第227話

 火祭り、或いは炎跳びの祭事は、帝国にルーツを持つ土着の祭りだ。

 この大洗礼の儀に合わせて教皇領で行われるものは、それを少し改変したものになっている。オリジナルは燃え盛る庭火の上で一時間もの間裸足で踊り続けるという、神事というより拷問に近いものなので、改変無くしては参加者もいないだろうが。


 朝食を終えてその会場を訪れたフィリップたちは、『夕刻より開始』という看板を見て、時間を潰してから出直した。


 祭りの会場は教皇領内にある小さな広場で、木々に囲まれた、芝も敷いていない質素なレイアウトだ。

 夕焼けの赤に照らされた公園には幾つもの篝火が置かれ、その周りを取り囲んで踊る人々がいた。


 楽しそうに顔を綻ばせた人たちの中から、手を繋いだ一組の男女が飛び出す。

 二人とも靴を脱いでおり、男性はズボンを膝までめくり、女性はスカートを片手でたくし上げていた。


 「行くよ!」

 「待って、怖い!」

 「大丈夫、僕が付いてる!」


 広場の隅で吟遊詩人がかき鳴らす音楽に合わせて軽快なステップを踏む二人は、地面で煌々と燃え、夕焼けより赤い光を振りまく篝火に足を延ばして。


 「ぁあっつ!?」

 「あっ、あっつ! 全然熱いじゃん! 全然大丈夫じゃないじゃん!」


 飛び跳ねるようにして、その炎から逃げた。

 華々しいエントリーから一転、滑稽ですらある退場に、周りの人々はどっと笑い声を上げる。


 周りの人は見慣れているのか、手早く水属性魔術を使って火傷の治療をしている。ごろごろと転がって呻いている二人を見て、フィリップは思わずステラの袖を引いた。

 

 「めちゃくちゃ熱そうでしたけど、あれ何度ぐらいなんですか?」

 「そこそこの規模の焚火だからな……1000度くらいじゃないか?」

 「せっ……!? え? 火傷しますよね?」

 「まぁ、するな。1000度あれば銀が溶ける」


 あっけらかんと言ったステラに、フィリップは自分の足を見る。

 何の変哲もない学校指定の革靴に包まれているのは、当然ながら肉の足だ。間違っても銀製ではないし、銀でも溶けるらしい。


 「え、無理なんですけど。帰りませんか?」


 共感能力が残っているのか、単純に想像力か、自分の足をフーフーと吹いている──魔術で十分に冷えているはずなのだが、気持ちの問題だろうか──二人を見て、流石のフィリップもビビったらしい。

 痛みに対する耐性はウルミの練習中の事故を重ねてかなり強くなっているはずなのだが、その代わり恐怖心までもが強くなっているとでもいうのだろうか。


 「ふふっ。──なに、大丈夫だ」


 ステラは柔らかに笑い、フィリップの手を取って駆け出す。

 走りながら器用に靴を脱ぎ、片手でソックスも脱いだステラを見て、フィリップも腹を括ってそれに倣う。ルキアは二人の靴と靴下を揃えて置き直し、何とも形容しがたい表情で二人を見つめていた。


 新たな炎跳びの挑戦者の登場に、焚火を囲む人々から歓声が上がった。


 一瞬の後に、男が、女が、若者が、老人が、誰もが息を呑む。

 走るというより踊ると表現した方が正確な、飛び散る火の粉より軽やかな足取りに。篝火と夕焼けの赤を反射して煌めく、揺らめく炎より絢爛な金色の髪に。そして、炎に触れたように強烈に胸を焼く、太陽のように眩しい笑顔を浮かべる美貌に、目を焼かれて。


