第152話

 

 馬車の中でフィリップとフレデリカに事情聴取を行ったステラは、翌日、肩を怒らせて再び王城へと向かった。彼女の立場なら、或いは帰宅したと言うべきなのかもしれないが、彼女自身が「ちょっと王城に行ってくる」と言っていた。

 「何しに行くんですか?」とは聞けない空気だったのだが、それは余人であればの話。ルキアが聞いたところ、「政治」とだけ返された。


 一般人かどうかという疑問は解けないものの、貴族か一般人かという二元では間違いなく一般人に分類されるフィリップには、縁の遠い話である。ステラも第一王女、次期国王として、実働の部分には然して関わらないはずだ。調査・報告・対外交渉・書類作成などの実務は文官が担当する。


 ……普段なら。

 国内外の問題は、普段ならどれだけ大事でも宰相が指揮を執り、最高責任者となって事に当たる。王は大まかな指針を決めるくらいだ。


 ただ今回ばかりは別だ。

 ステラはフレデリカの頭脳を高く評価していたし、数少ない──こんなことを言うと不敬かもしれないが──友人を殺されかけたとあって、「強い遺憾の意を表明する」つもりだった。具体的には、今回の作戦にGOサインを出した枢機卿の首一つで勘弁してやろうと言ったところか。


 塩漬けの首を送ってくるならそれで善し。断られたら、今回の一件を国内だけでなく諸外国にも公表する。そうなれば今後の活動がさぞかしやり辛くなるだろう。誰だって冤罪で処刑されたくはないのだから。


 こんな強気の対応が出来るのは、聖痕者──一神教のトップである教皇以上の宗教的権威であるステラくらいのものだ。ヘレナにも出来るかもしれないが、彼女が持つ人脈や情報網は侯爵レベルのものでしかない。速度と強度を考えると、一国を使えるステラが勝る。


 

 そんなわけで王城に向かったステラとは違い、フィリップとルキア、そしてフレデリカは、日曜日らしくのんびりと過ごしていた。


 昼食を終えた昼下がり。

 フィリップはこの時期でも陽気の暖かな時間帯に、中庭の芝生に寝転がって、夏よりも遠くに見える青空と流れる雲を眺めていた。


 「……暇なんですけど。やっぱり今からでも探しに行っていいですか?」

 「駄目よ。ステラに言われたでしょう? 今日一日は外出禁止」


 フィリップがぼやくと、すかさずルキアが釘を刺す。


 彼女はごろごろと芝生の上を転がるフィリップから少し離れた木陰に座り、幹に背を預けて本を読んでいた。何のことはない、魔術学院生なら普通にやるようなことのはずなのに、ルキアがやると有名な絵画のように美しく映える。黒いゴシック調のワンピースという休日の装いや、そよ風に揺れる銀色の髪が木漏れ日を受けて輝く様などは、フィリップもマザーを想起するほどだ。


 さておき、ステラはフィリップだけでなくフレデリカにも今日一日の校外外出の禁止を言い渡していた。その理由は勿論、安全の確保にある。


 現在、“使徒”の活動は停止している──と、断言することは難しいのだ。

 王国と教皇庁を結ぶ長距離交信手段は幾つかあるが、最も速く、最も信頼出来るのは、特定の魔力に反応して開封される錬金術製の特殊な封蝋で綴じた手紙を、召喚術師が使役するスティンガーイーグルという魔物に運ばせる手法だ。


 この魔物は地上での戦闘能力は低いものの、飛行能力が極めて高い。単純な巡航速度でドラゴンに次ぎ、サイズで下回るため回避性能ではドラゴンを超える。戦闘能力では比べるべくも無いが、たとえドラゴンに襲われても逃げ切れるかもしれないというのが高評価の理由だ。


 この方法であれば、馬を常足で駆って教皇庁に向かうと二か月かかるところを、なんと一日足らずで手紙を届けることができる。


 ……が、しかし。つまりそれは意思の伝達だけに一日近く要するということでもある。

 昨日の昼頃に使者がルキアとステラの名前を出し、王都に居た部隊は撤収させただろう。しかし、その時点でこちらに向かっていた後続部隊が存在しないとは限らない。そのような後詰めが居た場合は、今頃は彼らに向かって作戦中止の報が届けられている最中だ。


