第194話

 フィリップたちが退出した謁見の間で、国王アウグストゥス2世と宰相アレクサンドル・フォン・サークリスは同質の笑みを浮かべていた。

 その宛先は言うまでも無く、わざわざ謁見を取り付け、枢機卿の思惑に乗ってまで本性を見ようとした、一人の少年だ。


 「……なんだ、あれは」


 声だけを聞くと、呆れか、恐怖を窺わせる言葉。

 しかし、国王の顔に浮かぶのは獰猛な笑顔だ。ステラがルキアと対峙する時に浮かべるものと同等か、それ以上の威圧感がある。


 親衛隊の中で一番若く、新しく入ったばかりの騎士──と言っても旧近衛騎士団では屈指の強者だった──が、思わず鎧の擦れる音を立ててしまうほどだ。


 「アレク。貴様、あんなモノを隠していたのか」

 「いえ、隠してなど。ただ……王族よりは貴族向きの才能でしょう?」


 国王がくつくつと喉を鳴らして笑い、二人の会話はそこで終わる。

 しかし、二人に最も近い場所にいた親衛隊の長、元近衛騎士団長であるレオナルド・フォン・マクスウェルが口を挟む。彼はこの謁見の間に於いて数少ない、王と直接言葉を交わすことができる人間の一人だ。


 「陛下、差し支えなければお聞かせください。先程の少年は、一体? ……ああも真っ直ぐに“衛士団に入りたい”などと言う子が、そう悪いことなどありましょうか?」

 「マクスウェル卿、それではまるで“貴族は悪だ”と言っているように聞こえるよ?」

 「……いえ、そういうつもりは」


 苦笑交じりの冗談を飛ばす宰相だが、レオナルドの声は固い。フルフェイスヘルムで覆われた表情は見えないが、きっと真顔だろうと窺わせる。


 「……まぁ、否定はしないさ。私たちの精神性は、善悪の区分では悪に近い。……領民に重税を課し私腹を肥やすような低俗なモノの方が、悪性の度合いは低いだろうね」

 「うむ、マクスウェルよ、貴様は正しい。余も、宰相も、我が手足たる貴族たちも、国家運営機構として正しく在る者は、みな悪だ。……聖典に“善であるものではなく、善であろうとするものをこそ善良と呼ぶ”という一節があるが、我々はその真逆。人命を数字として把握し、時には一切の躊躇なく切り捨てる。そういう“悪”であることを許容し、自らそう在ろうとする者は、邪悪と呼ばれるべきだろう」


 国王の言葉は自嘲のようだったが、その笑みや声色に嘲る色は一切無い。

 自分の生き方に、配下の貴族や宮廷に仕える臣下の生き様に、確固たる誇りと自負を抱いているからだ。


 悪である──それがどうした、と、地獄の番人にさえ中指を立てよう。

 それが国を守るために必要なことだと言うのなら、唯一神に唾を吐くことも辞さない。


 「あの少年──カーター君でしたか。彼も貴族と同じ、人間を数としか思っていない異常者だと?」

 「言うではないか。だが、その通り……いや、少し違うな。聖痕者のような一部の存在は、その力ゆえ人間に価値を見出さない。あれも同じだろう」

 「えぇ。私たちよりルキアに近しい、人間の価値を数値化して……その数字がゼロに固定されているような状態でしょう」


 国王と宰相の考察は正しい。

 より正確に言うのなら、自分自身も、人間以外も、この世界そのものにすら価値を感じていないのだが。


 「カルトに誘拐されたのだったな。子供っぽい一面は残しているように見えたが、無傷では居られなかったか。痛ましい話だ」

 「えぇ、全く、陛下のお言葉の通りです」


 頷き合う二人だが、レオナルドは今一つ判然としない。


 「貴族に必須の──人間を数字として扱うことにストレスを感じない才能、でしたか。それを備えているから、彼を買われているのですか?」

 「それもある。昨今は貴族であるというだけで平民を見下し、貴族を一方的に優遇するような法や制度の具申が後を絶たぬ。自治権を与えた所領では、既に施行されている地方もあるだろう。……だからこそ、彼のような貴族も平民も関係なく、平等に数値化できる人間は貴重なのだ」

 

 なるほど、と頷いたレオナルドに、宰相が続ける。


 「それに、この謁見の間で、国王陛下と、枢機卿と、君たち親衛隊を前にして──」

 「ご自分をお忘れです、宰相閣下」

 「ん? いや、私は前に会っているからね。それで……そう、この状況で、ほんの一片も動揺しない胆力。あれも素晴らしい」


 うむ、と国王も重々しく頷いて同意を示す。

 そう言われると確かに、レオナルドがこれまでに見てきた謁見者は全員、ほぼ例外なく緊張と恐怖で憔悴しきったような振る舞いで、立てと言われても立てないような状態の者もいた。15歳を迎えた貴族の子息でさえ、そんな無様を晒す空間がここだ。