 肖像画でも見たか、或いは儀式の場で目にしたのか、誰かが悲鳴のように叫んだ。


 「王女殿下!? ……と、オトコォ!?」


 ステラに手を引かれて炎に飛び込んだフィリップは、ステラに殆ど抱き着くようにして薪を踏む足にかかる体重を減らす。

 何人もの挑戦者たちによって踏まれた薪は地面に広がっていたが、それでも太い木はしっかりと燃えている。肉を焼くくらいなら支障はないだろう。


 足から駆け上がってくるであろう、文字通り燃える熱さと肉の焦げる痛みに目を瞑った。


 「あつ! あつ、あつ……く、ない?」


 反射的に叫んだ感覚は、しかし、錯覚以下の「予想的反射」でしか無かった。

 薪を踏む感覚のある足裏も、揺らぐ炎に撫でられている脚も、熱くもなければ痛くもない。


 「カーターが自分で言ったことだろう? “私がいれば無敵だ”」

 「……流石」


 悪戯っぽくウインクするステラに、フィリップは呆れたような感嘆を漏らした。

 ステラに預けていた体重を自分の足に戻しても、薪のごつごつした感覚はしっかりとあるが、熱さは全く伝わってこない。


 ステラはフィリップの手を引き、腰に手を添えて動きを誘導エスコートする。


 二人はぱちぱちと爆ぜる薪の上で寄り添い、優雅なワルツに軽やかなジルバを混ぜたステップを踏む。

 ステップはゆっくりと、相手を慮りながらも、炎が隔離した薪のステージ、自分と相手の二人だけの空間に酔いしれるように陶然と。ターンは軽快に、祭りという時間を、喧騒と歓声にまみれた空間に埋没し、全身でそれを愉しむように軽妙に。


 しばらく踊っていた二人は、ふと我に返って、どちらからともなく笑い合いながら炎の外に出た。


 「これ、“飛び越える”お祭りでしょ? その上で踊るのは違うんじゃないですか?」

 「ふふふ……あぁ、確かに。でも、楽しかっただろ?」

 「はい。それは確かに。次はルキアも──ルキア? どうしたんですか?」

 

 フィリップはルキアに手を伸ばして誘うが、そのルキアの顔色が優れないのを見て、心配そうにその手を背中に添えた。


 「大丈夫ですか? 体調が悪いなら、すぐに宿に戻りましょう。ごめんなさい、僕、全然気付かなくて……」

 「……ありがとう。でも大丈夫よ、少し休めば収まるわ」

 「いや、でも──」

 「──いや、ルキアが言うならそうなんだろう。無理をして潰れるなんて無様を許容できるほど、ルキアの美意識は安くないよ」


 確信を持ったステラの言葉に、ルキアは口元に薄く笑みを浮かべる。その通りだと言いたげに。

 しかし目元は変わらず辛そうで、二人は一先ずルキアの肩を抱くようにして支えながら、人混みから離れた木陰に移動した。


 ルキアは自分の言葉通り、木の幹に凭れて腰を下ろす頃には多少顔色が戻っていた。元々血色が薄く、抜けるように白い肌をしているから、回復したように見えるだけかもしれないが。


 「……ありがとう。でも、もう平気だから。二人で──」


 二人で遊んできて、と言いかけたルキアを、フィリップは唇に人差し指を添えて黙らせる。そして「またナイ神父みたいなことしちゃった」とプチ反省した。


 「──すみません、殿下、ちょっと飲み物買ってきてくれませんか?」

 「分かった。……この私に使い走りをさせるんだ、ルキアのことは任せたぞ」

 「あ、確かにそれはちょっと駄目な気がするので僕が行きます。殿下? でんかー? 行っちゃった……」

 

 なんか偉い人に怒られそうですね、などと言いながら、フィリップもルキアの隣に座る。

 西日の当たらない木陰は少し冷えるが、互いの体温があれば十分に快適な場所だった。


 ルキアはフィリップが触れた自分の唇を指でなぞり、ぎゅっと目を瞑って全ての感情を封殺した。

 その所為でフィリップの軽口は聞いていなかったのだろう、彼女はくすりとも笑わず、申し訳なさそうに眉尻を下げる。


 「……ごめんなさい、フィリップ。私──」

 「──怖かった、ですか?」


 確信があるように言ったフィリップの言葉は、完璧な正解だった。


 心中を見透かされたルキアは目を瞠る。

 驚愕を向けられるフィリップは当然のように平然として、ルキアの方を見てすらいない。僅かに首を回して、火祭りに興じる人々と、燃え盛る焚火を眩しそうに見つめていた。


 「分かりますよ。炎を囲んで歌い踊る……あの森で見たものに、少し似てますからね」

 「……焚火は平気なのよ。歌も、舞踏も。人混みは好きじゃないけど、怖くは無かった。でも……合わさると駄目なのかも。さっきは広場を見るだけで、あの森の景色が──フィリップが生贄にされそうになっている光景が蘇ってきて、凄く怖くなったの」


 少し離れたら大丈夫なのか、一瞬のフラッシュバックでしかないのか、今のルキアは弱ってはいるが、先程のように怯えのあまり血色を失ったりはしていない。


 フィリップはその恐怖が慢性的なものではないことに安堵しつつ、ルキアの肩を力強く掴む。

 ルキアの赤い双眸が驚きに揺れるが、フィリップはそれを真っ直ぐに見つめ返した。


 恐怖心は、癒えることもあるが──育つことも、同じくらいある。

 今はこの限定的状況で一瞬のフラッシュバックで済んでいるが、恐怖が育てば、いずれ歌に、踊りに、炎に、人に、段階的に恐怖を感じる範囲が広がっていく。それに勿論、その前に恐怖心に負けて、精神が壊れる可能性もある。


