第221話

 結局、ルキアとステラは普通に儀式を終えて、控室に戻ってきた。

 メグが警告に向かった時には──フィリップも一緒に行ったのだが、警備に止められて会場の教会ホールに入れなかった──、コルテス枢機卿はナイ神父に警告され、その場を去っていたらしい。


 ナイ神父に警告されたというのは、ステラによる推測だ。

 客観的事実としては、ナイ神父がコルテス枢機卿の耳元で何事か囁いたあと、儀式の最中だというのに二人でどこかに消えただけだ。だが、まあ、十中八九、その推測で正解だろう。


 とんとんとんとん、と、くぐもった音が忙しなく鳴り続ける。

 フィリップの苛立ちが、ソファの肘掛けを指で叩くという形で発散されている音だ。


 もう片方の手は頬杖に使われ、その双眸は暗く鋭く、虚空を睨み付けていた。


 「……あのクソ、これで僕が認識を改めなかったら、本当に──」


 フィリップの口から延々と漏れ続ける呪詛に、対面のソファに座ったルキアが萎縮して、ステラは呆れ顔を浮かべていた。


 「……カーター、少し落ち着け。さっきからルキアが怯えっぱなしだ」


 ステラに諫められ、フィリップは深い憎悪を湛えた視線をそのままスライドさせ、ルキアを見遣る。

 人でも殺しそうな視線を受けたルキアがびくりと怯えたように肩を強張らせたのを見て、フィリップは深々と嘆息した。


 その宛先はルキアではなく、自分自身だ。

 苛立ち一つ制御できない自分に──ナイ神父曰く、最終的には萎えるらしい苛立ちのために、ルキアを怖がらせてしまう愚かしさに。


 「すみません。それで、えっと……どこまで話しましたっけ?」

 「……大丈夫よ。少し怖かっただけ。……コルテス卿はナイ神父と共に行方を眩ませて、消息不明──というところまでは話したわよね?」

 「はい。……二人がそれを見逃してくれて良かったです。皮肉でも嫌味でもなく、ナイ神父の邪魔をしたら、二人とも死んでいましたから」


 フィリップの言葉に、ルキアとステラは軽く頷いて同意を示す。

 むしろ二人の後ろに控える四人の従者たちの方が、フィリップに正気を疑うような目を向けていた。確かに、聖職者が聖痕者を殺すなど、普通に考えるなら有り得ないことだ。その可能性など考えるだけ馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばされてしまうような。


 「彼は早急に──本当は今すぐにでも、儀式に取り掛かりたいはずです。僕の手札……をどこまで聞いているかは不明ですけど、何か知っているならショ──眼球集めを一時中断するはずなので、何も知らない線が濃厚ですね」

 「……或いは、お前を無視できる公算があるか、無視せざるを得ないほど切羽詰まっているかだな」


 ステラの補足に頷きを返し、フィリップは大真面目な顔を作った。

 真剣な話し合いの最中に真剣な表情になるのは当たり前だが、今までは人の生死がかかった状況でさえ冷笑を滲ませていたフィリップだ。それが憤怒と憎悪を露わに、嘲笑も冷笑も取り払った真剣そのものといった表情を浮かべていると、流石のルキアとステラも気圧される。


 これまでとは状況が違う。そう理解できるが故に。


 「それで、二人にお願いがあるんですけど……」


 フィリップは一本指を立て、声のトーンを少し下げる。

 軽く身を乗り出した二人に、フィリップは「必要不可欠なことですよ」と言わんばかりに大真面目な顔で言った。


 「──今夜は、一緒にいて欲しいんです」


 ……沈黙があった。

 ルキアは何を言われたのか分からないというように目を瞬かせ、ステラは僅かに眉根を寄せて、二人は何も言わずに固まっていた。


 一秒、二秒、三秒と、機械式時計の秒針が時を刻む、かちかちと乾いた音が等間隔に鳴る。


 ややあって、ステラが背もたれに体重を預け、ソファが軽く軋んだ。

 直後、しゃりん、と涼やかな音が耳朶を打つ。


 何の音だろうと目を遣ったフィリップの視線の先で、ステラの親衛騎士二人が抜剣していた。


 「──殿下、これは流石に冗談の域を出ています。処断のご許可を」

 「……え? なんか変なこと言いましたか?」


 本職の中でも最精鋭の騎士が放つ威圧感を丸ごと無視し、フィリップは冷静に自分の発言を振り返る。


 ややあって、フィリップはぱちりと指を弾いた。


 「あ! いや、二人とセッ──二人を抱きたいって意味じゃないですよ? 文字通りの意味です」

 「──うん、言葉を選べるようにはなったみたいだが、もうちょっと表現を考えような?」


 以前の教訓を活かし切れていない、ほぼ直接的な弁解は、ステラに対しては効果的だった。

 ステラは硬直と思考停止から立ち直ると、いつかのように赤面を通り越して苦い笑いを浮かべていた。苦笑と言うには、苦み成分が多い。

 

