第219話
邪神を召喚する目的が分かれば、人物を特定する手掛かりになる。
理屈は分かるが、難しいと言わざるを得ない。
フィリップは黒幕が呼ぼうとしている邪神を知っているが、率直に言って、そいつは雑魚だ。
旧支配者の中でも中位から下位の存在格で、ハスターやクトゥグアがいれば余裕で殺せる。ただ、シュブ=ニグラスの智慧によると、サイメイギの延命ワインより確実で副作用の少ない寿命延長や、サイメイギにも可能な『治癒』『延命』『強化』といった恩恵を、より強力に与えてくれるらしい。
……まぁ、なんというか、
「長生きしたいとか傷や病気を治したいとか強くなりたいとか、そういう理由で呼ぶならいい塩梅ですね」
「新年ミサか。……ああ、いや、本当に効果があるんだったな」
思わずといった体で突っ込んだステラが、苦笑いを浮かべて首を振る。
確かに即物的で、自分の力ではどうしようもなく、なんとなく神頼みしそうな願い事ランキングを上から並べたみたいなラインナップだった。
「流石に個人を絞り込むには、普遍的すぎる目的ね。……というか、そんな願いをかなえてくれるような、真っ当な邪神がいるのね」
「そりゃあ、恩恵も無いモノを無意味に信仰する人ばかりじゃありませんからね。大漁とか豊作とかを叶えてくれるのも、居るには居ますよ。……いや、そんな話はどうでもいいんです」
フィリップはちらりと顔を上げ、直立不動の姿勢を崩さない従者たちを見遣る。
誰も聞き耳を立てていないことを、誰も恐怖に震えていたりしないことで確認して、また話を続ける。
「傷を治す、とかだったら、ペルー卿とコルテス卿はやっぱり候補じゃないですか? 婚姻関係を公にしないで結婚してたとか」
「……その仮説は棄却できないな」
ステラは一度顔を上げ、壁に掛けられた機械式時計を一瞥した。
儀式まであと1時間だが、ルキアとステラは着替え以外にも色々と準備がある。そろそろ控室を出て、儀式会場の大聖堂に向かわなければならない時間だった。
「時間がないな。……時間と言えば、その邪神召喚の準備は、どのくらい進んでいると思う?」
「不明です。既に延命ワインは飲んでいると思いますし、寿命はいつでも捧げられる状態でしょうね。ただ、眼球の方は……大っぴらに集めるわけにはいきませんし……」
あの地下室にあったショゴス創造の魔法陣を見るに、路地裏のショゴスが野良ではなく、黒幕に召喚されたものであることは確実だ。
使役下にあるのかはぐれたのかは不明だったが、眼球を執拗に狙っていた辺り、“素材集め”だったことが分かる。つまり、完全に支配下に置かれていたはずだ。
……いや、そうなると。
「あのワイン、二人じゃなくて僕狙いだったかもしれませんね。何回か眼球集めを邪魔したので」
「あぁ、一昨日とかか……。変死体が見つかったという報告は聞いていないが、妨害は完璧なのか?」
「どうでしょう。昨日今日始めたってわけでもないでしょうし、大詰めレベルの可能性はあります。……まぁ最悪、邪神を呼ばれても僕がどうにかできますけど」
どうにかするというか、殴って追い返すか殴り殺すかの二択だが。
「……どんな相手が召喚されるかは分かっているんだよな? なら、予め対処できないか? 例えば……そいつを先に殺しておくとか」
「……いいアイディアですね」
召喚儀式を妨害するのではなく、そもそも不発するように、呼ばれるものを殺しておく。
何処かに存在するものを呼び出す以上有効な対策だし、流石ステラというべき柔軟かつ効果的な発想だ。
そして、実行可否で言うのなら、可能な作戦だ。
ハスターやクトゥグアでは厳しいが、シュブ=ニグラスやナイアーラトテップなら単騎で旧支配者を根絶できる。尤も、そんな邪神大戦争みたいな状況になって、この小さな星が無事である可能性は決して高くないのだが。
とは言え、流石にアグレッシブすぎる。
旧支配者もハスターのような頭のいい手合いばかりではない。いつぞやのアイホートのように、フィリップのことを『外神の尖兵』、外宇宙から宇宙を侵略しに来るための足掛かりのような存在だと誤解して、襲い掛かってくる可能性もある。
