第180話
単純な話だ。
ディアボロスは「殺されたら死ぬ。だから何としてでも眼前敵を殺害する」。そう、強く意識している。
対して、シルヴァには敵意が無い。殺意が無い。
このシルヴァが「殺された」としても、百年もすれば次のシルヴァが発生する。本質的な「死」を持ち合わせないシルヴァは、殺し合いという舞台には上がらない。上がることができない。
それ故に、決定的に食い違う。
この森に住まうドライアドたちは、このガーテンの森の破壊を恐れている。故に、ディアボロスを殺してほしい。
この森を訪れたディアボロスは、この場からの撤退を画策している。故に、
それは、「今」の話だ。
森と共に生きるドライアドも、不老不死の吸血鬼も、所詮は100年単位の存在でしかない。
対するシルヴァは、数億年規模の存在。
眼前の吸血鬼を敵として認識することも、今すぐに殺さなくてはならないという意識を持つこともない。持つことができない。
今回敗北しても、100年後にまた。もう一度負けても、200年後にまた。
自分の命が、自分という個体が、そして森という総体と概念が流転することを知っているシルヴァは、そう考えてしまう。
だから、「今」の殺し合いにおいては、ディアボロスが勝つ。
──彼女の介入さえ無ければ、の話だが。
「お、お待ちください、森の代理人よ。我らは今の、この森の救済を願い、貴方様を召喚したのです。どうか、どうかあの吸血鬼を滅してください」
シルヴァから少し離れた木の根元に、一人のドライアドが姿を現す。
発生から100年と言ったところだろう、成熟した女性の容姿を持った彼女は、その場に平伏して頭を地面に擦り付けていた。
召喚されたその場にいたドライアドの気配を記憶していたシルヴァは、「そうだった」と口の中で転がす。
しかし、納得と、実行の可否は別問題だ。
「無理よ」
と、シルヴァではなくディアボロスが答える。
「今からアタシを殺したところで、この魔術は制御を失い、暴走して森を焼くわ。だから──アタシを見逃してくれるわね、ヴィカリウス」
ディアボロスはガーテンの森諸共にシルヴァを焼き殺し、この森を去ることもできる。
しかし、ヴィカリウス・シルヴァの戦闘能力が未知数である以上、初見で一対一は避けておきたい。
だからこその、人質。
自分を殺せば森は焼けるが、見逃すのなら魔術は撃たない。そういう取引だ。
ディアボロスが彼女の立場なら、受ける。いや受けざるを得ない条件だが──
「いえ。貴方をその魔術ごと封印すれば、それで片の付くことです」
「……無理よ。アナタには魔力が一滴も無い。封印魔術なんて高等な代物、使えるはずがないわ」
ディアボロスの観察眼は正確だ。
ドライアドや自分と比するまでもなく、シルヴァの魔力量がゼロであることを見抜き、どんな魔術であれ行使できないことを確信している。
だが、それは誤りだ。
確かにヴィカリウス・シルヴァは魔力を持たず、魔術を使うことができない。先ほどディアボロスの右腕を切断した木の根の槍も、「森そのもの」としてガーテンの森へ下した命令の結果であって、魔術による攻撃ではない。
しかし、
「この身体を形作る星の力を魔力へ変換し、最上級封印魔術『セイクリッド・シール・スフィア』を発動します。貴方の
脅しのような言葉。
だが脅迫しようという意思は感じられない。当たり前だ。シルヴァが口にしたのは脅迫ではなく、ただの予定に過ぎない。
ディアボロスの抵抗も、ドライアドの都合も何一つとして考慮していない、別次元からの物言いだ。
「お、お待ちください。それでは、貴方様の肉体は……?」
「? 崩壊しますが?」
ドライアドが恐る恐るといった風情で投げた問いに、シルヴァは淡々と返す。
このシルヴァは、言うなれば一つの森林。対森林級の攻撃でなければ傷を負わず、消滅しても数百年で元通りになる。
だから「死」に対しての恐れもなければ、肉体の崩壊が「死」であるという意識も無い。精々が長い眠りくらいだ。
「そ、そんな……何か、他の方法は無いのですか?」
「いいえ、これが唯一の手段です。封印後、
交渉の決裂を悟った時点で転移魔術を用意していたディアボロスだが、発動しなかった。
ヴィカリウス・シルヴァの機能にして権能、森林の完全支配による空間固定、転移の阻害だろう。
忌々しそうに歪められた笑顔でシルヴァを見つめ、やがて深々と嘆息する。
シルヴァほどではないにしても、そこそこの年月を生きた吸血鬼にとって、死は遥か遠くにあるものだったのだが。
「年貢の納め時、という奴ね。分かったわ。冥途の土産に聞いておきたいのだけど、ヴィカリウスなんて大物が、どうしてこんな片田舎の森にいるのかしら?」
「私は比較的、生き物に寄り添った存在ですから。ドライアドの中に、過去の私が授けた、私を呼び出す術法を知る者が居たのでしょう」
