う。だが、おかげでミナが妙な認識をしている。人間は遊びで真剣を振り回すような、命知らずな種族ではない。……フィリップは例外だ。ウルミなんて特殊な武器は、練習用の模擬モデルが売っていない。


 「いやー……どうでしょうね。ちなみにその人は殺したんですか?」


 フィリップはカッコつけてただけでしょ、と益体の無いことは言わず、話を進める。


 「えぇ。私の城に遊びに来た愚昧な人間を生かして帰す理由もないし、殺してくれと頼まれたから、ね」

 「え? 拷問とかしたんですか?」

 「いいえ? 二時間くらい遊んでいたら、泣きながら懇願してきたのよ。もう分かった、殺してくれ、って」


 ──不穏な気配だ。吸血鬼の居城に突撃してきて、城主に向かって「遊ぼう」なんて言い放つタフガイを殺してくれと泣かせる行為は、やっぱり拷問くらいしか思い浮かばない。


 たとえば徹底して致命傷を与えず、手足だけを執拗に狙って攻撃したとか。両手両足を斬り飛ばしたあと火属性魔術で出血を止めて、蛆虫みたいにしたとか。


 「でも安心して? きみのことは殺したりしないわ」


 それは場合によっては本当に詰む可能性があるので、「殺せ」と言ったら殺して欲しい。

 ミナに対して、マザーに対する感情を希釈したような複雑な想いを寄せてしまったせいで、今のところ「全部壊して脱出しよう」という意思は下火だ。だが四肢損傷くらい吸血鬼化すれば一瞬で治るからと手荒なことをされては、ヨグ=ソトースの庇護に頼る前に、フィリップ自身が外神化することを選ぶかもしれない。


 「……先にルールを決めましょう。あと、あとで一般的な人間の遊びを教えます」

 「他にやりたい遊びがあるなら、言っていいのよ? きみが──ペットがやりたくないことをやらせるのは、飼い主失格だものね」


 魔剣を仕舞いかけたミナに、フィリップはとんでもないと口角を吊り上げる。


 「魔剣使いに稽古を付けて貰えるなんて、貴重な経験ですからね。有難く胸をお借りします」










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