第232話

 「ならぬ」


 ステラが国王にフィリップ救出部隊の編制と指揮をステラ自身が取り仕切る旨を伝えたとき、王はそう返答した。

 王もフィリップを気に入っていると思っていたステラは「何故」と食って掛かるが、彼の瞳は愚かな娘に向けるに相応しい、失望に満ちて冷たいものだった。


 国王の居室、絢爛無比な謁見の間とは違い、過ごしやすい落ち着いたインテリアの揃った部屋で、二人はソファに腰掛けて、ローテーブル越しに睨み合う。ステラの左右にはルキアとヘレナも座っていたが、二人とも口を挟まず、二人の口論を黙って見ていた。


 「先刻の襲撃の件は、王都内でも一部の者しか知らぬこと。そして学院と、一等地の一部で事を見ていた者には緘口令が敷かれた」 

 「……当然のことです」


 王都の警備は完璧だ。

 住民はそう信じているし、衛士団にはそう豪語するだけの実力がある。人間の軍隊が相手であれば、彼らの守りを抜いて王城へ迫ることは叶わないだろう。


 ただし、そこには例外もある。

 たとえば龍種。たとえばゴエティアの悪魔。たとえばディアボリカのような上位吸血鬼。彼らの守りを突破できる強大な戦力が、この世には確かに存在する。特に空を飛べる相手は、地を歩く人間にはどうしようもない。


 その例外の存在を、わざわざ住民に教えて怖がらせる必要はない。だが──


 「そこでお前が「吸血鬼追撃と人質救出のための部隊」を率いて王都を発つのか? 或いは王都外にて集合し、そこから発つか? どちらにせよ、緘口令などすぐに効力を失う。その時、民の間に蔓延するであろう、吸血鬼に襲撃された恐怖を拭うことが出来るのは誰だ? この王都を守ると宣言し、民に信じさせられるのは誰だ? お前と、お前が連れて行こうとしている二人の聖痕者を措いて他にはいまい?」

 

 猿に二次方程式の解の公式を教える馬鹿を見るような目で、国王は淡々と語った。

 

 「ステラ、王族であるのなら、最大多数の幸福を優先しろ。100の他人を救うため、99の友人を見捨てろ。お前はそう生きてきたはずだ」


 ステラは隣に座ったルキアが、ちらりと自分に一瞥を呉れたのを、目の端で捉えた。

 その視線に込められた意味を正確に汲み取り、ステラはふっと口元を緩める。


 ここでステラが言い負かされても、ルキアには関係ない。いや、ステラが言い負かされたら、その時点で関係なくなると言うべきか。


 ルキアは傲慢だが、馬鹿ではない。

 シルヴァが言う「すごいとおい」場所まで、馬を駆り、たった一人で向かうのは、いくら何でも無謀だ。野営や長距離行軍に関する知識が不足している彼女一人では、最悪の場合、行き倒れる可能性もある。


 だから、叶うのなら、そういった知識を持った供回りを連れて行こうとしているのだ。


 だが同時に、フィリップの命が懸かっているとなれば、どんな馬鹿でもやるだろう。

 ステラは知らないことだが、かつてはナイアーラトテップの化身であるナイ神父に、正面から啖呵を切ったこともあるくらいだ。行き倒れる覚悟で、単身、ディアボリカを追跡するくらいのことはやる。


 勿論、そうなればアリアとメグは付き従うはずだ。しかし野営や長距離行軍の知識においては、やはり本職の軍人に軍配が上がる。

 ステラの親衛騎士か、欲を言うのなら衛士団を数人ばかり動員したい。それと万が一に備え、学校医であり二つ名持ちの治療術師であるステファンも。そうなれば道中も、フィリップの救出に際した戦闘を見据えても、万全の態勢と言えるだろう。


 本当なら、どうにかしてこの辺りの条件を呑むよう、交渉すべきなのだろう。普段のステラなら、そうしているところだ。

 だが──そんな親子の会話を楽しんでいる暇も、余裕も、今のステラには無い。


 「なら学院長を置いて行きます。手勢も私の親衛騎士だけで結構。出国さえ認めて頂ければ、それで十分」


 恐らく何かしらの因縁があったのだろう、一番やる気に溢れていたヘレナが、えっ、と情けない声を上げた。

 しかし、誰も気に留めない。


 「ふむ、暗黒領へ踏み込むには戦力不足だとは思わんか?」


 仮にも一国の王女であり、更には最大戦力でもあるステラは、軽率に他国へ入国することはできない。

 今回は王国から暗黒領へ出るだけだが、それでも、王国法どころか人間の理屈が通らない場所へ出るわけだ。本当なら100人規模の護衛を付けるところだし、普段ならステラの麾下にも幾つかの近衛騎士団の大隊があった。