 昨日ステラは「もう大丈夫」だと言ったし、事実としてその時点では安全だったのだが、今はその限りではないということだ。


 「ここには学院長の結界魔術もあるし、私もいるから、手出しはしてこないわ」

 「……まぁ、そうかもしれませんけど」


 面倒な話だと思う。

 ……そうだ。一神教から破門されてしまったら人間らしい生活を送れなくなるというのなら、先に一神教の方を滅ぼしてしまえばいいのではないだろうか。……いや、駄目か。宗教団体としての一神教を潰した──教皇庁の関係者を全員殺したとしても、大陸の人々に根付いた信仰心までは消え去らない。むしろ、滅ぼされたジェヘナが神格化してより面倒なことになりそうだ。


 信仰心を一神教から別の物にすり替えて──駄目だ。すり替える先が一つしか思い浮かばないし、そんな世界になるくらいなら死んだ方がマシだ。


 「フィリップ?」


 想像するだに悍ましい未来を思い描いて勝手に瞳を濁らせていたフィリップは、ルキアの声で現実に引き戻される。

 フィリップの異変に気付いたのかとも思えるタイミングだったが、彼女の視線はフィリップではなく、中庭を通る渡り廊下に向いていた。


 「さっきから呼ばれているけれど、気付いた上で無視しているの?」

 「え?」


 慌てて上体を起こすと、渡り廊下からこちらに向かって手を振る人影が見えた。日向に居るフィリップからは光の加減で見えづらいが、眉目秀麗な男子生徒のように──あ、いや、違う。フレデリカだ。

 よくよく耳を澄ませば、無作法にならない程度に声を張って「カーターくーん」と呼んでいるのも聞こえる。


 「全然気付きませんでした。ありがとうございます、ルキア。ちょっと行ってきますね」


 軽快に駆け出したフィリップの後に、ルキアもゆっくりと続く。


 フレデリカはフィリップが挨拶をするが早いか、その両肩をしっかりと掴み、双眸を興奮と好奇心に爛々と輝かせて叫ぶ。


 「分かったよ、カーター君! 隠し場所も、見つけ方も!」

 「……本当ですか?」


 周りが見えていないのではと危惧させるほど興奮しているフレデリカに落ち着けと手振りで示しながら、フィリップは周囲を確認しつつ問いかける。

 学院の中に教皇庁が侵入してこないのは確定だとしても、他の生徒だっているし、“神を冒涜する”なんてワードは大声で周知させたいものではない。


 「それは何処に? やっぱり学院の中だったんですか?」

 「あぁ、予想通りにね!」


 言葉遣いや立ち振る舞いは、いつものフレデリカ──演劇に登場する貴公子のような、堂々として麗しいものだ。しかし、青い瞳の奥には憎悪と希望、そして狂気的な好奇心と探求心が見て取れる。

 祖父を殺されたことへの憎悪。蘇生が叶うかもしれない希望。そして、死者の蘇生という新しい法則・技術に繋がる発見を願う気持ちが、彼女を突き動かすモチベーションだ。


 彼女の祖父が書き換えた『錬金術原論』をオリジナルと比較し、相違点からヒントを探し出す作業は終わったのだろうか。あの厚みと重みはまるきり鈍器だったのだが。それに、あの公園では結局、何も見つけることは出来なかったはずだ。今日は校外に出ていないはずだし、昨日の時点で見つけていた訳でもなさそうだが。


 「何処──」

 「禁書庫だよ! 魔術学院大図書館の中央に聳える門から続く隔離空間!」


 一歩踏み出しながら食い気味に答えたフレデリカに気圧されつつ、フィリップはもう一度手振りで落ち着けと示す。今度はフィリップの目線より高い位置にある肩を少し強めに押さえつけたからか、彼女は踏み出した一歩分、後ろに下がった。


 「あの、先輩? あそこって確か、一般生徒は立ち入り禁止なんじゃ」

 「うん。だから、これから学院長に許可を貰いに行ってくる。先に図書館で待ってて!」


 言うが早いか、フレデリカは校舎に向かって颯爽と駆け出してしまった。後には今一つ状況を理解できていないフィリップがぽつんと一人残される。

 少し遅れてルキアが来た頃には、フレデリカの後ろ姿は曲がり角を曲がって見えなくなっていた。


 「何だったの?」

 「例の本が、図書館の禁書庫にあるらしくて。入る許可を貰いに行ったみたいです。僕は先に図書館で待っててくれと」


 ルキアも昨日何があったかの説明は馬車の中で聞いている。

 フィリップとフレデリカが探していた物が土産物などではなく、教皇庁が子供を殺して奪うレベルの代物であることも、説明するまでもなく理解していた。


 フィリップとしては、彼女が「探すのは止めて」とか、或いは「手伝うわ」とか言い出すのではないかと心配だったのだが、彼女も、そしてステラも、フィリップの行為に口を出すことはしなかった。

