第218話

 翌日、修学旅行五日目。

 朝食を終えたフィリップはすぐにルキアとステラに連れられて、教皇庁本棟の一室を訪れていた。


 ルキアとステラの控室になっている部屋はとても広く、装飾もかなり豪奢だった。

 柔らかく沈み込むようなソファセットに腰掛けているのはフィリップとステラだけで、ルキアは遅れて到着した公爵家の家臣団と一緒に着替え中だ。儀式に備えて、特別な衣装を用意したらしい。ステラは既に着替えを終えていて、フリル飾りのついた深紅のドレス姿だった。


 ソファの後ろには、五つの十字架を組み合わせたような特徴的な意匠の甲冑を着込んだ騎士が二人、直立不動の姿勢で立っている。

 彼女たちはステラの親衛隊。去年、フィリップが間違って殺しかけた人だ。


 「もう頭の整理は付いていると思うが、もう少し待て。ルキアが来てから、一緒に聞く」

 「はい。……昨日はすみませんでした。ちょっと色々あって」

 「いや、別に構わないさ。お前の気遣いは感じられたし、ルキアも怒ってはいなかったよ」


 昨日はフィリップの精神状態が正常ではなく、地下墓地を出たすぐ後に解散したのだ。

 あそこに何があったのかを語るにも、フィリップの推理を披露するにも、一睡して気分を落ち着ける必要があった。一晩経っても未だにナイ神父──ナイアーラトテップのことは疑っていたが、正常な思考を妨げるほどの激情は無くなっている。


 「二人が発狂しないためなら、怒られるくらい安いですよ。……そういえば殿下、そのドレス、よくお似合いですよ。裾のところの炎みたいなフリフリとか、カッコいいですね」

 「あぁ、ありがとう。……ただ、こういう場合に“カッコいい”は不適切だな」

 「なるほど。気を付けます」


 フィリップとて馬鹿ではないので、ルキアやステラと仲良くしている限り、なんだかんだでこういう社交辞令的作法のスキルが必要になることは察していた。

 公爵家からは休暇の度に「うちに来ないか?」というお誘いが来るし、ついこの前謁見したばかりの国王からもステラを通じて「また会おう」と伝言があった。角を立てずに断るスキルを持たないフィリップとしては、貴族相手ではギリギリ不足する礼儀作法を、及第点まで何とか持ち上げるしかない。


 手始めに、ステラの「似合っている、以外に一言添えるのが普通だな」という言葉を実践してみたのだが、少し外したらしい。


 「ルキアにはどんな言葉をかけるべきですか?」

 「……いや、流石に私でも、服を見る前から模範解答は分からないぞ……?」


 と、そんな話をしていると、徐に控室の扉が開いた。

 ノックも無く開けるということは、この部屋の現在の主人であるルキアかステラのどちらかでしか有り得ないのだが、ステラはフィリップの前に座っている。


 必然的に、ルキアが帰ってきたという推測が成立するのだが──振り返ったフィリップの目に映ったのは、少しばかり懐かしい顔だった。


 「あれ、メグ? ……あ、シューヴェルトさんもいる」


 両開きの扉を開け、閉じないよう押さえて控えている二人のメイドは、公爵家の使用人でルキアの側付きでもある、アリアとメグの二人だった。

 アリアは手前側の扉を開けたあと後頭部しか見えないが、奥側の扉を押さえているメグは、フィリップに挨拶代わりのウインクをくれた。


 ステラが親衛隊を傍仕えに呼んだように、ルキアも自分の側付きを呼んだのだろう。


 ルキアはというと、二人が開いた扉を悠然と通り過ぎて部屋に入ってくる。

 その肢体を包む衣裳は、フィリップがこれまでに見たことのない、ある種の異質さを孕んだものだった。


 「あ、お帰りなさい、ルキ、ア……」


 フィリップは思わず、言葉を失った。


 ──純黒。

 かつて見た新月から降り注ぐ一条の闇、黒い光という物理的に有り得ないそれを再現したような、闇夜にも浮くような黒。


 その中に、幾つもの白銀が輝く。

 単純な銀色ではなく、複雑な白の混じった──月光の色だ。


 フリルの付いた長袖に、フリルをふんだんに使ったティアードデザインのバッスルスカート。

 足の前面を露出するドレスに合わせた黒いレースのストッキングと、それを止めるガーターベルトが裾からほんの僅かに覗いた。


 片側に流された銀色の髪にはレース生地のヴェールが掛けられて、人類史に残る美貌を薄く覆い隠していた。

 色味が違えばウェディングドレスのようにも見えるだろうが、黒と銀色のドレス姿では、100人中50人は喪服のようだと思うだろう。


 ゴシックドレスと言うにはフリルやレースといった装飾が過剰で、些か少女趣味に寄っている。大人びた苦さの中に確かな甘みの混じる、ザッハトルテのような装いだ。


 だが、それでも。


 「わぁ…………」


 フィリップがこれまでに見たルキアの服の中で一番、彼女に似合っていると感じた。


 「四年に一度の大舞台だし、フィリップも居るから張り切ってみたの。……どうかしら?」

 「……すごく、お似合いです。マザーみたいで……うっ」

 

