第150話

 図書館の次の目的地、今日一日の大冒険の終着点は、フレデリカが子供の頃に遊んだという広場らしい。

 これまでの場所は全て室内、それも誰かに守られた場所だったが、最後の最後にオープンな場所だと、本当にここで合っているのだろうかと不安になってしまう。


 広場は一面に芝生が敷かれ、よく手入れされて色鮮やかだ。踏み心地もいい。

 植栽もきちんと剪定されていて、冬に咲く幾つかの花が彩を添えている。特に遊具などは無いが、縦横100メートル近い広大な緑地だ。走り回る子供たちと、木陰で見守る親たちで賑わっていた。


 じき夕焼けが始まる時刻とあって、ちらほらと「帰るぞー!」と子供を呼ぶ声も聞こえてくる。二等地第三公園という何とも無機質な名前の書かれた看板も、この空間にあっては、なんだかよいモノのように感じられるから不思議だ。


 「広い公園ですねー……」

 

 ちょうど中央の辺りに何かの石碑が見える。それ以外は、本当にだだっ広いだけの場所だ。


 「見るからに怪しいって感じではないですけど、見に行きますか」

 「そうだね。あ、ちょっと? ……あははは」


 取り敢えず石碑を見てみようと方針を確認するや否や、芝生の上を駆け出したフィリップ。

 子供の、或いは男の子の本能なのかな、と、フレデリカは公園の中で遊んでいる子供たち──中にはフィリップと同年代くらいの子もいる──と、先を走るフィリップの背を見比べて笑う。実際、フィリップが走り出したのは全くの無意識と言うか、目の前に広がる綺麗な芝生を見たら身体が勝手に動いていたので、本能というのはあながち間違いではない。


 呆れつつも小走りで後を追うフレデリカより一足先に石碑に着いたフィリップは、2メートル以上はある大きな石を見上げ、洒落た字体で彫り込まれた碑文を読む。


 『神が第一にお創りになったもの。それは愛である』


 「……ん?」


 なんだか含蓄のありそうな、しかし知識とは一致しない言葉に、フィリップは首を傾げて記憶を確かめる。


 確か、一神教の聖典では、世界創造は「光」から始まったはずだ。熱心な信者では無かったフィリップだが、田舎にいた頃はミサにも出ていたし、聖典だって何度も読んだ。第一章第一節、創世の話くらいは、流石に覚えている。


 神は初めに「光あれ」と言われた。神は光と闇を分け隔て、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。

 ……確か、そんな感じの文だったはずだ。


 「先輩、これって間違えてませんか?」


 少し遅れて石碑のところまで来たフレデリカに問いかけると、彼女は「あぁ」と納得と苦笑の混じった表情になる。


 「あぁ、うん。「神は光を始めに作ったのでは」ってことだよね? これは聖典からの引用じゃなくて、詩人の言葉だよ。神の威光と至高の智、それらにも先んずる始原の愛──二年生になったら、授業で読むことになると思うよ」


 フィリップは「へぇ」と適当な相槌を打ち、もう一度石碑を見上げる。石は火山岩系の何かで、彫りこみは昔ながらの工具、その上から錬金術製の耐風化剤か何かでコーティングした、至って普通の石碑だ。文字は装飾されているものの、大陸共通語で書かれている。邪悪言語ではない。


 「これは関係無さそうですね」

 「昔からあるものだしね。手分けして、公園の中を探してみよう」


 フレデリカの提案に頷き、フィリップは取り敢えず広場をぐるりと取り囲む植え込みの中を探すことにした。


 蜂とかいたらどうしようと一瞬だけ心配になったが、今は冬だ。蜂が活動するような時期ではない。木のうろとか、根の近くの穴にだけ気を払えば十分だろう。


 文字通り草の根を分けて手がかりを探すこと十数分。

 低木を搔き分け、他と比べて土の柔らかいところを見つければ掘り返し、木に登って鳥の巣を覗き込んだりしていると、見るからに不自然に積まれた石を見つけた。その下の地面は、つい最近掘り返されたように柔らかく湿っている。


