第161話
春休み明け、進級初日の放課後。
級友との再会や新たな友人との交流で食堂や中庭の賑わう時分に、体育館では激しい戦闘が繰り広げられていた。
戦っているのは二人の魔術学院生。
一見すると片方が攻め、片方は防戦に徹している趨勢の明らかな戦いだ。
攻撃側は地面を滑る蛇か低空を舞う燕のような印象を受ける極端な前傾姿勢で疾走し、手にした金属製の鞭のような武器を振り回している。どう見ても魔術師の戦闘スタイルではないが、動きには淀みが無く、武器を振るう手にも躊躇いが無い。
防御側は二層の魔力障壁による対策と、同時に複数展開される中級魔術によるカウンターが主体のようだ。こちらは純魔術師然として、その場に立ったまま移動していない。
──言うまでもなく、フィリップとステラだ。
そして模擬戦の趨勢は、明らかにステラが有利だった。
フィリップがウルミを振るうと、その先端は大気を裂き炸裂音と共にステラへと襲い掛かる。音速をも超える一瞬の攻撃だが、しかし、届かなければ意味がない。
ぎゃりぎゃりぎゃり! と、耳に刺さるような擦過音を上げながら、魔力障壁の表面にウルミが擦れ、火花を散らして滑っていく。
春休み中にマリーから届いたそれは、今まで使っていた物とは違う本物だ。
全長4メートルの金属鞭を4本束ね、表面を荒く削り、更に先端部の細さは他の半分程度になっている。より長くなることで先端部の速さが増し、細くなったことで切れ味が高まり、更には鞭の表面を削ったことで獲物の肉を鋸のように切り裂き、ヤスリのように抉り取る。
ステラから現状を聞いたのだという彼女の手紙にはこうあった。
『王女殿下から聞いたよ、カーター君、ウルミの扱いがだいぶ上手くなったんだってね! ということで、これは一人前になったお祝い! お金は返さなくていいしお礼も要らないけど、誰かほかの人にウルミの良さを伝えたげて! 任せたよ、伝道師くん!』
──いや、誰が伝道師か。フィリップが布教できる宗教なんてロクなものじゃないし、ウルミの伝道師なんてニッチなものにもなりたくない。
でも、
『追伸 皆伝レベルになったら、今度は蛇腹剣を教えてあげるね!』
と書いてあったので、頑張ろうとは思う。あれはとてもカッコ良かった。
「集中しろ、カーター! 当たったら医務室送りだぞ!」
「ッ!」
はい! と返事をして気を引き締めたいところだが、そんな余裕は無い。
ステラの言葉通り、彼女の攻撃は以前とは違い中級攻撃魔術。魔力抵抗力の高い魔術師相手でも有意なダメージの見込める、正真正銘の「攻撃」だ。当たれば熱いでは済まない。
弾かれたウルミを二、三回空振りして形を整える。
今までの二メートルそこらのものなら要らない一手間だが、今やウルミの長さは四メートルで、その表面はヤスリのように削られている。下手に扱えば、武器どころか自らの身体を磔にする茨の枷となる。
本当なら振りやすい形にまでしてしまいたいが、走るのに支障がない程度に繕って、すぐに移動を再開する。
相手の相対位置認識を狂わせる『拍奪』の歩法は、その性質上、移動していなければ効果を発揮しない。
「残り一分」
離れたところで観戦していたルキアからタイムキープの声が上がる。
それを聞く余裕はフィリップには無かったが、ステラは口角を吊り上げた。
模擬戦一セットの制限時間は二分。
つまりフィリップは、全然本気ではないステラ相手に一分間、耐久出来る程度には強くなっているということだ。春休みというブランク明けで、更には武器を新調したばかりというコンディションで。
強くなっている。
勿論、以前までと比較してというだけの話だが──それでも、軍学校で真ん中辺りの成績は取れるだろう。
ソフィーやウォードなんかの実力者相手ではどうにもならないだろうし、ルキアやステラが相手なら二秒と持つまいが、それでも、確かに努力が実り始めている。
「ふ──ッ!」
力みを散らすための呼気から一瞬のラグも無くウルミが振るわれる。