「そ、その通りです」
翠玉のような目を向けられ、ドライアドが推論を肯定する。
彼女以上の年齢のドライアド全員の
尤も、シルヴァに「機嫌を損ねる」という機能があるのかは不明だが。
それに、
「ドライアドとヴィカリウスは全くの別物だっていうのに、献身的なのね?」
命懸けで救ってくれるというのなら、これ以上望むことは何もない。
「貴方様の献身に、我らはその生涯を以て報います」
ドライアドがもう一度頭を下げる。
敵対者と召喚者、二人の意味不明な言葉に首を傾げ──ヴィカリウス・シルヴァは自らの肉体と引き換えに、最上級魔術『ヘルフレア』諸共、吸血鬼ディアボロスを封印した。
◇
「あ、うぁ……」
頭痛がする。
頭どころか背骨まで砕かれるような激痛と、身体の奥底から沸き上がるような全能感。
自分のものではない記憶。
夢を見るという機能を持ち合わせず、この二年間は一度も夢を見なかったシルヴァには初めての体験だが、それは他人になる夢に近しい感覚だった。
異なる価値観を持つ他人。
異なる知識、異なる視座、異なる時代の、異なる力を持った別のモノ。
「ああ、ぁ……」
憑依や追体験にも似た感覚共有と不完全な理解が身体の内側から沸き上がり、乗り物酔いのような眩暈と頭痛に襲われる。
「ああぁぁぁぁあ!!」
身体がブレる。
輪郭にノイズが走り、シルヴァという小さなドライアドの外見と、100年前の成長した身体が蜃気楼のように重なる。
再発生したシルヴァの身体に、100年前の星の力が流入した結果生じたバグのようなものだ。
じきに星の側が不具合に気付き、今のシルヴァに応じたエネルギー量に調整されるだろう。100年前の記憶は失われ、発生から二年の「今」に応じた知識と力しか持たない、森の幼体に戻されてしまう。
──その前に、やるべきことがある。
「──止まりなさい、ディアボロス……!」
フィリップの肉体を魔眼の力で縫い留め、首筋に牙を突き立てようと近付くディアボリカ。
その幽鬼の如き足取りが、たった一言で止まる。
警戒ではない。
不遜にも自分に命令調で口を利く、小さなドライアドに対する嘲笑が理由だ。
徹頭徹尾、フィリップの切り札だけを警戒しているディアボリカは、もはやシルヴァの方へ一瞥も呉れない。
視線は完全に硬直した状態のフィリップを油断なく見据え、首筋と、魔力の流れを交互に確認している。
生存本能が訴える飢餓感と、戦闘本能が訴える恐怖。
今すぐにでもこいつの血を吸い尽くして飢えを癒したい。
しかし、こいつの切り札だけは絶対に食らってはいけない気がする。
魔眼で拘束してはいるが、では果たして切り札は無力化出来ているのだろうか。出来ていなかったとして、それは能動的に使う必要があるのか、それとも自動的に発動するのか。
そういった懸念や警戒が、ディアボリカの視線を固定する。
それはフィリップを相手にするなら正解かもしれないが──この場に於いては悪手だった。
「木の陰に隠れてなくていいの? この子だって、アナタを守るために戦っていたのよ?」
「私を守る理由も必要性も……彼にはありません。ヒトに守られなければ存続できないほど……森林は脆弱ではない」
「あらあら、守り甲斐の……何ですって?」
一瞬の思考停止を挟み、聞き捨てならない言葉が、そのロジックが脳内を埋め尽くす。
聞き覚えのある声色。聞き覚えのある論理。そして──いつぞやと同じく、全く感じ取れない気配。
「まさか」
フィリップに固定されていた視線が逸れる。
月と星々の気配、夜に棲むディアボリカをして自身より深いと感じる闇の香りを上回る脅威判定。
それは知識から来る推測ではなく、自身の経験に基づくものだ。
木の陰から姿を現すのは、ドライアドの幼児ではなく、若い女性の姿をしたモノ。華奢な身体でありながら手足や腰回りには色香も感じられ、機械的なまでの無表情さえ彫刻じみた美しさを湛えている。
頭痛を堪えるように歪められたその表情を見れば、老若男女問わず「どうにかしてあげたい」と庇護欲をそそられることだろう。
だというのに、ディアボリカが抱く感想は一つだけ。
──怖い。
数百年の昔、皇帝より『魂滅卿』の称号を賜った魔術師としての視力と知識が。
数百年の間、吸血鬼ディアボロスとして培った生命力を見抜く血への渇望が。
眼前のそれは、存在していないと囁いてくる。
そして、ディアボリカはそれを知っている。
百年前に遭遇し、ほんの数分だけ対峙した、星の表層。この星に住み、この星というモノを常に感じ、それでいて
「ヴィカリウス……!」
100年もの間、自分を封印した仇敵。
それがどうして、100年前に魔力へ変換したはずの身体で、当時と同じ姿のままで、ここにいる──!?
