第191話
ルキアの問いを受け、ステラは一瞬の逡巡も無く口を開く。
「私はカーターに罪過が無い限り、そちら側に付くさ。……父上、子供だから、平民だからと軽視するのは理解できますが、私の友人に対する態度ではないでしょう。そして、国王陛下。陛下が罪なき者を不当に扱い、あまつさえ他国に売り渡そうと言うのであれば、私が真の王道を示すことになります」
ステラの声は、静かに落ち着いたものだった。
しかし言い切った直後に、がちゃがちゃと喧しい金属音が耳に障る。
それは彼女の“真の王道を示す”という言葉──自分が玉座に就く、クーデターを起こすという意味の言葉に動揺した、騎士たちの鎧が擦れる音だ。
彼らは国王直属の親衛隊であり、今この瞬間まで全くの無音だったことから分かるように、姿勢制御と身体操作の精度が桁外れに高い。その彼らが思わず音を立てて動いてしまうほどの、衝撃力のある言葉だった。
お前を殺す。
そう言われたに等しい国王だが、その口元は不敵に歪む。
「早まるな。彼らも余も、カーターをカルトだとは思っていない。そして余の王道に、無辜の民を守らぬという不正義が立ち入ることもまた、ない。……控えよ」
ぞわり、と、ステラの全身が総毛立つような威圧感が迸る。
それは紛れもなく王の覇気であり、自らの王道を疑う不遜な者への叱責であり誇示だった。
ステラはそれを受け止め、安心したように微笑する。
そう。
そうだ。
アヴェロワーニュ王国第67代国王、アウグストゥス2世は──ステラの父親は、そういう人物だ。
場合によっては親殺しすら許容する合理性が、これまで一度もクーデターを立案しなかった傑物だ。自分以上にこの国を治められると、そう仰ぐ器の持ち主だ。
「……失礼いたしました、陛下。……そういう訳だ、ルキア。旗幟を分ける必要も無いらしい」
「どうかしら。少なくとも私は、フィリップを殺そうとした勢力には一片の信頼も置けないわね。……フィリップ、こっちにいらっしゃい」
ルキアが差し伸べた手を、少しの逡巡の後に取る。
なんだかフランクな人とはいえ、一応は国王陛下の御前であるわけだし……という思考には、フィリップの生真面目な性格がよく出ていた。
部屋を入ってすぐのところに跪いていたフィリップが横に捌けたことで、三人の枢機卿が謁見の間に入る。
彼らはフィリップがいた場所とルキアがいた場所の、ちょうど真ん中の辺りで立ち止まり、また跪いた。
「本日はこのような場を設けて頂き、感謝の言葉もありません。国王陛下、第一王女殿下、宰相閣下には最上の感謝を申し上げます」
口火を切ったのは、三人の中で最も高齢の白髪の老紳士、フランシスだ。
「うむ。……聞け、フィリップ・カーター」
「はい、なんでしょう、陛下」
先ほどまでとは違う、王威の籠った声。
それに応えるのは先ほどまでと同じ、のほほんとした声と微妙な敬語だ。
国王は表情をピクリとも動かさず、淡々と続ける。
「此度の謁見は彼らが企図したもの。余は場所を貸しただけに過ぎぬ。……彼らとは確執もあろうが、此処こそは王国で最も安全な場所だ。奇襲、謀殺に怯えることなく、安心して言葉を交わすがよい」
王の御前──近衛騎士の選りすぐりである親衛隊が守護する場だ。
フィリップのウルミも当然のように没収されているが、それは枢機卿である彼らも同じで、入念にボディチェックされている。フランシスの持つ杖も、
そして、二人の聖痕者がいる。
彼女たちの目を掻い潜って魔術攻撃を放つのは至難であり、命中させるとなると不可能に近い。ルキアがちょっと移動するだけで、彼女の魔術耐性が攻撃を掻き消すだろう。
「えっと……はい、ありがとうございます。陛下」
「うむ。貴卿らも、立って話をするとよい。言うまでも無いが、余は貴卿らの会話には口を挟まぬ」
「……ありがとうございます、陛下」
フランシスが代表して礼を言うと、三人はすっと芯のあるような所作で立ち上がる。そしてフィリップの方に向き直ると、それぞれ質の異なる目を向けた。
白髪の老人フランシスは、感情の読めないにこやかな目を。
中年太りの男ジョセフは、実験動物を観察するような冷たい目を。
