第148話

 投石教会のホールに戻ってきた四人は、思い思いの行動をしていた。

 一番能動的だったのはマザーで、彼女は一番受動的だった──というか半分寝ていた──フィリップを抱きかかえるように長椅子に座り、愛玩を続けている。フィリップはされるがままだ。


 ナイ神父は少し外すと言って奥に戻ったし、フレデリカは地下からずっと地図を睨み付けて何事か考え込んでいる。


 教会という場に相応しい、静かな時間が流れ──


 「分かった!」


 と、フレデリカの叫びが、その静寂を切り裂いた。


 「うわ!?」


 いくらマザーの胸に抱かれていても、隣の椅子で叫ばれたら流石に起きる。

 突然の大声に反応したフィリップが飛び起きたことにも気付かない様子で、フレデリカはグリッド地図と、観光用の現在の地図を見比べながら思考を巡らせている。漏れ聞こえる呟きに疑問はなく、「なるほど」「だったら」「そうか」と、一人納得する声ばかりだ。


 「どうしたんですか、先輩?」


 マザーが不満そうに、不穏な目を向けるのを宥めつつ、フレデリカが睨み付ける地図を横から覗き込む。


 グリッド地図上の投石教会や聖果教会にはマル印が付けられ、幾つかの直線がそれらを結ぶように引かれている。蜘蛛の巣状というには、少しばかり線が少ない。


 「次の場所が分かったんですか?」

 「あぁ! いや、もしかしたら、ゴールまで分かったかもしれない! これを見てくれるかい?」


 フレデリカは腰を上げると、長椅子の上に地図を広げ、自分は床の上に膝を突く。

 これなら確かに書き込みしやすいだろうし、フィリップにも見易いが、貴族の令嬢としては無作法な気がする。フィリップは貴族ではないので判断が付かないが、ルキアがやっているところが想像できないので、たぶん駄目なのではないだろうか。


 と、そんな益体の無いことを考えているうちに、フレデリカは地図上に大きな三角形を一つ、書き終えていた。


 「これは……今までに行った場所ですか。聖果教会と酒場、投石教会」


 フィリップは三角形の各頂点をなぞりながら、フレデリカの、この三角形の、そして暗号の意図を懸命に考える。

 しかし、何も思い付かない。十数秒ほど考えて、先を促すようにフレデリカを見遣った。


 「あぁ。ここからは、結論ありきの推理とも呼べないような……証明未満の何かになってしまうのだけれど」


 彼女はそう前置きしてから説明を続ける。


 「この暗号は、私が隠し場所を見つけられなかった場合の補助的な役割を持つ遠回りルートだと、彼は言っていた。だから多分、ゴールはここだ」


 フレデリカは地図の中心辺りにマル印を書き込む。

 そこはフィリップもよく知っている場所──というか、魔術学院だ。


 まぁ、ナイ神父に指摘されてから薄々そんな気はしていた。この暗号がレクリエーションではなく教皇庁の追手を躱すためのものだった以上、フレデリカ以外の誰にも解けないような代物にするか、安全な魔術学院内で完結するように仕組むだろう。少なくとも、隠し場所まで延々と王都内を歩かせるような真似はしないはずだ。


 フィリップが同じ立場にあったとしたら──魔術学院の中に隠すか、投石教会に隠す。その判断基準は勿論、秘匿性と安全性だ。


 ……いや、でも。


 「でも、魔術学院の中に隠すくらいなら、先輩に直接渡せば良かったんじゃないですか?」

 「そうだね。、だけど」


 そこまで言われて漸く、フィリップも思い至る。

 「神を冒涜する書物」を隠したのは、彼女の祖父とは限らない。彼はその存在に気付いただけかもしれないし、発見した直後に教皇庁に捕捉されてフレデリカと接触できない状況だったと考えれば、盗み見られても問題の無い暗号文で手紙を送るのも納得がいく。


