第220話

 メグは暗殺者時代に身に付けた技能を遺憾なく発揮し、フィリップの探索に絶大な貢献をしてくれた。


 たとえば、教皇庁本棟居住区に僅かに残った修道士──のふりをした、警備役の“使徒”の誘導。

 たとえば、設置型魔術による自動警戒システムの探知と回避。

 そもそも、仮想敵である二人の部屋は何処なのかという案内。


 そして何より、この城塞と宮殿を足し合わせたような絢爛で無骨な内装の、ブチ破るにはとても苦労しそうな鍵付き扉の開錠。


 彼女が居なければ、フィリップは枢機卿の部屋に入るどころか、廊下を歩いている使徒に捕まって牢屋に入っていただろう。或いはその使徒が鬼籍に入っただけかもしれないが。


 「こちらが、ヴィルフォード・コルテス枢機卿の私室です。罠の確認も致しましょうか?」


 これだけの能力を疑われたことへの不満を微塵も感じさせず、定食にスープを付けるかと訊ねるような調子で尋ねるメグ。

 機械式だろうと魔術罠だろうと見抜く自信があるのだろうが、今回はあまり他人の手を借りるわけにはいかない。フィリップが首を振って断ると、彼女は扉の側に控えた。


 「では、こちらでお待ちしております。巡回は誘導を優先し、次善策として排除に切り替えるという方針でよろしいでしょうか?」

 「はい、お願いします。……ところで、さっきからどうやって誘導したり、鍵を開けたりしてるんですか? 普通に立ってるようにしか見えないんですけど」

 「秘密です」


 ついで程度の質問だからメグは冗談めかしたウインクなどしているが、フィリップが本気で問い質しても同じようにあしらわれるだろう。

 それが分かったので、「そうですか」としか答えようがない。


 だが実に不思議だ。


 メグはずっと、フィリップを先導するように斜め前を歩いていた。

 時折曲がり角に差し掛かると、立ち止まりも先を確認もせず、一定のペースで歩きながら「見張りが居ます。誘導するので、このままのルートで行きましょう」と言って──数秒後に少し遠くで物音がして、見張りが確認に向かう。


 複数人いる場合には残された一人が数秒間だけ重度の酩酊状態に陥り、眩暈を起こしているうちにその前を通り抜けたこともある。


 魔術行使の気配は無かった。

 フィリップの感じられる範囲ではという但し書きは付くが、主観情報を抜きにしても見張り役の“使徒”は本職の戦闘魔術師だ。彼らが気付かないということは、魔術ではないのだろう。


 ……ルキア経由で頼めば教えて貰えないだろうか。魔術に依存しない技術なら、ステラの支配魔術による強制模倣があるフィリップにも覚えられるかもしれないし。


 「……行ってきます」


 あとで頼んでみようと決めて、コルテス枢機卿の部屋に入る。

 扉を開けて左側はすぐに壁で、右側に長方形の宮殿建築の内装が続く絢爛な部屋が広がっていた。


 正面の長辺の壁には木枠の窓が三つ並び、通路側の壁には風景画が二つ掛かっている。最奥の壁には本棚が据えられ分厚い本が所狭しと並び、その前に重厚な存在感のある執務机が置かれていた。

 本棚の横には、寝室に繋がると思しき扉がある。


 「シルヴァ。……これと同じ字が書かれた本を探して。机に無かったら本棚って順番で」

 「──ん、わかった」


 フィリップは召喚したシルヴァに紙片を渡すと、自分は奥の寝室に向かう。


 紙自体はフィリップが普段使っている王都製のノートで、特に魔術的な要素は無い。錬金術製の紙は王都外では高く売れるが、それ以上の付加価値の無いものだ。

 しかし、そこにはフィリップが考え得る限りのヒントが書かれている。


 邪神の名前、その生態詳細、更には地下室にあった魔導書断片に記されていた召喚の方法を、邪悪言語と大陸共通語で書いてある。

 シルヴァの識字能力は元々ゼロで、最近は簡単な文字くらいなら書けるようになってきたが、それでもまだ暗記した文章と長文を照らし合わせるような能力は身に付いていない。だから間違い探し方式というか、同じ単語や文字の羅列を探すという方法が必要だった。


 「僕は奥の部屋を見てくるから、何かあったら呼んでね」

 「んー」

 

 ごそごそと机の引き出しを漁りながらの生返事に、フィリップは頼もしいことだと肩を竦める。

 対森林級以下の攻撃を完全に無効化し、更には狂気という状態を持ち合わせないシルヴァは、こういう場面では有用なパートナー──の、はずなのだが、やっぱりちょっと心配だった。


