第176話
ステラの打ち上げた、赤い魔術信号弾。
王国内では『即時撤退』の意味を設定されたそれは、二人だけでなく、森の中にいた全ての魔術学院生に対する眷属獣襲撃を理由とするものだった。
意味の分かる者は即座に従い、意味の分からない者も状況を判断して自主的に森を出ようと動く。
既に大半の生徒が森に入った目的──召喚魔術用の契約を終えて帰る途中だったこともあり、信号弾の打ち上げから十数分で、ほぼ全ての生徒が森の外で合流できた。
森を出たら追ってこない。
無邪気にそう信じていた生徒はごく少数だったが、彼らの抱いていた幻想、「森を出れば安全だ」という思い込みだけは真実だった。
「いいか! 絶対に無差別攻撃はするな! 単体攻撃を主にしろ! 範囲攻撃を使う時は敵集団を確認し、生徒がいないことを確定させてからだ! 森に火を付けることも禁じる!」
「はっ!」
騒ぎを聞きつけてやってきたローレンス伯爵の騎士数名と魔術師数名、そして魔術学院生たちに、ステラの鋭い命令が飛ぶ。
現在、未帰還の生徒は四名。
その中にはフィリップも含まれている。
彼らが屋敷の無い側から脱出している、或いは既に森の中で死んでいるという確証が得られるまで、森から出てくるモノを適当に薙ぎ払うわけにはいかなかった。
普段のステラなら、大多数の安全のため、自ら進んで範囲攻撃を使っていただろう。それがこの場に於ける戦略解だ。
しかしフィリップが死ぬ可能性を考慮すると、彼女の合理性にも翳りが生じる。
「ステラ、私だけでも──」
「駄目だ。入れ違いになると最悪だし、吸血鬼の魔力量はお前以上だ。カーターを守りながら戦うことになったら、一人では勝てんだろう」
フィリップとルキアは、ステラにとって盤外の存在だ。
直面した状況をゲームのように数値化して分析し、求める
だから、何を措いても二人を守る。
たとえこの場の生徒全員が死ぬことになろうとも。
「ステラ!」
「何度も言わせるな、ルキフェリア! 私を出し抜こうとしてみろ、その足を消し飛ばすぞ!」
「──、っ」
余裕が無い。
既にフィリップが死んでいるかもしれないと、心の片隅に疑念が生じるだけで、精神の均衡が崩れそうだ。
そんなステラの必死さが伝わったか、ルキアは息を呑み、ややあって深く頷いた。
「分かったわ。フィリップを助けに行く……ここを片付けて、ステラと一緒に」
「……それでいい。それが最適解だ」
次々と森から飛び出してくるシャドウウルフや、同じく影に覆われた巨大な蝙蝠や蛇を、ルキアとステラの魔術が次々と屠っていく。
しかし、そのペースは遅い。範囲攻撃を禁止していては、いくら二人でも最速より一歩か二歩、劣る。
「な、なんで魔術が!?」
「弾かれてる!? まさか、耐性で!?」
魔術学院生の一人と、ローレンス伯爵麾下の魔術師が驚愕の声を上げる。
影に覆われた魔物、吸血鬼の眷属が持つ、予想外の魔術耐性。
一般の魔術学院生の中級攻撃魔術を容易く弾き、本職の魔術師の攻撃すら軽減する強度だ。彼らの攻撃を完全に無効化できるルキアとステラほどではないが、こうも数が多いと脅威度が跳ね上がる。
数には数で対抗したいところだが、こちらはそもそも数的不利で、しかも有効打を与えられる魔術師の数はさらに少ない。
質で対抗しようにも、範囲攻撃では逃げ出してきた生徒を巻き込んでしまう可能性がある。
ならば、
「誰か! 誘引系の魔術を使える者はいるか!」
「はい! 駆除作業の時に使う、広範囲型の『インデュース』が使えます!」
「自分は戦闘用の『デコイ』が!」
「善し! 全員集合! 誘引魔術、発動準備! ──今ッ!」
森の外にいた全ての生徒が集合したタイミングで、ステラの指示が飛ぶ。
一瞬の後、複数の誘引魔術が飛ぶ。
それは森へ向かって漂う不可知の臭気のようなもので、範囲内の魔物は術者への強烈な敵意に支配され、攻撃の対象を固定する。
既に森の外にいた影の獣たちも、森の中に潜んでいたものも、効果範囲内にいた百以上の魔物が咆哮する。
魔物に備わった戦闘本能を強制的に励起され、自分のものではない殺意に支配された彼らはまさしく獣。“お前を殺す”という意思だけが込められた雄叫びは、脆弱な生物の本能を屈服させる。
「どどどどどうするんですか!? 私、これ使いながら他の魔術使えませんけど!!」