 しかし、今は近衛騎士団そのものが存在しない。組織再編の真っ最中だ。親衛隊はごく少数だし、練度はともかく頭数が足りない。


 だが──端から、戦力は足りているのだ。ルキアとステラが居れば十分に事足りる。

 

 「……陛下、何を目論んでおられるのです?」


 ──そんなことは、国王とて承知のはずだ。なのに何故、こんなにも長々と無駄話をしているのか。


 ステラがその疑問を抱いたとき、部屋の扉がノックされた。

 扉の側に控えていた部屋付きのメイドが来客の用件を聞き、国王の耳元で囁くと、国王は上機嫌に「よろしい、素晴らしい手際だと伝えてくれ」とメイド伝てに褒めた。


 「食料と医療物資、野営用の設備を載せた馬車が用意できた。それから長距離行軍用の軍馬が六頭。馬は使い潰しても構わない。何としても、無辜の国民が吸血鬼に吸い殺される前に、或いはその眷属とされる前に助け出すのだ!」

 「……えっ?」


 どういう状況なのか呑み込めず、ステラが彼女らしからぬ素っ頓狂な声を上げる。国王の命令に返事をするという当たり前のことすら、頭の中から吹っ飛んでいた。


 流石はステラと言うべきだろう、彼女の思考が停止していたのはほんの一瞬で、思考を取り戻した直後には、もう全てを理解していた。


 「陛下──父上、こんな時に冗談はお止めください。お気遣いには感謝しますが……ルキアの、この不機嫌そうな顔をご覧になっては?」


 まぁ、国王がここで「よし行け」と即答していても、ちょっと渋るフリをして時間を稼いでいても、どうせ馬車や物資の準備をする時間は待たなければいけなかったわけだ。

 そう考えると、準備時間をイライラしながら過ごすよりは、目の前の堅物をどう説得するかと考えていた方が、精神衛生には良いのかもしれない。人間というのは不思議なもので、思考に耽っている状態と、何もしていない状態では、体感時間に差があるのだ。


 それに、待たされてイライラした状態で慌ただしく出発するより、「何なんだあのクソ親父」と思いながらでもスムーズに出発した方が、その後の焦りも緩和される。


 馬を全力で走らせればすぐに着くような距離ではないのだ。

 むしろ馬の調子を気遣いながら、ゆっくりとでも、確実に歩を進めることが要求される長距離になる。──これは過去にディアボリカと一戦交えたことのある、ヘレナの言だ。彼女は魔王戦役の際に作った暗黒領の概略地図──を、記憶を頼りに描き起こした地図を持ってきていた。


 「……分かったわ、留守番は引き受けます。その代わり、貴女たち二人と、カーター君──私の生徒は全員無事に帰ってくること。いいですね?」

 「無論だ。それより、この地図の信憑性はどんなものなんだ?」

 「100年前の地図だから、そこそこよ。でも、ディアボロス──今はディアボリカでしたね。奴の居城は暗黒領のやや北部、王都の南方約1000キロ辺りにあったわ。カーター君の召喚物の意見も鑑みると、ヤツが向かったのはそこでほぼ確定でしょうね」


 ルキアとステラは目を合わせて頷きを交わす。

 そしてほぼ同時に立ち上がり、国王に向けてきっちりとした立礼を見せた。カーテシーでは無かったのは、二人ともドレスではなく、乗馬服だからだ。

 

 「御前失礼します、陛下。逼迫した状況ゆえ、これにて」

 「では行って参ります、父上。……あぁ、カーターはどうやら吸血鬼の娘婿として連れ去られたようなので、命の危険は無いと思われます。そこはご安心を」


 一連の、いわば悪戯の仕返しとばかり、ステラはそんな一言で茶目っ気を見せる。

 しかし相手は国王だ。「それは朗報だ」と威厳たっぷりに頷くだけで、ステラは不発かと肩を竦めて部屋を出た。


 国王は柔らかなソファに沈むように背を預け、薄く透明な窓ガラス越しに、青く晴れ渡る空を見上げた。


 「……娘婿……?」


 如何な国王と言えど、予想外の単語だったらしい。

 困惑に満ちた呟きは、彼と部屋付きのメイドの心の内に仕舞われて、誰にも明かされることは無かった。


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