第145話

 道の片隅とはいえ休日の大通りでウルミを振り回し、魔術を撃っていれば、誰かしらが止めに入ってくる。

 それは道行く大人や、近くのお店の人や、棒を持った自警団のおじさんだ。この場面を目撃している人が何人か近寄ってきて、一様に息を呑んで止まる。

 

 数か月程度とはいえ聖痕者に鍛えられた──最強の魔術師に武器戦闘を教わったナンセンスはさておき──フィリップと、教皇庁の秘密組織構成員の戦闘だ。その周囲数メートルは、一般人が軽々に踏み入ってよい領域ではない。そう悟らせるだけの気迫が両者から迸り、制止となっていた。


 だから──フィリップと“使徒”の二人の間にある、五メートル程度の空間。

 そこに悠々と踏み入ってきた二人の男は、この場にあっては明確な異分子だった。


 「そこまでだ、“使徒”のお二人さん」

 「早急に選んでくれ。退くか、逃げるか、撤退するか」


 二人は共によく鍛えられた長身で、長袖に長ズボンというラフな格好をしている。長剣を握っていなければ、ただのガタイのいいお兄さんといった風情だ。

 彼らは揃ってフィリップたちに背を向け、庇うように立っている。


 口調は軽く、剣もだらりと下げたまま。鋭く研ぎ上げられたロングソード以外からは、まるで威圧感を感じない。

 だというのに、使徒の二人は警戒も露わに数歩下がる。


 「……教皇庁と王宮で話がついているはずですが」


 言い訳とも牽制とも取れる女の言葉に、乱入した男の片方が「そうだな」と軽く応じた。

 そんな情報を知っていて、教皇庁の特殊部隊が警戒するレベルの剣士となると、その所属はかなり絞られる。騎士団か、衛士団か。


 どちらにせよ、王国に仕える公人だ。

 その立場で教皇庁の人間に盾突くのは、実際のところかなり不味い行いだったりする。


 「では、王国は教皇庁との取り決めを無視すると?」


 女の言葉に、周囲の空気が一気に冷える。

 教皇庁──延いては教皇が破門を宣言した者は、たとえ国王でも生死不問の重罪人扱いだ。そして、それはも例外ではない。


 もしも王国そのものが破門されてしまえば、大陸に存在する他の国、聖王国と帝国は総力を挙げて王国を征伐することだろう。その時は軍対軍の戦闘ではなく、一般人も──老若男女を問わず掃討する、絶滅戦争となる。


 フィリップのような信仰も薄く、国際社会にも詳しくない人間は「そんなことになるの?」と訊きたくなる言説だが……なる。


 一神教は単なる宗教ではなく、大陸の全国家、全国民が共通して持つ道徳心のベースだ。

 人を殺してはいけません。物を盗んではいけません。約束は守りましょう。嘘を吐くのはいけないことです。そんな当たり前のルールすら、一神教の聖典に基づいて教えられている。


 国際条約はおろか、戦争だって一神教に基づくルールの下に行われるのだ。


 では、「彼らは一神教を信じていない」と宣言された者は、信者からどう見えるのか。

 簡単だ。「彼らは同じ道徳心を持つ人間ではない」と、そう見える。


 そんな相手と交渉が出来るか? 無理だ。

 そんな相手と和平が結べるか? 無理だ。


 同じ道徳心を共有できない、共通の認識を確立できない相手なんて、同じ人間ではない。そんな相手と握手をするなんて怖すぎる。


 そんな思いがあるからこそ、自分たちがそこに落ちるのは絶対に嫌だと、誰もが思っていた。


 乱入した男たちがどう答えるのか。

 恐怖混じりに、周囲の人々は固唾を呑んで成り行きを見守る。


 「王国? 何を言ってる? 俺たちは王国人だが、国とは何の関係もないぞ?」

 

