第235話

 「あ、あのねミナ。その子は一応、アナタのお婿さんに──」

 

 なんとか困惑から立ち直ったディアボリカが、説得するようなゆっくりとした口調で話しかける。直後、また心臓を狙って射出された血の槍の防御に手一杯になって、説得どころではなくなった。


 「……あ、あの、ペットってどういうことですか?」

 「? 人間も犬や猫を飼うでしょう? それと同じで、吸血鬼も人間を飼うのよ」


 いよいよ本格的に状況が理解を超えてきた。いや、そもそもディアボリカが「娘婿にするから」と学院に突入してきた時点で、もう状況は理解の埒外にあったのだ。ここまで来た理由の半分は首輪を付けられて仕方なく、あとの半分は「ハーフエルフ・ハーフヴァンプの魔剣使いに会いたい」というミーハー根性だ。


 フィリップは相手が吸血鬼だろうと人間だろうと誰かと結婚する気はないし、そもそも王国法では結婚が認められるのは15歳からである。いや、暗黒領で吸血鬼を相手に、王国法も何もあったものではないが。


 「私は初めてで勝手が分からないけど……ルーシェ、この子の世話を任せるわ。貴様も元は人間なのだし、私より詳しいでしょう?」

 「あ、はい、畏まりました! 元人間と言っても、もう100年近く前のことですけどね!」


 流石は侍従長というべきか、或いは外見にそぐわぬ年の功か、混乱から立ち直ったルーシェが快活に笑う。見ているフィリップもつられて苦笑いを浮かべるような、楽しそうな笑顔だったが、ミナは相変わらず気怠そうな無表情だった。

 ミナはその表情に似合いの、清涼感がありながらダウナーな声で、「お部屋のご用意をいたしますね!」と駆け出したルーシェを引き留めた。


 「待ちなさい。部屋は必要ないわ」

 「……いや、要りますけど。庭先に繋ぐとかだったら怒りますよ」


 何を言い出すのかと、フィリップは引き続きの困惑した表情で反駁する。

 これで牢屋とか、或いは犬小屋とかに押し込められたら、魔力制限の首環を壊すしかない。大怪我を覚悟して、この鑢のようなウルミで削ってだ。


 いくら英雄譚の登場人物じみた相手でも、この一点は譲れない。

 人間性は、人間的環境によってのみ保証される。衣食足りて礼節を知るとは言うが、フィリップが最低限の衣食住を失えば、擦り減るのは人間性だ。ただでさえ外神の視座が侵食してきて、今やハスターを小間使いのように考える節まである状態だ。これ以上人間性ブレーキが擦り減ると、コースアウトの可能性も見えてくる。


 そんな懸念から牽制したフィリップだが、ミナは怪訝そうに眉尻を下げてフィリップを見つめる。


 「人間を飼っている種族を見たことがないの? 普通は飼い主と同じ部屋に置くものでしょう」


 「おまえ教会で読み書き教わってないの?」みたいな口調で言われても、人外のローカルルールなんて知らない。……フィリップの実家にいた猟犬は基本的に外飼いだったが、世の中には愛玩用の室内犬も存在すると聞く。その系譜なのだろうか。


 まぁ、「人間を飼う」という字面から想像される、人間加工食肉工場に併設された飼育場、或いは牧場のようなところに送られ、栄養状態から繁殖までを管理されるようなことにはならなさそうだ。それだけでも多少は安心できる。


 「な、なるほど。……ちょっとディアボリカと話してきます」

 「……あまり長話をしないように。きみにはなるべく、アレと仲良くして欲しくないから」

 「あ、それは大丈夫です」


 フィリップはぱたぱたと足早に階段を降り、そのまま玉座の間を出る。


 部屋の中に居たメイドたちが気を利かせて扉を閉めてくれて、フィリップは廊下でディアボリカと二人きりになった。


 「……お、お嫁さんを放置して義父さんのところに来るなんて、イケない子ね」

 「声が震えてますよ。……質問があります」


 フィリップは扉から離れるよう、ディアボリカを強めに押す。軽く押したくらいでは、屈強なディアボリカは「押されている」と認識してくれなかった。


 フィリップにとって最優先で聞くべきことは、あの匂いだ。

 ミナに感じた、形容しがたくも芳しい香り。あれがマザーの匂いなのか、それともよく似ただけの匂いなのか。それを確かめないことには、まともな思考が出来そうにない。

 

 「一つ目は、彼女の匂いについて──黙って聞け。真面目な話です──」


 多少の変態性を感じさせるワードチョイスに茶々を入れようとしたディアボリカを鋭く制し、フィリップは淡々と語る。


 「──貴方は以前、僕に“月と星々の香りがする”と言いましたよね。それについて詳しく教えて下さい」

 「詳しく、ねぇ? 前にどこまで話したか忘れちゃったけど、アナタのそれは、アタシたち夜に棲むモノの気配によく似ているわ。夜の複雑な匂いに織り込まれた、月や星の気配ひかり。その根源である月や星々に匂いがあるのなら、アナタの纏う神秘的な匂いがだと思わせる、アタシたちより何倍も何十倍も、何百倍も濃い、濃すぎるあまり別物に思える夜の匂いよ」


 フィリップは適当な相槌を打ちながら、常人の域を出ない脳を必死に回す。


 「土星の猫と僕の匂い、それと吸血鬼の匂いは同じものですか?」

 「ん? うーん……同じ匂いで濃淡に差があるだけかと言われると、ちょっと自信無いわね。アナタより濃い臭いだけど雑味が多いのがあの猫ちゃん、アナタの匂いをとびきり薄めたらアタシたち、って感じかしら? うーん、匂いの感覚を言語化するのって難しいわね」

