吸血鬼の花婿

第228話

 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 シナリオ10 『吸血鬼の花婿』 開始です。


 必須技能はありません。

 推奨技能は各種戦闘系技能です。


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 修学旅行の楽しさも忘れるほど長い旅路を終えた魔術学院二年生たちは、馬車に揺られ、街道沿いの宿に泊まり、旅程が狂えば野営さえする日々に別れを告げた。そして、快適な王都での暮らしの有難みを再確認して、卒業後にわざわざ所領に戻ろうとか、田舎に帰ろうという気を失くすのだ。

 ……まぁ、王国の囲い込み政策はさておき。


 二十日以上のクソかったるい旅程をこなした生徒たちだが、たった二日の休暇の後に授業が再開される。──それが、今日だった。


 フィリップはいつも通りの時間に目を覚まし、五階建て学生寮の五階、最上級個室の窓を開けて、朝の空気を肺一杯に吸い込む。そして、重苦しい溜息として吐き出した。


 「はぁ……」


 ──正直、意外だった。


 フィリップは自分のことを、そこそこ真面目な方だと自認している。そしてそれは、概ね正しい。

 フィリップは「やれ」と言われたことは、可能な限り全力でやってきた。学校の課題もルキアやステラに言われる訓練内容も、ナイ神父に言われたクトゥグア召喚やハスター召喚の魔術の練習も、以前は宿の仕事もそうだ。


 そこに大した意味や理由はない。言われたから、従っていただけだ。だからこそ「真面目」と表現できる。


 だが、今日に限っては。

 昨日も一昨日もたっぷり寝て、学食の美味い飯を食って、十分に英気を回復させたはずなのだが──かったるい。率直に言って、職員室にショゴスでも湧くか、或いは教室にカルトが乱入してくるイベントでも起こって、授業が休みになればいいのにと思う。


 まさか自分の中に、こんな不真面目な思考が眠っていたとは。フィリップはそう、意外感と共に自覚した。


 「ずるいなぁ、二人とも」


 脱いだ寝間着をポイポイと乱雑に放り、制服に着替えながら愚痴る。


 ルキアとステラは、昨日から王城に呼ばれていて、明日まで学院には来ない。

 今年度の建国祭がそろそろだし、その話し合いだとステラが言っていた。今回は流石に、空間隔離魔術のような過剰なパフォーマンスはやめてくれと、長々と迂遠かつ丁重に陳情されるのだろうとも。


 「夏休みが無いのが一番つらいよ……はぁ……」


 その悲しい事実を口にすると、自分の言葉が耳に届いて悲しさが倍増した。

 長期休暇が無いのは、別にいい。こう言っては何だが、タベールナで臨時手伝いをするより、学生寮に居た方が快適なのだし。


 だが──認めるのは本当に、心の底から業腹なことだが、自覚してしまった以上は目を背ける訳にもいかない、むしろ対策すべき事実として。……マザーに会いたい。

 何故かここ最近は、特にそう思うようになった。何かの錯覚なのか、或いは本当に陥落してしまったのかは不明だが。


 「呼び出すわけにもいかないしなぁ……」


 フィリップはとぼとぼと部屋を出て、僅かに項垂れたまま食堂に入る。

 いつもルキアとステラが一緒に居て、楽しそうにしているフィリップだ。一人でしょぼくれていると、周囲の目を惹く。とはいえ、流石に“猊下”相手に絡みに行くような果敢な生徒はいないし、フィリップのことをよく知らない下級生たちは、夏休みで学院にいない。


 モソモソと退屈そうに飯を食い、またとぼとぼと教室に入る。

 クラスメイト達の挨拶にも覇気がなく、返すフィリップの声にも張りが無かった。「猊下」と呼ばれても、「ゲイカジャナイ」と、イントネーションの狂ったツッコミを入れて素通りだ。