 それは駄目だ。

 フィリップのように狂気という状態になり得ず、恐怖心が敵愾心に変わり、その排除に対して偏執的になるくらいなら構わない。だが、狂気に堕ちるのも、日常生活に支障が出るのも駄目だ。もっと欲を言うのなら、ルキアにはこの手の恐怖とは無縁でいて欲しい。


 だから考える。

 ルキアの恐怖を晴らすにはどうすればいいのか。どんな言葉が、どんな態度が、どんな行動が最適なのか。


 フィリップは絶望に対しては敏感だ。なんせ、鏡を覗けばそこにある。

 だが、恐怖に対するアンテナは折れているといっていい。それが成長し、絶望、或いは狂気という実を結ぶまで気付かない可能性もあった。


 フィリップはそれを自覚している。

 だからこそ今、その芽を摘んでおきたい。


 「……ルキアは、強いですよ。あの時は僕のことを殆ど知らなかったのに、足を痛めて立つのもやっとだったのに、凄惨な死に様を目の前で見せつけられたのに──我先に逃げ出していて当然の状況だったのに、僕を助けてくれたじゃないですか。それに、もう一度あの時と同じ状況になったとしても、ダンジョン一つを吹き飛ばせる今のルキアなら、何も怖くありません。あの黒山羊だって余裕です」

 

 フィリップは慎重に言葉を選ぶ。

 ここで嘘を交えて、それがバレたら、ルキアは何も言わずにそれを“信じて”、自我を強固に封じてしまうだろう。そうなったら、フィリップは爆発の瞬間まで気付けない。


 「……えぇ、そうよね。あの時の私は美意識を理由に貴方の前に立ったわ。今の私は“フィリップを守る”ことだけを考えて行動できるから、精神的な意味でも、あの時より強い。自惚れかもしれないけれど、本当にそう思うわ」

 「いえ、本当にそうですよ。誰かの為に命を懸けられる精神性は、とても強くて美しいものだと思います。……こっち、来てください」


 フィリップはルキアの手を引いて立ち上がって木蔭から出ると、ずんずんと祭りの中心部へ向かって行く。

 その後ろを手を引かれてついて行くルキアの表情は、困惑が半分、恐怖が半分をやや下回り、残り少しは納得と覚悟だ。


 そして、先導するフィリップも覚悟を決めている。

 強引な荒療治でルキアに嫌われる覚悟──ではない。そりゃあ仲良くできるに越したことはないが、フィリップにとってルキアとの関係性は、ルキアの精神性以上に大切ではない。


 ルキアが恐怖に打ち克ち、狂気を遠ざけ、美しい人間性を保っていてくれるのなら、フィリップのことを嫌っていようと構わない。敵対されると少し困るが。


 フィリップの覚悟は「ここで壊す」こと。

 このままじわじわと恐怖に溺れ、狂気の沼で溺死するような苦しみを味わわせるくらいなら、ここで綺麗に壊し切ったほうがまだマシだ。そう信じて、荒療治に臨む。


 当然ながら、壊すことが目的ではない。

 ただ、治すための行為が原因となって壊れる可能性を許容した。それだけのことだが、難しいことでもある。


 美しい宝石に付いた傷を誤魔化すために、全体を削る。行為としてはそれに近しい。手元が狂えば宝石の価値が損なわれてしまう、その可能性を飲み下すだけの価値が、その宝石にはあるのだ。


 炎を囲み、歌い、踊る人々の間を、手を繋いですり抜ける。

 フィリップには特別な意味の無い行動だが、ルキアにとってはフラッシュバックの呼び水だ。フィリップはルキアの手を握る力を強くする。僅かに痛みさえ与えるほど。その痛みで、少しでも気が紛れることを意図してだ。


 ルキアがぎゅっと、フィリップと同じくらい強く手を握り返す。

 しかしそれはフィリップを止めるためではなく、むしろ自分を鼓舞するのに必要な力みだった。


 フィリップはルキアの手を放し、二人三脚のように腰に手を回して横並びになる。


 「……跳びますよ!」

 「──ッ!」


 たたん、と足音が連続する。

 フィリップのものと、ルキアのものだ。


 踏み切ったあと、ほんの一瞬だけ革の靴越しにも足裏に熱が伝わり、すぐに硬い地面の感触を取り戻す。


 観客の歌う声、楽器の音、踊る靴音に混じり、ぱちぱちと薪の爆ぜる音と、炎が空気を食べる音が耳朶を打った。


 「靴を履いてても、ちょっとだけ熱かったですね」

 「……えぇ、そうね」


 フィリップは軽く笑い、ルキアの正面に立つ。

 

