第162話

 新年度が始まって数日。

 二年生は選択科目の体験授業や説明会を終え、書類を提出し、一部科目については抽選となり、遂に選択科目の授業が始まった。


 教室棟の、一つ上の階。

 普段の教室より一回りか二回りほど大きい特別講義室に、AクラスとBクラスの召喚術選択者が集められていた。


 やはり召喚術は不人気で、他クラスと合同でも教室一つを埋められていない。


 Bクラスの生徒がひそひそと囁く噂話の的になりながら、フィリップと、ルキアとステラも席に着く。いつも通りの、窓側最後尾だ。


 しばらく関係の無い話をして時間を潰していると、からからと扉が開き、担当の先生が入ってくる。

 体験授業の時にも見た、アダムズ・フォン・ローレンス先生。御年65歳の大ベテラン教師だ。老紳士というより、身なりの良いお爺ちゃんである。


 「着席してくださいねー。……はい、おはようございます」


 ゆったりとした喋り方は老いを感じさせるが、それ以上に「もう引退させてやれよ」と思わせる。

 聞くところによると、他人に教導可能なレベルの召喚術師を見つけられないヘレナが、無理を言って教職を続けて貰っているのだとか。


 そんな噂を知っているからか、挨拶を返す生徒たちの声にも隠し切れない気遣いが滲んでいた。


 「召喚術担当のローレンスです。えー……まず、ガイダンス用の資料をお配りします」


 ローレンスの緩慢な説明を聞き流しながら、ぺらぺらと資料を繰る。

 書いてある内容も、話す内容も、フィリップがナイ神父から教わった内容と殆ど同じだ。


 「えー、まず、召喚術とは……」


 召喚術とは、文字通り誰か、或いは何かを召喚する魔術だ。

 

 「大別して、えー……、二種に……」


 大別して二種に分けられる。

 一つは、事前に契約した対象を召喚する事前契約型。一つは、召喚対象との契約までも術式に組み込んだ直接契約型。


 召喚対象と予め接触できる、例えば獣や魔物などを使役する場合は前者を。天使や悪魔と言った召喚術ありきでしか接触できない対象の場合は後者を使う。

 当然ながら難易度も大きく違い、前者は現代魔術で言う所の初級から中級程度、後者は上級に位置する。


 「えー、本講義では、事前契約モデルについて扱います。来週の月曜日から木曜日にかけて、ローレンス伯爵領の森へ行き、えー……、適当な生き物、魔物等と契約することになります」


 ……は?


 え? いきなり?

 それはちょっと──


 「ま、待ってください先生! 遠出の準備も出来ていませんし、そもそも契約術式も教わっていません!」


 誰かの指摘に、教室中がうんうんと一斉に頷く。

 フィリップも当然、その内の一人だ。


 「えー……はい。えー……ですので、本日と次回の講義で、えー……契約の方法を覚えて貰います。テキストを出してください」


 おいおいマジかよ初回からガッツリ授業か。そんな辟易した空気が教室に漂うが、フィリップはそれどころではない。


 ぺらぺらとテキストをめくり、契約とタイトルの打たれた章を開く。


 フィリップの魔術適性はほぼゼロ。

 ずっとルキアとステラに教わってはいるものの、初級魔術も満足に使えないザマだ。もし契約が中級魔術レベルの術式によるものだった場合、この時点で詰みだ。


 召喚術の単位を落とすこと。それはフィリップの場合、即時留年か、或いは退学と地下牢送りを意味する。

 フィリップの入学が拘留の代替措置である以上、召喚術の授業は自由選択科目ではなく刑罰、或いは爆弾の無力化だ。これをクリアしない限り、フィリップに貼られた「いつ爆発するとも知れない危険物」というラベルは剥がれない。


 まぁ、その割には、夏休みやら春休みには魔力制限の腕輪無しで自由に外出できていたけれど。もしかして、入学した時点で……いやいや、気を抜くのは良くない。ただでさえ、現代魔術の単位はギリギリなのだ。これ以上単位を落とすと、それこそ留年の危機である。


 「えー……、契約には、自分の血を使います」


 のんびりと話すローレンスの声を一応は耳に入れつつ、ほぼ同じ内容の書かれた資料プリントとテキストの文字を追う。


 契約に使うのは術者の血液。より正確には流れたばかりの血液が多分に含む、術者の魔力。

 魔力そのものを使わないのは、より物質的で生物的なものを媒介にした方が、生物や魔物のような生命体には受容しやすいからだ。


 魔力は「存在」で、血液は「情報」。

 人間を含めたあらゆる知性は、存在そのものを理解できない。存在とはどういうものか、それを記述した情報を通す必要がある。……「存在」であるヨグ=ソトースという例外はいるが。


 ともかく。

 血液という「情報」を通じて、契約対象に術者の「存在」を教え込む。血液は相手の体内に入ればそれでいいから、飲ませても、注射しても、垂らしてもいい。皮膚吸収は時間がかかるうえに不確実なので、普通は経口摂取らしいが。


 「医務室のボード先生に言えば、専用の容器に採血してくれますので、えー……、当日までに準備しておくように。それから、えー……召喚術は、召喚にも契約にも魔法陣を用いますので、えー……」


