第193話

 大切な人たちを守る人になりたい。そんな決意が。

 彼らのような素晴らしい人間でありたい。そんな羨望が。


 自己犠牲と自己中心性、対極にある二つの感情が、同じ答えを導き出した。


 衛士になりたい。

 それは王都の子供、特に多くの男の子が抱く夢だ。騎士より身近で、冒険者より強いから。鎧がかっこいいから。優しくしてもらったから。そんなよくある理由で、よくある夢。


 常人が聞けばそれだけで、微笑ましい話で終わる、ありふれた将来展望。

 しかし彼らの目は、その根本にある決意と感情の強さを見て取る。


 不特定の遍く誰か、ではなく、明確なごく一部の誰かを守るために。

 ……面接の答えとしては不正解だが、人間的には花丸だった。


 みんなを守る、なんて耳触りの良い言葉を吐く輩を、国王は絶対に信じない。

 それは国王自身がかつて夢見て諦め、個人で一国を滅ぼし得る極大戦力であるステラでさえ不可能と断じる夢物語だ。この二人で無理なら、誰にも無理だ。


 だが、大切な人を守る、という望みは。

 それは根源的で、もっと言えば義務的な願いだ。人間であれば自然と抱く感情と言える。しかし、それを照れも臆面もなく、そして確固たる決意を持って口にできるのは、ほんの一握りの人間だけだろう。


 「……いい夢だ」


 国王の口からぽろりと漏れた本音は、ステラと宰相以外には聞こえなかった。

 独り言とはいえ、それを引き出したフィリップ本人さえ、ほとんど無意識に口を突いた自分の言葉に驚いて、国王の顔色を窺うどころではない。


 「……ははは、想像以上に脳を焼かれてる。自覚以上に、って言うべきなのかな」


 フィリップは顔を覆って自嘲の笑みを隠す。

 誰かを守る。それが即座に衛士と結びつく程度には、彼らの存在はフィリップの中で大きいらしいと、今更なことを考えながら。


 何かに感じ入ったように沈黙していた国王が我に返るまでの一瞬、沈黙の帳が下りた。

 彼はその沈黙も意図したものだと思わせる、堂々たる所作で頷く。そして、すぐに「やさしいおじさん」の仮面を被り直した。


 「そうか、とてもいい夢だね。けれど……残念ながら君の成績だと、衛士団の入団資格を満たさない。だから──」

 「なら──あ、失礼しました。どうぞ」

 「……いや、いいんだ。何を言おうとしたのか、聞かせてくれるかい?」


 図らずも国王の言葉を遮る形で声が被ってしまい、流石のフィリップも慌てる。

 これは事前に言われていた「やってはいけないこと」のうちの一つだが、それ故にやらかした場合の対策も教えられている。ギリギリセーフ、と言ったところだ。


 「なら、魔術学院を卒業した後、まずは冒険者になろうかと。確か衛士団の入団資格は、魔術学院と軍学校の成績上位卒業生か、Aランク以上の冒険者であること、でしたよね?」

