第159話

 結局、大罪書庫の本は全てそのままにしてきた。

 焼くことも、持ち出して公開することもせず、あるがままに置いて出た。


 あれは焼く必要のないものだったし、一神教の在り方を後世に知らしめるという意味でも残しておくべきものだ。かといって一神教全盛と言っていい現代では公開したところで握り潰されるか、「よくあるカルト狩り」として片付けられてしまうだろう。

 

 フレデリカが文書を公開すると言い出すのではないかとヒヤヒヤしていたが、彼女はそれが死者蘇生の術法ではないと分かった時点で、あの部屋にあった「神を冒涜する書物」に対する興味の殆どを失っていた。

 中身の検分を終えるのも、部屋を出ようと言ったのも、彼女の方が早かったくらいだ。


 小さな書斎のような異空間“大罪書庫”の扉は、そのまま禁書庫の出口へと繋がっていた。

 一瞬のホワイトアウトを挟むと、眼前には見覚えのある魔術学院大図書館の景色が広がっている。フィリップたちが帰ってきたことに気付き、すぐ側で透明化して待っていたルキアが姿を現した。


 「フィリップ、お帰りなさい。探し物は見つかった?」

 「……はい。僕の思っていた物じゃなくて良かったです」


 事前に懸念を──杞憂だったわけだが──伝えていたからか、ルキアもフィリップと同じかそれ以上に緊張していたようだ。

 フィリップの報告に大きく安堵の息を吐き、やがてにっこりと笑う。


 「えぇ、本当に良かったわ。じき夕食だし、行きましょう」

 「あ、もうそんな時間ですか」


 いや、呆けたことを言った。

 禁書庫の中は時間の流れが遅い、なんてご都合主義的な仕掛けは無かったのだ。その上でラジエルと戦い、大罪書庫の中身をじっくりと検分していたのだから、そのくらいの時間は経っていて当然だ。


 時間を意識してみれば、忘れていた空腹も思い出す。

 食堂へ行って軽食でもねだろうかと思ったが、今はそれよりも大事なことがあった。


 「先輩、大丈夫ですか? その……残念です。死者の、お爺さんの蘇生が叶わなくて」

 「あぁ……うん、大丈夫だよ。ありがとう、心配してくれて」


 にこやかな笑顔を浮かべ、安心させるように頷くフレデリカだが、声色にはいつもの覇気がない。

 

 無理もない。

 彼女にとって“神を冒涜する書物”は祖父の命そのものと言ってもいい『希望』だったのだ。或いは、祖父が真に死亡するまでの猶予期間と言い換えてもいい。


 それが死者蘇生の術法であったのなら、王国最高峰の錬金術師である彼女は、何としてでも実現してみせただろう。

 しかし、違った時点で、彼女の祖父は『死んだ』。今度こそ何の希望も無く、絶対に。


 「実は、所領にいる父には、まだ報告していないんだ。祖父のことも、使徒のことも。……でも、もう逃げてはいられないみたいだ。王宮へ行ってくるよ」


 なんで王宮? と首を傾げたフィリップに、ルキアが注釈を囁いてくれる。

 王宮には召喚術師を集めた機密文書輸送を専門とする部署があり、召喚した飛行型魔物を使った速達ができるそうだ。


 気の利いた慰めの言葉が思いつかず、そうですか、とだけ返して頷く。

 大方の事情を聞いているルキアも彼女の心中を察してか、無言だ。フレデリカを慰めることも、フィリップに話しかけることもしない。


 「最後にもう一度、二人にお礼を。ありがとうございました、聖下。御身のお力添え失くして、この探求が終わりを迎えることは無かったでしょう。そして、カーター君も。さっきも言ったけれど、キミがいなければ、私はここまで辿り着けなかったよ。祖父の死体を前に心折れ、使徒に殺されていた。キミは私の命の恩人だ。本当にありがとう」


 フレデリカは跪き、頭を下げる。

 いつもの気取ったような──貴族的を通り越して演劇じみた所作の立礼ではなく、ルキアに対して向けるべき、正しい礼儀作法に則った礼だ。フィリップ相手には過剰なものだが、フレデリカに恥や嫌悪の気配は無い。心の底からの謝意を感じられる、綺麗な所作だった。


 「じゃあ、またね。何か力になれることがあったら、恩返しをさせてくれると嬉しいな」


 普段のように颯爽と、とは行かず、フレデリカは重い足取りで図書館を後にする。

 その背に掛ける言葉を何も思い付かない自分の頭に苦笑が浮かび、それを拭うように思考を回す。


 使徒の探していた、フレデリカの祖父が見つけた“神を冒涜する書物”は、唯一神と教皇庁による文化侵略と虐殺の記録だった。或いは、「神による神殺し」、「神」を冒涜してきた歴史とも言える。