 当然ながら、野生の獣や理性無き魔物に、「小瓶に入った新鮮な血はいかが?」なんて尋ねられるはずもない。相手が肉食なら差し出した腕ごと噛み千切られるのがオチだ。


 だから、契約は相手を魔法陣の中に捕えてから行う。

 単なる捕縛であれば現代魔術の『パラライズ・ミスト』や『スリープ・ミスト』、『バインド』なんかで事は足りるが、魔法陣には意思疎通を可能とする効果がある。


 大雑把な「動け」「止まれ」程度の単純な意思しか伝えられないが、獣風情にはそれで十分。

 「血を飲め」「契約しろ」。伝える意思はたったこれだけで、これだけ伝えてしまえば、あとは契約した後にどうとでもできるのだから。


 「えー……、契約は、高度な知性を持つ相手とのみ可能で、また、えー……」

 

 契約は高度な知性を持つ相手、生物なら最低でも犬猫、魔物ならゴブリンくらいの知力が要る。

 つまり昆虫やギガントビートルなどの昆虫型魔物、スライムやスケルトンといった知性無き魔物、あとは植物なんかも対象外になる。


 また、術者は自身以上の魔力を持つ相手とは契約できない。

 これは単純な質と量の話で、仮に「ドラゴン以上の魔力を持つが全く操作できない」という特異体質者が居たら、その術者はドラゴンと契約できる。逆に「操作能力では天使を凌ぐが、魔力の質と量はゴブリン並み」という特異体質だと、契約できるのはゴブリンまでだ。


 「……僕の魔力ってどのぐらいですか?」

 「……犬猫以下ということは無いから安心しろ」


 ひそひそと訊ねたフィリップに、ステラが同じくひそひそと返す。

 会話の内容を聞いてフィリップの魔力量を視ていたルキアは、


 「でも、魔物との契約は望み薄ね。現地の生き物次第だけれど、狼なんかがいいんじゃないかしら」


 と、『魔物使いフィリップ・カーター』に至る可能性を切り捨てた。

 どうやらフィリップに許されるのは『動物使い』……召喚術師というよりは、サーカスの一員までらしい。


 ま、まぁ、複雑な魔術的手段を必要とせず、かつフィリップでも使役可能な存在がいるというのは朗報だ。少なくとも詰みは消えた。


 「戦闘力なら熊とかも良さそうですよね」

 「熊か。いや、うーむ……」


 確かに、熊は強い。

 種類や成長の度合いにもよるが、その毛皮は量産品の直剣や弓矢くらいなら軽く弾き、太く鋭い爪と強靭な腕力による爪撃は人体を容易く両断するという。


 だが、如何せん。


 「お前の戦闘スタイルと微妙に噛み合わないだろう? 前衛を任せるなら『萎縮』なんかを誤射しないよう、なるべく視界を遮らず、かつお前の『拍奪』に付いてこられる敏捷性が欲しい。熊は素早いが、体格も大きいから、微妙だな」

 「盾にするなら一案だけれど……」


 いや、使い捨てはちょっと。とルキアの案に首を振る。

 別に心が痛むというわけではない、というか、この程度で痛むような部分はとっくに腐り落ちているので、「それはちょっと非人間的じゃないか」という思考に基づく冷静な判断だが。


 「素早くて、視界を遮らず、前衛を任せられる戦闘能力。なるほど、狼ですか」

 「……ふむ、的確だな。あとは梟や鷲なんかも良さそうだが」

 「……偶然よ」

 

 流石と言いたげに頷いたステラから、ルキアはふいと視線を外す。

 照れ隠しに窓の外を眺めるような仕草だが、フィリップにも分かる不自然さがある。ステラには褒められ慣れているだろうし、彼女はこういう場合「まあね」とか「当然よ」と、明確な事実を告げられた時のような無感動さだった。


 まぁ、そういう日もあるか。と、一瞬で興味を失い、テキストに視線を戻すフィリップ。

 しかし、ステラはその後も数秒ほど考え続け、


 「ふふ……」


 と、揶揄うような笑いを溢した。


 「ルキフェリア、お前──カーターがそれと一緒に遊んでいるところを想像して、それで狼を例に挙げたな? 戦闘のことなんて、何も考えていなかっただろう?」


 ルキアは何も答えず、一瞥もくれなかったが、耳は赤く染まっていた。

 肌が白くて綺麗だから、血の巡りが良く分かる。そんな益体の無いことも考えつつ、フィリップは触発されて狼のことを考える。


 もふもふ。

 そう、それは魅惑の──もふもふ!


 「いいですね! お父さ──いえ、父が狩人なので、猟犬には馴染みがありますし」


 父が貴族の森番として召し抱えられてからは、もう長いこと触っていないが、冬毛のもこもこもふもふ具合は素晴らしかった記憶がある。もう何年も前の、朧げな記憶だが。


 名前を呼ぶと尻尾を振りながら寄ってくるのも、その時に爪がちっちっちっと軽やかな音を立てるのも、走り回った後に心底楽しそうに笑う──舌を出して体温調節をしているだけらしいけれど──のも、とにかく仕草の全てが可愛くて仕方がなかった。


 なるほど、狼。厳密には猟犬とも少し違うが、ちょっと大きな犬みたいなものだろう?

 なるほど、なるほど素晴らしい。もふもふとは素晴らしいものだ。


 「僕、狼を探そうと思います」

 「……いや、待て、狼という案自体には賛成だし、一緒に遊ぶことも否定はしないが、お前も戦闘能力を度外視していないか?」


 この上なく真剣な表情だったはずなのだが、どうしてバレたのだろうか。




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