触れれば肉を抉り裂くそれを、躊躇いも無く顔面に向けてくるのは、女性として思う所が無いわけではないけれど──戦場に在って性差など有り得ない。目の前にいるのは男でも女でも、それ以前に「敵」なのだから。戦意を奪うなら顔を、命を奪うなら首を、戦闘能力を奪うなら脚を狙う。教えた通りの動き、ステラとしては好ましい、戦術的で合理的な動きだ。
ぎゃりぎゃりぎゃり! と、眼前で火花が散る。
防御用に展開した魔力障壁の損耗は、ほんの数パーセント。常人の魔力障壁だったとしても切り裂くには至らないだろう。
「もっと身体を使って振るんだ。鞭が伸びたからといって、身体操作を疎かにするな」
攻撃を防がれて後退したフィリップから返事は無いが、なるほどと表情が強張っている。それで十分だ。
姿勢とウルミの形を整え、再度の攻撃が来る。
迎撃に放った魔術は回避の素振りも無く素通りしていく。まぁ、そうだろう。ステラは人類最強の魔術師だが、人間だ。相手の位置を目で見て確認して、脳で把握している以上、それらの感覚を誤魔化す『拍奪』の歩法は変わらず効果を発揮する。
では、一段階、レベルを上げよう。
「避けろよ、カーター」
「? ──ッ!?」
フィリップは意味の分からない指示に疑問を覚え──眼前に迫った火球を間一髪で回避した。
耐火繊維の制服が炎に晒され、ちりちりと音を立てる。
危なかった。
避けなければ顔面直撃コースだった。
位置認識欺瞞に失敗した? それとも見切られた? 適当に撃ったわけではないだろうが、何故?
後方で爆発した火球の勢いに背中を押されて走りながら、全身の筋肉に血流が優先されて回りの悪い頭で考える。
相手の位置を目で見て確認するなら、たとえ天使が相手でも欺瞞効果は発揮される。
つまり、ステラはいまフィリップの位置を目で見ずに認識していたということだ。
どうやって?
魔力感知? それとも熱源探知? いや、もっと高度な魔術によるものかもしれない。例えば、相手の動きを予測するなんかすごいフィールドとか。そんなのがあるのかは知らないけれど──
「考えるのは良い。だが考えることに気を取られ過ぎるな」
ステラは口だけでなく、手も使って注意する。
向けた指先に小さな炎を灯し、矢のような速度で撃ち出した。
空気を焼きながら飛来する炎の礫。
フィリップの知らない魔術だ。少なくとも「ファイアー・ボール」なんて可愛らしいものではないだろう。だって、その炎は青白い。
見たことの無い色の炎に気を取られ、その狙いがフィリップの顔面にぴったりと合わされていることに気を取られ、その理由について考えて。気付いた時には、フィリップは負けていた。
ぽん、と、小さな可愛らしい音を立てて、青い炎が爆ぜて消える。
その奥、見慣れない攻撃に隠すように、本命の火球が三個。既に撃ち出され、フィリップに命中する軌道で飛翔していた。
「しっ!?」
視線誘導か。
そう叫ぶことも出来ず、フィリップは死んだ。
「今のは死んでたな。ここまでだ」
「一分と四十五秒。惜しかったわね、フィリップ」
頭部、心臓、腰。
ステラの火球は、フィリップの急所を消し炭にして撃ち抜いていた。──ルキアが寸前で展開した魔力障壁が無ければ。
「あと十五秒ですか! きっつい……!」
フィリップは地面にぺたりと座り込んで息を荒げる。
ルキアが差し出してくれたタオルで汗を拭いながら、脳内で一連の動きを回想し反省点を洗い出す。
やはり、一番大きいのは。
「気を取られ過ぎましたね……。なんで僕の正確な位置が分かったんですか?」
ステラの照準の正確性が、いきなり跳ね上がったこと。
まだ避けられる速度の魔術しか使われていない以上、集中していれば対処できたことだが、思考にリソースを費やしてしまったのは敗因の一つだ。
「あぁ、アレか。……お前は分かるか、ルキフェリア?」
「自分の魔力で空間を埋め尽くして、自分の魔力ではない部分を照準したんでしょう? 見ていれば分かるわよ」
揶揄うように水を向けたステラに、ルキアは馬鹿にするなと言いたげに目を細める。
へーそんなことが出来るのか、と感心したいところだが。
「殿下? それって中級レベルの戦闘魔術師でも出来るんですか?」
