第192話

 大洗礼の儀は、フィリップですら知っている一神教の一大イベントだ。

 四年に一度、各国の代表者が教皇庁へ赴き、199人の枢機卿と教皇による洗礼儀式を受ける。代表者を通じて、全ての国民に唯一神の祝福を授けるという儀式だ。


 当日だけでなく、その二週間前から一週間後あたりまでは、教皇領全体がお祭りムードに盛り上がる。各国の吟遊詩人や大道芸人といった個人パフォーマーから大規模なサーカス団や劇団なんかも出張公演に訪れ、三国を同時に旅行するようなカクテル感も味わえるのだとか。


 三国と教皇庁合同で開催される、超大規模夏祭り。

 直接参加する各国代表以外にとっては、そんな感じの楽しいイベントだ。


 フィリップも一度は行ってみたいと思っていたのだが、そもそも言われるまでも無く、今年の大洗礼の儀には参加する予定だ。

 個人的にとか、ルキアとステラについていくとか、そういう話ではない。


 「今年の修学旅行、それでしたよね? 往復合計50日、滞在一週間でしたっけ」

 「えぇ、そうね。……でも、魔術学院生は外観の予定でしょう? そうじゃなくて、内観──儀式が行われる大聖堂の中に入って、ってことじゃないかしら」

 「仰る通りです、聖下。王国代表としてご参加いただくお二人と同じ席、とはいきませんが、関係者席をご用意させて頂きますので」

 「え゛? いやそれはちょっと……」

 

 大洗礼の儀に参加できるのは、教皇庁から招待された者だけだ。

 招待状が送られるのは、各国首脳部、聖痕者とその係累、枢機卿の係累。あとは教皇庁の活動に対するをした者。要は寄付金や物資援助などで便宜を図れば、招待状は買えるということだ。


 ただ、その水準となる寄付金額は年々増加しており、招待状ではなく教皇領に家を買う方がよっぽど安いとか言われている。


 フィリップがそんなお金を持っているはずもないので、用意してくれるのは有難いのだが──関係者席となると、学院に蔓延る風説がいよいよ真実味を帯びてくる。既に手遅れである感は否めないのだが。


 「僕はみんなと同じ、外からで十分ですよ。正直、そういう真面目な場って苦手なので」

 「いえ、ですが内観と外観では洗礼の効果も大きく異なりますよ? アトラクターであろうとなかろうと悪魔に関わってしまった以上、お祓いの意味でも参加されては如何ですか? 元々四年に一度の行事、今回を逃せばそんな機会がいつ巡ってくるとも──」

 「それはそうだが、カーターにはこれ以上教皇庁と関わりたくない理由があるんだ。こいつは学院で……枢機卿の親族ではないかと疑われていてな」


 は? と、アンジェリカは声に出さずとも口の動きと表情で、フィリップに「何故」と問いかける。

 隣にいるルキアにもそれは見えており、不愉快そうに眉根を寄せていた。


 勝手に関係者を名乗られた枢機卿の方こそ不愉快だろうが、「なんてことを!」と怒る前に理由を尋ねられる程度には分別を残しているようで、フィリップとしても一安心だ。

 なんせ、これは謁見の前に懸念していた「怒られ事案」のうちの一つ。既に言い訳は考えてあるのだ。


 「まず、僕の保護者がナイ神父であること。ナイ神父とマザーと親密であること。聖痕者であるルキアと殿下と仲がいいこと。あと、何代か前の枢機卿にカーター氏が居たんですよね? その名前繋がりで。あと、ナイ神父に教わった魔術が特殊であること。エトセトラ。状況証拠の充実っぷりは、僕の言葉巧みかつ根気強い説得も、まるで歯が立たないほどですよ!」


 本当に迷惑しています、という口調で──ここに関しては演技の必要は無かった。なんせ、お陰様で友達と呼べる人間がこの場の二人しかいないのだから──言い切る。

 フィリップの苦労を感じ取ったのか、アンジェリカだけでなくフランシスとジョセフ、宰相までもが苦笑していた。


 「お、多いですね……。なるほど、そういうことであれば致し方ありません。我々が勘違いを助長してはいけませんものね」

 「ご理解いただけて何よりです」


 肩を竦めたフィリップの返事を最後に、微妙な沈黙が下りる。

 それ自体に意味のあるものではなく、さりとて黙考が生んだものでもなく、誰も何も話さない、話すことが無いだけの痛々しい静けさが通り過ぎた。

 