 男はそう言って、揶揄うような笑みを浮かべる。

 片割れも笑ってはいたが、それは相棒への呆れ笑いだ。


 「思わせぶりなことを言うなよ。皆に迷惑をかける気か?」

 「おっと、そうだったな。そうしないために衛士団を辞めたんだった」


 二人は大仰に肩を竦め、両手を挙げて笑い合う。

 剣を持ってはいるものの、どう見ても戦闘態勢ではない。


 しかしその存在感と衛士団という名前は、“使徒”の二人に後退を強いる。


 「衛士団だと? 貴様ら──」

 「いやいや、違うって。俺たちは衛士団を辞めたの。今はただの一般市民。王宮なり衛士団本部なりに問い合わせてくれたっていいぜ」


 ぎちり、と、“使徒”の男が悔しさのあまり歯を食いしばる音がする。


 “使徒”とて教皇庁が擁する特殊部隊であり、その職務にはカルトの殲滅などの戦闘も含まれる。だが、王都衛士団は王国が擁する最強の武装組織だ。

 

 ──戦えば、負ける。


 「退きましょう、テネウ」

 「……えぇ」


 名前を呼ぶなという指摘も忘れ、テネウが魔術で閃光を放つ。

 元衛士の二人は閃光が消えたのとほぼ同時に、近くの民家の屋根に向かって合図を送る。周りの人は閃光をもろに受けるか、何が起こったんだと周囲を見回していて気付かないが、そこには共通の意匠がある鎧を着た衛士が潜んでいた。

 彼らは合図を受けると、閃光と共に姿を消した二人を捕捉し続けているのか、迷うことなく屋根から屋根へと飛び移って姿を消した。


 「……ふぅ。怪我はないかい、カーター君──あれ?」


 フィリップとフレデリカを助けてくれた元衛士団だという彼は、振り返った先にいるはずの子供たちの姿が何処にもないことに気付く。


 「さっきの男の子なら、アンタらが来たすぐ後ぐらいに、女の子連れて逃げてったよ」

 「え、あ、そうですか……」


 元衛士団の二人は、別にいいけど締まらねぇなぁ、と笑い合う。


 「ま、これで恩は返せたな」

 「あぁ。あの子には俺らの隊の全員が救われたんだ。“使徒”相手に大嘘こくぐらい、やってやるさ」


 嘘。──そう、嘘だ。

 彼らはかつて悪魔との闘いに敗れたところを救ってくれた少年のため、衛士団を辞めて


 最悪の場合に備えて辞表を提出してはいるものの、それは未だ受理されておらず、団長の机に山積された未処理書類の山に埋もれている。尤も、万が一の場合には速やかに、提出日に受理されたことになるのだけれど──そうはならないだろう。


 なんでも、王都内での教皇庁暗躍という重大事に対して、衛士団長──現在、騎士団解体に伴って近衛騎士団長は一時的に全権を剥奪されているため、衛士団長が軍事部門のトップとなっている──は、対教皇庁におけるジョーカーの使用を宰相へ提言したのだとか。

 ジョーカーとはつまり、王国にいらっしゃる三人の聖人、聖痕者たちのことである。


 今日は折よく彼女たちを王城へ招聘し、教皇庁側の使者と来年度の催事について打ち合わせをすることになっている。そこで厳重な抗議をして数日もすれば、彼らには王都から撤収せよとの命令が下るはずだ。


 そうならなかったら、まぁ、その時はその時だ。恩人に報いて組織を去るっていうのも、中々に洒落たことだろう。


 


 ……そんな甘いことを考えている彼らには悪いが、現在、王城ではステラとルキアが「教皇庁の狙いは暫定カルトのフレデリカ・フォン・レオンハルト? 馬鹿が。彼女の頭脳は王国の財産だぞ」「待って? フィリップが一緒に出掛けている子よ」「あいつは本当に……!」と、ひそやかな会話を繰り広げていた。


 密やかに声を殺していたのは、二人はいま王城の中でも3番目に高等な応接会議室にいて、教皇庁の使者と従者が対面に、そして上座には国王と宰相がいるからだ。ついでに言うと、ヘレナも二人と並んで座っている。


 王都二等地にて教皇庁暗躍の報が飛び込んだ会議室では、議題を一先ず置いての現状把握が選択された。


 その後、色々と情報を集めた教皇庁の使者は、状況を淡々と説明する。


 「現在、“使徒”は準軍事級規模の作戦行動中のようです。目標は推定カルトのレオンハルト、およびその同行者一名。アプローチは見つけ次第殺すサーチアンドデストロイ。いつも通りのカルト狩りですな」


