第151話

 流石は第一王女の身辺警護を任される騎士、と褒めるべきだろう。

 フィリップの保護を命じられ、その保護対象を取り囲んでいた彼女たち5人は全員が、フィリップの纏う雰囲気が変化したことに気が付いた。


 殺気は無い。敵意も無い。当たり前だ。

 眼下で群れる蟻を踏み潰すのに殺意は要らない。耳元を飛ぶ羽虫を払うのに敵意など湧かない。あるのはただの反射と無関心と、手の中に握り込んだ大切な何かを失うことへの、或いは靴底が汚れるかもしれないという程度の、小さな恐怖と忌避感。


 そんな僅かな感情の揺らぎから攻撃が来ると判断できたのは、流石の一言に尽きる。


 「先輩、伏せて──」


 と、フィリップが色々と諦めようとした、その時だった。


 「お待ちください、カーター様」


 聞き覚えのある声で制止され、フィリップはフレデリカや他の女性たちと同じように、弾かれたように声の方向に視線を向ける。


 この期に及んでまだ敵が増える、と懸念したわけではない。

 フィリップは声の主が誰なのかきちんと覚えていたし、その素性も分かっていた。


 視線の先で、どこか呆れたような微笑を浮かべて佇む、静かで儚げな雰囲気の女性。彼女はモノクロームのクラシカルなメイド服を身に付けており、スカートを軽く持ち上げてカーテシーをする。その所作は教科書通りから少し崩れていたが、それが却って彼女に似合っていた。


 「覚えておいででしょうか。私は──」

 「メグ? どうしてここに?」


 言葉を遮って質問を投げる無作法にも微笑を崩さない彼女は、マルグリット・デュマ。サークリス公爵家のメイドであり、ルキアの護衛。そしてフィリップは知らないことだが、二つ名持ちの暗殺者でもある。


 「ルキアお嬢様より仰せつかり、お迎えに上がりました。彼女たちも同様に、ステラ第一王女殿下の命を受けた者たちですから、どうぞご安心を」


 右手にウルミを持ち、左手を魔術照準の補助に使うため伸ばした状態の、完全に戦闘態勢のフィリップを見て、くすくすと悪戯っぽく笑うメグ。その屈託のない笑顔を見れば、包囲されたこの状況に危険が無いことは容易く信じられた。


 敵ではないのなら殺す必要はない。彼女たちも、向こうの方で「あの人たちは何をしているのだろう」と今更ながら不思議そうな視線を向けてくる家族連れも。


 そのことに微かな安堵を抱き、フィリップは溜息を吐く。

 身の危険を感じていなかったフィリップでさえこの反応なのだ。死ぬかもしれないという恐怖を抱き続けていたフレデリカの反応はもっと大きかった。


 「た、助かった……?」


 その場に頽れるような勢いでへたり込み、天を仰いで安堵を口にする。神への感謝や祈りが出てもおかしくない場面だったが、彼女は一言も神に向けて語り掛けなかった。


 「じき、ルキアお嬢様と第一王女殿下がこちらに──」

 「第一王女殿下とサークリス聖下が、ですね」

 「いらっしゃる──何か?」


 フレデリカの肩を叩いたり、「僕の勘違いでしたね」と笑いかけたり、弛緩した空気を漂わせていたフィリップとフレデリカの前で、緊迫した空気が流れ始めた。


 え? なんで? 味方同士なんじゃないの?

 そんな困惑の透ける視線を両者の間で彷徨わせるフィリップ。フレデリカはそんな光景で漸く安心感を得たのか、小さく笑いを溢していた。


 「仮にもサークリス公爵家の侍女ともあろうお方が、こんな基本的な言葉遣いも身に付けておられないとは。こういった場合、身分序列の高い方の名前を先に挙げるのが礼儀でしてよ」

 「あら、我が主人であらせられるルキアお嬢様のご友人にして、第一王女殿下のご学友でもあり、此度は保護するよう命じられたカーター様を、このような大人数で取り囲むばかりか敵と誤認されるような振る舞いまでしていた方が、“礼儀”という単語をご存知だなんて」


 二人はにこやかに、同じ命を受けた者同士、知己に対する笑顔で会話する。しかし二人を取り巻く空気は、どうしようもなく険悪に張り詰めていた。


 しかし一触即発という雰囲気ではない。


 親衛隊の人はあくまで常識と良識を備えた善人であり、王女の傍に仕えるだけあって精神力は強靭に鍛え上げられている。二つ名持ちの暗殺者という冗談じみた相手を前にしても、恐れから先制攻撃を仕掛けることはない。敵対者であれば容赦なく切り伏せるだけの苛烈さもまた持ち合わせているが、同時にそれを抑え込む理性も持っていた。


 対するメグだが、彼女は破綻者だ。相手を殺そうと考えるより早く手が動くことだってある。しかし、彼女だって馬鹿ではない。主であるルキアの友人の配下を殺すことが、主人の不利益になるということは十分に理解していた。普段なら単純かつ明快な「全員殺せば完全犯罪」を実行するところだが、フィリップだけは殺せない。それはルキアの逆鱗に触れる行為だ。


 貼り付けた笑顔で、声を掛けることも躊躇わせるような空気を漂わせていた二人は、何かに気付いたようにはっとする。そして全く同時に、服を翻すほどの勢いで公園の入り口に向かって跪いた。