 こっ、と、脛に硬質で鋭い衝撃が走る。

 ステラのハイヒールパンプスの鋭い爪先は、加減されていても十分に痛かった。


 思わず前屈みになったフィリップの耳元に、ステラが顔を寄せて囁く。


 「他人を引き合いに出すのは零点だし、あのルキアだぞ? あいつの“美しさ”の基準はあいつの中にしかない。今のは誉め言葉の範疇に入らないだろう。というか、引き合いに出すのが修道女っていうのはどうなんだ……?」

 「た、確かに。いやでも殿下もマザーに会った後なら同じ感想になりますよ」

 「そうなのか……? いやそれでもだな……」


 ひそひそと言葉を交わす二人に不審そうな目を向けながらも、ルキアは「ありがとう」と柔らかく笑った。

 その笑顔に屈託は無く、フィリップよりルキアとの付き合いが長いはずのステラが困惑する。


 「フィリップに褒められるだけでも嬉しいけれど、その言葉は格別ね。かなり意識したデザインだから、気付いてくれて嬉しいわ」


 フィリップは「そうですよね」と軽く笑っているが、ステラにとっては意外なことだ。 

 彼女の中にある美意識、美しさの基準は徹頭徹尾彼女自身の中にしか無く、他の何かや誰かを基準にすることなど無いと思っていた。

 

 「驚いたな。お前が自分以上に美しいものを見つけるとは」

 「えぇ、そうね。貴女も……私の次くらいには綺麗だけれど」

 「なぁ、カーター。こういう微妙に否定し辛い事実を突き付ける行為は罪に問うべきだよな?」


 冗談を多分に含んだ苦笑を浮かべるステラに、フィリップとルキアは顔を見合わせる。


 「え? いや、否定すればいいじゃないですか。素の顔立ちは殿下もルキアと同じくらい美人ですよ」

 「そうね。貴女はドレスコードに合わせてるだけだもの……。もう少しお洒落したら、すごく絵になるわよ」

 「それが示威行為になる場面ならいくらでも粧し込むが、これがあるうちは不要だろう」

 

 ステラはとんとんと、自分の鎖骨の中央からやや下あたりに輝く聖痕を叩いて示す。

 ルキアはステラらしいと笑って、ステラの隣に座った。その後ろ、ステラの親衛隊員である二人の鎧騎士の隣に、アリアとメグが並ぶ。


 ステラが空気を切り替えるように、ぱちりと手を叩いた。


 「さて、真面目な話をしようか。カーター、昨日、何を見て何を知った? 黒幕のアタリは付いたのか?」

 「はい、概ねは。昨日の地下室で得た情報から推察するに、犯人は既婚者です。奥さんと娘が居て、奥さんとは死別しています。名前は確か……アイリーンじゃなくて、えーっと……?」

 「カーター、お前……」

 

 あれ? と、半笑いで明後日の方向に視線を泳がせるフィリップに、ステラは真剣に頭を抱えた。


 枢機卿に限らず一神教の司祭には未婚者が圧倒的に多いから、既婚者という情報だけでもかなり絞り込める。

 流石に夫人の名前から個人を特定できるほど、枢機卿のプライバシーは安くないが──それでも大きな手掛かりだし、何より人名を忘れるのは普通に心配になる。


 「し、仕方ないじゃないですか! 遺書をちらっと流し読んだだけなんですから、故人の名前なんて一々覚えてませんって!」


 心なしかステラだけでなく側付きの人たちにまで「大丈夫かこいつ」と言いたげに見られている気がして、フィリップはそう言い募る。

 しかしその弁解で、本当にそんな目を向けられてしまった。例外はルキアとメグと、呆れ顔のステラだ。アリアは巧妙に隠していたし、ステラの親衛隊の二人はフルフェイスヘルムを付けているのだが、纏う空気で察せられた。


 「……その遺書は持ち出してないのか? あれだけ派手に地下墓地を燃やして、今更侵入に気付かれるかも、なんて考えていないだろう?」

 「はい、ナイ神父に持っていかれちゃって。……あ、エイレーネです! たぶん……」


 正気を疑うような視線が、ほんとかなぁ、と言いたげに心配そうなものに変わる。

 だがどっちみち、誰も「どの枢機卿の奥さんが何という名前か」なんて把握していない。死別して久しいのなら尚更だ。


 ステラはソファに背中を深く預け、背もたれ越しに親衛隊員に尋ねる。


 「配偶者と死別した枢機卿なんていたか?」

 「はい、4人います。王国が把握している限りでは、ですが」

 

