第190話
高い天井ぎりぎりまで聳える荘厳な門を、その横に控えていた鎧騎士の一人がノックする。
飾られた鎧の置物だと思っていたフィリップが、まさかの動きにびっくりして肩を跳ねさせていた。
「第一王女ステラ・フォルティス・ソル・アブソルティア・レックス殿下、聖痕者ルキフェリア・フォン・サークリス聖下、学生フィリップ・カーター、以上三名のご到着です!」
その口上と同時に、この重そうな扉がずもももっと開くのだろうな、とイメージしていたフィリップの予想は、扉の奥から微かに聞こえた「お待ちください」という返事によって覆される。
「少し待つぞ。……そういう決まりなんだ。誰が始めたのかは知らないが、この『間』は王の準備時間で、相手に対する尊重を示すとされている」
めんどくせ、と明記された顔で、帰っていいだろうか、と、どう考えても駄目なことを考え始めたフィリップに、ステラが注釈をくれる。
偉い人の考えることはよく分からないが、そういうものだと言われてしまうと、フィリップとしても何も言えない。フィリップはあくまで招かれた側、
ややあって「お入りください」と扉の向こうから聞こえると、二人の鎧騎士は頷きを交わし、格式ばった動きで門の中心に立つ。
こちらに一礼し、きびきびと──というよりはきっちりと、と表現すべき所作で門の方へ向き直った。
「第一王女ステラ・フォルティス・ソル・アブソルティア・レックス殿下、聖痕者ルキフェリア・フォン・サークリス聖下、学生フィリップ・カーター、以上三名のご入来です!」
ずん、と空気の震えるような重い音を立てて、二人の騎士が巨大な門を開ける。
部屋の中からシャンデリアが放ち壁の装飾で複雑に反射した眩い光が溢れ出し、フィリップは思わず目を細めた。
ある吟遊詩人曰く、絢爛とは、その部屋を表すために作られた言葉である。
白亜の壁には精緻な彫刻と純金の彫金細工が全面に施され、天井の絵画には無数の宝石が散りばめられている。一か所でも切り取れば、それを飾るための美術館が建つような、美しく、そして歴史あるそれらは、しかし、所詮は鏡だ。
それらを飾り、見せることが目的ではなく、天井に吊られた黄金のシャンデリアが降らせる光を反射させ、部屋の隅々までを照らすための照明装置に過ぎない。
この部屋の主役は、部屋の中央辺りから最奥に向けて伸びる長い階段の最上、床から3メートルは高いところに据えられた玉座と、そこに坐す国王。それ以外には有り得ないのだから。
「……」
事前に言われた通り、フィリップは部屋に入った瞬間に跪く。
ルキアはその数歩前で立ったまま、ステラはさらに奥へ進み、十数人の鎧騎士が跪いて並ぶ階段を上る。
「ご機嫌麗しく存じます、殿下。今宵もお美しいお姿が見られて光栄です」
「貴様も壮健そうだな、サークリス宰相」
「はっ、お陰様で、元気にやらせていただいております」
ルキアの父、アレクサンドル・フォン・サークリスがいるのは、玉座へ続く階段の、最上段から三つ下だ。
ステラはそこを通り過ぎ、玉座から一つ下の段で止まった。宰相との間にある一段は、ステラ以外の王族が立つ場所となっている。
「フィリップ・カーター君だね。顔を上げなさい」
若々しい中に、鳥肌の立つような重圧を孕んだ声。
言葉一つで他人を屈服させ、従属させるような威圧感がある。
聞き覚えの無い声で名前を呼ばれ、普通に頭を上げそうになったフィリップだが──頭が、上がらない。
首が、肩が、背中が、上から押さえつけられるように、地下から見えないロープか何かで引っ張られているように、重い。
これが王の覇気──では、ない。
「あ、もう一回」
フィリップの呟きに応じるように、ふっと重圧が消える。
ステラに予め教わっていた、「頭を上げろ、と言われても、もう一度言われるまでは頭を上げては駄目だぞ」という教えを破りかけたフィリップに対する、ルキアの無言のフォローだった。
「……ふむ。さぁ、頭を上げて、顔を見せてくれ」
「……?」
言われるがまま素直に顔を上げると、何故かルキアとステラが怪訝そうに眉根を寄せ、首を傾げていた。
フィリップは二人の表情に疑問を覚えるが、まさか「どうしたんですか?」と訊くわけにもいかず、質問を後回しにして階段の上を見上げる。
玉座に掛けていたのは、アレクサンドルと年頃の近い、30~40歳の男だ。
なんとなく、白髪頭に長いひげを蓄えた恰幅の良い老人を想像していた──フィリップがよく読む冒険譚の国王がそんな感じだから──から、思わず瞠目する。
その反応にも慣れたと言わんばかりの余裕の笑顔を見せ、国王は玉座にゆったりと背を預けた。
「想像より若くて驚いたかな? まぁ、国王という言葉から連想される威厳は、この
「……」
フィリップは答えず、無言のまま青い瞳を見つめ返す。
確かに、国王の艶やかな金色の髪は短く整えられており、威厳というよりは快活な印象を強く受ける。しかし、その表情や仕草の一つ一つが、細部に至るまで完璧に練り上げられている。たとえ頭に戴いた冠が無かったとしても、たとえ豪奢な衣装に身を包んでいなくとも、国王以外の誰かや影武者と間違うことは無いだろう。
「ふむ。善く教えているな、ステラ」
「……えぇ、まぁ」
ステラの端的な答えから何を読み解いたのか、国王は「そうか」と笑い、フィリップに視線を戻した。
「カーター君。直答を許そう。楽に話してくれ」
「……はい、陛下」
