第164話
唐突に、見知らぬ後輩から模擬戦をしようと言われたフィリップの気持ちを簡潔に述べよ。
そんな問題があったとしたら、模範解答はこうだ。
「別にいいですよ」
何の気負いもなく頷いたフィリップに、セシルの眦が吊り上がり、背後の囁き声が勢いを増す。
「なにあのへんてこな武器」「勝てると思ってるの」「野蛮なのよ」と、そんな声を聞いて、フィリップは大体の事情を察した。
どうやら、彼女たちはフィリップが武器を振り回していることが気に食わないらしい。
魔術という手軽で強力で、何より見た目も美しい武器があるのに──それを学ぶための最高の場所に、才能を認められて入学したというのに、その中で不細工にも武器を振り回している奴がいる。
新入生の中で最も高い魔術適性を認められた、彼女たち新1-A生には、それが我慢ならないのだろう。
この魔術学院の品位を損なうような──そこで学ぶ自分たちの価値をも否定するような、無粋で無様な上級生の存在が。その相手が同じAクラスともなれば、もはや直接的な侮辱にすら思えるのかもしれない。
だからといって、新学期開始から一週間も経たないうちに喧嘩を売りに来るとは。
これがナイ教授の言っていた、「問題を起こしちゃう子」というヤツか。
「僕は魔術無し、そちらは魔術のみ、ってことですよね」
「えぇ、そうです!」
なら、仕方ない。
こちらも言われた通り「大人の対応」をしよう。『萎縮』も『深淵の息』も邪神招来も抜きで、相手の望み通りウルミ一本で勝負してあげようじゃないか。
決闘ではなく模擬戦なら、「私が勝ったらその武器を貰いますからね!」みたいな条件を付けられても、適当に踏み倒せばいい。
「勝敗は……クラインさん、でしたっけ。貴女の障壁一枚目が割れたらでいいですか?」
「はぁ? 魔力障壁に一枚目も何も無いでしょ?」
くすくす、と、フィリップの無知を嘲笑う声が生徒たちから上がる。
はて? と首を傾げるフィリップの脳内には、魔力障壁を二枚同時に展開するステラの姿が浮かんでいた。
彼女はフィリップとの模擬戦のとき、自分をすっぽりと覆う繭のような障壁を常時展開し、その上でレベルに応じた硬度の障壁を任意に展開していたのだが。実はあれは魔力障壁ではない別の魔術なのだろうか。
「もしかして先輩、魔力障壁が使えないんですかぁ? だから武器を使ってるとかぁ?」
ひそひそ、くすくす、囁き嘲る声が広がる。
その中から、「教えてあげなよ、セシル」と揶揄うような声が上がった。
「あ、いえ、結構です。授業で習ったので」
その範囲は一年生の現代魔術基礎で習う。
実技は赤点だったが、理論はそれなりに高得点だった。
魔術師にとって魔力障壁の展開は、呼吸のようなものだという。
出来て当たり前、というのもそうだが、攻撃を受け止める時には息を止めたときや、蝋燭を吹き消すときのような負荷があるらしい。強力な攻撃を受けた時には、投げ飛ばされて肺から息が抜けるような、強烈な圧迫感もあるのだとか。
そのため、魔力障壁の常時展開は息を止め続けたり吐き続けたりするような、人体の構造上不可能なことらしい。
……ここまでが、教科書に載っていた話。
「流石に、刃の付いたウルミ相手に素肌を晒すのは怖いからな。本気の魔力障壁を展開しておこう。ルキアの魔術でも防げるから、遠慮なく打ち込んでこい」
「それを割れってことですか? 普通に無理ですけど」
「フェイルセーフという奴だよ。もう一枚、レベルに応じた障壁を張る。お前が割るのはこっちだ」
……これが、先日ステラと交わした会話。
相反する二つの知識を同時に想起して、フィリップはぽつりと呟く。
「……殿下には肺が二つあるのか」
人間の肺は普通は一対二つだ。だからそれを言うなら二対四つ──いや、突っ込みどころはそこではなく、そんなことはどうでもよくて。
「何言ってるんですか? いいから、早くやりましょうよぉ」
急かすような言葉から、模擬戦とはいえ戦闘行為への緊張感は見受けられない。
慣れているのだろう。戦闘慣れか、或いは──殺し慣れているか。
どちらでもいい。
模擬戦なら勝敗に然したる意味は無いし、殺し合いなら、フィリップの
「先に一撃入れた方の勝ちってことでいいですかぁ?」
「いいですよ」
もう一度、肩や腰を回して準備運動をしながら、適当に答える。
セシルは不機嫌そうに数歩ほど離れ、10メートルの距離を空けた。
この勝負、フィリップは殆ど何をしてもいい、楽なものだ。
魔術無しなんて非魔術師のフィリップには当たり前の条件だし、いくら凶悪になった本物のウルミとはいえ殺傷力──いや、必殺力はかなり低い。