 流石に「魔術学院のどこそこにカルト本がある」なんて文面の手紙を出したら、教皇庁もそれを理由に魔術学院へ捜査協力を依頼できるだろうし。


 ……持ち歩くだけで精神が腐り果てるような代物だから、みたいな理由ではないことを祈っておこう。宛ても無いが。


 「それで、聖果教会と酒場「楽園の果実」、そして投石教会は、魔術学院を中心とした円周上にある」


 フレデリカは器用にもフリーハンドで、地図上に綺麗な真円を書き加える。


 その円周上には、今までに訪れた三つの場所以外にも、さらに二つの場所に印が付いている。


 「こっちは、候補にあった9-16ですね。……こっちは、どうして?」

 「うん。その二つを導き出すのが、結論ありきで推理未満の帰結でね」


 彼女は苦笑しつつ、さらに地図に書き込みを加える。地図の上下を反転させ、5つの点を規則的に結ぶ線を引く。

 

 「五芒星……いえ、逆五芒星ですか」


 通常の五芒星は、魔法陣を介するような儀式系魔術で用いられる記号だ。ここ数百年の魔術師は、魔術式によって魔術を行使する現代魔術を主に扱っているから、魔法陣を目にするのは召喚術や儀式魔術といった特殊な魔術を使う時くらいだが。


 そして逆五芒星は、それ以上に珍しいものだ。

 こちらは千年以上前、ソロモン王が悪魔を従えるのに使ったとか使わなかったとか、歴史にありがちな曖昧な話、いわゆる「諸説」の一つとして語られている。百年ほど前までは絶対禁忌の印だったとか、そのまた百年前には悪魔祓いの紋章だったとか、割といい加減で意味の移り変わりが激しいシンボルだ。


 現代に於いては、サタニズム、魔王崇拝、反唯一神的な信仰のシンボルとされている。


 「中央に隠し場所が、各頂点には見つけ出すためのヒントがあるのでは、と考えているのだけれど……どう思う?」

 「筋は通っているように思えますけど……」


 フレデリカ自身も言っていたように、少し強引だと思わなくもない。


 とはいえ、もう追手はいないのだ。

 “神を冒涜する書物”とそれを探す者を焼くために派遣された教皇庁の尖兵は、ナイ神父によって帰され──たぶん、マザーによって土に還された。いや、土に還るなんてありきたりな死ではないかもしれないが、まぁ、それはどうでもいいとして。


 焦る必要はない。

 今日はもう学院に戻って、家に連絡して、明日はお爺さんのお葬式やら何やらで忙しくなるだろうし……来週にでも、また探しに行けばいい。何なら、明日はフィリップ一人で探しに来ればいい。その方が、万が一の対処も簡単だし。


 「どっちの場所も帰り道じゃないですし、今度にしましょうか。帰りましょう、先輩」

 「え、もうそんな時間かい?」


 フィリップにしては珍しくフレデリカの心情を慮った言葉に、しかし、彼女は的を外した答えを返した。


 眉根を寄せて首を傾げ、露骨に「何言ってるんだ」と言外に示したフィリップに、フレデリカは不思議そうに首を傾げる。そしてしばらく考え込んだ後に、「あぁ」と納得したように手を打った。


 「私のことを心配してくれていたのか。あはは、ありがとう、カーター君。でも、大丈夫だよ。さっき、一週間分くらいは泣いたからね」


 苦笑交じりのウインクからは、強がっている様子は感じない。

 いやしかし、そんなはずはないだろう。肉親が、それも愛されているとあれだけ綺麗に言い切るような関係性の家族を、ああも無惨に殺されたのだから。宝探しなんて放り出して、家族と一緒に泣くのが普通だ。


 「だから、ほら、ちょうど折良く、残りの場所が二つ。今日中に回れそうな場所も二つだったよね。今日のうちにヒントを揃えて、明日にはクライマックスを迎えようじゃないか」