 唯一神の、一神教の正当性に疑義を唱える“冒涜”か。

 唯一神による、他の「神」に対する“冒涜”か。


 彼女の祖父がどちらの意味でそう表現したのかは、今となっては分からず仕舞いだ。


 「中身、何だったのか聞いてもいい?」


 控えめに尋ねるルキアに、フィリップは一先ず首肯する。

 人類圏外産の魔導書では無かった以上、ルキアに話して困ることなど何もない。


 あの部屋にあったのは、そう。


 「唯一神は卑小かわいいね、って感じの展示品がたくさん並んだ、プチ博物館みたいな感じでしたよ。石板とか粘土像とかがあって、結構面白かったです」

 「かわいい……? どんな像なの?」

 「え? えっと……像自体がかわいいというわけではないんですけどね?」


 ルキアも一部とはいえフィリップと似た価値観を持つ身だ。きっと理解してくれるだろうが、そもそもどう説明したものだろうか。

 なるべく楽しんでもらえる説明をしようと頭を回転させ始めたタイミングで、夕食時を知らせる鐘が鳴る。


 呼応するように鳴き声を上げた腹の虫を宥めるように胃の辺りを撫で、照れ笑いを浮かべたフィリップは、ルキアに向かってそっと手を差し伸べた。


 「ご飯を食べながら話しましょうか。端的に言うと、部屋にあったのは教皇庁の虐殺の歴史なんですけど」

 「……それ、本当に食事中に話してもいい話題なの?」


 突っ込みながらフィリップの手を取るルキアは、言葉とは裏腹に楽しそうに笑っていた。

 



 ◇




 教皇庁第一尖塔『天主楼』。

 教皇と枢機卿が公的な会議を執り行う大議事堂や、洗礼儀式を行う祭儀場などを有する、教皇領内で最も高い建物だ。


 その一室、懺悔室や告解室と揶揄される小さな応接室は、教皇や枢機卿が秘密の会話をするときの定番スポットだった。塔の中でもかなり高い階にあり、この部屋に入れるというだけで身分の高さを証明する。


 現在、その部屋はとある三人の密談に使われていた。

 彼らが揃って身に付ける緋色の聖職者服は、大陸で199人しかいない最高位司祭──枢機卿の証だ。



 一人は王国に対してとりわけ友好的な「王国派」の、フランシス・カスパール枢機卿。199人の枢機卿の中で最高齢となる77歳でありながら、いつ見てもきっちりと伸びた背筋や、綺麗なオールバックに撫でつけられた総白髪は、老い以上に威厳を感じさせる。


 一人は帝国に対して肩入れする傾向の「帝国派」の、ジョセフ・ライカード枢機卿。41歳と平均年齢が50歳を超える枢機卿の中ではかなり若い構成員であり、その事実は彼の自尊心を肥え太らせてきたが、最近では年には勝てないと自分の下腹を見ながら思うようになった。昔は六つに割れていたのだが、今や見る影もない。


 一人は他国に対して徹底して中立的な「中立派」の、アンジェリカ・ロウ枢機卿。52歳という年齢は枢機卿として平均的であり特筆すべきことは無いが、この中では紅一点となる女性枢機卿だ。見てくれは恰幅の良いおばさんといった風情だが、過去には「使徒」に所属しテネウの名を戴いていたほどの実力者だ。


 ソファーに掛けローテーブルを囲う彼らは、みな一様に司祭や枢機卿としての仕事の他に、もう一つ重要な役割を持っていた。

 それは、教皇領に於いて有り得ない職務──武力の一切を保有しないと明言している教皇庁の、軍事部門責任者という役目だ。


 カルト狩りの「使徒」。


 彼らが統括する軍事部門唯一の戦闘部隊であるその組織は、少なくとも公式には存在していない。

 しかし、これまでにもカルトを殺し、異端者を殺し、世界を平和に保ってきた。幾度となく、何て言葉では不足なほど、毎日毎日毎日毎日、延々と、永遠に。


 だからこそ、彼らがこうして一室に集まるというのは、次代の教皇を選定する大会議であるコンクラーヴェの日と、大洗礼の儀──四年に一度、国家の代表を通して国民すべてに祝福を与える大儀式の日を除いては、大変に珍しいことだった。


 そんな暇があったら、大陸中で、今この時にもどこかで遂行されている使徒の作戦を管理し、場合によっては直接指揮をしたい。

 近しい者をカルトに殺されたという過去を共通して持つ彼らにとって、軍事部門統括という立場は単なるお飾りではなく、天職なのだから。


 人間を十人単位で殺したという報告を常日頃から涼しい顔で、或いは復讐の昏い笑みと共に受けている彼らが顔を蒼白にして話し合っていたのは、王国より届いた一通の手紙についてだ。


