第229話

 その日、ルキアとステラは王城の一室で、かったるそうに窓の外を眺めていた。

 高級なソファに沈むように身体を預けた彼女たちの対面には、ローテーブルを挟んで、ヘレナと、他四人の宮廷魔術師と宮廷錬金術師が座っている。


 彼女たちは先ほどから、端的に換言すれば「今年こそは台本通りに演じてくれ」というだけのことを、長々とクソ丁寧に羅列している。呆れ顔のヘレナはともかく、媚びるような目の彼らには、ルキアは一片の尊重も抱かなかった。ステラも「ルキアが本気になるのなら、私も本気を出さなくては一瞬で死ぬからな」と、彼らの言葉を肯定も否定もしない。


 結局のところ、二人の判断基準に他人の言葉は介在しない。

 ルキアは「フィリップが楽しめるものを」と考えて、ステラはそれを看破して「どうせ本気を出すことになるのだろう」と獰猛に笑う。


 とはいえ、目の前で神域級魔術をポコポコ撃たれるのは、魔術に精通したものほど強いストレスになる。彼女たちに限って事故など起こすまいが、絶対に自分の手が届かない遥かな高みを見せつけられるのは、精神衛生に良くない。それに何より、あの空間隔離魔術は「理論的には理解できる」のに、「目の前の魔術式は理解できない」という、それこそ精神を蝕むような代物だった。


 さてどう説得したものかと困り顔を浮かべていたヘレナが、ばっと弾かれたように振り返る。

 愕然とした視線を窓の外に向けるヘレナにつられて、ルキアとステラも怪訝そうに同じ方向を見て──同じく、愕然と目を見開いた。宮廷魔術師たちも慌てて席を立ち、窓に駆け寄って学院の方を見つめる。


 「ディアボロス……!」


 ヘレナは彼女自身が展開した結界魔術が、邪悪なる何者かによって突破されたことを知覚した。

 それだけでなく、彼女は100年以上前に矛を交えたことのある強大なアンデッドの魔力パターンを記憶し、その高い魔力感知能力と併せて、襲撃者を特定していた。


 思わず口走った名前に、ルキアとステラが反応する。


 「それ、あの森の? どうして王都に?」

 「……学院長、そいつは今どこに?」


 ソファを立ち、開け放った窓から身を乗り出しているヘレナの背中に、ルキアとステラが問いかける。

 ルキアは答えが返るより先に部屋の扉を開け、外で待機していた従者の片割れに「学院に走って。フィリップの安全確保を最優先に」と命じた。


 「そりゃあ、王都への攻撃が目的でしょう? ……学院の校舎棟に入ったようね。……王城ならともかく、どうして校舎に?」


 ヘレナは一先ず片手を挙げて、結界魔術の再構築に取り掛かる。

 もしこれが魔王軍の襲撃の、その嚆矢なのだとしたら、後に続くであろう部隊を遮断するためだ。しかし、そんな気配は今のところ無い。


 「まさか単騎駆け? 舐められたものね……」


 ほんの十数秒で防護結界の再構築を終えたヘレナは、自動追尾型の攻撃魔術を展開する。視覚ではなく魔力感知に頼った、浮遊機雷のような魔術だ。決定力は無いが、牽制には十分だろう。


 「見つけた!」


 遠く、窓枠に足を掛けて今にも飛び降りそうな、長い黒髪の男が見える。

 顔立ちや表情は分からない距離だが、逞しい体格と羨ましいほど艶やかな黒髪は、記憶にあるディアボロスの特徴と一致する。


 「《回帰──、っ!」

 「……何故撃たない? 対邪悪・対罪人用の粛清術式なら、アンデッドは一撃──っ、人質か」


 遠目でよく見えないが、人間大の何かを担いでいるのは分かる。


 ルキアもステラも、同学年の生徒が人質に取られたくらいでは止まらないが──ヘレナは違う。彼女にとって生徒は、何が何でも守らなければいけない庇護対象だ。ここでステラが代わりに撃とうとしても、ヘレナはステラを妨害するだろう。


