第231話
「仮にも娘婿として攫ってるなら、義理の息子候補の言葉にはちゃんと耳を傾けるべきだと思うんですよね。質問にはちゃんと答えるとか、いやそもそも、家族にしようって相手を強引に誘拐する時点でもう色々と狂ってるんですよ。頭おかしいんですか?」
一時間後、また休憩と称して着陸したディアボリカに、フィリップはそう食って掛かった。今度は演技も裏の狙いも無い、100パーセント苛立ちの発露だ。
前回は荒涼とした草原だったのだが、今度は鬱蒼とした森の中で、初めてディアボリカに遭遇した時のことを思い出す。
「言葉ってのは、人間が人間がましく在るために必要な要素なんですよ。僕は前から「それぐらい言わなくても分かれよ」みたいな態度の客が嫌いだったし、今となっては言葉も扱えない猿みたいなヤツを同じ人間だとは思いたくありませんね! そんなクソ野郎と家族になるぐらいなら大陸半分消し飛ばすわバーカ!」
「ヤダもう、ごめんってば、そんなに怒らないでよ。そこまで怖かった? 上空5000メートル、時速120キロの体験」
「怖かった!! 寒いし息苦しいし風圧で舌が喉に引っ付いて息も出来なくなるし目も開けられないし! めちゃくちゃ怖かった!!」
フィリップが中指を立てながらぷりぷりと怒っている理由は、ディアボリカが飛翔中に『拘束の魔眼』を解除したことにある。何かの手違いとかではなく、ちょっとした冗談で。
ほんの十数秒間だけのことだったが、氷点下10度の低温に晒され、かつ時速120キロで飛んでいた。つまり体感温度はマイナス30度辺りまで低下する。そういった特殊環境下でも体内・体表の変化をほぼ完全に凍結する『拘束の魔眼』は、何とも便利な防護服だと、フィリップは身を以て体験したわけだ。
「意外だわ。アナタにもちゃんと怖いものはあるのね」
「はぁ? そりゃ、勿論ありますよ」
フィリップの精神性は人間の域に無いといっていいが、それでも恐怖と無縁ではない。さっきだって小便をちびるかと思ったくらいだ。
本能的恐怖は人体の基本的機能として備わっているし、他にも痛みや、人間性を失うことへの恐怖や忌避感はある。
「いいわね。完璧な男より、ちょっと弱みのある男の方が、女は心惹かれるのよ?」
「……そういえば、なんで僕を娘婿に? 娘さんとは面識もないと思うんですけど、さっき言ってた「吸血鬼同士では子供は出来ない」って話ですか?」
「それもあるわ。大体の吸血鬼は子供なんて作らず、眷属という形で種を増殖させる。アタシみたいに子供を作るのは特殊な例ね」
特に驚くべきところではないはずだが、フィリップは片眉を上げ、意外そうな表情を作った。
「あ、ディアボリカの子供もそうなんですか。てっきり
「アタシのこと、七面鳥か何かだと思ってるの……?」
「人間ではないのは確かですよね」
フィリップが言うと、ディアボリカは「言うじゃない……!」と楽しそうな笑顔で指を弾き、その人差し指をフィリップに向けた。
「そ。アタシは人間を辞めたのよ。その理由に娘とか、奥さんが絡んでくるんだけど……そうね、この話は、次の休憩の時に聞かせてあげるわ。そろそろ行くわよ!」
「え、待って、そういう微妙に気になる切り方は──」
フィリップは拘束の魔眼を以下省略。また荷物のように抱えられ、ピクリとも動けないまま超高速の旅路に連れ出された。
ディアボリカも同じ冗談を繰り返すことは無く、今度は何のアクシデントも起こらないまま120キロを移動し、また休憩と相成った。
何処に向かっているのかは判然としないが、今度は荒野のど真ん中だ。遠くには岩肌の露わな峻厳な山脈が見える。
この“休憩”だが、フィリップは完全に拘束されていて、疲労物質の分泌さえされない──尤も、精神的な疲弊はあるが──以上、ディアボリカの魔力回復時間なのだろう。
ちなみに、魔力や魔術による人類単独での飛翔は、人間では再現できない「不可能魔術」の一つだと言われている。
理論上、ルキアは重力を操作することで行きたい方向に「引かれる」ことで、疑似的に空を飛ぶことはできる。風属性聖痕者のヘレナも、風を操作して意図した方向に「吹き飛ばされる」ことは可能だ。
だが、そこには何か間接的な媒介を必要としている。ルキアなら重力、ヘレナなら風、大気だ。
しかし吸血鬼の種族特性である単独での飛翔には、そういった媒介が必要ない。何かを操作した結果として「飛ぶ」のではなく、本当に自分の意思と魔力によって「飛ぶ」ことが可能なのだ。不老といい、銀武器と魔力攻撃以外の無効化といい、種族として強すぎるのではないだろうか。
「……で?」
「で? って?」
「人間を辞めた理由の話ですよ!」
「あぁ、それね。うーん、どこから話したものか……アナタ、エルフって知ってる?」
やや唐突な話題の転換にも思える問いに、フィリップは僅かに戸惑いながらこくこくと頷く。
