第189話

 複数の塔と複数の別棟、別館を擁するアヴェロワーニュ王国王城は、大陸で二番目に大きな建築物だとされている。

 白亜の城は遠目にも絢爛で、近くで見ると外壁にさえ精緻な装飾が施されている。その外観は派手なばかりではなく重厚な威厳も湛え、畏敬の念を呼び起こす。


 外から見るだけでも十分に観光として楽しめる美術品であるだけでなく、300余年前には悪魔の大軍勢の襲撃を退けた防衛拠点であり、現代に於ける国家の中枢でもある。


 外観、内装、歴史、堅牢さ、そして内包する機能まで含めて、王国最高の建築物。

 

 衛士に守られた正門を通り、親衛隊に守られた玄関を通り、使用人の並ぶ廊下を通り、見事な手際の侍女に接待され、礼服に着替えさせられた。

 その全てを上の空のまま通過してしまったフィリップは、控室のソファで一人、思考に耽る。


 「あれが理由で怒られたらこう言い訳して……あっちが理由だったら「僕のせいじゃない」の一点張りで……あとは……」


 自覚のある、そして記憶にある数々の「やらかし」に、一つ一つ言い訳を考えて記憶する。

 交渉のプロともいえる国王に、数分で考えた言い逃れが通じるのかは甚だ疑問だが、というか通じないに決まっているが、フィリップ本人としては大真面目だ。


 その集中たるや、控室の中に待機していた侍女が何度声を掛けても気付かないほど。

 彼女は困ったように眉を下げて、フィリップの肩をぽんぽんと叩いた。


 「あの、カーター様?」

 「うわぁ!? はい! なんですか!?」


 流石は王城に勤める侍女、と言うべきだろう。

 大袈裟に飛び上がったフィリップに面食らっていたのは一瞬で、瞬きの後には身体の硬直も下げかけた片足も完璧に修正され、洗練された所作の一礼を見せた。


 「ルキア・フォン・サークリス様がお越しです。お通ししてもよろしいでしょうか」

 「え? あ、はい、お願いします」


 フィリップが多少の落ち着きを取り戻したタイミングを見計らい、扉が開かれる。

 少し冷たく聞こえるほど淡々と「ありがとう」と告げて部屋に入ったルキアは、フィリップを見るや否や、何とも言えない顔で硬直した。


 「どうも。あ、ルキアも正装で……白ゴス、だと……!?」


 喉の奥から絞り出されたフィリップの衝撃に、ルキアは照れ臭そうに微笑する。


 白ゴスと言っても、ファッショナブルなものではなく、ドレスやグローブの形状はむしろ伝統的なイブニングドレスだ。

 首筋から胸と背中にかけてを露出する代価のように、スカート丈は床を微かに撫でるほど長いデコルテ。肘上までを完全に覆うオペラグローブ。毛足の長いカーペットを意に介さぬ歩き姿からは想像もつかないが、それなりに高いヒール付きの靴がちらりと見えた。


 完全に舞踏会の華といった風情のルキアだが、フィリップが白ゴスと表したように、きっちりとした正装というわけではない。

 ローブ・デコルテが露出するはずの肩回りは、シースルーレース素材が覆っている。ドレスの腰回りや手袋にも、同じようなゴシック・ファッションに特有のレースがあしらわれていた。


 「よくお似合いです!」

 「ありがとう、フィリップ。本当に嬉しいわ」


 薄いレース越しにもくっきりとした鎖骨のラインや窮屈そうな胸の谷間だけでなく、少し腕を上げて貰えば腋の下も見える。普段はダウンかハーフアップの銀髪も、正礼装に相応しいシニョンで、真っ白なうなじが眩しい。

 男子垂涎と言っていい、整然とした中にも女性らしい艶やかさの香り立つ姿を前に、しかし、フィリップの関心は細部ではなく全体で──失礼極まりないことに、中身ルキアではなくドレスの方にあった。


 銀髪には黒ゴスこそ至高だと思っていたけれど、白ゴスも意外に合うんだな。今度マザーに着て貰おう……いや、できれば会いたくはないのだけれど、もし何かの用事で仕方なく会ったらそのついでに。


 そんな誰にとも無い言い訳混じりの思考に浸っている間に、ルキアがてきぱきと侍女に命じてフィリップの身支度を少しだけ弄る。

 ほんの少しだけ髪型を変え、ネクタイをループタイに変えただけだが、一見しただけで面白いちんちくりんではなくなった。今までのフィリップは恐らく、街中を歩いていたら道行く人々が顔を逸らして失笑を堪える──本人に気を遣うレベルの惨憺たる有様だった。


 ダサいを通り越して面白い、面白いを通り越して可哀想。

 フィリップをそんな状態に作り上げた侍女を相手に、ルキアは怒りの視線──ではなく、労うような目を向けた。


 フィリップの身形は、男性が国王と謁見するのに相応しいものを、できる限り崩したものに整えられていた。

 貴族の子息子女であっても、謁見できるのは15歳からと決まっている。11歳というまだ幼い年齢の子供を相手に、侍女たちはよく頑張った方だ。


 そもそも燕尾服のサイズが最小なのにぶかぶかだし、体格に対してネクタイが大きいし、何なら靴は女性用のローファーだった。男性用では合うサイズが無かったのだろう。本当によく頑張っていた。


 「くっ……こんなことなら、一月、いえ二月は遅らせれば良かったわ」


 そうしたらオーダーメイドで完璧なスーツを仕立てたのに、などと口内で口惜しさを噛み締めるルキアだが、フィリップは「そんなに変かなぁ?」と鏡を見て首を傾げている。正式礼装どころか、お洒落にも疎いフィリップの感性など当てになるはずも無いのだが。