 しかし、あの少年はどうか。

 失礼の無いように、おかしなことを言わないようにという配慮は透けて見えたし、レオナルドにも分かるほど演技慣れしていない。だというのに、この荘厳な場所に対して覚えるべき威圧感や圧迫感といったものの心理的影響を、まるで感じられないような自然な振る舞いを見せていた。


 「なるほど。貴族向きの才能に、貴族向きの胆力ですか。閣下のお気に召すのも納得です」

 「ん? いや、私はフィリップ君のそういうところをしているけれど、気に入ったのはまた別のところだよ。陛下も同じではありませんか?」

 「そうなのですか?」

 

 宰相と親衛隊長の二人から目を向けられ、国王は薄い笑みを浮かべる。


 「……うむ。なのだよ、あれはな」


 その一言に宰相は頷き、ややあってレオナルドも理解したと頷いた。

 

 「悪でありながら善良であろうとする。なるほど、それは……」


 レオナルドは理解を示すだけでなく、感心と、僅かながら尊敬さえ滲ませて何度も頷く。


 国王が引用した聖典の一節。

 “善であるものではなく、善であろうとするものをこそ善良と呼ぶ”。


 フィリップの精神性は善悪の区分では間違いなく悪と呼ばれる、不道徳なものだ。人の命は価値に換えられない。数字として扱うなど言語道断のはずだ。

 しかし、それでも大切な人を守ろうとする心は、これもまた間違いなく善良と言えるもの。


 善であるが故に善を行うものよりも、悪でありながら善であろうとするものこそ、真に尊いものだ。


 ──それに、まぁ、個人的な意見だが、衛士団が好きな者に悪い奴はいないと思う。


 「彼は……正直に言うと、よ。他人に価値を感じない精神性でありながら、大切な人の為に命を懸けられる。……少し観察すれば分かるけれど、あれは心の底からの言葉だ。飾り気も誇張も無く、自分の言葉に自分自身すら驚く深層心理の発露だった。……マクスウェル卿、君は路傍の石のために死ねるかい?」

 「それが陛下のご意思であれば──あ、いえ、しかし、これでは忠誠に殉じているだけですか」

 

 宰相はこくりと頷き、国王も重々しい威厳のある所作で首肯する。

 レオナルドが自分で気付いた通り、それでは比較になっていない。路傍の石のため、床の塵屑のため、自分が価値を感じないもののために命を擲つことなど、普通は出来ない。騎士などは例外的に、忠誠心が無為な死を許容させることもあるが、その場合、天秤に乗っているのは忠誠心だ。価値の無いものを乗せて、そちらに比重を傾けているわけではない。


 それは──それは、異常だ。

 そんなことは有り得ないと、ありえないことの辻褄を合わせようと、レオナルドは思考を回す。


 「ですが幼いとはいえ、彼とて男です。お美しい両聖下のために死ぬのは、それこそ本望と──」


 惚れた女の為なら。

 それはレオナルドとて許容する死の理由だ。妻の為になら死んでもいいと、心から思っている。


 愛妻家で有名な宰相──アレクサンドル・フォン・サークリスも、きっとそうだ。国王は定かでは無いが、理解はしてくれる。

 そう思っての言葉だが、しかし、言い終わる前に遮られた。


 「いや、彼に恋愛感情は無かった。というより、他に好きな女性が居るようだね。……業腹だが、ルキアを見るとき、その姿を通して他の誰かを見ているような時がある。稀にだけれどね」

 

 私の娘を上回る美人など、と言いたげに語気を荒らげる──常人には気付けない程度の変化だが──宰相に、国王はじっとりとした半眼を向ける。

 また始まったぞ、という倦厭と、何を言っているんだこいつはと言いたげに胡乱な──こちらもこちらで、余の娘を超える美人など、と思っている──ものの入り混じる視線だった。


 「うむ。……だからこそ、凄まじい。家族でも無し、惚れてもいない女を、そうまで大切にできるものか?」

 「なるほど、それは確かに……」


 人によるだろうとは思う。

 しかし少なくともレオナルドには出来ないことだ。


 そもそもあの二人に特別視されて、親しくして、それでも惚れない精神力が、既に凄まじい。


 「聖人のような……聖典に記された聖人のような、無償の献身ができる少年、ということですか」


 深く感心して頷くレオナルドに、国王と宰相は顔を見合わせる。

 そう言えなくも無い精神性であることは、確かに間違いないのだが──決定的に、そうではないと言い切れる部分がある。国王と宰相は、それに気が付いていた。


 「違うな。あれは確かに、己の定めた“大切な人”の為なら、何であれ捨てるだろう。ただし、それは本当に“何であれ”だ。見ず知らずの他人も、知人程度の関係の者も、仲の良い友人でも。一人でも、十人でも。その大切な者以外の全てを殺さなければならなくなったら、躊躇いも無く虐殺に踏み切る」