 しかし、ここでシルヴァと一緒に本棚を漁るよりは、先に寝室を確認してからの方が良いだろう。

 今いるのはコルテス枢機卿の部屋だが、ここが外れだったらペルー枢機卿の部屋に行って、そこも外れだったら既婚者の部屋を片端から探していく羽目になる。儀式終了まで三時間といったところだろう。あまり時間は無い。


 「頼んだよ、シルヴァ」


 フィリップは軽く手を振って、奥の部屋に続く扉を開けた。



 ◇



 モノクロームなメイド服を纏ったメグの、儚く、しかし一本筋の通った立ち姿は、豪奢な宮殿の景色によく溶け込んでいた。


 「…………」


 彼女は僅かに目を伏せ、部屋の中で行われていることから意識を逸らすよう努力する。

 ルキアの命令は二つ。一つはフィリップの命令に従い、助けること。一つはフィリップの行動を探らないことだ。


 しかし、その思考までは制限されていないメグは、部屋の中で何やらゴソゴソと物音を立てている、主人が殊更に大切にしている少年のことを考える。


 メグがフィリップに貸し出されるのは二度目だったが、フィリップはメグのことをほとんど覚えていなかった。

 初めての時に、目の前で人を殺した現場を見ているはずなのに──メグが戦えることは、十分に知っているはずなのに、あんな質問をするくらいだ。


 そんなフィリップに「流石」と感じてしまう辺り、メグのフィリップに対する理解は深いと言えよう。


 ルキアが、ステラが、サークリス公爵が目を付けるだけのことはあると思わせる、常軌を逸した精神性の持ち主。

 そのフィリップがカルト狩りに精を出しているというのはルキアから聞いていたが、まさか枢機卿の部屋に忍び込むほどだったとは思わなかった。


 メグなら、「カルトかな?」と思った時には四分の三くらい殺している。わざわざ証拠を掴んで確定させるなんて甘いことはしないし、証拠が必要なら殺してから探すか、捏造する。


 「……あら、運の良いことですね」


 十歩は離れた曲がり角の先から、こちらに近付いてくる巡回が居る。

 毛足の長いカーペットに足音を吸われ、一人だけで誰かと話しているわけでもない男の存在を、メグの指先は鋭敏に感じ取っていた。


 その現在位置は、周囲の何かを使った誘導ができない絶妙な場所だった。

 基本的には何かを動かして物音を立てるのだが、前に誘導するとこちらに来てしまうし、後ろに誘導すると別の巡回にまで聞こえてしまう。


 まあ、そういう時もある。

 そういう時は、運が無かったと思って貰おう。


 彼の不運が故に──メグは幸運にも、自分の趣味を満たせるのだ。


 「……? おいお前、こちらを向け」


 曲がり角から姿を見せた神父服の男は、胸元に銀色の十字架を下げていた。その各先端は鋭く研ぎ上げられており、まるきり交差した刃だ。


 彼はいやに内装とマッチした出で立ちのメグに戸惑い、誰何する。

 教皇庁の内部にメイドがいるのは、普通に考えれば有り得ない。彼ら聖職者は神に奉仕する側であり、自らが奉仕されてはならないという思想を持っている。一応、側付きのような小間使いはいるが、それも聖職者であり、弟子や徒弟といった立場の者たちだ。


 今日に限っては、有り得ない存在という訳ではない。

 大洗礼の儀という四年に一度の大儀式に参加しようと、大陸中から貴族や富豪が集まっているのだ。メイドや執事を見せびらかすかのように引き連れた勘違い成金野郎も、何人か見た。