「範囲攻撃だと耐性に弾かれます!」
自然と円形に集まった学院生や騎士たちに向かって、半円状に突進する魔物の群れ。
波状攻撃などとは決して呼べない、個と個と個の、連携無き一斉突撃。
影が波となって襲ってくる、では足りない。波打つ壁だ。
そこに対岸への逃避路、活路は無い。呑み込まれたら最期、引き裂かれ、食い千切られ、飲み啜られ、嚥下され、跡形も残さず消え失せる
それを、
「《撃滅の槌》」
聖人が、薙ぐ。
ステラの
神話に於いては世界から罪人を一掃する黙示録における第一の裁きとも、罪業に塗れた都市を焼却したとも言われる、神聖にして不可避の局所天候変化。
風の影響も受けず、効果範囲を完璧に制御されたそれは、森から飛び出してくる魔物を片端から灰に変える。
燃え尽きたようにも見えるが、そこに燃焼のプロセスは無い。文字通り雨霰と降り注ぐ血の色の雹と焼けた硫黄に触れた瞬間に、『粛清の光』と同じく灰の塊に変換される。相手が炎に完全な耐性を有していようと、相手が炎そのものであろうとだ。
魔術そのものは無音。
降り注ぐ硫黄は汚染された地面を焼き浄化するが、ここは罪業都市ではない。地面に落ちた雹や硫黄は幻影のように、或いは粉雪のように消える。
断末魔を上げる間もなく灰へと変わる魔物たちもまた無音。
しかし──
本来は対都市攻撃級の効果範囲を極限まで制限する超絶技巧は、些か過剰だった。
森から出てくる者を傷付けないように、万が一にも森が効果範囲に入らないようにという恐れにも似た配慮が、群れの一部を取り逃していた。元より、生徒たちを包囲する群れを、生徒たちを巻き込まずに一網打尽にするなど無理な話だ。
「■■■■■■──!!」
残党の上げる咆哮は、徹頭徹尾、己の敵対心と血への欲求に塗れたものだ。
仲間を殺された復讐心など、独立した個の集合でしかないヤツらは持ち合わせない。
魂を震わせる憎悪の発露を前に、ステラは依然、獰猛に笑っていた。
「そのままでいいわよ」
「任せる!」
残党を一掃するのは容易い。効果範囲の制限を止めれば、辺り一帯は罪なき者のみが生き残る
だが、その必要はない。
ステラと魔物では、ステラの方が存在格が上なのだ。だから──
お前らが来い。
「《グラビティ・スフィア》《ゼログラビティ》」
闇属性の中でも高度な技術である重力操作系統の魔術。
上級に位置するものを二種同時に発動したのは、言うまでもなくルキアだ。
一つは真球。グラビティ・スフィア。
魔物の群れの中心部、その上空に生成された漆黒の球体。凄まじい重量を持つそれは、周囲のモノを自らに向けて落下させる
一つは半球。ゼログラビティ。
一か所に集まった生徒たちを守るような半透明のドームは、外部から内部への重力影響を緩和する。完全にゼロにすれば、星の巡りによって相手を吹っ飛ばすことになってしまうそれを、ジャンプの高さがちょっと上がる程度に、『グラビティ・スフィア』に向けて引っ張られるような気がする程度に制御していた。
森から出てきた魔物が十数歩進み、上空の球体へ吸い込まれていく。
そこは群れの中心であり、同時に、ステラの展開した裁きの只中だった。
勝手に落ちて、勝手に灰と消えていく魔物の群れは、程なくして頭打ちとなった。
「……終わりか」
眼前に吹き荒れていた終末を、腕の一振りで霧散させる。
ほんの数分の展開とはいえ、ただぶっ放すのではなく綿密な制御を要したそれは、ステラの膨大な魔力の二割を食い潰していた。
「各員、周囲を警戒! 負傷者は下がれ! ……ルキア、五分後に森へ入る。準備しておけ」
「了解」
ルキアは「五分?」とは聞かなかった。
本当なら今すぐにでもフィリップを探しに行きたいところだが、ステラが「五分後」というのなら、それは吸血鬼と対峙するのに必要な回復時間なのだろう。それも限界まで切り詰めた、吸血鬼相手には死闘を演じることになるであろう、ギリギリの。
フィリップなら大丈夫だ。
恐ろしい邪神を従え、強大無比なるシュブ=ニグラス神の寵愛を受ける彼なら、ルキアよりちょっと強い程度の相手に遅れは取るまい。
そう信じて祈りながら、そう信じて祈ることしかできない現状を、己自身を強く呪った。
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