 そんな無駄なことをしている暇は無いのだが、ヘレナにも意地と責任がある。

 大多数の生徒を守るためであったとしても、人質に取られた一人を犠牲に敵を殺すことは許容できない。最後の最後まで、誰もが無事に救われる方法を模索する義務がある。


 その弱さを、ステラは許容しない。

 撃つべきだ。そうは思うが──ヘレナと撃ち合いになってしまうと、それこそ神域級魔術による殺し合いに発展する。


 「ルキア、学院に戻るぞ。カーターが誰も発狂させていないことを祈ろう」

 「……そうね。現状、人質に一番無頓着なのはあの子だもの」


 フィリップと因縁のある吸血鬼──フィリップにしてみれば、片腕をボロボロにされた憎い相手だ。

 人質なんぞ知ったことか、お前は死ねとばかり、既に邪神を召喚している可能性も無いではない。流石に、クラスメイトを避難させるくらいの時間は待てると思うが──自惚れを抜きにしても、フィリップはルキアとステラ以外に然したる価値を感じていない。憎悪を優先する可能性は十分にある。


 そんなステラの懸念とは裏腹に、フィリップはディアボリカに対して、然程の憎悪を抱いていない。というより、怪我から一週間ほどで、その感情を忘却していた。だから変に会話などして、魔眼を喰らって拉致されるのだが──今のルキアとステラは、そんなことは露と知らない。




 数十分後、窓の全損した教室に入った二人は、誰もいないことを確認して寮に向かう。まあ流石に、ガラスの破片が散乱した教室で授業が続いているとは思わなかったが、念のためだ。


 寮母に断りを入れて階段を上ると、暗い廊下の突き当り、部屋の前に小さな人影があった。

 鍵を失くして締め出されたフィリップが膝を抱えてしょぼくれているように見えた二人は、苦笑しながら近づいていく。しかし、数歩も歩けば違うことは分かった。


 二人の足音に気付いて顔を上げたのは、若葉色の髪の少女──人間どころか生物でさえない、フィリップの使い魔。シルヴァだ。


 「……何してる、シルヴァ?」


 ステラの怪訝そうに笑いながらの問いには答えず、シルヴァはぽてぽてと二人に駆け寄って、ルキアの腰のあたりに抱き着いた。

 不思議な反応に、ルキアとステラは眉根を寄せた顔を見合わせる。


 「……どうしたの? フィリップは部屋?」

 「……締め出されたのか?」

 

 ステラはシルヴァの肩を軽く叩いて、フィリップの部屋の扉をノックする。


 しかし、返事は無い。当然だ、フィリップはもう、ディアボリカに連れ去られているのだから。


 ルキアはシルヴァの肩が震えていることに気付くと、自らもまた何かを悟ったように、ピクリと肩を震わせた。


 「……ねぇ、シルヴァ。フィリップはどこ? ……お願い、教えて」


 腰に抱き着いていたシルヴァを引き剥がしたルキアは、涙腺が決壊寸前のぐちゃぐちゃなシルヴァの顔を見て、脳裏に過った最悪の可能性に目を瞑る。

 言語化しなければ、声に出さなければ、その可能性から目を背けられていただろう。しかし、そんな無意味な現実逃避を、ステラが許すことは無い。


 「──死んだのか?」

 「──っ!」


 耐え難い恐怖から、ルキアのシルヴァを抱く腕に力が籠る。

 頼むから首を横に振ってくれと、ルキアだけだなく、ステラまでもが、宛ても無く祈っていた。


 ルキアの服に顔を埋めたまま、えぐえぐと嗚咽を漏らしていたシルヴァは、果たして首を横に振る。


 「……まだいきてる。でも、しるばはおいてかれた」


 魔術的契約によって繋がっているシルヴァには、フィリップの生死が把握できる。

 その彼女のお墨付きにルキアとステラがほっと安堵の息を吐いたのも束の間、シルヴァは声を上げて泣き出した。


 フィリップはディアボリカが離陸する直前にシルヴァを召喚していた。シルヴァの防御力はともかく、攻撃力の低さを知っているフィリップは、当然ながら助けを求めて召喚したわけではない。ただ、とにかくシルヴァを学院に残すことだけを考えていた。

 シルヴァはその気になれば、自分の意思でフィリップの元へ──正確にはフィリップとシルヴァを繋ぐ魔術的な異空間へ戻ることができる。当然ながら、シルヴァは何度もそれを試みたのだが、しかし今は、フィリップの意思によって、シルヴァの送還が封じられていた。