首狙いのクリーンヒットなら一撃で殺し切れるかもしれないが、そのくらいだ。
顔に当たろうが胸に当たろうが足に当たろうが、とんでもなく痛いだけ。肉が削げて大量に血が出るだろうが、それだけだ。死にはしない。
まだ扱いに慣れきっていないフィリップが自傷する可能性があることのほうが、よっぽど大きな問題だ。
「じゃ、行きますよ」
投げっぱなしだったコインを拾い上げ、爪弾く。
フィリップはその直後に『拍奪』の疾走態勢を取り、セシルは照準補助に右手を掲げた。
倒れそうなほどの前傾姿勢は見るからに異様で、「なにそれ」「変なの」と笑い声が上がる。
きん、と小さな金属音。コインの落ちる音、直剣の鞘走り。
意識が一気に加速する。
視野も視座もそのままに、認知圏だけが狭窄していく、超集中の感覚だ。
目の前にいるのは「的」になった。
セシル・クラインという会ったばかりの個人ではなく、記憶にあるウォードの影でもなく、目下超えるべきレベル2のステラでもなく、その全てを内包した「的」のカリカチュア。木でできた人形、紙に書かれた同心円、濡らした巻き藁に並ぶ、なんでもない標的。
狙うべきは、首以外のあらゆる場所。
倒れそうなほど極端な前傾姿勢から、足に込めた力を爆発させる。
彼我の距離は10メートル。
セシルが選び、フィリップは気にも留めなかった、魔術戦の距離だ。
ウルミの射程は4メートル。
六歩以上は詰めなくてはならないが、直進しようものなら格好の的。多少の蛇行も、この距離では大した攪乱にはならない。
それは承知の上だが──
「真っ直ぐなんて、舐めすぎですよ、先輩! 《ウォーター・ランス》!」
セシルの周囲に浮かぶ水の槍は、合計六つ。
フィリップが六人いても全員が成功するとは限らないので、彼女の魔術適性は単純に考えるとフィリップ六人分以上か。
直線的な動きで突っ込んでくるフィリップを笑いながら、セシルは六つの水槍を射出し──その全てが、フィリップを透過したように素通りする。
「……えっ?」
セシルが小さく、驚愕の声を漏らす。
動揺による硬直。
それ以前に、初級魔術如きに詠唱を要し、照準補助に手を使う。
──お粗末だ。
もしかして、Aクラスというのは嘘なのか?
まさか?
「──ッ!」
フィリップは血流不足になり始めた脳を回し、大真面目な思考の果てに一つの結論を導き出す。
これは、罠だ。
昨日、ステラが思い出させてくれた、設置型魔術。反応起動攻撃!
わざとらしく詠唱して見せた初級魔術は視線の誘導で、本命はそれ以前に無詠唱で仕込んでいたに違いない。
どこだ。
分からない。フィリップにそれを見抜く目は無い。
ステラは何と言っていた?
設置型魔術を伏せるとしたら──まずい。この位置は、正面は、ステラの言っていた敷設位置そのものだ。
真っ直ぐ進めば、あと三、いや二歩でウルミの射程に入るのに。
「──っと」
危ない。
ここで欲張るのは良くない。
冷静さを欠いた強欲な動きなんて、ルキアにもステラにもウォードにもソフィーにもマリーにも、誰にも通らない。誰一人、そんな甘えは許してくれない。
急制動し、二歩下がる。
動きの意味が分からなかった女生徒たちが「え?」「何してるの?」と嘲笑交じりに疑問の声を上げている。
真横に三歩──ずらした通りに、フィリップの後ろを水槍が通り過ぎる。
「はぁ!? 今のは当たったでしょ!」
セシルが驚きと、何故か不満の滲む声を上げる。
意味不明だ。
当たっていないのだから、「当たったはず」なんて推論は立たない。当たる確証が覆されたのなら、そこには必ず「当たらない理由」がある。探すべきはそちらだ。
ステラを相手に「普通は当たるだろうな。私には当たらんが」と、冒険譚のラスボスも苦笑いするような理由で幾度となく予想を覆されてきたフィリップとしては、理由探しすら生温いと感じてしまうが。本当に探すべきなのは、それを突破する方法だ。無かったら? その時は逃げるか、邪神招来をぶっ放す。
セシルの直線上から外れ、今度こそ最短ルートを突っ走る。
彼我の距離が埋まっていく。
あと6メートル。5.4メートル。4.8メートル。あと一歩──届いた。
「──ッ!」
鋭い呼気で力みを散らす。
ウルミを振り抜いた時には、当たる確証はあった。しかし、獲ったという確証はない。
言うまでもなく魔術師には、魔力障壁という素早く手軽で堅牢な防御手段があるからだ。
まさかルキアの障壁のように、破城槌にも耐えるような強度は無いだろうが──フィリップのウルミには何発耐える?