フィリップがこうしてのんびり旅行なんか出来ているのは、フィリップが積極的に動いておらず、ナイアーラトテップとシュブ=ニグラスという脅威が抑止力として十分に機能しているからだ。
もしフィリップが積極的に旧支配者に喧嘩を売り始めて、その脅威判定が外神の二柱の抑止的効果を上回ったら──そこから先は戦争だ。より正確には、フィリップがいつ襲われるか分からない状況に陥り、ナイアーラトテップとシュブ=ニグラスとヨグ=ソトースが、襲い来る邪神たちをちぎっては投げ、ちぎっては投げ……。
……あんまり問題ないように思えるが、それでも星の一つや二つ、簡単に破壊されるだろう。たとえばクトゥグアが敵対するだけで、一個恒星が敵に回ったようなものだ。
「出来ますけど……先制攻撃は別の敵を刺激しそうです」
「あぁ、それは確かにそうだな」
「……」
対国家戦略で似たようなケースを想定して、ステラが頷く。
ルキアはフィリップがそれを厭う理由──一貫してルキアとステラを慮っていることに気付いて、悲喜交々が綯い交ぜになった複雑な表情を伏せて隠した。
「でも、黒幕が分かれば、儀式の前にそっちを殺せます。枢機卿を殺すので、それなりに問題にはなるでしょうけど……レイアール卿とかナイ神父とか、使えるモノはありますから、大丈夫です」
「それも、そいつがカルトである証拠を見つければ正当性は保証できるさ。……時間だな。枢機卿もそろそろスタンバイに入るはずだ。カーター、私達も行かなくてはならないが……何か、手伝えることはあるか? 全員は無理だが、ペルー卿とコルテス卿の足止めぐらいなら──」
「足止め? 冗談でしょう? ワインの狙いが僕だったか二人だったかも分からないのに、僕のいないところで無闇に接触しないでください」
立ち上がりかけたステラの腕を掴み、フィリップは強く制止する。
フィリップが傍にいる時なら、最悪、邪神を召喚されても対処できる。
その邪神の賢さ次第だが、フィリップが何も召喚しなくても勝手に帰っていくかもしれない。
だが相手は所詮、人間以上の超越存在だ。人の顔や関係性なんてちまちましたことに気を払いはしないだろう。フィリップと仲がいい相手、なんて認知はしないはずだ。
虫は、虫だ。
それはフィリップも同じだが、フィリップの場合は甲冑を着た騎士が全周警戒した博物館のド真ん中に、特殊ケースと抜剣状態の警備兵で守られて展示され、その博物館がある町全体が厳戒態勢にあるみたいな、もう否応なく意識せざるを得ない付加価値がある。
「何かあったら、僕か……レイアール卿に、僕の名前を出して助けを求めて下さい。レイアール卿の方が近くにいるかもしれませんけど、優先順位は僕の方が上で、どうしても僕のところまで行けそうにない場合だけ、彼女に」
「……分かった。前に言った信号弾のルールは覚えているか? 今回は赤が“カーターの方へ逃げる”、黄色が“助けて欲しい”、黒が“撤退不能”だ。何かあったらそれで合図する」
「……了解です。あ、ルキア、今回の相手は『明けの明星』も通じない……というか、人類ではどうにもならない存在規模です。攻撃より、自分の身を守ることを優先してくださいね」
「分かったわ」
フィリップと頷きを交わし、ルキアとステラはソファを立って部屋を出る。そのすぐ後に従者たちも続いた。
扉の外で二人を見送ったフィリップは、さて、と気合を入れるように息を吐いた。
そして、一言。
「何してるんですか? もう行っちゃいますけど」
一人だけ残ったメイドに向かって、廊下の角でこちらに小さく手を振るルキアを示す。
「ルキアお嬢様からお聞きになっていませんか? カーター様のお手伝いをするよう、申し付かっているのですが」
青い目を細めて静かに微笑する、儚げな深窓の令嬢といった風情のメイド。
以前にフィリップが公爵家にお邪魔したとき、ルキアが側付きに貸してくれたマルグリット・デュマだ。
「……そ、そうですか。それは有難い話ですけど、何をするかは聞いてますか?」
「はい。枢機卿の私室に侵入し、カルトである証拠を探すのですよね? 個人が特定できているのなら、証拠を偽造すれば楽なのですけれど」
「……そうですね」