 これは怪しいを通り越してここに違いないと断定して掘り返したフィリップは、馬車に轢かれて潰れた小動物の死骸を見つけた。


 「くっさ! 全然違うじゃん!」


 冬場だが、土の下というのは意外と温かい。腐敗し始めていた死骸から立ち上る強烈な臭気に、フィリップは慌てて植え込みから飛び出した。


 「うぇえ……また吐きそう」


 生クリームとフルーツの味を飲み下しつつ、時間を確認しようと内ポケットに手を伸ばす。しかし、自分の手が泥まみれになっていることを思い出したフィリップは、まず周囲を見回して水道を探す。


 危なかった。

 白銀の──白金製の──懐中時計を汚すことにならなくて、本当に良かった。


 「職人さんとルキアに助走付きで殴られちゃうし……」


 きちんと手を洗ってから時間を確認すると、1時間弱も経っていた。

 穴なんか掘ってるからだぞと自嘲しつつ石碑のところに戻ると、フレデリカもこちらに歩いてくるのが見えた。


 「先輩。どうでしたか?」

 「残念ながら、手応えナシだ。そういうキミは……あー……穴でも掘っていたのかい?」

 

 フィリップの服にくっついた植物の種──トゲトゲしたやつとか、ネバネバしたやつ──をつまんで取り除きながら、泥に汚れた身なりに苦笑するフレデリカ。これまでの傾向から言って、穴を掘って地面に埋めるような隠し方はしないと思うのだが……フィリップには伝え忘れていたというか、気付いているだろうと無意識に思っていた。


 「はい。怪しげなところは片っ端から」


 徒労感を滲ませるフィリップに成果を問うのも憚られて、フレデリカは「そうなんだ。お疲れ様」と労うに留めた。


 さて、時刻は五時を過ぎ、空は夕暮れを迎え、公園にいた家族連れも殆どが帰ってしまった。残る数名も帰り支度をしている。フィリップたちもそろそろ手掛かりを見つけないと、大通りはともかく、広場なんて光源の無い場所で何かを探すのは困難だ。


 「……?」


 どうして断定形で考えたのだろうと、フィリップはいやに経験則的だった自分自身の思考に首を捻る。


 そりゃあ勿論、寒空の下で在りもしない懐中時計を探し回ったことがあるからだが、その時のことは忘れているのでどうしようもない。


 「まぁ、いいや。先輩、お店が閉まる前に、明かりを買ってきてくれませんか? ランタンとか」

 「光源ならあるけど、火の方がいいかな? 寒いかい?」

 「いえ、それは大丈夫ですけど……先輩、光属性魔術が得意なんですか?」


 フィリップの質問に、フレデリカは指を一本立てて「まぁ見てて」と言いたげに口角を上げる。

 ぱちりとウインクを飛ばしてフィリップをどきどきさせた後、鞄から二本の試験管を取り出すと、中身を見せるようにフィリップの目線の高さに掲げた。片方は灰色の粉が、もう片方には水のように見える透明な液体が入っている。


 恐らく錬金術製の何かなのだろうな、とアタリを付けたフィリップは、何が起こるのだろうと──まぁ十中八九、粉か水のどちらかが光るのだろうが──じっと見つめる。しかし、フレデリカはその視線を遮るように手を挙げた。


 「あまり見つめ過ぎると危ないよ」


 え、なにそれ怖い。光量が大きすぎて失明するとかだろうか。


 言われるがままに視線を逸らした先で、公園の外にいた女性と目が合った。なんとなく会釈してみるも、ふっと視線を逸らされた。

 かなり身なりの良い恰好をしていたし、もしかしたら貴族かもしれないので、致し方無い反応と言えるか。こちらは見るからに平民の子供。しかも泥だらけだ。視界に入れるのも嫌だという貴族も、中にはいるだろう。

 

 まぁ子供の教育にはよくない振る舞いだけど、と、なんとなく彼女の姿を目で追っていると、彼女は少し前を歩いていた別の女性に声を掛け、フィリップの方を指差した。その女性も示された通りにこちらを見て、フィリップと視線が合う。