 「ルキア、こっちを──僕の目を見てください」


 内心を覆い隠すような微笑を浮かべたルキアの頬を両手で挟み、赤い双眸を、そこに灯る左右の目で非対称の聖痕を、その奥を見通す。

 羞恥と動揺に震えていた瞳は、フィリップの淀んだ青い瞳に射抜かれて、諦めたように焦点を固定した。


 絶望と狂気の色は無い。

 だが、恐怖は僅かに残っているように見える。


 「…………」

 「──あの、すみません。ちょっといいですか、そちらの男性の方」

 

 結局僕には壊すことしかできないからな、と自虐的な思考に浸り、自嘲の笑みを浮かべるフィリップの肩を、見知らぬ女性がトントンと叩く。


 今取り込み中なんだけど、と言いたげに眉根を寄せたフィリップとルキアは同時にそちらを向き、女性は主にルキアが放つプレッシャーに負けて「ひゅっ」と息を呑んだ。


 「な、何でもないです! お邪魔しました!」

 「何でもないわけないでしょう。どうしてフィリップに声を掛けたのか、教えて貰えるかしら?」


 女性は懸命に逃げようとしていたが、「足が動かない!?」と半泣きになって、すぐに諦めた。

 諦めるのは正解だ。ルキアの重力魔術から逃れるには、もはや全てを話して、彼女の許しを得るしかない。


 「その……火祭りで男女が一緒に跳ぶのは、“将来を誓う”という意味がありまして……。連続して別の女性二人と、しかもそのうえ、両聖下と跳ぶなんてどういうつもりなのかなー、とか、思ったりなんかしちゃいまして……」


 フィリップは一瞬だけ口元に酷薄な嘲笑を浮かべ、すぐに苦笑いで誤魔化す。

 土着の祭りの、その模倣でしかないイベントに、何か特別な意味を見出す方が難しい。その辺りの価値観を同じくするルキアも、呆れ顔で首を振っていた。


 「どういうつもり、ってどういうことですか? 僕は誰に何を言われようと、ルキアと殿下を守ります。これからもずっと……それこそ、“死が二人を分かつまで”」


 女性への意趣返しのつもりでフィリップが挙げた慣用句は、婚礼の儀式で新郎新婦が述べる誓いの言葉の一節だ。

 そして同時に、「きっとルキアの死を悲しむことは出来ないのだろう」と、正確な自己分析をしているフィリップ自身への、痛烈な皮肉であり自虐だった。


 しかし、ただフィリップが自傷しただけではない。

 その言葉に含まれた「ずっと一緒にいる」という断定的意志は、ルキアの恐怖心を拭い去った。


 ルキアのフラッシュバックが喚起していた恐怖心の原因は、実のところ「過去の恐怖体験」や「過去の記憶」ではない。

 それはむしろ、過去の記憶を呼び水として引き起こされた、未来への恐怖。「フィリップを失うこと」への恐怖だ。脳裏に閃く光景は、その状況を過去の記憶から想像したものに過ぎない。


 だから、過去の記憶を跳び越えることに意味は無く──明るい未来を語ることこそ、恐怖の払拭に最適だった。

 簡単に言うと、いまルキアのカウンセリングに必要だったのは、過去の話ではなく、未来の話。ルキア自身の話ではなく、フィリップの話だったということだ。


 「戻ったぞ。カウンセリングは終わったか?」

 「折角ですし、殿下と二人で一緒に跳んでおきますか」

 「……ん?」


 律儀に三人分の飲み物を買ってきたステラの手を取り、もう片方の手でルキアの手を握る。


 焚火に向かって駆け出したフィリップに、元の調子を取り戻したルキアが素直に続く。いまひとつ状況を理解していないステラも、手を握られていてはどうしようもない。呆れたように笑って、手を引かれるがままに任せる。


 三人は歌い踊る人々の合間を縫って、手を繋いで炎を跳び越えた。

 

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 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 シナリオ9 『修学旅行』 Aエンド


 技能成長:【目星】+1d6 【拍奪の歩法】 +1d6 【回避】 +1d6+3


 特記事項:なし






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