 だが、それでも、ここに──枢機卿の居住区にいるのは、流石におかしい。

 迷い込んだにしては、コルテス枢機卿の扉の前で動いていないし、誰何に対して動揺した気配が微塵もない。


 儚げに目を伏せた美貌がゆっくりと動き、正面を向く。

 瞬間、


 「──ッ!!」


 男の知識が、その全身を硬直させた。


 必要とあらば無制限の殺人が許可されている“使徒”の中でも、絶対に敵対してはいけないとされる人物はいる。

 たとえば聖痕者や、王族、皇族などは、教義的・政治的な理由から、そのリストに載っている。


 そしてもう一つ──。犬死にするだけだから、カルトでもないのなら不要に絡むな、という人物もいる。たとえば、王国の衛士団や、帝国の騎竜魔導士なんかがそうだ。


 彼女は、その中の一人。

 あまりに有名すぎて人相書きが出回って、それでもなおに差し障りの無かった異常なる暗殺者。


 マルグリット・デュマ。


 どれほど重武装の相手でも、どれだけ警備の厳重な相手でも、断頭の一撃以外の外傷を与えず美しく殺す。

 その技量、容姿、99パーセント超という驚異の完遂率、そして何よりその殺し方を讃えて、付いた二つ名は『椿姫』。


 「……さ、サークリス聖下の配下になったと聞いていたが、ここで何をしている? ここは枢機卿の居住区だ。許可なく立ち入ることは──」

 「──あぁ、やっぱり、少し鋭すぎました。教皇庁でのお仕事なんて数年ぶりですから、気が入り過ぎたみたいです」


 男の警告に、メグは何ら繋がりの無い言葉を返す。

 いや、それは返事ではなく、単なる独白だ。言葉の宛先に居るのは自分自身であり、目の前で手を背中に回し、今にも隠した短剣を抜きそうな男ではない。


 メグの独白は続く。


 「こんなミスは何年ぶりでしょう。以前は確か、まだ私がカーター様と同じくらいだった頃ですね。速く、鋭く、正確に。その三つを極めるあまり、気持ちよくなりすぎてしまって……でもまさか、が、御伽噺の外にもいるなんて、思いもよりませんでした」


 男は短剣を抜き、バックハンドに構える。

 

 「動くな。サークリス聖下の配下を殺すわけにはいかないが、控室で待機して貰う。儀式が終わったら、聖下には厳重な抗議を──っ!」


 ぱちん、と、メグが指を弾く。

 小気味の良い乾いた音それ自体に意味は無いが、それは魔術師が略式詠唱──指を弾く、手を挙げるなどの動作を詠唱代わりの自分への合図にして魔術を行使する、完全無詠唱の一段階前の技術──によく使う動作だ。


 男は魔術を警戒すべく、軽くバックステップを踏み、


 ──、と、視界が揺れた。


 「……は?」


 不可解だった。


 バックステップする身体に取り残された頭がぐらりと傾いで、視点がゆっくりと下がって、回る。

 壁にかかった見慣れた絵画、絢爛な中に無骨さの混じる装飾、恍惚とした表情のメイド、赤いカーペットの敷かれた床。ぐるぐると色々なものが目に映り、最後に、頭に重い衝撃が加わった。


 顔に感じる触感も、三半規管も、目に映る景色も、自分は今横たわっていると主張している。

 なのに、それ以外の部位──首から下から、一切の情報が伝達されない。まるで、首を斬り落とされてしまったように。


 「……あ、っ」


 不随意に揺れた視界が僅かに上を向き、鮮血を吹き上げながら頽れる、首の無い男の身体が見えた。

 噴水のように噴き出た血液が雨の雫となって男の顔を打ち、思考が空転する。


 回って、回って、回って。

 最後の最後まで思考は空回りして、何が起こったのかを理解しないまま、男の意識は闇に呑まれて、消えた。





 ◇



 

 

 鮮やかに赤く、ただの水とは違う粘度を持った液体が吹き上がる。

 肩から上を失くし、脱力して頽れ、心臓の痙攣に合わせて首元から血を流し続ける胴体を、メグはずっと熱っぽく見つめていた。唇が薄く開いて艶やかな笑みの形に歪み、熱く蕩けた吐息が漏れる。


 嫋やかな手指が、すっと死体に向けて伸び──


 背後で、ばたん! と、華やかな宮殿にも、厳めしい城塞にも似つかわしくない、作法の欠片も無い慌ただしい所作で扉が開く。

 メグは慌てた様子もなく手を引っ込めると、すっと姿勢を正して頭を下げた。


 「あぁ、メグ! 今すぐ──うわ……」


 フィリップは廊下の反対側──先程までメグが立っていた位置──を見てから、メグと死体の方を向く。

 何事か慌てていたようだが、嫌悪と苦笑の混じった微妙な表情で硬直した。無造作に転がった顔面と、心臓の鼓動が完全に止まり、ゆっくりとろとろと血を流している断面の覗く骸を見てしまえば無理もない。


 だが、大きめの虫が潰れて死んでいるのを見つけたような調子なのは、メグをして「流石」と思わせる反応だった。


 「汚いなぁ……。うわ、もう壁にまで血が……って、いや、そんなことはどうでもよくて!」

 「はい、どうなさいましたか、カーター様?」

 

 目の前で人が一人死んでいるわけだが、そんなことはどうでもいいと切り捨てたフィリップは、ぴっと廊下の反対側を指差した。


 「コルテス枢機卿がビンゴです。今すぐルキア達に警告を!」





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