 「……険しい道だよ。魔術学院を成績上位で卒業する方が、まだ簡単だ。冒険者は時に命懸けだからね」

 「え? あ、はい。……え?」


 忠告とも取れる言葉に、フィリップは首を傾げる。

 その反応には、国王だけでなくルキア達も同じ反応だった。国王の言葉は簡潔な事実だ、理解に苦しむ場所は無いはずだと。


 不思議なことを言うものだと、フィリップは困ったように笑い、返す。


 「生涯を掛けて守ろうって言うのに、命懸けっていうのは今更では? ……あ、でも、僕の命なんて軽いモノですからね。命懸けっていう言葉自体が、そもそも軽い」


 へらっと笑ったフィリップ。

 わざわざ声に出さなかった言葉の後ろには、「まぁ僕の命に限らず、遍く全てに価値が無いわけですが」という嘲笑が隠れている。


 「……そんなことはないさ。君に限らず、命が軽い人間なんていないよ」

 「……あ! そ、そうですね!」


 ぽろっと零れた本音は、よくよく考えると常識外れもいいところだった。

 その事に遅ればせながら気付いたフィリップは、慌てて上ずった声で国王の言葉を肯定する。


 「うん。……フィリップ君は──」


 国王のフィリップに対する呼び方が、さりげなく苗字から名前に変わる。

 当然ながら全員が気付いていたが、フィリップも含めて誰も口を挟まない。そもそも口を挟める立場にいるのはルキアとステラくらいなのだが。


 「──王宮勤めとか、興味あるかい?」

 「……父上?」


 その言葉に、ルキアとステラがぴくりと反応する。

 王宮に勤めるのは貴族ばかりではなく、平民階級でも優秀な者であれば登用される。だから平民が王宮に勤めること自体は珍しいことではないのだが、文官として王宮に勤めることは、平民が貴族に成り上がるための数少ない道筋の一つだ。あとは騎士団に入って騎士爵位を得るか、何か特別な貢献をするか、と言ったところか。


 つまり国王の言葉は、単なる職場への誘いではなく、間接的なだった。


 王国は専制君主制であり、国王は法を作る側、その行動は法の制約を何一つして受けない。

 やろうと思えばこの場で今すぐに「キミ、今から貴族ね」と強引に決め、そのように国家を動かすこともできる。


 勿論そんなことをすれば他の貴族から追及を受けるし、最悪の場合は他国から「彼の国の王は馬鹿だ」という烙印を押され、王国全体の品位を損なうことになる。


 だから、その誘いは穏便なもので──だからこそ、本気度の窺えるものだった。


 「王宮ですか? いえ、そういうキッチリしたところは、僕にはちょっと合わなさそうと言うか……はっ! いえ、えっと……お言葉は光栄至極に存じますが、私の才と学では力不足かと思います」


 普通に答えかけて、寸前で“当たり障りのない答え”のことを思い出す。

 少し考えて捻り出した返事は社交辞令として問題ない水準だったが、もう既に本音が半分くらい漏れていては手遅れだろう。


 苦笑いを浮かべたステラとは裏腹に、謁見の間には国王の愉快そうな笑い声が木霊する。


 「はははは、今更そんなに畏まらなくてもいいさ。うん、仕事選びは適性もそうだけど、肌に合うかが重要……だったね、レオナルド?」

 「仰る通りです、陛下。私などの言葉を覚えていて下さり、恐悦至極に存じます」


 階段に並んだ鎧騎士の中で、最上段にいる騎士が跪いたまま答える。

 長らく仕えてきた彼にとって「やさしいおじさんモード」の国王は初めて見る意外な一面だったが、そんな感情はおくびにも出さない冷静な返事だった。


 「衛士団の入団時年齢は……25歳以下だったか。うーむ……少し遅いな」


 今度の呟きは宰相だけには聞こえたらしく、彼の首がぐりん!と勢いよく、ほぼ直角に回る。


 「陛下?」

 「悪魔討伐の功は二等地焼失の罪と相殺にしてしまった。吸血鬼撃退も、ローレンス伯爵領外に被害があった以上、召し上げるほどの功とは呼べぬか。ふむ……」


 国王は玉座にゆったりと背を預け、しかし見下ろすのではなく顎を引いて正面からフィリップを見つめる。

 その口元に浮かぶ薄い笑みは、宰相やステラにとっては馴染み深いもの。観察と計算から導き出された能力への期待──相手を高く買っている時にしか見せないものだ。


 フィリップが聞きとれない独白に首を傾げたのを見て、国王は温和な笑顔の仮面を貼り付ける。


 「では、君が冒険者として活躍することを祈っているよ。フィリップ君」

 「……ありがとうございます。陛下」

 「うん。……今日は泊っていくかい?」


 色々な疑問を呑み込んで頭を下げる。

 国王の問いに、フィリップは多少の疑問を覚えつつも素直に懐中時計を確認した。


 じき六時半といったところだ。

 この部屋に窓は無く空の色を見ることはできないが、そろそろ日も落ちる頃合いだろう。

 

 だからその問い自体は理解できるものだったが、王城と魔術学院はそれなりに近い場所にある。徒歩10分かそこら──王城の門から学院の門まで10分。王城から出るのに15分、学院の門から学生寮まで5分以上かかるが──の距離だし、わざわざ外泊するほどでもないだろう。

