第216話

 一行は夕刻まで、中庭から地下墓地への入り口を見張っていた。使用直後の石窯そのものといった空間に入るわけにはいかないからだ。


 ステラにかかれば熱操作による排熱も可能だったが、あの黒いローブの人物が様子を見に来たりはしないか、あわよくばその場で捕まえられないかという狙いがある。


 途中でサンドイッチやらジュースやらおやつやらを買いに行って、一緒のベンチで食べていたので、傍目にはピクニック気分の仲良しトリオにでも見えていたはずだ。少なくとも、ルキアとステラの演技は完璧で、フィリップまで「見張りのこと忘れてないよね?」と心配になるほどだった。


 たっぷりと時間を空けてオーブン、もとい地下階段の熱を冷ました一行は、遂に地下墓地へと踏み込むことに決めた。


 当初の予定ではフィリップ一人で行くつもりだったのだが、フィリップ一人では対処できないモノが出てくることが半ば確定したので、ルキアとステラも一緒に。

 フィリップは「そういう怪物が出るからこそ入ってほしくない」と言い募ったのだが、ステラが「さっきみたいに、手を繋いで目を瞑って全域攻撃すればいいだろ?」と、頭が良いのか悪いのかよく分からない解決策を提示したことで押し切られた。


 さっきみたいに地下墓地を石焼窯にされると、魔術耐性のないフィリップは普通に死ぬのだが。


 だが、まあ、ここがショゴスの巣なのだとしたら、流石に放置はできないというか、これを潰せばフィリップの懸案事項が一つ減るわけだ。

 討ち漏らしの確認と、もしあるのなら、発生理由まで確認しておきたい。野良ショゴスの定着が土地的なものではなく、王都にも発生しうる問題ではないという確証が欲しい。或いは、王都で生じる可能性を減らす方法を知るために。


 「あ、ここ融けてます。足元気をつけてください」

 「ありがとう、フィリップ」

 「殿下、ちょっとこっちに。壁に当たりますよ」

 「おっと、ありがとう」

 

 目を閉じた二人に挟まれて手を繋ぎ、よちよちと階段を降りていく。ルキアが光球──ただの光源魔術──を浮かべて明るさを確保してくれていた。


 地下墓地というからには墓石が並んでじめじめしている、おどろおどろしい場所なのだろうと思っていたのだが、単なる石造りの小部屋だった。縦横五メートルほどの狭い空間には、左右の壁に二つずつ、埋めるような形で石の棺が安置されているだけだ。

 先程の魔術のせいで仄かに暖かいが、土地柄もあって湿気は無い。苔むしていたり、石の床を虫が這っていたりもしない。炎が直接当たらなかったからだろう、綺麗なものだ。


 「……あれ、行き止まりですよ? 棺が四つあるだけです」

 「地下墓地ってそういうものよ? 何を想像して……いえ、貴方の推測では、何があるはずだったの?」


 ルキアに問われ、フィリップが何となく想像していた『地下墓地』ではなく、何となく想像していた『野良ショゴスのねぐら』に思考の焦点を当てる。


 ショゴスは被造生物であり、基本的には自発的な思考力と生殖能力を持たない。

 しかし変異種であれば、生殖細胞や思考能力を獲得する個体もいるだろう。ショゴスの細胞はあらゆる細胞の原型である外神ウボ=サスラを模倣したもの、あらゆる細胞に置換することができる万能細胞──を、目標として作られたものだ。未完成だが。


 通常の生物──たとえば野良犬程度の知性を持っていると仮定すると、ここは20匹規模の巣にしては綺麗すぎる。

 もっとこう、死体が転がっていたりとか──それこそ、偏食家の野良ショゴスのことだ、眼球だけ抉って食べ残された死体が放置されて腐敗していたりとか、そういう状況が想定されていた。


 ショゴスの増殖形態は知らないが、自己分裂か無性生殖か、有性生殖でも卵生か胎生かだろう。流石に何もないところからポンと現れたり、砂埃や石くれから生まれたりはしないはずだ。

 しかしここには、増殖行為や食事といった、存在の痕跡が殆ど無い。這いずった跡は僅かにあるが、積もっていたであろう、痕跡をはっきりと残してくれる砂埃は、先程の攻撃の余波で吹き散らされている。