エルフと言えば、言わずと知れた長命種の代表格だ。王国領には殆どいないらしいが、帝国の一部地域、あとは暗黒領の森の中に住んでいて、高い魔力と、強い縄張り意識を持っているという。
ほぼ不老不死と言ってもいいほどに寿命が長く、大抵のエルフは10代後半から20代前半の若々しい容姿をしている。その特異性から、魔物ではないかという意見もあるくらいだが、殺せば死体が残るので魔物とはカテゴライズされない。
その容姿は極めて優れており、老若男女問わず例外なく美男美女揃い。そして男は筋肉がありながらも細く引き締まった、女はしなやかな筋肉を持ちながらセクシュアルな起伏に富んだ、蠱惑的な肉体を持っているのだという。
魔術センスと優れた容姿、美しい肢体などから、冒険譚や英雄譚で語られることの多い種族だ。それでいて、その強い縄張り意識から、人間との交流が極めて少ない。
フィリップも以前は「一度は会ってみたい種族ランキング」の最上位に置いていた種族だが、同じく上位にいたドライアドの理想と現実の落差に打ちのめされて、ランキングそのものが消滅した。
そんなエルフがヴァンパイアにどう絡んでくるのだろうと、フィリップは目線で先を促した。
フィリップの目の奥に興味の輝きを見つけたディアボリカは、少しだけ上機嫌に続きを語る。
「アタシはね、エルフと恋をしたの。……知ってる? 当時の人間はね、60年かそこらが寿命の限界だったのよ。対して、エルフの寿命は1000とも2000とも言われてる……身分違いの恋ってヤツよね、これも」
フィリップは同意も否定もせず、ただ相槌を打つ。
その反応を気にした素振りも無く、ディアボリカは過去の回想に埋没していった。
「アタシと彼女は、互いに惹かれあって、恋仲になった。でも当然、そこには大きな寿命の隔たりがある。……アタシたちは二人とも臆病で、傲慢で、救いようのない愚者だったけれど──それでも、お互いを心から愛していたわ。彼女は聖なるものであることを、アタシは人間であることを諦めて、一緒になったのよ」
「……寿命の為に人間性を捨てるとは、人間の風上にも置けない奴だったんですね。今では生物学上ですらヒトじゃないわけですけど」
「辛辣ね!? ここは「愛の為に人であることを辞めるなんて、ロマンティック!」って感動するところよ!?」
わあわあと騒ぐディアボリカに、フィリップは呆れたような笑みを溢す。
確かに、ロマンティックがどうかはさておくとしても、愛情──もっと言えば、他人の為に人間性を捨てられるその精神性には、不本意だが敬意を抱くところだ。
フィリップは他人を愛することが出来るかと聞かれると、NOと即答できる。そして、その答えは正しい。
そもそも、何かを心の底から大切だと思うことが難しいのだ。遍く全てが例外なく泡沫であり、そこには一片の価値も無い。男も、女も、老人も、子供も、自分の親や兄弟でさえ。
勿論、衛士団や、ルキアやステラのことは大切だと思っている。
しかし、これも自覚していることであり、正解だが、「人間性を捨てるか、彼らを殺すか」という決断を迫られたとき、フィリップは人間性を捨てられない。
ディアボリカとフィリップでは、人間性に感じる価値の大きさが全く違うのだとは分かっている。
それでも、フィリップには出来ないことをやったディアボリカは、素直に凄いと思った。真似は出来ないし、したくもないが。
「……ん? ま、待ってください? じゃあ娘さんは……」
「あ、気付いた? そうよ、ほぼ不老のほぼ不死、エルフの長命と吸血鬼の不死性を併せ持った、ハーフエルフ・ハーフヴァンプよ」
「かっっっっ」
フィリップは顔を覆い、天を仰いだ。
指の隙間から、押し殺し切れない感動が漏れる。
「かっこいい……なんだそれ……」
ハーフエルフは、とても貴重な存在だ。
エルフは人間によく似た外見だが、数百年生きることから分かる通り、生物種としては全くの別物だ。当然ながら、遺伝子の構造も異なる。
しかし、遺伝子やゲノムなんてものは、言ってしまえば蛋白質でしかない。
体内で生成される遺伝子情報を書き換え、異種交配を可能にする薬というものは、エルフの薬師には経験則的な秘伝の調合として語り継がれていた。つまり、理論上はハーフエルフ・ハーフヒューマンは存在し得るということだ。
英雄譚では仲間の一人として、優れた術者であるハーフエルフや、狩りの達人であるエルフなどがよく描かれる。
しかしそれは、あくまでも半人だ。ハーフエルフといえば、残り半分が人間なのが常だった。
それを覆す──半吸血鬼という特殊個体。
会ってみたい。是非ともお近づきになりたい。なんか握手とかしてもらいたい。
「興味湧いた?」
「ま、まぁ、ちょっとだけ?」
素直には答えないフィリップに、ディアボリカは駄目押しとばかり、フィリップの食いつきの理由を正確に分析した、止めの一手を放った。
「あの子、魔剣使いよ」
「会ってみたいです」
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