 「……そうですね」

 

 そういえば、何かの香草と糞便は同じ臭いで、濃淡の差だという話を聞いたことがある。全く別なものが同系統の臭いを発することは珍しくないのかもしれない。


 土星猫は星間航行の果てにこの星に辿り着いたわけだし、本当に月や星の光をダイレクトに浴びて来たのだから、「月と星の匂い」に一番近いのはアレの臭いだ。


 吸血鬼は月光下で能力が倍増するという特性を持っているから、月の光と親和性のある身体構造をしているとかだろう。正直、彼らに関しては智慧も知識も持ち合わせていないので、考えるだけ無駄だ。智慧に無いのなら地球外の存在に由来するものではないと、思考停止して受け容れよう。


 そして、フィリップが纏う邪神の気配。ナイアーラトテップとシュブ=ニグラスの残り香。

 フィリップ自身では自分の臭いなど分からないが、マザーの匂いだと思うと「まぁ確かにみんな好きな匂いかもしれないな」と納得してしまう辺り、手遅れ感は否めない。みんなと言っても、今のところ好意的な反応をしているのは吸血鬼だけなのだが。


 「野生動物なんかには嫌われる臭いなんですけどね」

 「あら、そうなの? 獣避け要らずね」

 「まぁ、そうですね。野外試験や修学旅行の道中でも、獣の襲撃を受けたことは無かったです。……馬にも乗れないし、もふもふをもふもふすることも出来ないんですけど」


 ──そういえば、もふもふで思い出したが。


 「そうだ、二つ目の質問です。ペットって何ですか? いや別に、婿入りしたくて来たわけじゃないんですけど、もうちょっとマシな待遇があるでしょう。客人とか、ゲストとか」

 「それ殆ど同じよね? うーん……あれは正直、アタシも想定外と言うか……。い、いやでも、大丈夫よ! 今はペット枠だけど、一緒に居られるんだもの。ここからアナタの男らしいところとか、カッコイイところを見せて、印象を変えていけばいいの!」


 微妙に尤もらしいことを言っているように聞こえるが、フィリップのディアボリカに向ける視線は冷たい。


 「種族差とか初対面とかそもそも拉致られたとか色々置いておくとしても、「愛玩動物と結婚しよう!」なんて考える狂人とは結婚したくないんですが。そもそも価値観が違い過ぎる」

 「あー……、まぁ、あの子はアタシとも違う、生まれついてのナチュラルボーンマンイーターだから。でも、アナタはそういうのに寛容でしょう? 現に、「ペットにする」なんて言われても、全然怒って無かったし。……一応教えておいてあげるけど、いくら相手から見て人間が愛玩動物程度に過ぎないとしても、普通は怒って嫌がるところよ、あれ」


 なるほど、次があったら気を付けます、というフィリップの返事は、また普通とはズレたものだった。

 人間以上の存在に慣れ、人間も彼らも等しく泡に同じという思考に慣れているからか、今更「劣等種」扱いをされたところで、然したる不快感は無い。非人間的な扱いを受けるならともかく、衣食住が保証されて、何より人間的で尊重された扱いだというのなら、甘んじて受ける。


 郷に入っては郷に従えの精神というか、自分の価値観が絶対的におかしなものである自覚から来る、異なる価値観への異常なまでの寛容さ。これもある意味では、フィリップに特有の異常性だ。


 「……所詮は怪物の、人外のやることだからと思って聞かなかったんですけど、それが僕を選んだ理由ですか? 人食いの化け物とでも家族になれると?」

 「それもあるわ。それにアナタ、あの子のこと好きでしょ?」


 揶揄い交じりではなく、大真面目に訊いていることが分かる顔のディアボリカに、フィリップは薄い苦笑いを返す。


 あくまで主観的な記憶だが、初恋の記憶さえ無いフィリップだ。そして初恋を経験しないまま価値観が狂い、人間どころか邪神相手でさえ対等な存在として見られなくなった。或いは、真に対等な存在として見てしまう、と言うべきか。

 だから恋愛的な意味で誰かを好きになるという感覚が、どんなものなのか分からないフィリップは、ディアボリカの質問に「そう」とも「そうではない」とも答えられなかった。


 否定もできないのは、フィリップの彼女に対する感情や認識の中に、肯定的なものがあるからだ。


 「綺麗な人だとは思いますよ。僕が知ってる中でも二番目です」

 「あら、駄目よ。そこは嘘でも“君が一番だよ”って言ってあげなきゃ。今は良いけど、あの子の前ではちゃんとしなさい?」


 不満そうな顔のディアボリカに、フィリップも同じ表情を返す。

 フィリップの女性経験はゼロだし、マザーのせいで性癖と美的感覚が歪み切っているので「恋愛における常識」なんて知らないのだが、一般常識で考えるなら不誠実な気がする。


 「嘘でもですか?」

 「そうよ。他の女がいると知っていても、自分といる時には自分を一番にしてくれる──女はね、そういう男の方が好きなのよ。馬鹿正直に「君は二番目だよ」って言われて「あぁ私は二番目なんだ」って寂しい思いをしながら過ごす時間より、「今だけは自分が一番なんだ」って思いながら過ごす時間の方が幸せでしょ? その幸福感を与えるのは、男として最低限の義務だと思わない?」


 フィリップは一応は既婚者の言うことだからと、助言をきちんと最後まで聞く。そして最後の質問には、


 「……なんで貴方が女性代表みたいな顔でモノを語ってるんだろうな、とは思います」

 

 と、答えにならない言葉を返した。














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