 「……もっと雑多なところかと」

 「そう。……? ステラ、あそこの角、分かる?」

 「……あぁ、何かあるな。カーター、右奥の隅だ」


 緊迫した様子の無い二人の声に導かれ、言われた通りの場所に目を向ける。

 特にこれといって何かがあるわけでは無く、長い年月を重ねて汚れた石の壁があるだけだ。


 「設置型魔術が伏せられている。魔力は極めて微弱だ。攻撃系の術式ではないな」


 目を閉じていても、流石の魔力感知能力だ。目を開けているフィリップが気付かないのはいつものことだが。


 「低級の幻影ね。術式を見てみないと分からないけれど、この魔力規模なら鏡くらいにしかならないわ。……フィリップ、私の手を左奥に向けてくれる?」

 「あ、はい。えっと……この辺ですね」


 フィリップは少し立ち位置を変え、繋いでいる方の手を言われた通りに伸ばす。

 ルキアもステラも、フィリップが現代魔術ではない魔術を扱うことは知っているから、直接術式を解読するのを避けたのだろう。フィリップが何を言うまでも無くその判断ができる辺り、本当に頼もしい同行者だ。


 「この辺りかしら?」

 「もうちょっと奥ですね。……その辺りです。……あぁ、本当に鏡ですね」

 

 ルキアが光源として浮かべていた光球を操作し、左奥の隅に浮かべる。

 するとどういうわけか、右奥の隅が同じようにぼんやりと明るくなった。光の当たり方は、明らかに左側の壁と同じだ。


 右側の隅に、左側の壁が鏡写しに投影されている。正確には右側の壁のすぐ前に、左側の壁を映す鏡面があると言うべきか。そちらの方が魔力消費が少なく済む。


 「うーん……? ちょ、ちょっと待ってくださいね?」


 魔術──それもルキアとステラが何の違和感も無く受け入れている辺り、現代魔術なのだろう。

 野良ショゴスの巣に、人間の魔術がある。先ほどここに入った修道士が何事も無く出て来たのは、その鏡の裏にショゴスたちが隠れていたからだ。


 人間がショゴスを秘匿している──人間がショゴスを利用している。そうなると、かなり話が変わってくる。


 いや、話が変わるというより、話がと言うべきか。

 ショゴスの使役はかつてショゴスを創造した旧支配者『古のもの』の専売特許ではなく、適切な術式や智慧があれば人間にも可能だ。連日遭遇した下級ショゴスは野良なんかではなく、誰かに使役されていたとしても矛盾はない。


 しかし、ナイアーラトテップは──いや、待て。ナイアーラトテップは「それは野良ショゴスです」とは断定していなかったような気がする。もはや記憶が定かでは無いが、確か「野良ショゴスなんてものもいますよ」みたいな言い方ではなかったか?


 嵌められた。

 ナイ神父はあの時点で、既にフィクサーの側に付いていたのだ。或いはフィリップが関わったことで面白くなると判断して、フィクサーの側に付くことを決めたか。


 とにかく、この町にいるのは野良ショゴスではなく、誰かに使役された下級ショゴスだ。

 町人を襲っていた理由は不明だが、もしかしたら使役が完全ではないのかもしれない。


 「フィリップ、待って。手を放さないで」

 「あ、すみません」

 

 思考に没頭するあまり、二人の手を放して、腕を組んで歩き回りかけていた。手を放す前にルキアが気付いてくれたが、フィリップは今、二人の目の代わりでもある。周囲の警戒には最大限のリソースを費やすべきだ。