「いや、私たちと同等──とまでは言わないが、私たちの半分くらいの魔力量と制御能力が無いと無理な芸当だな。宮廷魔術師なら出来る、と言ったところか」
「レベル違いじゃないですか! 今は中級魔術師レベルって話でしょ!?」
ステラとの模擬戦は、幾つかの
二分以上の耐久、或いは魔力障壁の破壊が段階進行の条件だ。
まずレベル1、低級戦闘魔術師相当。
一般に魔術師と呼ばれる水準の、最低値からやや上程度の魔術・魔力障壁を再現。フィリップは突破に二月を要した。
次にレベル2、中級戦闘魔術師相当。
戦闘魔術師の平均的水準を再現。フィリップは未だ突破できていない。つまり、今日もステラはこのレベルを保っているはずだった。
ここから先はフィリップが未だ到達していないレベルだ。
レベル3、上級戦闘魔術師相当。レベル4、宮廷魔術師相当。レベル5、宮廷魔術師筆頭相当。レベル6、ステラ(遊び)。レベル7、ステラ(本気)。
つまり今のは、レベル2のフリをしたレベル4だったということだ。
今のフィリップはまぁ概ねレベル1.5くらいなので、勝てるわけがなかった。
「ははは、すまん。興が乗ってな」
「楽しそうね……」
けらけらと笑うステラに、ルキアは呆れたような目を向ける。
まぁな、と軽く応じた後、ステラはすっと表情を切り替えてフィリップを見下ろした。真剣な光を湛えた青い瞳に見つめられたフィリップは、真面目な話の雰囲気に背筋を正す。
「他にも、『拍奪』を看破する技術は幾つかある。今のは魔力に物を言わせた力押しだがな。他にも、そもそもお前を走らせない方法もある。例えば──」
ステラはそこで言葉を切ると、すっと腕を伸ばす。
「《ヴォルカニック・マイン》。……さぁ、カーター。ちょっと壁まで走ってみろ」
「嫌に決まってるじゃないですか!? 殺す気ですか!?」
設置型魔術『ヴォルカニック・マイン』。
敷設箇所に接近すると溶岩が噴き出す、反応起動型攻撃魔術だ。当然ながら手加減の利く代物ではないし、フィリップの魔力抵抗力では一瞬と保たず消し炭になるだろう。
以前にそれを使っていたクラスメイトの顔も声も名前も思い出せないけれど、「いい火加減だなぁ」と羨ましく思ったことは記憶していた。
「そう。お前はこの一言で走れなくなる。お前には私が魔術を使っていないことが分からないからだ」
「……え?」
ブラフだったのか。
戦闘中の、脳に回る血流が足りていない短絡的なフィリップでは気付けそうもない。平常時でさえ、魔力感知能力が一般人並み──皆無なのだから。
「もっと意地の悪い奴だと、ブラフだと思わせておいて、自分のすぐ正面や真後ろ、後は視野ギリギリの斜め後方辺りに設置する。お前のような敏捷型の剣士が狙いそうな場所にな」
うへぇ、とフィリップは苦い笑いを溢す。
それをされると、フィリップは多分馬鹿正直に引っ掛かって死ぬ。
「まぁ、それは上級戦闘魔術師レベルだな。そして誰が相手であっても、走り回って二分耐える。これが目標なのは、二分もあれば、お前の切り札が十分に切れるからだ。だが逆に言えば、走り回れなくなった時点でお前の負けだ。長々とした詠唱をする暇もなく消し炭にされる」
「……ですね」
ステラはフィリップの弱点を、弱さを淡々と突き付けていくが、フィリップはそこまで落ち込んでいなかった。
彼女が総評で褒める日は、模擬戦でボコボコにされた日。総評で指摘する日は、模擬戦で善戦した日だからだ。
落ち込まないように、調子に乗らないようにという心遣いなのだろうが、自分の弱さを理解しているフィリップにはあまり意味のない配慮だ。
誰と比べても自分が弱いと知っているから。
誰であれ強さに価値がないと知っているから。
もう既に。とうの昔に。あの地下祭祀場で、何もかもを諦めているから。
自分の弱さを嘆いたりしない。自分の強さを過信したりしない。
それこそが、フィリップの「強さ」だった。
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