第154話

 想定より少し時間がかかったものの、無事協力してくれることとなったルキアを中心に、フィリップとフレデリカは禁書庫への入り口である禍々しく巨大な門の前に立っていた。

 

 「中に入ると無数の本棚があるけれど、それらは全てダミーよ。本を取り出した瞬間に神域級攻撃魔術が起動する仕組みになっているから、絶対に触らないで」


 神域級攻撃魔術といえば、ルキアの『明けの明星』がそうだ。

 人類の最高到達点にして、通常は天使降臨とその補助を必要とする人外領域の攻撃。ダンジョン一つを丸ごと消滅させる火力すら有するもの。そのトラップともなると、流石のルキアも警告してくれるレベルか。


 随分と悪辣な仕掛けだと笑いつつ、二人はルキアの言葉の続きを待つ。

 そんな仕掛けがあるにもかかわらず「処刑室」ではなく「禁書庫」と呼ばれているということは、その中から本を取り出す手順があるはずだ。


 「中に入って左手側二番目の通路を進むと、二番目の本棚に『禁書目録』という本があるわ。場所は確か……下段の端だったかしら。それが、いわば禁書庫の司書ね。中は白紙で、本の名前か、本にまつわるキーワードを書けば、禁書庫は自動的に切り替わるわ」

 「切り替わる、ですか?」


 不思議な言い回しに首を傾げたフレデリカに、ルキアは珍しく鷹揚に頷く。


 「禁書庫は隔離空間ではあるけれど、具体性を持った実在の場所ではなく、異空間──天国や地獄のような、「地続きではないどこか」よ」

 「……なるほど、つまり、別の世界がまた別の世界に変わるということですか?」

 「えぇ。体感的には自分が移動したように感じられるし、そういう認識でも構わないけれどね」


 どちらにせよ、人類では再現不可能な魔術だ。

 転移もさることながら、空間一つの創造となるとまさしく神の御業。似たようなものがナイ教授の研究室を外観以上に広く頑丈にするためだけに行使されているし、何なら全く別の隔離空間でテストまでさせられたが、まぁそれはそれとして。


 「書き込むのにインクは要らないわ。指に魔力を纏わせて、なぞるだけ」


 ルキアの説明に顔を強張らせたフィリップだが、ややあって危ないところだったと胸を撫で下ろす。

 その視線の先では、フレデリカが「なるほど」と言いながら自分の指先に魔力を纏わせ、空中に無意味な筆跡を残している。これが簡単そうに見えて、フィリップの魔力操作能力ではかなり難しい芸当だ。魔力操作の練習の一環でたまにやるが、成功率は20パーセントくらいしかない。


 「何か質問は? ……無いなら、門を開けるわよ」


 二人が頷くのを確認して、ルキアはそっと門に手を当てる。

 そしてフィリップでも気付くほどの勢いで大量の魔力を流し込むと、蝶番どころか枠さえ無い、ただ立っているだけの『門』が、ゆっくりと開き始める。


 しかし一瞬の後には、二人の目の前には閉じられたままの荘厳な門が戻っていた。


 「え?」「な、何が……?」と困惑する二人を余所に、ルキアは門に手を当てた姿勢のまま魔力を流し続けている。そのまま何でもないことのように、一言。


 「幻影よ。私が開けたのに私がここに残っていたら、司書に怪しまれるでしょう?」


 なるほどと納得する二人だが、特に何の魔術行使も無くフィリップが気付く量の魔力を使い、その上でさらに魔術行使を完璧に秘匿した幻影魔術。ついでに言うと無詠唱で、対象となる物体もこれだけ大きいとなると、同時に実行するのは困難を極める。


 せめて門ではなく自分の方を隠せば難易度は多少下がるものの、それでは万が一の際にフィリップがルキアを見つけられず、問題解決が遅れてしまう可能性がある。


 「私は……そこで本を読んでいるから、問題が起こったらここまで戻ってくることを最優先にして」

 「ありがとうございます。何から何まで」


 深々と頭を下げたフレデリカに、ルキアは鷹揚に手を振る。

 鷹揚に、というところがミソだ。普段の彼女なら、もっとどうでも良さそうにするか、一瞥すらくれずに流す。


 まだ上機嫌が続いているようだが、何かいいことでもあったのだろうか。と、フィリップは大真面目に考えるが、今はそれよりも。


 「行きましょう、先輩。あまり悠長にしてると、ルキアの欺瞞がバレるかもしれません」

 

 魔術それ自体を見抜けるのはステラやヘレナといった同格だけかもしれないが、目の前にある普段通りの門はあくまで幻影。触れられないし、何の抵抗もなく通り抜けられる。つまり見るだけならともかく、手を伸ばせば一発でバレるということだ。