 国王の言葉は滅茶苦茶とも、言いがかりとも言えるものに思えた。その声や言葉には推測や冗談、誇張の気配がまるでないから、尚更に。


 だって、そんなことは有り得ない。

 レオナルドとて軍人だ。王国民100人のため、10000人の敵を殺せと言われれば、許容する。しかし2人の王国民のため、その他の全員を殺せと言われれば、実現可否以前に心理的な拒否感が動きを止めるだろう。

 

 「そんな──」

 「それがいい。それこそが、私たちが彼を気に入った最たる理由だよ」


 鎧ががちゃりと音を立てるのにも気付かないほど慄いて、レオナルドが跪いたまま上体を起こす。

 しかし言い募る言葉は口を突く前に、興奮気味の宰相に遮られた。


 それがいい?


 馬鹿な、という内心を喉元で押し留め、嚥下する。

 いくら貴族でも、そこまでの破綻は許されない。彼らの特権は王国の維持のため、王国に生きる全ての民のためにある。その彼らを虐殺するなど、どんな条件や場合だろうと許されることはない。


 それは貴族向きの才能などではなく、ただの精神異常者だ。


 そう言いたかったが、国王が深く頷いたことで不可能となった。


 「うむ。……娘を預ける男には、そのくらいの覚悟が無くてはな」

 「えぇ、全くです。この世全てを敵に回しても守り通す、くらいのことは言って貰わなくてはと思っていましたが……まさか言葉にするまでも無く、態度だけで示されるとは」


 うんうんと頷き合う、王国のトップ二人。

 もうヤダこの人たち、という親衛隊員たちの顔は、フルフェイスヘルムで完全に隠されていた。


 「その、お二人は彼を、将来的な婿養子としてお考えなのですか?」


 そうだけど、と宰相は当然のように頷き、国王も同じく首肯する。

 国王は「譲れよ」と言いたげに宰相を一瞥し、宰相はそれをにっこり笑って黙殺していた。


 「いえ、あの、彼は平民ですよ?」

 

 レオナルドが思わず口走った内容は、親衛隊と、扉の傍に控えている侍女も含めた謁見の間の総意だった。

 ステラは聖痕者という地位を抜きにしても、次期女王という国家のほぼ最高位にいる。ルキアですら公爵家次女だ。単なる平民であれば、直接言葉を交わすことすらないだろう。


 そんな女性の婿候補がいち平民というのは、どう考えてもおかしい。


 そういう意図の言葉。

 その言葉自体は、宰相も、国王にも否定できない事実だ。


 しかし──


 「今は、な。そのうち貴族になるだろう。なって貰わねば困る」


 血筋がどうの、立場がどうのという問題であれば、そんなのは制度上のものに過ぎない。

 制度を作る側にしてみれば、書類何枚かで突破できる緩い関門だ。


 「そ、そこまでして、彼を? 何故です? 確かに善良で、貴族向きの才能と胆力があるというのは素晴らしいことです。個人的には衛士団を志すという点も高評価ですが……お二人が取り合うほどですか?」

 「いや、そうではない。欲しいわけではないのだ」

 「陛下のお言葉通りだよ、マクスウェル卿。私も、欲しいわけじゃない」


 二人の言葉は、完全な嘘という訳ではない。

 フィリップの異常性とも言うべき才覚を評価しているのは事実だし、その異常な状態でありながら善性を保っているところには人間的な憧れすら抱いている。


 しかし、二人がフィリップに期待を寄せる最大の理由は、実のところ、フィリップ個人にはないのだ。


 「あのルキアが──」

 「あのステラが──」


 二人の言葉が重なり、宰相が無言で頭を下げ先を譲る。


 「お互いしか眼中に無かった二人が、初めて作った“大切な友人”だ。厚く遇したくなるのが親心というものだろう?」

 

 そうなのか? と、優秀な一人息子を持つレオナルドは、共感できない自分に不甲斐なさを覚えつつ、軍学校首席という立場で如才なく人脈を築いている息子に感謝した。



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 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 ボーナスシナリオ『王城へ行こう!』 ノーマルエンド


 技能成長:なし

 SAN値回復:なし

 特記事項:領域外魔術ヴィカリウス・シルヴァの召喚/送還を取得。

      特殊NPC『【ヴィカリウス・システムの幼体】シルヴァ』とのコネクションが確立。




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