 休暇中なので外泊届の提出は必須ではないが、寮に帰れるなら普通に帰って普通に寝たい。


 「いえ、お言葉は有難いのですが、えーっと……」


 この場合の当たり障りのない常識的な断り方って、どんなのだろう。

 そんな今更なことを考えて口籠ったフィリップだが、これは無理も無いだろう。こんな状況はステラさえ予想しておらず、何もアドバイスできていない。


 「父上──」

 「国王陛下──いえ、何でもありません」


 ステラとルキアがほぼ同時に声を上げ、一瞬の目配せの後にルキアが発言を取り消す。

 軽く肩を竦めたステラは国王の方へ向き直り、


 「カーターは明日、補習です。今日は帰って勉強しませんと」


 と、フィリップが真顔になるような情報を開示した。


 当然ながらフィリップ本人が知らない時点で嘘なのだが、実はフィリップには前科がある。

 現代魔術実践分野の補習日を一週間も勘違いして、ナイ教授にしこたま煽られた挙句、補習時間倍増というペナルティまで喰らった前科が。問答無用で落第にされなかっただけ有難い話だが。


 フィリップは嘘だろ、と愕然とステラを見つめる。

 ステラは国王の目をじっと見つめて逸らさず、目元だけで「困ったものです」と言いたげな苦笑を作る。


 「……あぁ、魔術適性が偏っているのだったか。休暇中に補習とは、マルケル侯爵は相変わらずだな。……そういうことであれば仕方ない、君には是非とも三年で卒業して、なるべく早く功績を挙げて欲しいからね」

 「? あ、いえ、はい、ありがとうございます」


 頭を下げたフィリップに、国王は鷹揚に頷く。

 ステラは誰にも気付かれぬよう、そっと安堵の息を溢した。


 「では、本日の謁見はここまでにしよう。退室して……あぁ、挨拶はいいよ。また会おう」

 「……御前、失礼致します、国王陛下。お会いできて光栄でした」

 

 最後にぺこりと頭を下げて振り返ると、侍女の合図に従って謁見の間の門が開かれる。


 「では父上、私もこれで」

 「……御前失礼いたします、国王陛下」


 軽い会釈を残して階段を降りたステラに続き、ルキアもカーテシーをして踵を返す。

 三人が退室すると謁見の間の門扉は閉じられ、二人の鎧騎士はその両端で直立不動の姿勢に戻った。


 「…………」


 フィリップは真顔のまま黙り込み、動かない。


 それだけ緊張していたのなら一泊しなくて正解だと、ルキアとステラはその背中にそっと手を添える。

 背中に感じる体温に、フィリップはぎぎぎ、と軋むような動きで首を回し、少し高いところにあるステラの目を見る。


 「あした、ほしゅう……?」


 シルヴァも苦笑するような片言の震え声に、二人は思わず失笑した。


 「くっ、あははは! そんな顔をするな、嘘だよ。明日は一等地にでも遊びに行こうか」 

 「ふふふ……えぇ、良いアイディアね。……今日はお疲れ様、フィリップ。着替えて、帰りましょう?」


 軽く背中を押され、控室に誘導されながら、心の底から安堵の息を吐く。


 「良かったぁ……。予習無しで現代魔術の補習とか、ナイ教授に煽られ過ぎて憤死しますよ」


 けらけらと笑いながら遠ざかっていく背中を見送り、二人の鎧騎士は静かに顔を見合わせる。

 親衛隊として謁見の間を守る仕事に就き、謁見を終えて出てきた者の今にも倒れそうに憔悴した姿や、疲労困憊といった様子の貴族たちを見てきた彼らにとって、笑いながら去っていく子供は異常に映った。


 「……何歳に見える?」

 「……10歳ぐらいか? 学院入学は15だが、そうは見えないな」

 「……分かってない、ってことはないよな?」

 「そりゃないな。むしろ、マルケル聖下みたいな“二周目”じゃないか?」

 「それこそ無いだろ。サークリス聖下ですら「彼女以外には無理」と断じる超絶技巧だぞ」


 ひそひそと続いた会話は、扉の奥から聞こえた、かつん、という微かな音によって急停止した。

 謁見の間に控える侍女──実はかなりの高位貴族の令嬢──からの、無言の警告だった。


 




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