 

 捨てられた。

 シルヴァはそう、錯覚していた。


 自らの置かれた状況を説明し終えたシルヴァの肩を、ステラが力強く掴む。


 彼女には確信があった。

 フィリップはシルヴァを捨てたわけでもなければ、生を諦めてシルヴァを遺したわけでもない。それどころか、誘拐される直前で、ほぼ最適の解を選んでいる。


 ──追跡の手がかりを残すという、最適の解を。


 「──いや、違う。お前は導だ、シルヴァ。カーターの位置は分かるな?」

 「ん……あっちのほう」

 「お前の感覚を頼りに、私達が救出に向かう。そのために、あいつはお前を残していったんだよ」


 シルヴァにはフィリップの現在位置が分かる。そしてフィリップにも、シルヴァの現在位置が分かる。

 謎の吸血鬼に誘拐されたフィリップを追いかけることも、フィリップが救助までの大まかな時間を把握することもできるのだ。


 「……救助隊を編成したいところだが、近衛騎士団は再編中か……」


 ステラは先々代からの負債がこんなところで、と歯噛みする。

 ルキア──公爵家も大規模な軍隊を保有しているが、それらの大半は所領の警護中だ。王都にまで連れて来てはいないし、手勢と言えるのは使用人と、最低限の身辺護衛だけだ。


 今すぐに、自分一人でも助けに行くつもりだったルキアだが、ステラが「数」を必要だと考えているのを見て思いとどまる。

 

 「……何人必要?」

 「カーターの行き先次第だな。……シルヴァ、具体的な距離は分かるか?」

 「すごくはやい。あと、すごくとおい。しるばのもりよりとおい……むきははんたいだけど」


 シルヴァの森というと、彼女が以前に住んでいたガーテンの森──ローレンス伯爵領のことだろう。

 王都から伯爵領までおよそ60キロ。馬車で半日かかる距離だ。


 「まだ、どんどんはなれてる」

 「朗報だな。カーターを即座に殺すつもりは無いらしい」

 「でも、かなりの距離よ? 街道沿いなら替えの馬も宿もあるでしょうけど、道を逸れるなら野営も視野に入るわ」


 ステラは思考の合間に相槌を打ち、ややあって、シルヴァが指していた方──フィリップが連れ去られた方角とは逆を指し示した。


 「私たちは敵を知らなすぎる。その目的も、行動基準も、強さも、何も知らない。知識が必要だ。……一度、王城に戻ろう。学院長に話を聞きたい」


 ルキアは悠長なことを、とは言わず、逸る気持ちを抑えて頷いた。


 「シルヴァ。カーターは何か言っていたか? 敵と何か話したりとか、行き先や、目的について。なんでもいい、何かないか?」


 真剣な表情で思考しながら問いかけるステラに、シルヴァも同じく真剣な顔を真似しながら答える。


 「ん! むすめむこにするっていってた! ……むすめむこってなに?」


 以前に取り逃がした獲物を喰いに来たか、或いはシルヴァの排除か、はたまた使役契約の奪取でも目論んでいるのか。ルキアとステラに対する人質なのだとしたら、業腹だが効果的だ……などと考えていたステラの思考が、一瞬で吹っ飛んだ。 


 ルキアもルキアで、肩透かしされた困惑が赤い双眸の奥で揺れているし、聞き間違い──シルヴァとルキア二人の──ではないかと疑っているのが表情から分かる。


 「……娘婿? 冗談か隠語だろう、流石に……」

 「わかんない。でも、でぃあぼりかはそういってた。ふぃりっぷも」


 ほんの少しだけ緊張感の薄れたルキアとステラは、困惑に染まった顔を見合わせる。

 しかし一先ず、フィリップが即座に殺されることはないと見ていいはずだ。……言葉通りの意味であるのなら、だが。


 「まぁ、邪神への貢物とか、そういう目的じゃないのなら……猶予はある、か?」

 「殺されはしないんじゃないかしら。フィリップが何処の誰とも知れない吸血鬼に婿入りするなんて、私は嫌だけれど」

 「……だな。早く助けに行こう。あいつが吸血鬼にされる前に」


 


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