 「……分かりました」


 覚えがあるなぁこの感じ、と、フィリップの脳内に合理性の化け物理解者の姿がちらつく。


 「でも先輩、一つだけ聞かせてください。どうしてそこまで“神を冒涜する書物”なんかを探そうとするんですか?」


 お爺さんの形見、或いは遺言にも等しいものだから。そんな感傷的な理由ではないことは、彼女の態度を見れば明らかだ。悲しんではいるようだが、囚われてはいない。


 フィリップが懸念する可能性は一つ。


 ──狂気だ。


 フレデリカの悲痛な叫びを、あの血と臓物と腐敗の臭いと共に覚えている。あの光景が彼女の精神を破壊していたとしても、何ら不思議はない。

 狂気が時に異常な物への執着心を呼び起こすことを、フィリップは感覚的に知っている。


 論理的思考能力は残っているようだが、それは表面的なものかもしれない。彼女の精神が壊れているのだとしたら──


 「えぇ、いいわよ。フィリップくん」

 「……どっちの話ですか」


 一瞬だけ投げた視線に反応して、マザーが甘く蕩けるような声色で囁く。

 フィリップは何も口に出していないが、心中に浮かんでいたのは「マザーが治してくれるだろうか」という疑問と「殺してあげよう」「その場合はマザーに死体の処理を頼むことになるな」という殺意無き決意の二つ。


 果たして、両極端な二つのどちらを肯定したのだろうか。


 ひそひそと会話する二人を不思議そうに見ながら、フレデリカは「えっと」と言葉を練ってから話し始めた。


 「カーター君。キミは、“神を冒涜する書物”──教皇庁が狙うほどの代物とは、何だと思う?」

 「え? そりゃあ、カルト絡みの本とかじゃないですか? 邪神を賛美するような本とか」


 フィリップの答えは、邪神が真後ろにいなくても思い付くようなありきたりなものだ。フレデリカも「そうかもしれないね」と頷いている。


 「先輩はそうは思わないってことですよね? いえ……先輩は、を何だと思って探しているんですか?」


 フィリップの問いに、フレデリカは微かに口角を上げる。

 彼女の目が狂気的な輝きを帯びたことに、フィリップは気付いていた。しかし即座に発狂していると断定しなかった──否、出来なかったのは、彼女の目の奥には確かな理性の光が灯っていたからだ。


 狂気的理性? 或いは──理性的狂気?

 狂気じみた強度の理性だとしたら、それは称賛に値する。理性じみた整然さを有する狂気なら──。


 密かに片手を動かし、フレデリカの胸元に視線を投げる。

 すらりとしたスレンダーな肢体──ではなく、その奥、肋骨という脆弱な守りにつつまれた臓器を見透かすように。フィリップの目は好色なものではなく、領域外魔術によって脱水炭化させる宛先、的を見る目だ。冷酷さすらなく、同心円を描いた紙を見るような視線。


 「私は──」


 カルト狩りをしていた使徒の二人より尚、機械的で感情の籠らない視線に、フレデリカは気付かない。


 「私は、それが、新たな法則であることを望んでいる。……そうであれと、願っている」

 「……法則、ですか?」


 予想外の言葉に、フィリップはオウム返しに聞き返す。マザーはフレデリカに興味を失くして、しかし真剣な表情のフィリップの邪魔をしないように長椅子に座り直した。回し車の中を走るハムスターを見るような愛玩の視線を、フィリップは努めて無視した。


 フレデリカの目はフィリップとは正反対に、複数の感情がどろどろに入り混じる激情の坩堝だ。

 希望と絶望、悲哀と憎悪、期待と諦観、そして──そのどれよりも深く大きな、好奇心。


 「神とは何か。この世界を作り出した者だ。そしてこの世に遍く無数の法則こそは、世界を“斯く在れかし”と定義し創造した神の意思だ。それを書き記した数式こそは、神の言葉に他ならない。……帝国の天才、故サー・アルベルト=フリードリヒ・ユークリッドの言葉だよ」