 見てあの子、泥だらけで汚らしいわプークスクス……といった、嘲笑の気配は感じない。


 初めに目が合った女性がこちらに向かって手を振るが、その目はフィリップを見ていない。その後ろにいるフレデリカでもないようだ。

 視線の先を追って振り返ると、公園の反対側でも別の女性が手を振っていた。


 何だろう、と一瞬だけ考えて、すぐに雷の如き閃きが走った。


 そういえば。

 そういえば、ナイ神父は使徒の二人に「後詰めの部隊を退かせるように」と命じていた。しかし彼らは教会を出た直後にマザーと鉢合わせ、恐らく「邪魔だなぁ」ぐらいの温度感で跡形もなく叩き潰されてしまった。


 つまり──教皇庁のカルト狩りは、まだ続いている。


 マザーが帰ってきた時には「ナイアーラトテップのことだし、何とかなっているのだろう」と気にも留めていなかったが、まさか。


 「先輩、こっちへ!」

 「あ、ちょっと? カーター君?」

 

 試験管から試験管へ液体を注ごうとしていたフレデリカの手を強引に掴み、人の居ない方へ引っ張る。弾みで取り落とした試験管が地面で砕け、内容物が混じり合って光り輝いているが、気にする余裕は無い。


 一対一なら何とかなるが、フィリップの対多戦闘能力は高くない、いや、低いと言い切っていいレベルだ。

 いや勿論、自分に影響が出ない場所からなら、一国どころか一星さえ滅ぼすことは出来るけれど。でも数人とか数十人を一網打尽にするような、手軽で便利な火力は持ち合わせていない。


 「追われてます! ほら後ろ!」 


 振り返った先では、三人の女性が何事か叫びながら追って来ている。よくよく聞けば「カーター様」とか「レオンハルト様」とか呼ぶ声を聞き取れるのだが、生憎、全力疾走している二人にそんな余裕は無かった。


 「しつこい、というか足速いな!」


 追手は三人とも、とんでもない健脚だ。

 元々かなりの距離があって、フィリップたちも全力で走っているのに、もう二、三十メートルあたりまで詰められている。


 「《萎縮シューヴリング》!!」

 「なっ!? ……あれ?」

 

 何かしら攻撃魔術を撃たれたことには気づいたらしく、三人は足を止めて身構える。しかし何も飛んでこないし、何も起こらない。


 本気で殺すつもりで撃った領域外魔術は、距離減衰と魔力耐性で何の効果も無く終わっていた。やはり一般の魔術師相手なら有効射程は十メートルそこらか。


 で、たぶんきっとおそらく、あの運動神経なら十メートルぐらい一瞬で詰めてくる。間違いない。だってマリーもソフィーもウォードもそうだったから。「まぁまだ遠いな」なんて思ってると、次の瞬間には腕を取られて投げ飛ばされることになるのだ。


 「魔力抵抗でレジストした?」

 「直接干渉系の魔術?」


 後ろから聞こえてくる戸惑いの声を無視して走り続け──目指していた公園の出口から、また別の女性が入ってきた。その目はフィリップを確実に捉えており、言われるまでもなく追手の一味だと判断出来た。


 「《萎縮》! ……まだ遠いか!」

 「カーター君、足を止めちゃ駄目だ!」

 「分かってます!」

 

 魔術の不発を確認するや、進路を90度転換して再び走り始める。

 しかし、そちらからも別の女性がこちらを目掛けて走ってきていた。


 「カーター君! 後ろからも! ……駄目だ」


 あぁ、駄目だ。完全に囲まれた。

 二人は足を止め、せめてもの抵抗に、フィリップは魔術照準に使う片手を伸ばし、フレデリカは何本かの試験管を取り出して構える。息を荒らげていては威圧感も無いだろうが、少しは脅威度が上がるだろう。


 フィリップの魔術を警戒してか、一定距離以上踏み込んでこないが──どうすべきだ? 腹を括ってウルミを抜くべきか? しかしこれを持って走るとなると『拍奪』を使うことになるが、あれは長距離走向きの技術ではない。学院まで戻らなければいけないことを考えると、使いたくはない。