 「……ロウ卿、ライカード卿、まだ何かありますかな? ……では、私共はこれにて下がらせて頂きます。陛下、本日はありがとうございました」

 「うむ。この後は大洗礼の儀についてのすり合わせだが、貴卿らも参加していくかね?」

 「いえ、そちらは担当者に一任してありますので。……では、失礼いたします」


 そそくさと、と言うには丁寧な、深い礼儀作法と敬意を滲ませる一礼を見せてから退室する、三人の枢機卿。

 その後を、フィリップも何食わぬ顔で追う。


 「では、僕もこれで。お会いできて光栄でした、国王陛下」

 「……待て」


 こちらは本当にそそくさと、これ幸いと帰ろうとしたフィリップを、国王自らが引き留める。

 初対面の時点から直接声を掛けるという特別扱いに加えて、この一言だ。この場に他の貴族が居れば大きなどよめきが上がっただろうが、ここには直属の親衛隊だけ。彼らも一度犯した失態を再演することはなく、跪いた姿勢を無心のまま固定していた。


 「……そう急くことはない。もう少し、世間話をしようではないか。……っと、こちらの方が話しやすいかな?」


 フィリップという一個人ではなく民草という記号、或いは個人記録の書類を見るような目は、瞬き一つで「やさしいおじさん」に相応しい柔和な光を湛える。

 腰掛けた玉座と絢爛豪華な部屋にも負けない、王の名に相応しい威圧感もなりを潜めた。


 フィリップとしてはどちらでも大して変わらないというか、で話しやすさは変わらないだろうと、呆れと諦めを滲ませてもう一度跪く。


 「どちらでも構いません、陛下」

 「そうかい? じゃあ、このままにしようかな。カーター君も、立ってくれて構わないよ」


 横目でちらりとルキアを窺うと、小さく頷きが返される。

 もう一度の催促を待つ必要はないらしい。


 「はい、陛下。……それで、お話とは?」


 帰りたかったなぁ、と明記された顔のフィリップに、国王は心底愉快だと言いたげに口角を吊り上げる。

 フィリップは隠しているつもりなのだろうが、この場の全員が高位貴族か王族だ。余裕でバレていた。


 「本当に、何でもいいよ。そうだな、例えば……将来の夢とか、聞かせてくれるかい?」


 またしても子供に向ける軽視の窺える質問に、ルキアとステラが眉根を寄せ──いや、ルキアだけが眉根を寄せている。ステラは重々しく嘆息し、小さく首を振っていた。


 フィリップも薄々は「子供扱いされてるな」と気付き始めていたが、事実としてというか、年齢的には子供なので苛立ちはしない。精神性も一部を除いては──いや、子供のそれだと、十分に自覚している。自覚できているだけ、そこいらの子供よりは大人だが。


 「将来の夢、ですか? 特にこれといったものは無いんですけど──」


 考える。

 将来の夢なんて、ここ最近は意識することも無かった。


 もっと幼いころ、冒険譚に出てくるような騎士や勇者に憧れたことはあった。ある日突然、途轍もない力を持った魔剣を手に入れて、ドラゴンを打ち倒すような英雄になれたらと考えたこともあった。

 少し大きくなって実家を手伝うようになると、ぼんやりと「実家を継ぐか、自分の宿を持つのかな」と考えるようになった。


 今は──将来のことなんて、考えたくても考えられない。

 この泡のような世界に、未来なんてあるのか? 一秒後には割れて弾けて消えているかもしれない、泡沫の世界に?

 

 未来なんて考えるだけ無駄だ。

 将来なんて訪れるかも分からない。


 そう知っているから、先のことを考える気にもならなかった。


 しかし聞かれたからには、何かしら──常識的で当たり障りのないことを答える必要がある。


 ……僕が望む未来か。

 そう、口の中で転がす。


 フィリップが望むことなんて、それこそ普通で常識的なことだ。

 ルキアと、ステラと、家族と、衛士たちと、ライウス伯爵と、モニカたち。あとは、この世の全ての善良な人々が、平穏な死を迎えること。


 病死でもいい。事故死でもいい。でも叶うなら寿命で。

 人の尊厳を残して、人として、そして叶うなら幸せに死んでほしい。


 ──そのためになら、自分の時間も自分の命も、自分の生涯だって捧げられる。死後に外なる神として新生するのだとしても、人としての一生を彼ら彼女らの為に使うことに、躊躇いは無い。


 「──衛士になりたいです。大切な人を、守れるような人に」


 気付けば、その“夢”が、自分でも意識していなかった願望が、口を突いて出ていた。







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