フィリップの動きに反応して、セシルは自身の左側を魔力障壁で守る。
それはいい。ウルミは何処まで行っても鞭の延長であり、右手で振り下ろすモーションでは右側からの攻撃しかできない。守るべき範囲は半身よりも少ない。
だが、なんだ?
彼女の魔力障壁は見るからにルキアやステラのそれとは違っていて、一見して分かるほど薄く、脆そうだ。
魔力障壁の展開は息を吐くようなもの。
より小さな範囲に限定すれば、その
そこまで考えた時には、振り抜いたウルミの先端が音をも超える速さで唸りを上げていた。
ひゅん、と風を切る音に、乾いた破裂音が混じる。
間違いなく会心の一撃。
「ひっ」
ぱぁん! と、陶器を落としたような破砕音は、魔力障壁の割れた音だ。
先んじるように聞こえたのは、まさか悲鳴か?
そりゃあ、間近で鞭の破裂音を聞くのは、フィリップ自身でさえ怖いけれど──分かっていたことだろう? フィリップが素振りをしている途中でやってきて、しかも模擬戦を挑んだのは彼女の方だ。
攻撃で流れた身体の勢いを利用して走り抜け、もんどりうって倒れたセシルの真横につく。
実戦ならもう一撃か、『萎縮』を撃ち込んで終わりだろう。
「僕の勝ち……ですよね?」
やられたフリ……では、ないだろう。
体育館の地面にはぽつぽつと、少量ながら確かに血が滴り落ちている。
これで「ぬかったな、カーター!」とどこぞの第一王女のように跳ね起きて一撃、なんてコトをされても、先に一撃入れている以上フィリップの勝ちだ。
あの不意討ちはやり過ぎだとルキアに叱られていたけれど……いや、そんなことはどうでもよくて。
「クラインさん?」
攻撃が命中した顔を押さえ、倒れた姿勢のままふるふると震えているセシルの顔を覗き込む。
予想外の決着による衝撃から立ち直った女生徒たちが「セシルちゃん!?」「大丈夫!?」と口々に心配しながら近寄ってきた。
「──う」
呻き声が上がる。
鞭は単なる打撃ではなく、むしろ斬撃に近い攻撃だ。顔面にクリーンヒットしたからと言って、脳震盪で失神するような衝撃力は無いはずだが。
どうしたのだろうと、フィリップも含めた全員が見守る中、彼女は顔を上げて。
「うわぁぁぁぁぁん! 痛い、痛い痛い痛いぃぃぃぃ!」
と、大絶叫、大号泣を始めた。
左耳の上から顎のあたりまでを切り裂く傷跡からはだくだくと流血し、確かに痛そうではあるが、ちゃんと先端部の刃が当たっている。
これが中間部のヤスリじみた部分なら、もっと凄惨で痛々しい傷になっているはずだ。
いや、どちらにしても痛いのは痛い。
どちらの経験もあるフィリップは、実体験からそう共感できる。
泣くほどかと聞かれれば、一瞬のラグも無く頷く。そのレベルで痛い。
幸いにしてと言うべきか、学校医のステファンなら十秒で治せる傷だ。泣き喚き、フィリップへの罵倒まで投げるセシルを宥めながら、女子生徒の一人にその旨を教える。
話しかけた生徒は正気を疑うような目をしていたが、何も言わずに情報を受け取ってくれた。
あとは彼女たちが、セシルを医務室へ連れて行ってくれるだろう。
これにて一件落着。
──と、そうはいかなかった。
「クラインさん、いる? 先生が呼んでたけど……って、どうしたの!?」
体育館の入り口からひょっこりと顔を覗かせた男子生徒が、流血しながら号泣するセシルを見て、慌てふためきながら駆け寄ってくる。彼女たちのクラスメイトだろうか。
見た限り傷はそう深くないし、会話に支障は無いだろう。
他にも一部始終を見ていた女性生徒が何人もいるし、説明は任せて良さそうだ。
口々に話す女生徒たちの勢いに押されているような男子に一瞥を呉れ、フィリップは完全に興味を失う。彼はどこかで見たような顔だと思ったのだが、気のせいだろう。
ウルミを巻いて束ね、一人反省会などしていたフィリップだが、事態はまだ収束していない。
「貴方は──」
ぐい、と肩を掴まれ、強制的に振り向かされる。
目の前にいるのは男子生徒だ。
フィリップより頭三つは高い位置から見下ろされ、思わず顎が上がる。一年生の中でもかなり背が高い方のはずだ。
正義感に燃える青い双眸と視線が合う。
彼はフィリップの肩を引いた手を、自分の耳の横まで上げる。……いや、拳を振り上げ、腕の筋肉を弓弦の如く引き絞っている!?
脚が、腰が、胴が、肩が、全員の筋肉が力を溜めるバネのように固まっているのが分かる。
「それでも男かッ!!」
どっ、と鈍い音。
解き放たれた拳は狙い過たず左の頬を打ち抜き、フィリップはもんどりうって転がった。
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