「くッ……!」
ディアボリカが苦渋の決断だと傍目にも分かる苦々しい表情で、フィリップに向けて手を伸ばす。
未知の恐怖より既知の脅威を重く見て、血液の補充を優先することにしたのだろう。
拘束の魔眼で動きを止められたフィリップに、胸倉へ伸びる手を回避することはできない。
そのまま抱き寄せ、子供の薄い皮膚に、柔らかな肉に、健康的な血管に、生々しく涎に濡れた犬歯を突き立てる。血を啜り、血を介して命を飲み干す。
今すぐにでも命と魔力を補充しなければ、ヴィカリウスという大物を相手取ることはできない。そう知っているからこその即決だ。
しかし、幽鬼の動きで伸ばされた手がフィリップに届く前に、大顎が二人を分断する。
上顎は枝葉。
下顎は根。
一本ではなく複数。
一撃ではなく波状。
槍の鋭さと弩の速度を以て同時に襲い掛かる連携攻撃は魔術ではなく、人が拳を握り腕を振るのと同じ単なる機能。
魔術ではないが故に耐性による防護が通じず、存在格差ゆえにディアボリカの血の力も通じない。
風に揺れる梢のような、さわさわという心地の良い音。
それこそが、身体を食い千切らんと迫る森の顎の咬合音。死神の足音。アイアンメイデンの軋みであると、ディアボリカは気付かない。
「──!!」
だから、ディアボリカが都合四対の大顎の全てを回避できたのは、最後までフィリップに向けていた警戒が理由だ。
ほんの少し、フィリップが笑ったような気がした。
勿論、心筋さえ停止させる魔眼に、フィリップは抵抗できていない。だからそれは、木々の枝葉が不自然に動いたことによる光の調子、ただの錯覚だったのだが──一足10メートルものバックステップは、図らずもシルヴァの不意討ちを躱す結果となった。
「っと、これは本格的に不味いわね……」
魔力は殆ど空で、対森林級大規模魔術を撃つような余力はない。
時間経過でじわじわと回復してはいるし、人間一人、精霊一匹を殺すくらい造作も無いが──ヴィカリウス・システムを相手取るのは無謀に過ぎる。
特に、相手は森の代理人。ヴィカリウス・シルヴァ。
森の中で戦うのは、比喩抜きに相手の掌中だ。刺し返す一撃を持たない今の状態では、握り潰される他に未来はない。
戦闘し打破する──不可能だ。
では取るべき選択肢は逃走の一択だが──それも難しい。
最低でも森を出るまではヴィカリウスの攻撃は止まないだろうし、致死級攻撃一発で本当に死んでしまう程度の現状では、逃走中に聖痕者に遭遇すれば致命的だ。いや、各国の宮廷魔術師程度でも、もしかしたら。
ディアボリカは諦めたように首を振る。
「──っと!」
その動作と同時に魔眼が解除され、フィリップが直前の動作の慣性──バックステップの動きに引かれて体勢を崩した。
いきなり現れた女性──100年前の姿になったシルヴァ──に気を取られて、直前まで自分が何をしようとしていたのかを失念していたからだ。
危うげな動きに、シルヴァが慮るように視線を向ける。
ディアボリカから、視線を外す。
その隙を見逃すほど、ディアボリカは甘くも無ければ油断してもいなかった。
拳を握り、地面を陥没させるほどの踏み込みを初動として突撃する。
逃げなかったのは、森の中にいる限り捕捉されるという確証があったからだ。
だが、逃げなくてはいけない。そのためには──シルヴァの注意を、ディアボリカから逸らす必要がある。ディアボリカに構っている暇が無いような状況を作ればいい。
たとえば、死なない程度の大怪我をした少年を介抱しなくてはいけない状況、とか。
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