フィリップはこっそりと、ルキアに向けて嘆息した。彼女は一体何を考えているのだろうか、と。
確かに、物探しは目と手の量が物を言うことが多い。一人増えるだけで手間は半減だ。
しかし、今回は迂闊に人目に見せたくない物であることが予想されている。たとえば魔導書の写しや、解読に使ったノートなど。最悪の場合、サイメイギの涙や人間の眼球といった直接的な物品を目にするかもしれない。
手を増やすのは楽だが、目を増やすわけにはいかない。
特に彼女──メグはルキアのメイドだ。「発狂したので処分しておきました」と報告するのは憚られた。
そんなフィリップの懸念に気付いたように、メグは安心させるような微笑を浮かべる。
「私は道案内と、開錠、見張り、そして万が一の場合は邪魔者の排除を申し付かっております。カーター様が部屋の中で何をされているのかは、決して見ないように、とも」
「……そうですか。それは……有難いですけど」
先程と同じ返事をして、フィリップはメグを観察するように、頭の先から爪先までを視線で舐める。
肩より長い金髪を揺らし、嫋やかに笑うメグは、全く強そうには見えない。
道案内はともかく、開錠や、邪魔者の排除なんて可能なのだろうか。そんな疑いが脳裏を過る。ルキアのことを信用していないわけでは無いのだが、それならアリアの方が適任ではないだろうか。
去年の夏休みには分からなかったことだが、あのアリア・シューヴェルトというメイド、とんでもなく強い。
二つ名持ちの剣士という情報は、『
だが、あの長い髪は。
ルキアと同じく背中の辺りまで伸ばされた長い金髪は、その強さを存分に誇示していた。
髪の長い戦士は、概ね強いのだ。軍学校次席ソフィー・フォン・エーギル然り、あの吸血鬼ディアボリカ然り。
髪が長ければ掴まれるリスクも増えるし、動きの邪魔になる。視界を遮ったりしたら最悪だ。
長髪で、かつ場数を踏んで生き残っている戦士と言うだけで、そのリスクを回避するだけの身体操作精度を持ち合わせることの証明に他ならない。
「メグ、戦えるんですか?」
「……えっ? あ、はい。お任せください、カーター様」
心配するような目を向けるフィリップに、メグは困惑を思わず表出させてしまった。
メグ──暗殺者『椿姫』の殺人能力は折り紙付きだ。
一般人どころか訓練された軍人でも、その死の瞬間を知覚させずに殺すことができる。相手がルキアでも、タネが割れていなければ1000回に1回くらいはその首に届くだろう。
その片鱗を、フィリップに見せたこともある──正確には、迂闊にも見られてしまったのだが。
しかしフィリップは、その時のことを覚えていないようだ。まぁフィリップにとっては、他人が道端の蟻を踏みつけたようなもので、覚えておく方が難しいイベントだった。
「これは自慢ですけれど、王女殿下さえいなければ、誰にも気付かれずに謁見の間で国王陛下の首を落とすことだって出来ますよ」
「……そうですか」
それは凄いことなのだろう。
だが、フィリップと一緒に行動する上で求められるのは、殺人能力ではない。
相手取るのは人間ではなく、怪物だ。
たとえば人体の急所を知り尽くし、秘孔を突いて頭を爆散させるような殺人技巧を持っていたとしても、それはショゴスには通用しないだろう。
求められるのは愚直なまでの火力。
人体の急所など関係なく、ぶん殴るだけで肉を飛ばし骨を砕くような馬鹿力でもあれば、ショゴスを蹴り殺すことは可能だ。
そして汎用性。
ただ力が強いだけではなく、ドアノブを殴って鍵だけを壊すような技術が無ければ、探索には向かない。
馬鹿げた火力と無限にも思える汎用性を持っているルキアとステラはフィリップにとって、有用性でも同行者として有難かった。
しかし、フィリップは分かっていない。
メグは本当に、謁見の間にいる国王の首を狙える暗殺者であり──隠形を始めとした、謁見の間に辿り着くまでに必要になるあらゆる技能が、非常に高いレベルで備わっている。
フィリップは今日、真に探索向きの技能とはどういうことかを知ることになった。
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