 原則として聖職者の姦淫を禁じている一神教の最高位司祭である枢機卿は、恋愛沙汰を死ぬまで隠し通す例も少なくない。中には王国の諜報網を掻い潜る者もいるし、王国側としても、露見したところで大したスキャンダルにもならないような他人の恋路に興味はないので、積極的に情報を集めてはいなかった。


 「個人的に、あの……片目を怪我していた人、誰でしたっけ? あの人が怪しいと思います。あと、あの仮面を付けてた人」

 「目を怪我していたのはペルー卿だな。オスカー・ペルー枢機卿。仮面の方はヴィルフォード・コルテス枢機卿だ。……どちらも既婚者ではないはずだが、何故そう思う? 」


 フィリップはちらりと側付きの四人に目を遣ると、尻の位置をずらして前屈みになる。

 明らかに内緒話をする姿勢に、ルキアとステラも同じようにして顔を突き合わせた。


 「地下室に魔導書の写しがありました。内容はある邪神の召喚儀式の方法について。それには召喚者の寿命を200年分と、召喚者の物を含めた複数個の眼球を捧げる必要があります」


 フィリップは一度言葉を切り、二人の顔を観察するようにじっと見つめる。

 幸いにしてと言うべきか、或いは不幸にもと嘆くべきか、二人はもうこの程度の情報では怖がることすらしないらしい。普通は邪神の召喚というワードと悍ましい条件で怯えるところだと思うのだが。


 まぁ、フィリップの思う「普通」が正しい保証はないので、有難く話を進めることにする。


 「ペルー卿の方は、安直に片目を怪我していたからです。コルテス卿は……当然、人間の寿命は200年も無いので、延命する必要がありますよね。例の支配するワインのバージョン違いに、“延命”の効果を持ったワインがあるんですが……これは副作用で、急速かつ歪な老化を引き起こすんです。火傷の痕を隠すための仮面って言い張ってるだけで、実際は歪んだ老化を隠してるんじゃないかな、と」


 フィリップが開示した情報を基に、ルキアとステラも思考を回す。

 とはいえ把握している情報量に差があり、フィリップが二人を守るために意図的に隠している情報もあるだろうと考えられるため、二人にできるのはフィリップの推理の整合性を確認することくらいだ。


 そして、それで十分だった。


 「……ねぇアリア、ペルー枢機卿って、前は眼帯じゃなかった?」

 「はい、ルキアお嬢様。彼の目は古傷で稀に出血することがあり、その際は包帯を巻いて止血していると聞き及んでおります」

 「コルテス卿の顔も、本当に火傷だぞ? 注意深く見れば、仮面の端──耳元や顎のあたりから傷跡が見える」


 二人は真剣な顔のままフィリップに視線を戻し、「他には無いか」と目線だけで問うてくる。


 だが残念ながら、フィリップの答えはNOだ。

 せめて相手がカルトであると確定していたのなら、200人全員殺してハッピーエンドなのだが、ナイアーラトテップにあんなことを言われた昨日の今日では、強引な解決手段も取り辛かった。


 「……どうする、カーター。昨日あれだけ派手にやったんだ、相手も警戒するだろうし、何より動きを活発にすると思うぞ?」

 「そうなんですよね……。相手の狙いも分からないし、相手の正体も分からないし──」

 「──待って? 狙いは邪神の召喚じゃないの?」


 ルキアの疑問と同じものをステラも持っていたようで、同じく問いかけるように細められた目を向ける。

 二人に見つめられたフィリップは思考を回し、最終的に照れ混じりに苦笑した。


 これは知識不足ゆえの致し方ない考え違いではなく、考えが足りないゆえのシンプルなミスだ。

 

 「その可能性はありますね」


 邪神を召喚することそのものが目的になっている可能性は、確かにある。

 むしろフィリップのように、明確に「あれをやらせよう」という意図を持って、一個の手段として邪神を召喚する者の方が稀なはずだ。


 しかし、それは楽観なような気もする。なんせ、


 「でも、ナイ神父が加担してるぐらいですからね。それなりに踏み込んできてると思います。“邪神を召喚すること”そのものを目的にするような蒙昧では無いかと」

 「……うん、ちょっと言い方がアレだが、言わんとしていることは分かった。なら、目的に心当たりは無いか? その邪神について教えてくれとは言わないが……その邪神を呼ぶ理由が分かれば、黒幕の正体にも繋がるだろ?」


 ステラの問いに、フィリップは理解を示して頷く。

 しかし、それは中々に難しいオーダーだった。








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