 「そうだね。行こうか」


 フレデリカがルキアに一礼し、先に禁書庫の中に入る。

 そのすぐ後にフィリップも続き──幻影の門を潜ると、至極色のカーペットが敷かれた大回廊と、両側に壁の如く聳え、どこまでも続く巨大な本棚が目に飛び込んできた。横を見ても、前を見ても、どこまでも続く通路と本棚が見える。


 図書館ではなく書庫という名前の通り、見渡す限り本棚だけだ。読書スペースや貸し出しカウンターの類は見当たらない。

 だからだろうか。先ほどまでいた図書館に感じる穏やかな温かさをまるで感じない、閉塞感と薄ら寒さだけの場所だ。


 ふらふらと吸い寄せられるように本棚へ近付いたフィリップは、好奇心のままに背表紙を眺めるが、どの本にも興味はそそられない。『死霊術原論』とか『不老魔術の論理破綻と対策』とか難しそうなタイトルばかりで、全然面白そうじゃなかった。


 「カーター君? そっちは右だよ?」

 「あ、すみません! ……流石に左右は分かりますよ」


 訝しそうなフレデリカの下まで小走りに向かい、そのまま並んで左側二つ目の通路に移動する。

 ルキアに言われた通りの場所には、確かに『禁書目録』というタイトルの本があった。


 もしトラップが発動したらどうしようと──二人の魔術的素養では成す術もなく死ぬしかないのだが──多少ビビりながら本を取り出したフレデリカは、一番初めのページを開く。しかしそれなりの分厚さがあって書きにくいことが判明したので、片手でも持ちやすくページも開きやすい真ん中の辺りを開き直した。


 深呼吸を一つ挟み、フレデリカは『神を冒涜する書物』と書き込む。


 魔力によって書かれた文字は本の中へと吸い込まれ──入れ替わるように、黒いインクで書かれた文字が、透明人間が書き込んだように現れた。

 白紙の中に一行、『該当蔵書が複数の書庫に存在します。条件の追加が必要です』と。


 その文字は読むのに十分な時間の後に、紙の中に沈むように消えていく。再検索しろということだろう。


 フレデリカは納得したように片眉を上げて頷き、『神を冒涜する書物』の他に、『歴史・秘匿・冒涜』と書き加えた。


 そしてもう一度、魔力で書いた文字が吸い込まれ、代わりに文字が書き込まれる。


 『該当書架:1件 ……“大罪書庫”』

 『自動防衛プログラム・コクマーを起動中……』

 『自動防衛プログラム・コクマーより天国への申請:座天使降臨・閲覧者排除』

 『天国より解答:エラー。プログラム名“コクマー”該当なし』


 「……?」

 「どうしたんですか?」


 眉根を寄せて首を傾げるフレデリカと、身長差から背伸びをして彼女の持つ本を覗くフィリップの前で、本は独りでに文字を出力し続ける。無機質に、無感動に、淡々と。


 『座天使長ラジエルより解答:ディレクトリ名“大罪書庫”およびプログラム名“コクマー”の申請を承認』

 『“大罪書庫”閲覧希望者確認……2名』

 『座天使長ラジエルより天国への申請:降臨実行・理由秘匿』

 『天国より解答:申請を承認』

 『天国より通告:天使降臨・個体名“【座天使長】ラジエル”』


 『座天使長ラジエルより通告:』


 ……『断罪執行』


 「っ!?」

 「伏せて!」


 身構えたフィリップと、そのフィリップを柔らかなカーペット上へ押し倒したフレデリカ。

 その違いは、現状認識と脅威判定の正確さ──或いは価値観の相違だ。


 どのような敵が出てこようと最終的には問題にならないし、大抵の相手なら「殺せばいいのだろう?」と最速にして最も稚拙な解決策を取れるフィリップ。ここ最近の戦闘訓練で「身構える」ことくらいは覚えたものの、根本的な価値観は変わらない。


 対してフレデリカは魔術戦だけでなく、戦闘経験が浅い。

 もちろん魔術学院に籍を置く以上、魔術戦の訓練は授業や試験で受けているだろうが、彼女のクラスは2-F。Aクラスから魔術適性が高い順に割り振られるので、Fクラスは落ちこぼれだ。戦闘能力も相応に低い。


 目を閉じていても目蓋を白く染め上げるほどの光が閃き──一瞬の後に、目に映る景色は一変していた。


 黒紫のカーペットも、聳えるような本棚も、そこに収められた無数と言える量の本も、何も無い。

 あるのは真っ白な地面と、真っ白な空。遠くに見える白い地平線。


 妙に覚えのある光景だが、ナイアーラトテップが作った場所とは違い、足元が妙に柔らかく、白い霞のようなものもかかっている。

 喩えるなら、雲の上にでもいるような感じだ。


 「……ここは?」

 