 フィリップもつられて視線を向けると、外の通りに一台の馬車が止まっているのが見えた。ここからでも絢爛豪華な装飾と、軍馬のように立派な二頭の輓馬、そして馬車の上ではためく王国の紋章が見て取れる。


 妙に見覚えがあると言うか、今朝に見たような気がする。

 フィリップが記憶を辿るまでもなく、馬車の中から現れたのは、四人の鎧騎士を護衛として引き連れたステラと、アリアを背後に従えるルキアだった。


 「王女殿下に、サークリス聖下」


 フレデリカも慌てて姿勢を正し、跪く。

 そんな彼女に一瞥をくれた二人は、まっすぐにフィリップの下まで歩み寄ってきた。


 「無事だな、カーター」

 「フィリップ、大丈夫? 怪我はない?」


 ステラは確認作業のように淡々とした口調で、ルキアは声色だけでなく表情までも心配そうに、フィリップの無事を確かめる。


 「泥だらけだが……何故ウルミを抜いてる? 何かあったのか?」

 

 フィリップに尋ねるステラの声色は硬く、その視線は親衛隊の全員に鋭く投げかけられる。手荒な真似はしなかっただろうなと、声に出さずとも問い詰められているのが分からない者は、親衛隊の中にはいない。


 「いえ、我々が着いた時には、既に」

 「……フィリップ、本当?」

 「あ、はい。本当です。僕の方が勝手に勘違いして、攻撃しそうになったぐらいで。お仕事を邪魔してしまって、すみませんでした」


 ぺこりと頭を下げ、軽い謝罪をするフィリップ。彼女たちも、先ほどまで公園に居た家族連れも殺しかけていたのだが、罪悪感はまるで無かった。それは謝罪の理由からも分かるだろう。

 いや、たとえ彼女たちを殺していたとしても、フィリップが罪悪感を抱くことはない。あったとしても、叩き潰した蚊が血を吸わないオスだった、くらいの「無駄なことをしたな」という感傷の方が大きいはずだ。


 主人の会話を妨げぬよう、跪いた姿勢のまま気配を消していた彼女たちは、苦笑交じりに「いえ」と首を振る。


 「焦るあまり、気が立っていた私たちの無作法が原因です。申し訳ございませんでした、殿下、カーター様」

 

 謝るのはこちらです、と言いたいところだが、このままでは話が進まない。

 フィリップはウルミを仕舞い、二人に向き直る。


 「ところでお二人とも、状況は分かってるってことですよね?」

 「あぁ。お前を狙っていた連中──教皇庁の“使徒”だが、既に外交ルートを通じて撤収させた。もう大丈夫だ」

 「えぇ。一先ずは安全よ」


 同じことを言っているようで、妙にニュアンスの違う二人の言葉に、三人ともが首を傾げる。

 そしてまずステラが、すぐにルキアが、互いの意図に気が付いた。


 ステラは、この話はここで終わりだと、使徒が撤収したことで状況は終了だと思っている。

 対するルキアは、この後のことまで考えている。即ち、報復である。今後も戦闘が続くと考えているから、「一先ずは」なんて但し書きが付いていたのだ。


 「……カーター、追手を殺したか?」

 「はい。あ、いえ、僕じゃなくてマザー──あー……説明がすごく難しいんですけど、僕の味方の神官様が」


 マザーの名を出した途端に、ルキアが制止するような目を向ける。だが名前を出す前ならともかく、口にした後ではもう遅い。


 しまった。ここは大人しくナイ神父が殺したと言っておけばよかった。

 そう考えるも、後の祭りだ。


 「味方の神官? よく分からんが……死体はどうした? いつ、どこで、どう殺した?」

 「あー……えーっと……2時間くらい前に投石教会で。死体はナイ神父が処理したと思います。どう……は不明ですね。僕も先輩も直接見てたわけじゃないので」


 ステラも良く知る人外の名前を挙げられ、彼女は「あいつか」と頭を抱える。


 現状、ステラがナイ神父について知っていることは非常に少ないが、それでもハスター以上の化け物であることと、その気になれば何だって出来ることは知っている。ステラだって、死体を骨も残さず焼き尽くすことは可能なのだ。ナイ神父は灰の一つも証拠を残さず、完璧な隠滅をしていることだろう。


 それは非常に面倒だ。

 いや、フィリップを殺そうとしていた相手だ。殺すのは確定していたし、たとえ無傷で捕えていても、然るべき手続きの後に処刑していた。それはいいのだが、死体が無いことと、死に様を知らないことは問題だ。


 王国側としては、今回の一件を完全に把握しておきたい。

 誰が、何をして、どういう末路を迎えたのか。死者は何人で、誰が誰を殺して、王国の損害は最終的にどの程度なのか。


 教皇庁を徹底的に糾弾すべきか、或いはほどほどにしておくべきなのか。


 報復すべきか。否か。それすらも、状況が分からないことには判断しかねる。

 報復なんて過剰なくらいでちょうどいい、一発殴り返しておこう。王国側としてはそう考えてのことも、状況が分からなければ過剰攻撃どころか一方的追撃だった、なんてことも有り得る。


 「そもそも、どうしてお前たちがカルトだと言われていたのか。それも分からない状況ではな……。とにかく、二人とも馬車に乗れ。色々と聞かせて貰うぞ」

 「……フィリップが疲れていないなら、だけどね」


 さらりと釘を刺したルキアに、ステラは仕方ないかと言いたげな溜息を返した。



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