 そうこうしていると、侍女が再びの来客を告げる。


 「カーター様、サークリス様、第一王女殿下がお越しになられています。お通ししてもよろしいでしょうか」

 「……あ、はい。お願いします」

 

 ルキアがいるのだから彼女が対応権を握っているのだろうと黙っていたフィリップだが、ここはフィリップに宛がわれた控室だ。その権利はフィリップにしかない。それを視線で教えてくれたルキアに目礼を返しつつ、流れるような所作で扉に向かった侍女の動きに、今更ながら目を瞠る。


 「うわぁ……!」

 

 動きに淀みがない、なんてレベルじゃない。

 澄み切った川の流れはよく観察しなければ分からないように、どう考えても動いているのに、その動きに注意していなければ気付けないほど気配の消し方が上手い。


 あの動き──いや、あの技術。

 同じことができれば、ディアボリカのような強敵を前にしても、邪神招来の呪文を詠唱できるのだろうか。


 別に、ディアボリカに恨みがあるわけでは無い。

 当時は「この左腕の痛み、忘れることはないぞ……!」とか思っていたのだが、王都に帰ってきて、美味しいご飯を食べてふかふかのベッドで寝たら忘れた。


 「カーター、ルキア、準備は……あー、それで完了、か?」

 「これで完了よ。……何か文句でも?」

 「……いや、いい。カーター、最終確認だ。私が言った二つのルール、覚えているな?」


 指を二本立てたステラに、フィリップは「勿論です」と親指を立てて返す。


 「関係性は「友人」の一点張りで通す、質問には嘘でもいいから常識的で当たり障りのない答えを返す、ですよね!」

 「そう。正直、私たちの関係性は……“理解者”なんて、お前とルキア以外には理解できないだろうしな。そしてこちらの方が重要だが、お父様も私と同様ある程度は嘘を見抜ける。下手に嘘と本音を混ぜたら、その精度は二次関数的に跳ね上がるぞ」


 うんうんと頷いて危険性を共有しているルキアとは違い、フィリップは今一つ理解できていない。

 幸いと言うか的確と評価すべきか、これらの対策は、そもそもフィリップの理解力や演技力を端から考慮していない。言われたことを実行するだけでいいのだから、フィリップとしても気楽で良かった。


 「じゃあ、行こうか。ルキア、万一の時はフォローを頼む」

 「えぇ、任せて」


 女性二人にエスコートされる形で、等間隔で調度品の飾られた広い廊下を進む。

 少し先を進むステラの背中を見て、ふと思い返すことがあった。


 さっき、ステラが部屋に入ってきて……ルールを確認して……それきりだ。おっとっと、これは不味い。マナー違反だ。


 「そのドレス、よくお似合いですよ、殿下」

 「ん? あぁ、ありがとう」


 ルキアと同じデコルテ型のドレスだが、ルキアのドレスのような規定から外れたデザインではなく、伝統と格式に則った、背中や肩回りが大きく露出したローブ・デコルテだ。


 深紅の生地で織られたそれは一着で目の飛び出るような金額だろうが、それも所詮は額縁に過ぎない。

 その中に収められたステラこそが主役であり、まさしく芸術品の如き美しさだ。


 赤いドレスは白い肌や、くっきりとした鎖骨と深い胸の谷間、その中間部辺りにある聖痕を艶やかに縁取る。


 金色の髪はルキアと同じく夜会巻きに纏められていたが、カールが掛けられて豪華な感じに飾られていた。これはこれでお洒落だし、明朗快活なところのあるステラにはよく似合う。


 が、それはそれとして、着飾った女性に対するマナーとして褒めただけのフィリップは、それ以上何も言わずに歩を進める。

 それに違和感を覚えたのは、宮廷行事や外交の一環で外国のパーティーなどにも参加した経験の多いステラだ。普通こういう時は、どこがどう素敵で、と具体例を幾つか挙げるのが通例だった。


 「……? ……あぁ」

 「……ステラ?」

 「いや、なんでもない」


 ルキアもそういう場所、そういう作法には慣れていたはずなので、一拍置いて「そういえばこいつは平民だったな」と納得したステラより、初めから「お似合いです」の一言だけで十分に満足していたルキアの方がズレている。まぁ彼女の場合、美しいことが大前提であり、その価値基準は自分の中にしかない。他人から向けられる「綺麗」という言葉に、然程の価値を見出していないという理由もあるだろう。


 一行は少しだけ歩いて、すぐに豪奢な両開きの扉──門と表現しても差し支えの無いような、大きな扉の前で止まった。

 扉とその周囲の壁には彫刻が施され、一部には宝石すら埋まっている。


 この先が謁見の間であると、言われずとも分かる威圧感──フィリップの頭には「お金かかってそう」という幼稚な感想しか浮かんでいないが──がある。


 「さて、着いたぞ。……カーター、準備は?」

 「……どうですか?」


 両手を広げてくるりと回るフィリップ。

 その服装や髪形に乱れが無いことを確認して、ルキアが即座に、ステラが少し遅れて頷く。


 「大丈夫、素敵よ」

 「……あぁ、まぁ、うん、そうだな」


 激甘採点のルキアと、何とも言えない表情のステラ。

 二人の顔を交互に見て少し悩んだあと、フィリップは結局、ぴっと親指を立てた。


 「大丈夫ですね、行きましょう!」


 本当に大丈夫なのかなぁ、と、扉の傍に控えている二人の鎧騎士も含めた全員が心を一つにした。







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