 それは分かっているのだが、かといってこの場所を調べないという選択肢は無い。


 「ルキア、あの魔術を無効化できますか? 殿下、照準を」

 「分かったわ。ステラ、準備はいい?」

 「あぁ。カーター、攻撃の号令は任せる」


 二人とも魔術の位置は把握していたから、フィリップが手を動かして照準先を教える必要はない。

 フィリップとステラに分かり易いようにだろう、ルキアが指を弾いて設置型魔術を掌握し、破壊する。


 「……扉?」


 鏡が隠していたのは、木製の扉だった。

 複数の板材を並べて釘で固定しただけの、粗末で薄っぺらいものだ。フィリップが本気で体当たりするだけで、十分に壊せそうなほど。


 「部屋でもあるんでしょうか。葬儀場みたいな?」

 「いや、地下墓地にそんなものがあるとは思えないが……目を開けてもいいか?」

 「え? うーん……魔力視は無しですよ?」

 「あぁ」


 ステラは扉を一瞥すると、フィリップの手を放して右側の壁に歩み寄る。

 ルキアも目を開けていたが、こちらはフィリップから離れず、手を放すつもりもないようだ。


 石壁に手を這わせていたステラは、ややあってフィリップの方に向き直り、軽く頷いた。


 「この先に空間があるが、魔力を持ったモノはいない。……まぁ、邪神やそれに類するモノがいる可能性はあるが、少なくとも人間はいないな」

 「魔力視無しでも分かるんですか? すごいですね」

 「魔力視無しだから、これが限界なんだ。魔術トラップは無いが、機械式トラップがある可能性は捨てきれない。十分に警戒するんだぞ?」


 フィリップはぴっと親指を立てて「任せろ」というボディランゲージをするが、ルキアとステラは心配そうな目を向けていた。


 「じゃ、ちょっと様子を見てきます。二人はここで待っててください。あ、不安なら目の代わりにシルヴァを置いて行きますけど」

 「いや、カーターの目以上に頼りにならないだろ、それは?」

 「……まぁ、脅威判定が怪しそうなのは確かね」


 酷い言われようだと苦笑したフィリップはルキアの手を放し、木扉の方へ歩く。

 近付くとよく分かるが、明らかに周囲の石壁よりも新しいものだ。流石に昨日今日作ったものではなさそうだが、この埃っぽい石室のように数百年モノというわけでもない。


 ここまで伝播してきたステラの魔術の余熱で少し焦げている扉を開くと、人一人分の狭いトンネルが数歩ほど続き、奥には縦横五メートルほどの空洞があった。


 空洞とは言ったものの、その四隅や四辺はきっちりと整備され木枠が嵌り、完全に人の手が入った小部屋だ。

 部屋に入ってすぐのところにあった錬金術製の特殊ランタンに火を着けると、その全容がぼんやりと照らされる。


 石畳ではなく魔術と工事技術によって平面に均された床に、直径三メートルほどの魔法陣が描かれていた。

 白いチョークか滑石で描かれているそれは、現代魔術のものではなく、明らかに領域外魔術のものだ。フィリップの知っている邪悪言語の文字や忌まわしい意味を持つシンボルなどが散見される。


 「……本物か」 


 フィリップの声から温度が消える。

 これはショゴスの製作と使役に使われる魔法陣であり、間違いなく人類圏外産の術法によるもの──カルトの仕業と断定するに十分な証拠だ。


 カルトと同じ町に三日も泊まっていたと考えるだけでも吐き気がするが、それ以上に、憎悪にも近いほど激烈な怒りを催すことがある。


 「あのクソ、本当にカルトを庇ったのか?」


 ナイ神父──ナイアーラトテップ。

 ショゴスの件は、まぁ、許そう。あれはフィリップが勝手に勘違いしただけとも言えるし、ナイアーラトテップが直接的に嘘を吐いたわけではない。


 だが、その結果としてカルトの存在をフィリップに知らせなかったのであれば、フィリップにとっては明確な不利益だ。


 昨日は「カルトかもしれないな」ぐらいだったから気に留めなかったが、ここまで相手なら、フィリップの中での優先度──敵対度が跳ね上がる。


 もはや暫定カルトなんて甘い認識はできない。

 どこの誰かは知らないが、そいつはカルトだ。


 「すぅ……ふぅ……落ち着け、僕」


 理性的に考えるのなら、ナイアーラトテップがフィリップを裏切ることなど有り得ない。たとえ愉悦や刹那的快楽のためであっても、あれが個人的衝動でアザトースへの忠誠を違えることはない。だろう、という推測をする必要が無いほどに絶対的なことだ、それは。


 だが、現に、ナイアーラトテップの行動の所為で、フィリップはカルトを殺し損ねている。

 殺せるはずのカルトを殺し損ねて、三日も同じ町に寝泊まりしていたのだ。


 そう考えるだけで、思わず吐息に熱が籠る。獣性を多分に含み、殺意さえ孕んだ熱い吐息を溢し、怒りのあまり握った拳が震える。


 どっ、という鈍い音は、フィリップが石壁を殴り付けた音だ。

 八つ当たりして発散しなければ、今ここにナイ神父を呼びつけて蹴り殺してしまいそうだった。


 「…………」


 フィリップは魔法陣を無造作に踏み越え、部屋の奥にこじんまりと置かれていた小さな書き物机に向かう。

 机の傍には小さな棚があり、幾つかのワインボトルが並んでいた。


 「……サイメイギのワインか」


 具体的にどの効能に特化したものかは不明だが、感じる神威は間違いなくサイメイギのそれだ。正確には、サイメイギの隷属ワインに感じたものだが。


 「ふぅ……」


 八つ当たりに蹴り倒そうかと思ったが、内容液がかかっても困るので止めておく。


 机上に置かれていた錬金術製のランタンに明かりを灯し、机に置きっぱなしだった一枚の羊皮紙を取り上げる。置いていたというより、挟んでいた手帳か何かから抜け落ちたのに気付かず忘れて行ったように、適当な感じだった。


 「遺書?」


 古くなってよれた羊皮紙に掠れたインクで書かれていたのは、今わの際に書き残した、愛の言葉だった。







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