 ぐったりと机に突っ伏して、90分おきに入れ替わる講師の、変わらずつまらない話を聞き流す。


 「神学と歴史と生物学が続くの、スケジュールのミスでしょ……」


 聞く気さえ起きない内容の講義と、教科書の内容を羅列するだけの絶望的に単調な講義と、ゆったりとした低音の声と一定のリズムを刻むチョークの音が耐性貫通の睡眠魔術と称される講義だ。


 眠くないはずなのに、目蓋がゆっくりと落ちてくる。

 つまらない。かったるい。


 いつもみたいに、二人とマルバツゲームでもしていれば気も紛れるのだが──あぁ、本当に。


 「なんかトラブル起きないかな。学校が半分吹き飛ぶとか」


 基本的には平穏を望むフィリップの口から、彼らしからぬ不穏な言葉が漏れる。

 勿論、気怠い眠気に誘発されただけで、本心ではない。いくらルキアもステラも学院にいないとはいえ、生活圏を侵されるのは気分のいいものではない。


 そして──その願いを聞き届けたかのようなタイミングで、ガラスの割れる音が高らかに響いた。

 甲高い破砕音が耳に障り、フィリップだけでなくクラスメイト達も、一定のテンポを崩さず淡々と講義をしていた教員も、みんなが肩を竦めた。


 音の発生源は一つ隣の教室らしく、男女混声の悲鳴が一瞬だけ耳を刺し、すぐに消える。

 おそらく窓ガラスに何かが衝突して割れたのだろうが、妙に違和感があった。錬金術製のガラスは薄く美しいが、鳥がぶつかった程度では割れないはず──とか、ガラスの強度に対する疑問ではない。


 ──悲鳴が短すぎる。

 

 驚いた時に咄嗟に出る悲鳴が「きゃー」「うわー」だとしたら、今の声は「きゃ」「うわ」くらいだった。しかもほぼ全員の声が、全くの同時に立ち消えた。悲鳴を噛み殺す練習でもしているのかと思うほど、一斉にだ。


 まるで、悲鳴を出し切る間もなく、全員が殺されたようだ。


 「……様子を見てきます。皆さんは──ん? どうしました?」

 「せ、先生、駄目です……」

 

 教壇を降り扉に向かった講師の腕を、最前列に座っていた生徒が掴んで引き留めていた。

 その顔は蒼白で、身体も僅かに震えている。怪訝そうに眉根を寄せたフィリップがクラス内を見回すと、似たような状態で震えている生徒が何人もいた。


 フィリップは前の席に座っていた女子生徒の肩をちょんちょんとつつき、「みんな、どうしたんですか?」と聞いてみるが、彼女も何が起こっているのか把握していないらしく「すみません、私にも……」と恐縮していた。状況の把握に個人差があるということは、知識の差か、或いは知覚力の差だろう。


 恐らく、魔力視などの聴覚以外の手段で壁を見通した生徒たちが、恐怖に身を竦ませているのだ。フィリップは、もしや邪神案件か、そこまでは言わずともショゴスなどの人類領域外存在、神話生物の襲撃かと身構える。


 そんなことをしていると、教室前方の扉が開いた。からからと軽いキャスター音に視線が誘導された。

 クラス全員の視線が注がれる入り口から、こつ、こつ、と硬いブーツの音が響く。


 ゆっくりと、いっそ優雅な歩調を崩さず、堂々と教室に入ってくる人影に、フィリップは見覚えがあった。


 背中まで伸ばされた、滑らかで豊かな黒髪。

 大きく広げられたシャツから覗く、分厚い胸板と豊かな胸毛。

 髪と同じく、夜闇のように黒い双眸。

 ロワイヤル・スタイルに整えられた口髭。


 「はぁい、フィリップ君。お久しぶりね」


 親し気に手など振ってくる、不自然に甲高く調整された低い声の主。


 「でっっっっっ!?」


 知り合いかと驚愕に満ちた目を向けてくるクラスメイトも、何が起こっているのか分からないと明記された顔の教員も、廊下から聞こえる慌ただしい足音も、何もかも意識外に吹っ飛ぶ衝撃が、フィリップの言語野を狂わせる。


 にこやかな笑顔を浮かべた、筋骨隆々とした典雅な顔立ちの男──


 「出たぁ!?」


 ──吸血鬼、ディアボリカ。

 以前にフィリップの左腕をズタズタに潰し、100年前の力の何割かを取り戻していた森の代理人ヴィカリウス・シルヴァの追跡を振り切った……男?