恰幅の良い中年女アンジェリカは、ルキアに憧れの目を向けたあと、フィリップには嫉妬の目を。
三者三様、性格の一端を窺わせる視線の集中に、フィリップは困ったように愛想笑いを浮かべた。
「枢機卿……? えっと、何の御用でしょう? ルキアの言っていた通りなら、貴方たちは僕を殺そうと……あ、去年の“使徒”の件ですか?」
殺される前に殺した方がいいのだろうか、と物騒なことを考えていたフィリップだが、その閃きが反射的殺意を上書きする。
“使徒”の部隊指揮官はコードネーム・ペトロ──投石教会のナイ神父だ。
彼がフィリップの抹殺を命じていない以上、その頭越しの命令があったことは明白であり、それは使徒が素直に従う相手からのものだ。たとえば一神教勢力に於いて199人しかいない最高位司祭、枢機卿とか。
「はい。この度はその謝罪を申し上げたく、このような場を設けて頂きました」
フランシスの肯定を受け、フィリップは口元に手を遣って考え込む。
さて──この場合における、最も常識的な対応とは何だろうか、と。
相手は暫定敵、自分を殺せと命令したかもしれない相手だ。
間違った情報に基づいたものでも、何かの手違いでも、フレデリカのついでのようなものであっても、使徒の攻撃に晒されたことは明白な事実。
しかし、フィリップ個人としては、割とどうでもいいというのが本音だ。
感情と意志は違う。
一つの感情を長く持ち続けることは出来ても、一つの意志を持ち続けるのは困難だ。
憎悪は、感情だ。
これに起因する殺意であれば、憎悪の炎が燃え続ける限り、殺意の熱が冷めることはない。
しかし、殺意それ自体は意志に過ぎない。
突発的に高まった殺意は、時間の経過と共に冷めていく。
一週間前に味わった激痛の記憶すら、美味しいご飯とふかふかのベッドで癒える、鋼のメンタルを持ったフィリップだ。
数か月も前の殺意が、今まで持続しているわけが無かった。
……しかし、普通は殺されそうになったら、恐怖や忌避感、怒りや憎悪といった強い感情を抱くだろう。フィリップにはそれが無いから、「何カ月も前のことだしなぁ」なんて甘い思考が出来るだけだ。
だから、
「いえ、気にしていませんから」
というフィリップの答えは、ステラが苦々しく表情を歪めるほどの正解であり、同時に、望まれた答えでもあった。
「王様の前だし、『萎縮』とか『深淵の息』も止めた方がいいよね」という思考に基づく、本人としては大真面目に考えた末の「常識的な対応」だったし、その答え自体は社交辞令的に間違ったものではない。
だが、国王も、枢機卿も、嘘をある程度は見分けられる。心の底から本気で「気にしていない」のだとバレてしまえば、それは十分に異常として映る。
国王はフィリップが──ステラが入れ知恵した相手がどう答えるのかを予測し、その真偽から人となりを測るつもりで、このような場を用意したのだろう。
遅ればせながらその事に気が付いたステラは、それ故に表情を歪めたのだ。
ステラがちらりと盗み見た父親の表情は涼やかで、内心の一切を窺わせない。
「は? いえ、しかし……いえ、何でもありません。では、次はライカード卿から」
「うむ。貴様──んん、ゴホン。貴方の体質について、二、三、訊きたいことがある。ご自身がアトラクターであることは知って──んん、ご存知か?」
普段は尊大な物言いのジョセフだが、眦を吊り上げたルキアの前ではそうもいかないらしい。
質問を理解し損ねて、フィリップは首を傾げる。咳払いと訂正を幾つか挟んだからではなく、質問の最も重要な部分であろう単語に聞き覚えが無かったからだ。
「アトラクター、って何ですか?」
「……ふむ。ナイ神父からは何も聞いていないか?」
「……?」
眉根を寄せて首を傾げたフィリップの反応は明確な肯定だったが、ジョセフはむしろ満足そうに頷いた。
彼がここに来たのは謝罪するためだけではなく、それについて説明するためでもある。ナイ神父が説明を終えていては、ここに来た意味も半減だ。
「アト──」
「悪魔を惹き付ける体質のことよ。美しい容姿や肉体、良質な魔力、善良な精神性、堕落しにくい魂。他にもいろいろな理由があるとされているけれど、とにかく、悪魔に好かれやすい人というのが一定数存在するの。フィリップは……違うんじゃないかしら」