 対して、ルキアは白磁の肌を耳まで赤く染めて俯いていた。

 硬直からは回復していたが、まだまだ正常な思考状態には戻っていない。

 

 「抱く、は駄目ですか? ……一夜を共にする、とか?」

 「うん、まぁその辺りが穏当な……まぁ、それはいい。お前たち、剣を納めろ」


 二人の鎧騎士は、ステラの指示に一切言い募ることなく従った。

 腰に佩いた鞘に剣を納めると、ソファの後ろで直立不動の姿勢に戻る。怒られてやーんの、と指を差して揶揄ったメグが、アリアに脇腹を小突かれた。


 「……失礼いたしました。私の早とちりでご不快にさせたこと、お詫び申し上げます」

 「いえ、大丈夫ですよ。殿下の貞操を狙う不埒な輩みたいなコトを言ったのは僕ですから」


 フィリップはけらけらと笑っているが、全く笑い事ではない。


 ステラの、第一王女の貞操は国家の財産であると同時に、極めて重要で価値の高い外交資源だ。

 その処女性には、比喩抜きで傾城傾国の価値がある。


 彼女の価値を単純化して数えたとき、ただでさえ「人類最強の魔術師」「聖人」「大陸西部の覇権国家の第一王女」「人類最高峰の美少女」という属性が並んでいるわけだが。

 これはまあ概ね、100点中の500点、釣り合いの取れる男性が居なくて結婚相手が見つからないレベルの高嶺の花だ。まあ、今年16歳のステラが、未だに婚約者がいない──王族は20で結婚するのが通例だ──理由は、むしろ国王の方にあるというのが定説だが。


 さておき、そこに「処女」という属性が加わると、外交市場における価値は無限に高まる。


 逆に言うと、その処女を徒に散らせた者は、不敬云々を抜きにしても大罪だ。

 罷り間違っても冗談で「貴女を抱きたい」だなんて言った日には、その日がその者の命日になるだろう。冗談でなくても同じだが。


 フィリップも、立場だけで考えるならこの場で斬首されている。

 その首がまだ胴体と泣き別れになっていないのは、フィリップにとっても、世界にとっても幸運なことだった。


 「私たちを守るための案なんだよな? 一緒に居れば、カーターのことも守れるし、そう悪いアイディアじゃない」

 「……そうね。同じ部屋で寝るだけなら……うーん、でも……」


 漸く再起動したルキアが、今度は真剣な顔で黙考の姿勢になってしまった。

 フィリップは苦笑しつつ、「違いますよ」と否定し──かちゃり、と、鎧の動く音がした。


 いや、違う。

 違うというのは「一緒の部屋で寝るだけ」という部分ではなく、そもそもの大前提だ。


 また抜剣されては面倒だと、フィリップは慌てて言葉を重ねる。


 「いや、えっと、そうじゃなくて。二人で一緒の部屋にいて、二人で自衛して欲しいんです。可能ならメグたちも一緒に。ルキアと殿下の二人なら、大概の相手は倒せるでしょう? 僕は女子用の宿には入れませんし……コルテス枢機卿が動くとしたら、たぶん今夜ですから」


 フィリップは淡々と、そう告げる。

 世間話の延長線上のような調子だったが、ルキアとステラにとっては青天の霹靂だ。


 ステラの苦笑が引っ込み、ルキアの耳元に残っていた朱色が引く。


 「確かか? なら……いや、私達では足手纏いか?」

 「…………」


 ステラが「だったら一緒に居るべきだ」と主張したかったのか、或いは「一緒に探す」と言いたかったのかは不明だが、彼女は“分”というものを弁えていた。

 ルキアも同じく手伝うと言いかけて、すぐに口を閉じている。フィリップの助けになるのなら発狂のリスクも許容する彼女だが、邪魔になるのは本意ではない。

 