 フィリップは椅子を蹴立てるように立ち上がり、右腰に佩いたウルミに手を伸ばす。

 何をしに来たのかは不明だが、この魔術学院の全周は風属性聖痕者ヘレナの敷いた結界魔術によって守られている。それを突破してきた時点で、それなりの目的があるはずだ。王都に来たついでに顔見知りに挨拶、というわけではないだろう。


 「あら、なぁにその反応。化け物でも見たような顔しちゃって」

 「化け物じゃないですか!! なんで王都に!?」


 ガタタッ、と椅子を蹴る音が連続し、生徒たちが一斉に席を立ち魔術を照準する。

 何人かはフィリップを庇う位置に移動しようとしたが、ディアボリカの魔力に中てられて一歩さえ動けた者はいなかった。


 「あら、前に言ったでしょう? アナタを殺さずに済むのなら、連れ帰って娘婿にしたい、って。アナタが無事だったみたいだから、迎えに来たのよ?」

 「……! ……? ……!?」

 

 言ってた! という回想。

 本気だったのか、という懐疑と呆れ。

 そして、何言ってるんだこいつ、という膨大な疑問が脳内を埋める。


 声にならない声さえ出ず、ただ「ちょっと待て」と両手でジェスチャーしながら、空転する思考を回し続けることしか出来なかった。


 「じゃ、アタシのお城にご招待ー」


 ディアボリカの漆黒の双眸が血の色に輝き、フィリップのほぼ全てが停止する。ウルミを抜こうとした右手だけでなく、滴り落ちる冷や汗も、心臓の動きさえ。


 「はいはい退いて頂戴ね。無駄な抵抗をしないなら、アタシだって何もしないから」

 「うわッ!?」


 生徒の一人が放った攻撃魔術が、ディアボリカの裏拳で弾かれて術者を襲った。

 ほとんどの生徒が、ディアボリカの放つルキアやステラにも匹敵する、或いは超越する魔力に恐れをなして腰が引けていることを考えると、彼は勇敢だった。とはいえ蛮勇の類だが。


 ディアボリカは悠々と教室内を進み、ぴくりとも動けないフィリップの、凍り付いた身体をひょいと担ぐ。


 「よいしょっと。それじゃ──おっとと、流石にバレちゃったか」


 窓を開けて飛び降りる姿勢になっていたディアボリカが、王城に向けて手を掲げる。

 手を振るようなものではなく、王城の一室とディアボリカの心臓を繋ぐ一直線を、自分の腕で遮るような形だ。


 ──直後、その腕に無数の斬撃線が入り、右腕は肘から千切れ飛んだ。


 特定の魔力に反応して起動する遅効魔術の投射。

 設置型魔術の設置座標変数を常に更新し続けるような、馬鹿げた演算能力が必要な魔術だ。ディアボリカも、ルキアやステラも、「やれ」と言われて出来るような芸当ではない。


 「これって声は聞こえてるのかしら? いや、たぶん魔力感知だけね。よいしょ、ほーら、アナタのかわいい大事な生徒よー? 撃っていいのかしらー?」


 一瞬で再生した右手をプラプラと振りながら、ディアボリカは気楽そうに呟く。


 ──返事は無い。だが、それ以上の攻撃も無かった。


 「相変わらず甘いのね。転生しても変わってない」


 ディアボリカは独り言ちて、窓枠から跳んだ。

 否──飛んだ。


 ドッッ! と凄まじい音を立て、窓枠を蹴り砕き、余波で上下階と左右の部屋のガラスを割りまくった結果は、跳躍ではなく飛翔だった。


 砲弾もかくやという速度で遠ざかっていく二人を、Aクラスだけでなく、何事かと窓際に集まった生徒たちが見送っていた。




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