素直に答えたフィリップに、満足そうな頷きが返される。
しかし、ルキアとステラは再び眉根を寄せ、怪訝そうな目を向けていた。その宛先はフィリップではなく、上機嫌そうな国王と、内心の読めない微笑の仮面を被った宰相だ。
「ステラは君のことをあまり話さなくてね。実のところ、私が君について知っていることはとても少ないんだ。まずは自己紹介をしようか」
「…………あ、はい。えっと、フィリップ・カーターです。歳は11で、えーっと……読書が趣味です。冒険譚とか英雄譚とかをよく読みますけど、陛下は物語とか、お読みになりますか?」
「うん、いい趣味だ。私は……最近は読まないけれど、子供の頃はよく読んでいたよ。“十の王冠”とか“エイリーエス”とか」
「おぉ、古典ですね! “十の王冠”は四年くらい前に、お弟子さんが書いたっていう正当続編が出てましたよ。“小さな角”っていうタイトルで……あれは良かったです」
ネタバレはしませんけど、と一人で内容を思い返し、いやぁ良かったなぁ、などと頷くフィリップ。
自国の王の前で、宰相と、親衛騎士と、第一王女と公爵令嬢の前なのだが、そんなことは気にもならないらしい。
どの感性から来るどんな予想で「緊張したらどうしよう」と考えていたのか、フィリップ自身すら分からないほどの落ち着きぶりだった。
「ははは、そうなのか。時間があれば読んでみるよ。……ステラともこんな話を?」
「そうですね。殿下はお忙しいでしょうから、押し付けたりはしないことにしてるんですけど……お勧めはしてます。最近だと、“異形の竜と放浪騎士”とか。……読みましたか?」
「ちょうど途中だ。白騎士と問答している場面の……“見てくれが醜かろうと、内面が醜悪だろうと、重要なのは何を為して何を残すか”……の辺りまで読んだぞ」
「あー……名場面ですね」
普段通りに会話してけらけらと笑うフィリップに、鎧騎士の何人かが宇宙人を見るような目を向ける。
目元はフルフェイスヘルムに遮られて見えないはずだが、籠められた感情を鋭敏に感じ取ったルキアが不愉快そうに片眉を上げていた。
「そうか。娘と仲良くしてくれているようで、嬉しいよ。ところで──」
ところで、と、何か重要なことを言おうとした国王だったが、その言葉は謁見の間の外から上がった大声によって遮られる。
謁見の間に続く門を守る鎧騎士の片割れが上げた、新たな来訪者を伝える口上だ。
「教皇庁枢機卿、フランシス・カスパール卿、ジョセフ・ライカード卿、アンジェリカ・ロウ卿、以上三名のご到着です!」
「……お待ちください」
フィリップの斜め後ろから上がった返答の声は、気配を完全に遮断していた侍女のもの。直立不動の姿勢で立っていただけなのに、フィリップが思わず肩を跳ねさせるほどの潜伏技術だった。
国王の威厳たっぷりな頷きを受け、侍女は「お入りください」と扉向こうに答える。
これにはルキアとステラだけでなく、フィリップも眉根を寄せる。
いや、フィリップは怪訝そうにしているだけだが、ルキアとステラは訝しむを通り越して不快そうだった。
王が通したということは、突然の来訪ではなく事前に取り決められていたことなのだろう。
だが、ここは三等地の宿ではなく、天下の王城だ。貴族はともかく、実務担当の文官、特に外交方面の役人の能力は極めて高く、ダブルブッキングなど起ころうはずも無い。
だからこれは、仕組まれたことだ。
そう気付いた時には口上が述べられて謁見の間の門扉が開き、跪いた三人の姿が見えていた。
「……父上。何かの手違いであれば、カーターは一度出直して、まずは枢機卿の方々の謁見を終えられては?」
「それには及ばぬ。これは枢機卿の方々がこそ、望まれたことである」
フィリップに向ける「やさしいおじさん」の演技──ちなみにサークリス公爵の真似──は、ステラに対しては消え失せる。
双眸の光に温和さは無くなり、冷たく徹底した計算の色だけが宿る。表情も同じくだ。
どちらが本当の彼なのかなど、言うまでもない。
フィリップに向けたあらゆる全ては、彼への軽視を示すもの。
国王としての振る舞いを見せる必要もその価値も無い、ただの子供に対する態度だった。
そこまで理解したルキアは、現状が望まぬ方へ転がっていることにも気が付いた。
国王の狙いは定かでは無いが、彼らは昨年、非公式戦闘員である“使徒”を使ってフィリップを殺そうとした連中だ。フィリップが確実に武装していないこの場に来た時点で、その目的は推し量れる。
武力で敵わぬのなら政治で、ということだろう。
「……」
ちり、と、ルキアの感情に呼応して高まった魔力が紫電を散らす。
させない。
そうは、させない。
少なくともルキアの目の前で、フィリップが傷付けられ、拐かされることなど、断じて許さない。
相手に武力交渉の気が無いとしても、こちらを害するつもりなら、その手段が何かなど知ったことではない。
政治が、外交が、国家が、人間社会が、どうして無価値に映るのか。
その理由の一片だけでも教えてやるまでのこと。
「ステラ、今のうちに旗幟を鮮明にして。国王に、彼らに、フィリップを害する意図があったのなら、貴女はどうするの?」
ルキアの言葉は、問いかけであると同時に宣言でもあった。
剣呑な光の灯る双眸は口以上に雄弁に、ルキア自身はフィリップの側に付くと語っている。
「私は──」
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