 むしろステラの問いに頷いたフィリップを見て眉根を寄せたのは、また四人の従者たちだった。


 「カーター様? ルキアお嬢様の強さをお忘れですか? 女性を守ろうという気概は大変麗しいものですけれど──」

 「殿下、やはり彼は不敬です。御身をこうも軽んじるなど、王国の民どころか知性ある人間とは──」


 メグと親衛騎士の二人の言葉を、その主人たちが片手を挙げて制止する。

 能面のような無表情のルキアと、仕方ないかと言いたげな苦笑を浮かべたステラが対照的だった。

 

 「マルグリット。貴女にはフィリップを手伝うよう命じたけれど、諫言を許した覚えはないわ。控えなさい」

 「口が過ぎるぞ。私に自分の親衛騎士の品性を疑わせる気か、アンナ?」


 叱責を受け、従者二人が口を揃えて「差し出口でした」と謝罪する。残る二人が同僚の不手際を詫びて、彼女らはそれきり口を開かなかった。


 「カーターの特異性については、後で説明する。今は……そうだな、対カルトの専門家とでも思っておけ」

 「微妙に嬉しくない称号ですね。カルトを全員殺したら自然消滅しますけど」

 「そうなったら、“カルトを絶滅させた者”という称号に変わるだけよ」

 「あ、それは欲しいですね。是非とも」

 「お前が欲しいのは“カルトが全滅した”という事実だろう? ……いや、それより、探す当てはあるのか? 教皇領は王都よりは狭いが、腐っても中規模都市だ。単純に広いし、建物の数も相当なものだぞ」


 ルキアかステラがいれば、魔力視を使える。

 コルテス枢機卿の魔力パターンを記憶していないので、魔術行使の痕跡を探し、現代魔術ではないものを見つけるというハイリスクな方法にはなるが。


 それでも、二人のうちどちらかがいれば確実なはずだ。

 ステラはそう考えていたが、彼女が自分で言った通り、フィリップは専門家だ。


 「儀式の方法と概要は概ね掴みましたし、召喚される邪神のこともよく知っています。大丈夫ですよ。殿下はルキアと一緒に、自分の身を守ることを最優先にしてください」


 今夜──そう、コルテス枢機卿はきっと、今夜動く。


 連日の眼球集めの妨害に加え、ショゴス生産拠点らしき地下墓地の破壊は、彼に儀式決行を急がせるはずだ。

 本当なら今すぐにでも邪神を召喚したいところだろうが──そいつを召喚する時には、闇が集まり光が遠ざかる。視覚的には、真っ黒な球体が現れるわけだ。昼間どころか夕暮れでも目立つ。


 目立つだけならまだいいが、いまこの町にはルキアとステラ、ついでに言うと帝国の聖痕者とレイアール卿がいる。

 これがどういうことかと言うと、彼女たちは個人でありながら対都市爆撃ができる超火力を保有している。つまり、空に浮かぶ真っ黒な球体なんてこれ見よがしな不審物は、爆撃用のマーカーになりかねないのだ。


 せめて夜、欲を言うのなら月が雲間に隠れ、夜闇が濃くなった瞬間や、月が沈んだ後がいい。

 フィリップならそうするし、知識があるなら誰だってそうするだろう。


 そして彼は、明確に“智慧のある”相手だ。


 フィリップが地下室で燃やしたパピルス。あれは後に『無名祭祀書』と呼ばれる魔導書の原本──その写しだ。

 邪悪言語で記されたそれの解読に使われた手書きのノートが、彼の寝室から見つかった。その最後に使われたページには、パピルスの内容が大陸共通語に完全翻訳されていた。


 彼は魔導書に呑まれた狂人ではなく、フィリップのように智慧を植え付けられた狂人でもない。

 自分の意思と知識と思考に基づき、魔導書を解読し理解した領域外魔術師メイガスだ。


 これが、どうやったら『カルトではない』という認識になるのか、フィリップは今から楽しみだった。


 「あ、シルヴァを貸しましょうか? いざという時は目の代わりになってくれますよ。しかもかわいい。目の保養にもなります」


 内心でどろりと流動した重質な憎悪を隠すために、これ以上ルキアを怯えさせないように、フィリップはそんな冗談を口にした。







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