 私の名前も彼にあやかっているんだ、と誇らしげに言うフレデリカ。

 奇跡学者ユークリッドといえば、フィリップも歴史の授業で聞いたことのある大天才だ。ソロモン王より数百年後の時代に生き、魔術を魔術式によって体系化した現代魔術の父にして、稀代の数学者。


 ここ授業でやったところだ! と閃く程度には有名な名前が挙がったものの、言葉の内容にはいまいちピンと来ない。つまりどういうことかと眉根を寄せて首を傾げたフィリップに、フレデリカは言葉を続ける。


 「私はこう願う。“神を冒涜する書物”とは、即ち──“神の意思”、既存の法則に反する、或いはそれを覆すような法則であれと」


 そこまで聞いても、フィリップの脳裏に閃くものは無い。法則と聞いて想起される記憶は大半が最近の現代魔術基礎、理論分野の授業で聞いたような話。あとはちらほらと、後学期期末試験対策で勉強した召喚術や錬金術に関する単語が浮かんでは消える。


 「えっと……つまり、錬金術関係の、何か新しい発見であると?」

 「そうであるとも言えるし、違うとも言える。カーター君、この世で最も強固で、最も普遍的で、最大の禁忌でありながら最も神聖な法則とは、何だと思う?」

 「え? えっと……」

 

 フィリップは浮かんだ疑問を棚上げし、素直に頭を回転させる。

 こういう「何言ってるんだ」と訊き返したくなるような質問が飛んできても、素直に思考を巡らせられるのは、フィリップの美点の一つだろう。


 数秒の黙考を経て、フィリップはぱちりと小気味よい音を立てて指を弾く。すぐに他人の真似をするこういうところは、未だ子供だという証拠なのだろうか。或いはフレデリカから感染うつったか。


 「“死”ですね」

 「そう。神は私たちに“死”をお与えになった。楽園の果実の一つ、生命の実は、アダムとイブには与えられなかった。だから彼らは失楽園の後に老いて死んだ。人間は死ぬ。全ての生あるものは死ぬ。神は、我らをそうお創りになった」


 フィリップは無言のまま頷き、先を促す。

 特に同意の言葉を述べなかったのは、「人は死ぬ」という不変にして普遍の法則の中に、まだ自分が含まれているだろうかという疑問と不安があったからだ。


 「カーター君は、死者蘇生の奇跡──大儀式による天使降臨を要する秘蹟系統魔術『リザレクション』を知っているかい?」

 「授業で習いました。ルキアや殿下でも使えないような、膨大な処理能力を要求される魔術だとか」


 二人とも「いつか覚える」と意気込んでいたが、まぁ、それはどうでもいいとして。


 頷いたフィリップに、フレデリカは苦々しく首を横に振る。


 「あれは、ただの伝説だよ。錬金術、治療術、現代魔術、死霊術、医学、薬学。その全ての歴史に於いて、死者蘇生魔術『リザレクション』が行使された記録は無い。アレが載っているのは、聖典の中だけだ」

 「……なるほど」

 

 死者の蘇生──聖典の通りであるのなら一度や二度ではないそれを、数々の分野の学者たちが放っておくはずがない。聴取、検分、診察、或いは解剖すら辞さない超特異検体だろう。一神教が神秘を理由に秘匿したのだとしても、その旨を書き残すはずだ。


 しかし、蘇生者に関する学術的情報は一切無い。あるのは幾つかの宗教的逸話だけだ。

 

 「“死”は、絶対だ」


 フレデリカに強く断言され、フィリップも漸く閃く。


 「つまり、先輩が覆したい法則……いえ、“神を冒涜する”法則というのは」

 「君の考えている通りだよ。死者の蘇生──神の奇跡を、人の技術に貶める。そんな法則であることを願っている」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る