 手紙を読んでから部屋を呑んでいた重苦しい沈黙を、額に汗を光らせたジョセフが破る。


 「もう一度お聞きしますが、ほ、本当に命令は下しておられんのだね?」

 「そ、そう言ったでしょう。だからこそ、我々が集まるほど厄介な事態なのです」


 問いかけたジョセフも、答えたアンジェリカも、声が震えている。

 最年長であるフランシスに至っては、声すら出せずに頷くだけだ。


 無理もない。

 手紙の送り主は大陸最高位の宗教的権威と言える彼らより、更に上の“宗教的象徴”とすら言える存在。人よりも神に近しい者。聖痕者、アヴェロワーニュ王国第一王女ステラ・フォルティス・ソル・アブソルティア。手紙には、ご丁寧にも王位継承者レックスの称号まで添えて署名されている。


 それだけなら気合の入った公文書というだけだが、内容が不味すぎた。

 内容は概ね「今回の使徒の作戦は極めて不合理なものであり、強い遺憾の意を表明する」といったところだ。あとはお決まりの「誠意と良識ある対応を求める」という定型文だが、それだけで、彼らが項垂れるには十分だ。


 現代の国家間協議に於いて、謝罪と言えば責任者の首である。馘首という意味ではなく、断頭台送りという意味だ。

 あとは首級を塩漬けにして、それを携えた使者が謝罪に赴いて一件落着。そういう文化が出来上がっている。


 勿論、彼らとて信仰に生き、信仰に殉じる覚悟を持った聖職者だ。

 自ら下した命令が誤っており、罪なき信徒を傷付けてしまったのなら、死して煉獄を彷徨い、罪を雪ぐことに躊躇いは無い。


 だから彼らが焦っているのは死を望まれていることではなく、誰が死ぬべきなのかが全く不明という点だ。


 「我々の命令なく使徒が動くなど、有り得るのか……?」

 「部隊指揮官のナイ司祭からも、我らに諫言が上がっておりましたな。頭越しの命令は指揮系統を混乱させると。何のことかと思っていたが、まさか……」


 呆然と呟くジョセフに、フランシスも取り繕った穏やかな笑みと共に応える。

 そして三人は同時に、深々と嘆息した。


 「天使の介入、或いは神託による御下知があったのだと考えるべきでしょうな」

 「またですか。いと高き方々には本当に困らされる」


 また、というジョセフの言葉通り、人に化けた天使や唯一神の神託が降り、“使徒”のメンバーが「命令していない命令」を受けて動くということは、過去に何度かあった。

 教皇庁の把握していないカルトや異端者を知らせてくれるのは有難いし、なにより有益なので受け入れてきたが……今回は別だ。このままでは、罪なき者が罪を背負わされ、死ぬことになる。


 いやそもそもそれ以前に、これまでに彼らが介入した時は、事後報告ながらも天使からの通告はあった。しかし、今回は何の音沙汰もない。

 まさか、命令を下した天使がなんてことは有り得ないし、もしかして──


 「天使ではなく、悪魔が介入したのでは?」


 フランシスの推論に、二人は一定の信憑性を感じる。


 「まさか、あのゴエティアの悪魔が?」

 「ふむ。聞くところによると、王都には強力なアトラクター──悪魔を魅了する体質の子供がいるらしいではないか。その子供を狙ったのでは?」


 ジョセフは本当に「ただ思い出したから言ってみた」といった軽い調子だったが、アンジェリカは瞠目するほどの衝撃を受けていた。

 思わずと言った勢いで立ち上がると、何かを思い出すように自分の額をとんとんと小突く。そして、脳内を駆け巡っていた既知感の正体に思い至ると、無作法にも構わず大声で叫ぶ。


 「そ、そうです! ステラ聖下の手紙にあるこの名前、どこかで目にしたと思ったら! 去年の悪魔騒動の折、ナイ司祭が保護したというアトラクターの子供ではありませんか!?」

 「なんだと!? で、では、今回の一件は悪魔によるものだと!?」

 

 聞きようによっては、彼らの推論は責任転嫁──悪魔に罪をなすり付け、死を免れようとしているだけにも思える。


 しかし彼らにとって、その事実を認めることは死よりも辛いことだ。

 使徒は教皇庁──一神教の総本山である彼らの擁する、一神教を守るための特殊部隊。それが一神教の大敵である悪魔などに、いいように扱われたなど。


 「こ、このことは……いや、聖下に隠し立てなど、罪を重ねる行為か」

 「左様。聖下にはこの旨、包み隠さずご説明せねばならん。説明には私が……否、全員で赴くべきか」

 「無論です。ステラ聖下にお会いできる機会……もとい、誠意ある対応をお見せしなくてはなりませんからね」


 ぽろりと煩悩を漏らしたアンジェリカに、二人の冷たい視線が突き刺さった。



──────────────────────────────────────



 キャンペーンシナリオ『なんか一人だけ世界観が違う』

 シナリオ7 『冒涜の禁書』 グッドエンド


 技能成長:【図書館】+1d4 【ナビゲート】+1d4 【考古学】+1d4


 特記事項:なし



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