 もしかしたら“神を冒涜する書物”というワードから、フィリップと同じものを連想していたのかもしれない。それに対処できるのはフィリップだけだと知っているから、口を出したくても出せなかったのだろうか。


 彼女は「そう」と静かに頷き、一瞬だけ考え込むように視線を流す。結論はすぐに出た。


 「なら、私は本でも読んでいるわ。手伝えることがあったら言ってね?」

 「あ、はい。その時はお願いします」


 一緒に図書館に向かった後は、ルキアは「ここにいるから、終わったら、もしくは必要になったら声を掛けて」と読書スペースに向かった。フィリップは図書館の中央にある、巨大な鉄扉──高さ6メートルもの大きさを誇り、それを支える枠を持たない異質な物体、禁書庫への門の傍でフレデリカを待つ。


 相変わらず、どうやって自立しているのか不思議なものだ。見てくれは厚さ20センチほどの鉄の板なのだが、何かに支えられたり、吊られたりしているわけでもないのに、重厚感すら湛えて聳え立っている。

 表面には炎や龍、悪魔などの彫刻が彫り込まれ、禍々しい印象を受ける。上の方には「神威と至高の智が我を創り、我が前に創られしものは無い」と彫られているのだが、あれは聖典か何かからの引用なのだろうか。


 折よく、ここは図書館だ。探せば聖典なんて十冊単位で置いてあるだろうし、フレデリカが来るまでの暇つぶしに調べてみよう。


 司書に聖典は何処かと聞いてみると、なんと聖典専用の本棚があるらしい。同じ版の本が140冊以上も並んでいるのを見ると、流石に引き攣った笑いが浮かぶ。


 しばらく聖典の文字列を追っていると、場所に配慮して控えめに抑えた声で呼ばれた。


 「カーター君、お待たせ」

 「レオンハルト先輩」


 学院長に禁書庫へのアクセス権を貰いに行った彼女は、目に見えて落ち込んで帰ってきた。聞くまでもなく分かるが、


 「駄目だ、と言われてしまったよ……。そこは元より、人目に触れさせるべきではないモノを封じた場所だから、そこにあるのなら、そこに閉じ込めたままにしておけとね」

 「ははは……それはまた、正論ですね」


 フレデリカが声真似をして言ったヘレナの言葉は、何ら間違っていない。パンドラの箱は閉じたままでいるべきだと、フィリップだって思う。或いは、カルトの儀式の所為でこんなことになってしまったフィリップだからこそ、か。


 そして、既に変質してしまった以上、フィリップは人間基準の正しさなんぞには拘泥しない。縛り付けるというのなら、その枷を砕いて自分の価値観を押し付ける。

 どんな手を使ってでも押し通るし、それが人類圏外産の、フィリップの住まう人間社会を穢す魔導書なら、幾百万の罪なき書物諸共にでも焼き尽くす。


 「門をブチ破るとか、出来ないんですか?」

 「それは不可能だろうね。禁書庫の門は何百年も前に、天使降臨の儀式を介して作られた人の手にあらざるものクリエイテッドだ。人間の作るあらゆるもの、人間の使うあらゆる魔術の干渉を跳ね除ける力を持っている」


 フィリップはここで、じゃあナイ教授でも呼んでくるか、と短絡的な思考はしない。

 予想が付くのだ。フィリップの言葉を聞いたナイ教授が「学院長がそう仰ったのならぁ、いち教師でしかない私にはどうしようもないですねぇ。でもでも、フィリップくんがどうしてもって言うならぁ」と、うざったいほどに媚びた声で煽り散らかしてくると。

 

 まぁ、最終手段の一つとして頭の片隅には置いておくが。


 「カーター君、サークリス聖下と仲がいいんだよね? 彼女は確か禁書庫へのアクセス権を持っていたはずだから、頼んでみてくれないかな?」


 ダメもとで言ってみた、という表情のフレデリカと同じく、フィリップもそれは一案だと思う。


 だが、果たして禁書庫を開けるだけでルキアの気が済むだろうか。

 彼女は意外と面倒見がいいし、責任感も強い。フィリップが助けを求めたのなら、自分が発狂するリスクがあっても──いや、確実に死ぬと分かっていても、その身を投げ出すだろう。


 そんな美しい人間性を知って、惹かれたからこそ、フィリップはいまここにいる。

 彼女を筆頭とした美しい人々を守るために、“神を冒涜する書物”を探している。


 フィリップがステラと同じくらい強ければ、ルキアに門を開けて貰ったあと、魔術を使って強制的にでも彼女を遠ざけることができるのだろう。

 だがフィリップにそんな力はない。フィリップに出来ることは──


 

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