 二人とも床に伏せていたはずなのに、気付けばそこに立っていた。

 視界どころか姿勢さえ不連続で、頭がくらくらするような感覚がある。酔ったのか、それとも混乱か。薄くぼやける視界を、頭を振って取り戻す。


 「うぇ……先輩、無事……ですね。よかった」


 クリアになった視界の隅で動くものを見つけ、視線を向けると、フレデリカが頭を振りながら立ち上がるところだった。


 「あぁ……カーター君も、無事だね」

 「はい」


 正直、「無事」と一口に言いたくない程度には気分が悪いが、一時的なものだろう。

 視界は戻ったし、立って歩ける。なら、今はのんびり横になるのではなく、ここを出る方法を探すのが優先だ。


 「先輩、ここは……出口はあるんでしょうか」


 見渡す限り、白い靄と白い床、白い天井だ。

 あまり長くここにいると雪眼炎にでもなりそうなほど、無機質な白さが目に刺さる。


 大方、件の座天使長ラジエルとやらに閉じ込められたか、或いはそのラジエルと戦う──ラジエルが二人を殺すための処刑場か。そのどちらかだろう。どちらにせよ、出口の存在は望み薄だ。


 出所は分からないが、かち、かち、と硬質なものが触れ合うような音が、短い間隔で断続的に聞こえてくる。

 もしかして時間制限でもあるのだろうかと、一先ず現在時刻を確認する。時間が止まっているようなこともなく、針の進みが不自然に早かったり、遅かったりもしない。

 

 「ラジエルを探して殺した方が早そうですけど……そもそも天使って死ぬんですか?」


 命があるなら死ぬ、精神があるなら発狂すると決めつけるのは早計だ。

 フィリップ自身が例外ということもあって、これに関しては断言できる。勿論、不死の存在を殺す手段なんて幾らでもあるし、外神が干渉するのなら権能でどうとでもできる。特に恐れる必要はない。


 ただし、恐れる必要がないだけだ。最低でも邪神招来を使わないとどうにもならない相手、今のフィリップが単身で立ち向かうことはできない相手だといえる。


 「先輩……レオンハルト先輩?」


 え? 無視ですか? と、ちょっと悲しくなりながら振り返ったフィリップだが、フレデリカはそれどころではない状態だった。


 両腕で守るように自分の身体を抱き締め、しゃがみ込んで震えている。先ほどからかちかちと聞こえていたのは、歯の根が合わなくなった彼女が原因だ。

 顔は蒼白で、呼吸も荒い。しかし目だけは、震え、瞬きながらも、遠くの一点を見つめて動かない。


 「どうしたんですか? あっちに何か……?」


 フィリップもつられて視線を向けると──見るからに「見てはいけないものを見た」といった風情のフレデリカがそこにいるのに、全く無警戒に同じ方向を見るのは流石としか言えない──顔を判別できない程度の離れたところに、悠然と立つ人影が見えた。


 遠目に分かる情報は少ないが、若い男のようだ。

 白いバスローブ……いや、ドレスだろうか。ゆったりとした服を着ていることくらいしか判別できない。


 「……?」


 見る限り、フレデリカが言葉も出ないほど怯えるような相手には見えない。

 フィリップが分からないような部分──例えば、服が錬金術製のとんでもない代物だとか、魔力の質がとんでもなく高いとかだろうか。


 まぁ、何でもいい。

 いまこのタイミングで姿を見せたということは、十中八九、座天使長ラジエルの使いか何かだろう。なんとか交渉できたりしないか、試す価値はある。


 「すみません! 座天使長ラジエルの御遣いとお見受けします! えーっと……単刀直入に申し上げて、交渉がしたいのですが!」 


 高々と挙げた手を大きく振り、声を張り上げながら堂々と歩いていくフィリップは、友達と待ち合わせでもしていたような気軽な足取りだ。その背中に、フレデリカが正気を疑うような視線を向けていることなど気付きもしない。


 「す、すごい。これだけの神威を浴びて、何も動じていないなんて……」


 歯の根も合わないほどに震えながら、フレデリカは独り言ちる。

 彼女の目には、肌には、外界を知覚するありとあらゆる感覚器官には、フィリップを興味深そうに睥睨する人影が、とても強大で恐ろしく、そして何より神聖なものとして捉えられていた。


 それもそのはず、というか、それが正常だ。

 何故なら。


 「訂正しよう。私こそが、座天使長ラジエルだ」


 座天使──天使の階級の中で上から三番目の高位天使たち。

 その長であるラジエルは、人間では仰ぎ見ることしかできない高次存在であり、首を垂れるべき神聖なものだ。目の前に立っているだけで、彼の存在から迸る神威が強烈なまでに肌を打ち、目を焼き、脳を犯す。


 そんな相手を前にして、フィリップは「へぇ」と軽い相槌を打ち、一言。


 「へぇ。意外と人間みたいなんですね、天使って」




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