 彼の口調には淀みが無く、自分たちは正しいことをしているのだという絶対的な自負が感じられる。


 「あいつがカルト? はっ、有り得んな」

 「えぇ。私の友人を侮辱するのも、攻撃するのも、度し難いことだわ」


 しかし、或いは当然ながら、彼女たちは教皇庁の使者に対して冷酷無比な視線と、それに見合った声を向けた。

 

 「もしも、あいつを殺してみろ──」

 「もしあの子に何かあったら──」


 落ち着けと宥めるヘレナと、国王と、宰相を無視して、二人は声を揃える。


 「──教皇領をソドムに変えてやる」

 

 ソドム──かつて大罪を犯し、神の使いに反逆し、遂には唯一神自らが裁定を下し、四大天使が一たるガブリエルによって滅ぼされた最悪の町。

 天上より降り注ぐ焼けた硫黄が街並みを焼却し、罪人は塩の柱に変えられ、終ぞ人の住める場所ではなくなった災厄の地。


 一神教における罪と罰の象徴の名を出され、教皇庁の使者が怯む。或いは聖人二人の怒りに触れてかもしれないが。


 「す、速やかに、当該部隊の撤収を枢機卿に進言させて頂きます!」


 使者が合図をすると、彼の背後にいた従者が慌ただしく部屋を飛び出していく。

 しかし、それでは遅いと、“使徒”の戦闘能力と手の早さを知るステラは眉根を寄せた。とはいえ、現状、ただの使者でしかない彼に確約できるのはその辺りが限界だというのも分かる。


 「……親衛隊から何人か回して探させろ。金髪に青い瞳、10歳くらいの子供だ。顔立ちは平凡。身長はこのくらいで……そう、今朝私と話していた子供だ。あとは……ウルミを持っている」

 「懐中時計もね。……マルグリット、貴女も行きなさい」


 二人はそれぞれの従者に命じ、自分たちも探しに行こうと目配せをして席を立つ。

 しかし、流石にそれには待ったがかけられた。


 「待つのだ、ステラ。聖下も、お待ちください」

 「お待ちください、殿下。ルキアも、少し落ち着いて」


 声を上げたのは、部屋の上座に据えられた玉座に坐す現国王、アウグストゥス2世。そしてその横に控える宰相、アレクサンドル・フォン・サークリス。単純な社会的序列に照らせば、この会議室の中で最も偉い人と、二番目に偉い人である。


 「我らは仮にも使者を迎えた立場。身勝手に場を辞すことは許さぬ」

 「はい。それに使者殿の目的は、あくまで来年度の大洗礼の儀についての打ち合わせです。本来の目的を、どうか思い出して頂きたい」


 二人の言葉に、ステラは一瞬だけ悩み、渋々といった様子で腰を下ろす。

 しかし、ルキアはそんな友人と一瞬だけ視線を交わしたあと、不満そうに父である宰相と恐縮しきった様子の使者を順に見るだけで、座り直そうとしない。


 「私の友人を殺そうとしている相手の都合で、私の友人を殺そうとしている相手の話を聞かなくてはならないの? 冗談でしょう?」


 苦笑どころか嘲笑すら混じった言葉に、宰相が呆れたような溜息を、ステラが押し殺した失笑を溢す。国王だけが、一連の会話を満足げに聞いていた。尤も、彼の鉄面皮はそれを他人に悟らせはしないのだが。


 ステラは一頻り笑った後、父である国王に向けて、第一王女としての立場から慇懃に話しかける。


 「確かに、相手は勘違いとはいえ無辜の民をカルト扱いし、殺そうとしている罪人です。斯様に愚劣な輩の言葉に耳を貸すことは、王国の将来を思えばこそ避けるべきかと存じます。陛下」