 ないが──出し惜しんで負けたら、ナイ神父にしこたま煽られそうだ。全力を出した上で負けても煽られそうだが。


 「先輩、さっきのガスってまだありますか?」

 「あぁ、あるし、いつでも使えるよ。ただ、ここまで開けた屋外だと効果は薄いだろうね」


 対魔物鎮静ガス、シュヴァイグナハトは、元々は森で使うことを想定されたものだ。空気中での残留性はかなり高いが、それでも風が吹けば散ってしまう。森林のような風を遮るものが多い環境でこそ真価を発揮するものだ。逆に、この広場ではすぐに拡散してしまうだろう。


 「クソ……」


 フィリップらしからぬ稚拙な罵倒の宛先は、遠くの方で「まだ帰りたくない」「もっと遊ぶ」と駄々をこねる、二組の親子だ。「困りましたねぇ」「すみませんねぇうちの子が」なんてにこやかに笑い合う親たちも、友達とバイバイしたくないと喚く子供も、心底邪魔だけれど──殺したくない。


 クトゥグアもハスターも、一先ず保留だ。時間を稼ごう。


 「僕たちはカルトじゃありません! 投石教会のナイ神父が証明してくれます!」


 そう叫びながらウルミを抜き放ち、フレデリカと背中合わせに立つ。


 「僕の正面に居る人を殺して包囲を突破します。行き詰ったら、あー……広範囲爆撃魔術を使うので、その場に伏せて目と耳を守ってくださいね」

 「分かった」


 ひそひそと囁き合っていると、包囲網から一人の女性が進み出る。ちょうどフィリップとフレデリカの真横にいた人だったので、二人は少し首を曲げる程度で彼女を視界に収められた。


 「フィリップ・カーター様とお見受けします! 相違ございませんでしょうか!」

 「……ん?」


 彼女は声を張り上げ、同時に諸手を挙げて争う気はないと示していた。

 武器戦闘を主とする騎士の降参はそのポーズで間違いないのだが、魔術師だと武器を持っていないことは何の意思表示にもならないので、フレデリカの警戒は依然として解けない。フィリップは初めから警戒なんてしていないので、遠くでじゃれ合っている親子の方をちらちらと確認している。


 「貴女たちは? “使徒”ではないとお見受けしますが」


 話している隙に距離を詰められはしないかと、四方に油断なく視線を向けるフィリップに代わって、フレデリカが問いかける。


 「違います。我々は第一王女殿下直属の護衛部隊、『親衛隊』に属する者です。殿下の命により、カーター様の身柄を保護させて頂きます」


 フィリップとフレデリカは視線を交わし、「信用できるか」と目だけで会話する。


 「信用できない! 使徒が聖下の名を借りるとも思えないが、それは貴女たちの身元を証明するわけではない!」


 フレデリカが鋭く叫ぶと、相手は「道理ですね」と頷く。

 そして徐に自分の首元に手を伸ばすと、ネックレスのチェーンを手繰り、胸元から十字架を取り出した。


 「そ、それは!」


 その十字架は、普通とは少し違っていた。

 白銀の枠に、真紅に輝く宝石が嵌っている。それだけでも絢爛で異質だが、何より、形状が違う。


 大きな十字の周りに小さな十字が四つ並んだ──ナイ神父が見れば「エルサレム十字ですね」と誰にも分からない注釈をくれるだろう──それは、ステラの胸元に輝く聖痕を模したものだ。


 「知っているんですか、先輩」

 「あぁ。あれは紛れもなく、第一王女殿下の身辺警護を任された精鋭騎士の徽章だよ」


 なるほど、登城したことのあるフレデリカは見覚えがあるもののようだ。言われてみれば、フィリップも今朝、ステラの出迎えに来た人たちが身に付けていたのを見たような気がする。


 ……で、それは何の証明になるのだ?


 「偽造したのかも」

 「い、いや、宝石を十字に加工するのはとても難しいんだ。あれは高度な錬金術による代物に見えるし、宮廷錬金術師並みの腕前が必要だよ」

 「なら本物を殺して奪ったとか」


 フィリップの言は、八割方ただの言いがかりだった。というのも、フィリップは相手の素性をそこまで気にしていない。フィリップが見ているのは初めからずっと、遠くの方で井戸端会議をしている親子連れだ。喚き疲れて眠った子供を背負って、今は親同士が駄弁っていた。


 もうそろそろいいかなぁ、と。フィリップの気が変わり始めた。


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