「……聞く限り、ルキアはまるきりアトラクターですね」
例に挙がった四つの条件をすべてクリアしているし。
いや堕落しにくい魂かどうかは知らないが、発狂しにくい強靭さを持っているのは間違いない。だからこそフィリップも彼女に惹かれる訳だが、とそこまで考えて、フィリップの脳裏を一つの閃きが貫く。
「ルキアがアトラクターだとしたら、僕は悪魔なのでは?」
そんな冗談のような、本人としてはそこそこ真面目な思考から導き出された言葉は、ほぼ全員に冗談として受け取られた。
唯一、言葉の宛先だったルキアだけは、一瞬の硬直と一瞬の思考──彼女の思考速度ゆえに、常人の熟考に匹敵する思考密度だったが──を挟み、ややあってにっこりと嬉しそうに笑った。
「……ふふっ。もしも貴方が悪魔なら、アトラクターになるのも悪くないわね。けれど、私はアトラクターではないわ。この条件はあくまで仮説、必須条件でも無ければ、確定条件でもないの」
「へぇ……」
「……カーター、それは冗談が過ぎる。彼らは仮にも一神教の中枢だ、言葉には気を付けてくれ」
ステラの注意は、完全に「立場上、一応言っておく」程度のものだ。
吹き出さないためなのか、くつくつと喉を鳴らして笑っていれば、フィリップでも分かる。
「あ、そうですね、すみません。でも、悪魔だって言われる方が、カルトだって言われるよりは幾らかマシですよ」
少なくとも衝動的にブチ殺したくはならないし、“魔王の寵児”は字面だけ見ると大悪魔っぽい。
自分の思考に自分で可笑しくなり、にやりと笑うフィリップ。
その笑顔をどう解釈したのか、ジョセフだけでなく他の二人も慄いたように踏鞴を踏んで下がった。
「う、む。その一件では本当に申し訳なかった。それでその、だな……え? アトラクターではない? 聖下、一体何を根拠に──」
「根拠なんて無いけれど、それはそちらも同じでしょう? アトラクターという属性自体、「おそらく個人的な性質であり、同質の人間が複数存在する」程度の認識だったと記憶しているのだけれど」
ルキアの「フィリップはアトラクターではない」という言葉は、正確には「アトラクターであろうとなかろうと関係ない」と言うべきだ。
事実として、フィリップはアトラクターなのかもしれない。
昨年の春には悪魔に襲われたというし、そうであることを否定する根拠はないのだ。
しかし、フィリップはシュブ=ニグラス神によって守護されている。
悪魔を惹き付ける体質であろうとなかろうと、それが影響するような事態になることは──悪魔に契約を持ち掛けられたり、死後に魂を奪われたり、そういう不利益を被ることは無いだろう。
「それに、フィリップは私が守るもの。たとえ悪魔の軍勢が押し寄せてきたとしても、この子だけは、確実にね」
「私のことも忘れるなよー?」
「貴女は自衛すればいいじゃない」
「私も! カーターを守ると言っているんだ!」
分かった分かったと適当に手を振るルキアと、二人の掛け合いを楽しそうに見てけらけらと笑うフィリップ。
悪魔に狙われるということは、彼らにとって怯えるほどの事案ではない。そう、言葉にするまでも無く明確に示す振る舞い──ただの日常風景なのだが──を見せられて、フランシスは深々と頷く。
「う、ううむ……左様、ですか? しかしですな、その……いえ、何でもありません」
言い募ろうとしたジョセフだが、彼にとってフィリップの重要度はさほど高くない。
アトラクターという悪魔に狙われやすい体質の者に対して、「教皇領に来ないか」と誘うつもりがあった程度には真摯だが、教皇領の守りが聖痕者二人の守りを上回る堅牢さだとは嘯けなかった。
「では最後に、私から」
三人の枢機卿の最後の一人、アンジェリカが挙手した。
彼女はまるで授業中の学生のような態度に口角を歪めるフィリップには気付かず、ルキアとステラに向けて話しかける。
「両聖下にご提案があります。本年度の大洗礼の儀ですが、カーター氏にも参加して頂くというのは如何でしょうか」
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