 「口を慎むのだ。教皇庁と王宮はカルトの裁定権譲渡に関する約定を交わしている。彼らの行為には何ら犯罪性は無い」


 言葉の内容こそ叱責であったものの、国王の語調は穏やかだ。

 そのことに疑問を感じた後は、教皇庁の使者が状況を把握するのも早かった。


 一連の会話は全て予定調和、この対談を望む方向に誘導する筋書きだ。具体的には、王が二人を諫めてから。


 国王と宰相、つまり王国陣営は教皇庁に対して一定の尊重を図った。ステラも第一王女の立場から、一度はそれに従う。

 しかしルキア──貴族でありながら当主ではなく、その行いが王国中枢の行いとは直結しない立場の彼女は従わない。あくまで一個人として、友人に害を為そうとする者を糾弾した。


 そしてステラもまた聖人──神罰執行請願・代理執行権保有者として、“使徒”の過ちを弾劾する。直接ではなく、王への進言という形で間接的に。


 このままでは不味いと思ったのか、或いは一刻も早く対談を終わらせたかったのか。教皇庁の使者は、ここまで無言を貫いていたもう一人の聖痕者、魔術学院長ヘレナ・フォン・マルケルに水を向ける。

 

 「ま、マルケル聖下は、どうお考えですか?」

 「私は特に何も。カーター君がカルトではないというのは、私たちの主観的意見ですから」

 

 ヘレナはそう言って、柔らかな笑顔を浮かべる。しかしそれは、全く以て赦しの微笑などでは無かった。


 「ところで教皇庁は、私の教え子二人がカルトであるという客観的かつ具体的な、当人が言い逃れ出来ないような決定的証拠をお持ちなのですよね?」

 「そ、それは……」

 

 答えられない。

 そもそも今回の使者来訪の目的は「教皇庁の王国内における準軍事的作戦行動についての説明」ではなく、「来年度の催事についての打ち合わせ」だ。事が問題になった時点で情報を集め、報告を受けているとはいえ、作戦にGOサインを出したのは彼ではないし、責任の所在も彼ではない。


 彼は“使徒”の作戦入りを知ってはいたが、その詳細についてはまるで知らなかった。彼の提示できる答えはYESでもNOでも「お答えできません」でもなく。


 「ぞ、存じ上げていません……」


 知りません、という、悲しいものだ。


 心底申し訳なさそうに答えた彼に、ヘレナは今度こそ赦しの微笑を浮かべる。


 「では、本件について明確な回答のできる方を寄越してください。それまで、私たちは教皇庁における催事への参加を見送らせて頂きます」

 「す、速やかに帰領し、対応させて頂きます!」

 

 慌ただしく会議室を飛び出していった使者を見送ると、全員の視線が国王に集中する。


 王は溜息を吐くと、仕方ないなと言わんばかりに口角を上げた。


 「使者が帰ってしまったのでは仕方ない。今日はこれで解散とする。余は所用がある故、挨拶は要らぬ。速やかに退席せよ」


 その言葉を待っていたと、ルキアとステラが会議室を飛び出していく。

 どれだけ急いでいても、椅子を蹴立てたり、扉を荒く開閉したりはしない辺り、何とも育ちの良いことである。


 「よろしいのですか、陛下?」

 「……ふふ、構わないとも」


 部屋に残ったサークリス公爵も、王も、共に穏やかな笑みを浮かべている。

 

 それは、まぁ、仕方のないことだろう。彼らは共に王国の中枢であり、私情を捨てるべき公人ではあるが──娘を持つ父親なのだから。


 「あのステラが、サークリス聖下以外の友達を持って、あれだけ大切に思っているのだぞ? 娘の成長ぶりには驚いてばかりだが、今回はただ喜んでやれそうで嬉しいではないか。貴様もそうだろう?」

 「えぇ、無論です。昨年の夏に会いましたが、いい子でしたよ」

 「ほう? ステラは“仲の良いクラスメイトが出来た”程度のことしか言わんからな。どれ、少し話してくれ」


 御意に、と笑うサークリス公爵。

 この時点で国王の知る情報は、「ステラがルキア以外に特別な友人を作った」程度である。「ならば、家柄も十分だ」とも。


 当然ながらその考えは公爵によって徐々に正され、彼は最終的にこう叫ぶ。


 「4歳下の平民の男だと!? それは、なんだ……その、会わねばならんな」


 



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